第13話 森元 涼介

「おいおいおい、なんだ、なんだあ、やる気がみなぎっているじゃないか、なあ、おいいぃ! ガハハハ」

 俺を出迎えた南田先生はとても嬉しそうに笑っている。


「おっ、言われる前に着替えて柔軟してるじゃないか。ハルイチくんも成長したのかな? 」

 浮かれた気分でもない俺に、やけに絡んでくる。


「お前、本物のハルイチか? 昨日まではダラダラ、ダラダラやる気なかったのに今日は顔つきがいつもと違うな。もしかしてなにかあったのですか? ハルイチくーん」

 更に嬉しそうにはしゃぎ続ける先生に、矛の天国を見舞ってみた。俺の攻撃など掠りもしないと思ったが案外普通に当たった事に驚いた。初めて試したにしては上出来過ぎるほどだった。


 笑ったまま気絶して倒れている先生を道場の端に寄せ、壁にもたれ掛けさせて置き、いつもの南田屋敷の内周をランニングし始めた。

二十分程走っていると

「テメエ、ハルイチこの野郎! 実践訓練始めるって事でいいんだな、このクソ餓鬼があぁっ! 」

 目を覚ました先生が大声を張り上げ狂ったように追いかけて来た。


 天国と地獄のセットを喰らわせておけば良かったかもしれない。

 俺は先生に追いつかれかけては、走る速度を上げ、また追いつかれかけては速度を上げる事を繰り返し、今日の大和相国寺駅での恥辱を頭から消し去る為にずっと走り続けた。


 練習を終え着替えて屋敷の門をでると、携帯の着信が鳴った。もう済んだ事だが、遂に里香さんの携帯番号を聞くことは無かったなとしみじみ思った。着信相手は涼介だった。


「もしもし、ハル。元気にしてたか? 」

 涼介にしては、少し元気がない声だ。

「当たり前だろ。あれから二週間しか経ってないぞ」

 身体はすこぶる元気だ。心は酷く痛んではいるが。

「聞いたんだろ? 恭也の事」

「ああ、あのビーンズグループの話か? 」

「そうだよ! そのグループのCEOになったとか、ならなかったとか」

「なったんだよ! 」

「あいつは、俺の心の友だと思っていたのによぉ! どうせ俺だけだろ、羨まし過ぎて狂いそうになったのは」

 電話の向こうで涼介は僻みっぽく話す。


「うおい! あん時ゃ俺もしっかり落ち込んだからな! 」

「ハハハハ」

 二人一緒に笑った。恭也の話を聞いてから久しぶりに大笑いした気がする。涼介も俺と同じ気持ちだったのだと知り安心した。

「じゃあ飯でもいくか」

 涼介と二人だけで、いつも三人で会うファミレスで落ち合う事になった。


 先に着いて席で待っていると私服姿の涼介が入り口に現れた。最近はずっとスーツ姿ばかり見ていたから少し新鮮な感じがする。

「おお早かったな、しかしお前、全財産入りの財布でも落としたのか? シケた顔しやがってよ」

 涼介は、俺を見つけると笑顔で下らないことを言いながら向かいの席に座った。

「お前の方こそ夏休み前の大学生みたいな恰好しやがって」

 と俺は涼介に言った。

 電話で話していた時よりは機嫌が良くなっているみたいだ。二人揃ったところで俺はハンバーグセットを涼介はエビフライセットを注文した。


「恭也の事だけど、あいつは高校の時も大学行ってからも好き勝手して、さらに卒業しても就職しないで最後にいきなりCEOってなんだよ! 」

 涼介が不満げに喚く。

「CEOはチーフ・エグゼクティブ・オフィサーの略だな」

「わぁってるよ! いやそこまで正確には知らんけど。

 俺なんてさあ、会社と家の往復だけだったし、休みの日は恭也の境遇をただ羨ましがるだけの日々だったんだぞ。

 お前も職探しとバイト以外でこの二週間なんかあったか? 」


 なんかあったか、どころではない。沢山有り過ぎて毎日色んな事があって、どれから話していいのか、南田道場の事は教えられないし結局色々面倒臭くなって、なにも無かった事にした。


「あーあ、俺も友人枠でビーンズグループの幹部にしてくんねーかなあ」と涼介。思いは皆同じだ。

「資金、親のコネ、姿形、人は生まれた時から平等ではない、不利な状況で生まれたなら抗いもがき続けて上に上るしかない、って深見さんが言っていたぞ」

 羨ましがりすぎる時期は既に通り越した俺は、涼介に余裕があるところを見せて言った。正確には深見さんの見た映画の中に出て来たセリフなのだが。

「言いたい事は分かるんだけど、誰だよ、深見さんて! 」

 食後のコーヒーを待っていると二人組の若い男が俺達の席に近づいて来た。


「ああ! やっぱり森元課長だ。お疲れ様です! 」

 二人組は嬉しそうに涼介に挨拶した後、俺にもお辞儀をしたので俺も立ち上がって「こんにちは」と言った。二人は涼介の会社の部下で、涼介も嬉しそうに挨拶すると直ぐに二人を向こうの席に追いやった。


「お、お前、課長なの? 」俺は驚きを隠さずに聞いた。

「まあそうだな、ちっせえ会社のな。おい、そろそろ行こうぜ」

 涼介は少し照れくさそうに返事した後、立ち上がると俺を急かした。

「ちょ、まだコーヒー飲んでないぞ」

「それはもういいじゃねーか。上司の俺が居ると、ほら、部下達もやりにくいし、お前とここでバカ話してると、あいつ等に対して気まずいだろ」

「そうだな、じゃあ俺トイレ行ってから金払っとくから、お前先出てていいぞ」

 俺は焦っている涼介の言葉に納得した振りをした。


「悪いな、じゃあ先に居酒屋の方に歩いとくぞ」

 涼介が外に出るのを確認したあと、俺は涼介の部下二人が座っている席に近づいた。目的は勿論、涼介の会社での立ち位置だ。ここに恭也が居ないのが残念でしょうがない。


 前回に恭也と三人で飲んだ時に、涼介は「会社は自分が居るから何とかなっている」みたいなことを言っていた。俺は森元の二人の部下達の所に行くと、あいつの会社での様子を聞いた。

「え、森元課長の事ですか? いつもああいった感じですよ」

「調子良くて、明るくて、部下に慕われていて」

「あと会社で一番仕事が出来る人ですね」

「一言で言うと伝説のサラリーマンですよ」

「そうそう、本当はもっと出世していてもいいぐらいですよ」

「森元課長でうちの会社は何とか、なっているってもっと上の人も言っていましたしね」

 絶え間なく森元を褒めたたえる彼らを尻目に、聞かなければ良かったと後悔した。彼らに森元をよろしくと伝えると俺は、しかばねの様にフラフラとレジに向かった。


 払いを済ませ表へ出ると、先に居酒屋へ向かうと言っていた涼介が待っていた。俺は涼介の顔をまじまじと見てため息が出そうになった。この男自分で言う様に本当に有能だったとは、しかも人望もあるようだ。


「ん? どうした、ハル」

 不思議そうに俺を見る涼介。二週間ほど前、恭也が違う世界の人になったように、今また涼介の会社での立場を知った俺には、二人の友人が別の世界の人間になった、いや俺だけがダメ人間の世界に取り残されたように感じ、寂しさと焦燥感だけが残った。


 居酒屋に場所を移してからも恭也の話題が続いた。

「しかしあいつは漫画の主人公みたいな奴だな。顔も良くて、背も高くて、女にモテて、学世時代は裏ボス、大人になったらCEOってか。友人の幸せは喜ばないとイカンとは思うが、ちょっと突き抜けすぎだろ」と涼介が口を尖らす。


「あいつが失敗したり、挫折するところが想像できないな。ちょっとしたピンチでさえ一度でも有ったか? いや、無かっただろ」

 とまた涼介。


「生まれながら将来の成功を約束されてる奴や億万長者の子供として生まれるって、前世でどんな善行を積んだんだよ、神様の助手でもやっていたのか? 」と涼介はまだ続けた。


 俺も一緒に恭也の事を話はするが、今、頭の中は涼介の事も考えている。

 今こうして一緒に酒を呑んで楽しく馬鹿な話をしていても、こいつ、実は会社では、俺などとは違い仕事の出来る人間なのだという事実が何度も頭をよぎり、俺を現実世界に引き戻す。

 大体こいつは恭也の事などを羨む必要など無いじゃないかと思う。


「今日はもう帰るかな」

 まだビールをジョッキ二杯しか飲んでいない涼介がポツリと言った。俺は拍子抜けしたと同時にまた寂しく思った。


 いつもは俺のアパートまで押しかけて泊まって帰るのがパターンなのだが、こうもあっさり帰ると言われると少し物足りなくも感じた。

 どこか上の空になってしまっている俺との会話が面白くなかったのかと考えてしまった。


「お前も英語の勉強しているようだし、俺も真剣に仕事の勉強してみるわ。今までは半分才能だけで会社の仕事をこなしていたところもあったからな。やはり常に努力していないとチャンスがやって来た時に、手を挙げる資格もない状態だと悔しい思いをするだけだからな」

 涼介はカッコよく決意表明するとポケットから財布を出し「ここは俺が払う」と言ってさっさとレジに向かった。

涼介の言葉が俺の心胆に突き刺さった。


 話の中にさりげなく自慢が入っていたのが気にはなったが、内容は背筋が凍りそうになった。これ以上、恭也や涼介に距離を開けられると、奴らと一緒に遊びにくくなってしまう。こいつまで頑張るとなると、俺はもっと頑張らないと、最早もはや距離は開くばかりだ。そう考えると恐ろしくてたまらない。


 俺は帰り道、独りで歩きながら考えた。まだ飲み足りない気持ちでアパートに帰ると俺のドアの前で三島 早織が立っているのが見えた。

「なに? また終電逃したの? ハハハ 」

俺は笑って声を掛けた。


「良かった。今日は帰ってこないのかと思ったわ」とホッとした様子のサオリは笑顔になって「お土産に酎ハイ買って来たよ」と言った。

「あんた、いつも終電逃しているな」

 サオリを部屋に入れ、氷とグラスを用意しながら、もしかしてサオリは俺に気があるから、わざと終電を逃した振りをして良くここへやって来るのかもと少し己惚れた。


「ひょっとして俺に気があるから………」

 グラスを二つテーブルに置き、冗談ぽく聞いたのだが、

「無いわよ! うん、残念ながらそれは無い! 」

 俺が言い終わる前にサオリは気持ちいいくらいハッキリと否定した。さらにサオリは理由も明確に答えた。

「初めて部屋に泊めて貰った時に何もしてこなかったから本当に安全だと思ったからよ」 

「そうか、少し残念だなぁ」

 本来ならこんな可愛い娘に気が無いとハッキリ言われれば、かなりのダメージを負う筈だが、今日は既に大本命にフラれているので、俺の心はビクともしなかった。

「あまり残念がっているように見えないんだけど……… それはそれで何か、腹立つわね」

 今度はサオリの方が残念がっているように見えた。

「ああそう言えば、水笠神社の事だけど」

 俺は、酎ハイをグラスに注ぎ、神社の神主に聞いた話をサオリに教えた。


 お金持ちになれるなんて話なので、彼女ならぜっていに有頂天になると予想していたのだが、「そんな予定は無いし、現実味が全く感じられない」と意外にもあまり嬉しそうではなかった。

 ただ、泥の謎が解決したことに対しては得心とくしんしたようで上機嫌になった。現実味が感じられないと言いながらも、神社に願掛け参りとお礼には行くのだなと感心した。

「まあ兎に角、水笠神社の御利益に乾杯」

 言い終えるとサオリにグラスを向けた。彼女も笑顔でグラスを俺に向けた。


「ハルって稀に見る紳士だよね、さっきの話の続きだけど。いつか私の友達紹介してあげるね」

「いつかって何だよ、普通今度っていうもんだろ、ハハハ。じゃあ、可愛い娘を頼むよ、いつの日にか」と俺は笑った。

 やはりこの娘と話していると楽しい。そして俺は紳士ではなく勇気が無いだけなのだよと心の中で返答した。


 何だかんだ落ち込んだ時はいつも誰かに励まされているなと感じる。俺はかなり恵まれた環境に居るという事を確証し友人達に感謝した。


 サオリはまた終電を逃がすだろう、その時俺が不在なら困るだろうからサオリに俺の携帯番号を教えた。


 次の朝、秋吉さんから貰ったカステラを二人で食べて、サオリを送ってから南田屋敷へと向かった。


 

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