第4話 邂逅
松庵労災病院のICU(集中治療室)の外の廊下では、救急隊長の山崎が当直医と何か話している。
救急機関員である
助手席では救命救急士の沢田は報告書を作成し始めていた。
モトキたち高円寺チームは、今回、要介護者の命は残念ながら救えなかった。
「最悪の状況で最高の仕事」
沢田が自分に課したスタンダードだが、今回はそれを遂行することが出来なかった。
沢田は眉間のしわをさすりながら反芻する。
「俺に手落ちはなかったか。野次馬が多すぎたのは影響なかっただろうか。雪の影響は。搬送先が決まるまでの時間は、標準よりもかなりかかってしまった・・・」
搬送者の命が救えなかった事実の前では、すべては慰めである。
山崎が当直医とのやり取りを終えて戻ってきた。沢田は、
「隊長、後ろに回りますね」と言って、助手席のドアを開けてハイメディックから降りた。
「しかし沢田、今回の要救護者の顔なんだが、モトキに似ていたよな」
「ええ。正直目を疑いました」
隣で聞いていたモトキも、
「自分でも不思議な感覚に囚われましたよ。あれ、なんで俺が?みたいな感じで」
山崎は、
「しかし携帯していた財布の中に入っていた免許証を見て二度びっくりだ。だって、彼は2016年のJ-GP2のチャンピオンだったんだ」
沢田も川上も顔を見合わせた。
「た、確かにオレに似た人がいるって、榊原さんに聞いたことがあります」
榊原とは、川上の一つ年上の先輩の機関員、榊原俊広のことだ。
榊原はモータースポーツが好きで、特に今ではMoto GPで活躍するかつての風戸慎一のライバル、村上健一のファンだった。
「榊原さん、村上って人のファンなんで、僕に冷たいんですよ」
「風戸っていうのはな、」
と山崎。
「村上なんかより、全然速くて、手が付けられなかったんだ。Moto GPで世界でチャンピオンを取る日本人がいるとしたら、間違いなく風戸だったんだよ」
「そうなんですか。でも、なんでこんなことに?」
「そんなの知るか!」
沢田が怒鳴った。納得できていない様子である。
「切り替えようぜ、沢田」
「ええ、隊長。それはわかっているんです」
「とにかく隊に帰ろう。俺たちは次もある」
「わかりました」
と川上。
そこに、一台のタクシーが夜間通用口の脇に滑り込んできた。ハイメディックのすぐ後ろにだ。
「関係者ですかね?」
と沢田。
「たぶんそうだろうな。女性だな」
山崎が、後席でタクシー運転手に支払いをしている白石有紀の姿を認めてそう言った。
「お姉さんかな?誰だろう」
有紀が当直の職員に何やら質問をしているのを見ながら、山崎が,搬送状況をお伝えしないとな、と言った。
三人はハイメディックを降り、有紀に近づいた。
川上が有紀の後ろから声をかけた。
「あ、あの、救急隊のものです」
と声をかけた刹那、有紀は川上に向かって振り返り、その場で硬直した。
「し、慎、ちゃん・・・? 大丈夫なの? けがは? 本当に心配したんだから!!!!!」
気圧された川上がかろうじて、
「い、いえ、わたくしは、東京消防庁杉並消防署高円寺出張所の川上、と申します」
有紀はその場で崩れた。
「慎ちゃん、じゃないの? 慎ちゃんは、いえ、風戸はどこに?」
有紀は混乱していた。
目の前には慎一そっくりな男が立っているのに、その男は自分は慎一ではない、という。
立ち上がりながら有紀はようやく、
「まるで双子のように慎ちゃんに似ているわ・・」
と他人格であることを認めた。
それでも、他人の空似は聞いたことはあるが、自分の婚約者と同じ顔をした人間がこの世に存在するなんて。
川上はよろける有紀を支えながら、
「当直の先生の所へご案内しますので、ついてきてください」
と言った。
「はい」
と、短い返事をして有紀は川上の後ろに従った。
松庵労災病院の夜間受付通用口で名前を書き、2、3度細い通路を曲がると、大きな待合室に出た。
待合室を横切ると、反対側にはICU(中央集中治療室)の入口があり、川上が促すまま有紀はそこへ入っていった。
ICUの中では、当直の医師、菅沼が待っていた。
「風戸慎一さんのごきょうだいですか?」
「いいえ、私、婚約者の白石有紀と申します」
「そうでしたか」
少し沈黙が流れた。
おもむろに菅沼医師は、
「大変申し訳ありませんが力不足でした。ご愁傷さまです」
と告げた。
有紀は呆然と立ち尽くし、言葉が出ない。
本当は、大声で泣いたり、叫んだりしたいのに。
言葉がでない。声がでない。
しかも、涙がでてこない。さっきはあんなに泣いたのに。
菅沼医師の向こうには、ストレッチャーに横たわった慎一の姿が見えた。
しかし、ここからでは表情は見えない。
有紀はストレッチャーに近づき、慎一の死に顔を見た。
「苦しまれたのですが、最後は笑うように亡くなりました。 手はつくしましたが、本当に残念です」
慎一はすこし笑みを浮かべているようであった。
しかしすでに血色は失われ、有紀は慎一の頬に触れてみたが体温もすでに奪われていた。
自分の体から離脱した慎一の「意識」は、有紀の病院来訪をわかっていて、救急車が止まっている夜間外来の駐車場に移動して一連のやり取りを見ていたのだった。
「有紀、ごめん、こんな事になって」
そう詫びても声は届かない。
慎一はICUにやってきた有紀に触れてみようとした。
両腕を有紀の体に回し、思い切り抱きしめてみたが自分の両腕は有紀の体を素通りして空打った。
「抱きしめてやることすらできないなんて!」
慎一は自分の意識だけが残ってしまったことを少し恨んだ。
「有紀に俺は何もしてやれない。守ってもやれない。意識だけ残るって、どんな罰ゲームなんだよ!」
慎一は自分の無力感に腹が立っていた。
「このまま意識だけ残って、有紀のストーカーやれっていうのか… 神がいるならこんなに残酷でみじめなことはないよ!」
そう怒鳴ってみたが、声も有紀には届かなかった。
《ガシャン…》
ふと気配を感じて後ろを振り返ると、そこには黒い装束を纏った背丈2メートルはあろうかという腐りかけの髑髏が立っていた。
「誰だ?」
髑髏は何も発せず、持っていた鎖を慎一に投げた。
鎖は慎一の「意識」としての身体に巻き付いた。
「ううっ、動けねえ」
髑髏は鎖を手繰り寄せ、慎一を捕獲しようとした。
自由が利かない。力も入らない。このまま、俺はどうなってしまうんだろう。
渾身の力を込めて、抵抗するが、1㎝、また1㎝と髑髏のもとに手繰り寄せられている。
「ぐぅ、ぐっ」
ふと後ろを見やると、有紀はナースの一人に促されて別室に連れていかれるところだった。
ストレッチャーに載せられた自分の身体は、別のナースによってICUから外に連れ出されていく。
「俺は一体どうなるんだ。 こいつは一体誰なんだ…」
鎖が身体に食い込んでいく。死んでいるはずなのに、ギリギリと身体が軋み、痛みが走る。
――もう、だめだ。――
本当に成仏する時が来たのかな、そんな風にあきらめかけていた刹那、小さな黒い影が現れ、髑髏と慎一を結ぶ鎖の上を素早く走り、髑髏の頭に一撃を加えた。
《ガシャーン!!》
髑髏はよろめき、鎖を手放した。
「こっちに来るんじゃ!」
黒い影はあのネコだった。
「お、お前は!」
「細かいことはあとじゃ! こっち来い!」
慎一は反射的にそれに従って、ICUをネコと共に出た。
ネコは一目散に松庵労災病院の敷地を抜け、中央線の線路に出た。
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