第40話 もしかして物語よりエッセイ向きなのか?
今さらだけど!
というのもだけど、カクヨムと並行してアルファポリスにも投稿してる文章のうち、どー見てもエッセイっーか短文の本が食いつきが良いのだな。
悲しいくらい、考えて書いてる物語より素でざくざく打ってる雑文の方が読まれてるんだよな。
しかしまあそれはそれで仕方ねえな、と最近思う訳ですよ。
明らかに自分だって自分の物語と雑文でどっちが気楽で読みやすいかと言えば、雑文の方なんだもの。
そんでもって、ちょっと無理して作る世界よりは、どうもワタシの日常の方が他者から見ると「何やってんだこいつは」「なつかしー」とかで面白がられたり共感されるようなんだな。
だとすれば、もしかして毎日ざくざく指動かせば出てくる雑文打ってる方があっちでのポイント稼げるんじゃねえか、と思わずにはいられませんよ全く。
これはアルファポリスの目立つシステムとか、読者層とか短文雑文完結済みが好まれるという特性もあるとは思うんだけど。
そんでまあ、確かに真っ当な日常やってるとは言いがたいし、無駄に大量に忘れられない記憶も、こういうとこで役立てば本望だろなー。
と、いうことにしてみる。
*
以下蛇足。
いや、しょーじきワタシが自分の共感できる/こういう特性で過去困ってきたとか~とかをそのまま出すと、どうも「こういう子が昔居た」という感じになって、どう転んでもおおよその多数の共感をうけるタイプじゃねえのよ。
そして現代ドラマにおける「まあ普通」は想像ができない。というか、何処からサンプルをもってくればいいのか判らないし、それを普通として肯定しながら書いてると、何か自分をどんどん否定している気分になってくるんだな。
その昔、30代前半かな。
「ホールドオン」を書いた時、それは大体ワタシの結構生の感情だったんだわな。
だけどどうもそれを読んでくれた当時の同年代くらいのホムペ仲間からすれば、それはもうとっくの昔に通り過ぎた季節的なものでなあ。共感はしてくれなかった。
こっちはと言えば、延々引きずって生きている、ある種宿命的なもんだったものだから、なかなかそれはショックを受けた。
あーなるほど、その程度にしか思われないのか、という気持ちと、いつまでもいつまでもこだわってる自分がおかしいのか、と思う部分と両方で。
あとあれだ。「わかりづらい」は散々言われたし「オタク向けだねえ」も。
一番最後はわかる。これは同じような知識と頭の傾向を持ってるひとなら共感できるものだった、ということで。
とはいえそれは仕方ないんだわな。そもそも「書かずには生きていけない」時代だった訳なんだわ。書くことで何とかメンタルを保っていた訳で。
そういう作品は…… まあ、万人ウケはしない訳ですよ。当然だわ。
そんで当時も思ってましたがな。「書かなくても良い人生なら幸せだろう」とも。
書かずにいられない、というのは、それだけ口にできる言葉が現実では上手くいかないということでもあったんだし。
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