第14話 夏目 瞬

 九月十日、八月の暑さが嘘のように涼しい。ついこの前までは夏の終わりが来る気配が全く感じられないくらいの暑さだったというのに。

 夏の終わりを告げるような涼しい曇り空の中、俺は人と会うために大和相国寺駅に向かっている。


 夏は恋人のいない人間には酷なイベントが多過ぎる。小学生位の時は昆虫採集やプールと夏が一番好きな季節だったが大人になってからは夏が一番嫌いになった。

 ただ単純に暑いからだと言う訳ではないのだが。夏を題材にした映画は大好きなのだが。クリスマスの時期を描いた映画も勿論好きだけれども。

 ようやく俺の嫌いな夏が終わるのかという嬉しい気持ちと結局この夏も何も良い事無く終わったという悲しい気持ちで駅に着き「ああ夏が終わったな」と独り言を呟いた。


 この二か月間、毎日精悍な身体と心を手に入れるべく、ヘトヘトになるまで身体を鍛える毎日だった。平日は南田屋敷に泊まり込みアルバイトと英語の勉強以外は武術の鍛錬と体力作りだけの日々だった。


 たまの土曜日はアパートに戻り深見さんと映画を観て過ごすくらいだった。深見さんと一緒に映画の話などをすることは、この二か月間の辛い南田屋敷特訓を続けるのに随分と気持ちの面で助けられた。


 昨日、汗だくになりながら腕立て伏せを繰り返していた俺に、

「大体基礎体力もついてきたから、もうそろそろ良いだろう。明日、ちょっとお使いに行ってもらいたい所があるのだがな」

 と腕組みしながら俺を見下ろし先生が言った。

 何がそろそろ良いのか、全く解らないのだが、腕立てを続けながら返事をするのがやっとで、その事は聞けなかった。


 言っておくが俺は、元々体力はある方だ。何故なら、彼女が出来るその日まで身体が弛まないように、密かに自己トレーニングをしていたのだから。


 お使いの内容は先生の知人の山村さんという人物に、大和相国寺駅で会って来いというだけの簡単な内容なのだが、何かが引っかかった。

 俺自身の特徴は先方に伝えてあるとは言われたが俺には山村さんの特徴など一切聞かされてはいない。南田先生の知人だと言うのだから変人なのは間違いない筈だ。そもそも会って来いと言われただけなのが不安でしょうがなかった。


 当然、約束の時間より早く大和相国寺駅に着きホームの階段を上がる俺に、二か月前の嫌な思い出が蘇る。駅の階段を上がりきると相変わらずの人混みの中、全くの手がかりのない人物を探す、というよりも見つけてもらうべくウロウロ歩いていると

「あれー、ひょっとして古川晴一くんじゃないの? 」

 山村さんかと思い、振り返ると夏目 瞬の野郎がニヤニヤして立っていた。馴れ馴れしいんだよ、このクソボケが!

「やあ、こんにちは」

 俺は山村さんとの待ち合わせが気になったので、素っ気なく挨拶だけ交わしてコイツをやり過ごそうとした。

「二か月ぶりだねえ。里香ちゃんと待ち合わせ? 」

 相変わらずニヤニヤしている夏目。

「そんなわけないだろボケが! 」と心の中で叫んだ。

 俺はこいつのお陰で彼女の携帯番号さえ知らない、それに人の恋人とコソコソ会ったりはしない、最後に何でこいつみたいな奴が秋吉さんみたいな素敵な人と付き合っているのだろうと、腹立たしさがあったが、そういった事は全て抑えて答えた。


「いや、違うよ。ちょっと用事があってね」

 あくまで冷静に怒りを殺して答えた。

「そう言えばこの前の事、俺の態度が古川君に失礼だって、里香ちゃんに物凄く怒られちゃって。そんな事無かったですよね? 」

 そう話しながらもニヤニヤしている夏目に俺の業、矛の地獄を一分間、可能な限り何百発と喰らわせて最後に天国で気絶させる想像をして、気分を落ち着かせた。


「うん、全然、大丈夫だよ。気にしてないよ、ホントに」

 俺は周りをキョロキョロ見回しながら、早くどっかに行ってくれという希望を込めて、努めて優しく言った。

「お前と喋っていると、山村さんが俺を見つけてくれないだろうが!  ボケ! 死ね! 」と心では思いながらも。


「ですよねー。だって、俺そんなに失礼なことは………」

 夏目は不意に話の途中に黙ってしまった。そして俺の背後を引き攣った顔で見つめている。

 俺も気になり振り返って見ると、ジャージを着た屈強そうな六人組の男たちが真っ直ぐこちらに向かって歩いて来る。あの中の一人が山村さん? な、わけないか。


 そのジャージの集団はまるでオリンピックへ飛行機で旅立つ前の選手達みたいに颯爽とこちらを目指して歩いて来た。

「おいっ! お前、よくこの辺りに顔出せたなもんだな」

 六人の誰かが夏目に怒鳴った。どうやら山村さんではないようだ。あっという間に六人に囲まれた夏目は、怯えた表情で何か言いたそうに俺を見ている。


 俺は今から夏目の身に起こるであろう事の成り行きを、歓喜と共に温かく見守る事にした。俺が黙っていると夏目は諦めたような顔で六人に向き直った。

「でも、大学に行くにはこの駅を使わないと」

 六人組に囲まれた哀れな男は、さっきまでの俺に対する態度と打って変わって、消え入るような小さな声で彼らに答えた。


「お前この前はよくも主将に恥じかかしてくれたな」「こいつ連れてってやっちまうか? 」

 俺の存在を完全に無視して夏目を強引に連れて行こうとする六人。

「でもあの人は勝手に恥をかいただけで、俺は本当の事を言っただけだよ」

 夏目は必死に抵抗しながら声を張り上げた。

「黙ってろボケが! 」「覚悟しろよ」「こいつ相変わらずムカつくな」

 全員各々が怒声を夏目に浴びせた。


 いい気味だとは思ったのだが、目の前で連れ去られる姿を見て俺は何か声を掛けようとした。

「この人達は知り合いで神奈関大学の空手部の人達だから。俺は大和大学なんだけど。俺は大丈夫だから、へへ」

 夏目は弱々しく笑った。

「うるせえっ! 黙ってろ! 」

 六人の空手部の誰かが夏目の背中を強く押した。空手部の何人かが俺を一瞥した後、「お前はここで大人しくしておけ」と言わんばかりに睨みを利かせて立ち去った。


 明らかに大丈夫ではない雰囲気なのだが奴なりに揉め事に俺を巻き込むのは悪いと思ったのだろうか。俺は少し夏目を見直した。

 夏目は小さな背をさらに丸め六人に囲まれた状態で歩いて行く。戦争中の捕虜はこんな感じで連行されるのだろうなと思いだがら奴の小さな背を見送った。

 哀れな夏目と厳つい空手部員たちは改札を出て階段を下りて行った。


 夏目 瞬、あいつは全くもって気に入らないが壁画と俺との約束だ。まあ一方的に俺が決めた約束なのだが。あんなにムカつく奴でも流石に六人がかりは酷い。仕方がないから助けてやる事に決めた。


 しかし大和相国寺駅の外へ出てみたいと常々思っていたが、その改札を通る初めての時がこんなにも助けたくない奴の為にとは、途轍もなく不本意ながらそこは我慢しよう。パッと行ってパッと戻ればなんとか山村さんとも会えるだろう。


 俺は改札口を飛び出し、彼らが下りた階段を慌てて駆け下り駅の外へ出た。初めて出た駅の外に何の感慨も感じる余裕もなく彼らを探すべく見回すと階段の後ろ側のフェンスを越えた先の空き地にいるのが見えた。


 近くて良かったと安堵して、直ぐにフェンスを越え彼らに追いつくと、ちょうど一人が夏目のことを殴ろうとしている。

「君たち、ちょっと待ってくれるかな」

 俺は全員に聞こえるように呼びかけた。


 夏目は驚いた顔で俺を見て直ぐに少し嬉しそうな表情になった。六人の空手部員達は邪魔をするなとばかりに、怒りの目をこちらに向け、今にもこちらに向かってきそうな凶悪な雰囲気を発した。


 リーダー格の坊主頭の学生がゆっくりこちらへ近づくと俺の目を真っ直ぐ見て「三秒やるから失せろ! 」と低い声で言った。

 俺より少し小さなこの男には逆らえないような威圧感があった。今までも、このように揉め事を処理してきたのだろう、まだ大学生なのにこの男にはそういった気迫が備わっていた。

 但し二か月前の俺ならまだしも、今は業を持っている余裕からか、坊主頭のセリフは薄っぺらく感じ、俺を脅している様子はとても滑稽に思えた。


 しかし業を習って初めての実践で使う機会が、夏目のアホの為とは思いもしなかった。そう思うとため息が出た。俺のため息が、気に入らなかったのだろう、他の部員達が俺を威嚇するように騒ぎ出したが、坊主頭が片手を上げ全員を制した。


 六人を相手にすることになるのだから勿論一分間の業を選択するべきだなと考えながら俺は掌の中心辺りに中指の先を押し立て業の準備をした。

「もう三秒以上経ってるぞ? 」

 俺が、煽るような態度で尋ねた瞬間、俺の顔目掛けて正拳突きが飛んできた。殴られても平気だという余裕から間近にもかかわらず、ハッキリとこの男の繰り出した拳の軌道を見える事が出来たし、避ける事も出来た。


 だが俺はそうしなかった、盾の性能を試してみたくなったからだ。正拳突きは俺の鼻付近にキッチリと入った、だがかすかに何かが触れた感触しかしなかった。


 坊主頭は俺が鼻を抑えたり倒れない事に驚いた顔をしたが、直ぐに俺の頭に回し蹴りをした。それも敢えて避けなかった、がやはり痛みは感じなかった。俺が倒れないのが何故だか理解出来ないといった感じの周りの男達の顔は少し笑えた。


 次に矛の地獄と天国を坊主頭の頬に軽く当てた、俺の拳が当たる瞬間の男の呆けた顔を見て少し笑ってしまった。坊主頭がその場で崩れ落ちると、この男が倒されたのが余程ショックだったのか全員が静まり返る。


 残り時間の無い俺は次々、空手部員達を昇天させていった。気絶させるだけでなく地獄も一緒に使ったのは、また次に夏目に対して報復しようなどと思わせない為に、全員に恐怖を植え付けておいた方が良いと考えたからだ。


 坊主頭があっさり気絶した事への驚きと恐怖から棒立ち状態だった残りの部員達を気絶させていくのは、流れ作業のように呆気なく終わった。流れ作業の最後に、ついでに夏目の顔面にも地獄だけを打ち込んで帰ろうかと思ったが止めておいた。


 鼻血を流して気絶している学生達を見下ろし、一分以内でやり終える事が出来て安堵したと同時に全員鼻血を出させるのは少しやり過ぎたかもと思った。最初の坊主は加減出来たのだが、限られた時間では、なかなかに加減するのは難しいものだなと思った。


「こいつらは暫く起きないから、それじゃあ、元気で」

 口をポカンと開けっ放しの夏目 瞬に別れを告げ、山村さんに会うべく駅に戻ろうと走り出した。

「ちょちょっと、俺こんな凄いの見たことないよ」

 後ろで夏目がまだ何か言っていたが、構わず駅に向かい走り続けた。階段を上がり切符を買い、改札を通り、またブラブラゆっくりと歩き始めた。もう約束の時間は過ぎている。俺はキョロキョロ山村さんらしき人を探した。


「足も速いんだねえ」

 夏目がゼエゼエ息を切らしながら俺に追いつき声を掛けてきた。

「助けたんだからもう良いだろ、まだ何かあんの? 」

 俺はいい加減面倒になり、突き放すような言い方をした。

「いやまだお礼を言えてなかったから。さっきは有難うございました。助かりました」

 膝に手を置き呼吸を整えながら夏目は更に続けた。

「それからリカちゃんを助けてほしいんです」

 ここにきて急に秋吉 里香さんの名を出しやがった。


 コイツの発言を聞き俺の身体全体に稲妻が落ちた衝撃だ。鮮明に蘇る彼女の笑顔と爽やかな声。

「秋吉さん、どうかしたのか? 」

 彼女の事なら聞かずにはいられない。冷静を装い訊ねながらも、心は酷く乱れた。

「最近、誰かに後をつけられているそうなんです。四六時中、て訳ではないらしいんですけどね」

 夏目のニヤニヤした表情は無く、真面目な顔つきで話す。ただコイツの真剣な表情も何故か腹が立つなと思った。


「後をつけるってストーカーってやつか? 今は、秋吉さんは大丈夫なの? それどんな男だ? 助けるって、俺はどうすればいいの? その変な奴を退治すればいいのか? 」

 彼女の事が心配になり、ストーカーに物凄い怒りを感じ、居ても立ってもいられなく、矢継ぎ早に夏目に訊ねた。


「うーん。今日は僕がこれから里香ちゃんの所に行くんで大丈夫だと思うんですけど、出来るだけ早い方がいいんで、急ですけど明日は大丈夫ですか? 」

 完全に俺が断らないであろうという前提で話が進んで行く。里香さんの名が出た時点で俺の返事は決まっていた。今日は既にコイツの為に業を使ってしまったから明日と言われ丁度良かったとホッとしている自分がいる。


 いくら夏目の彼女とは言え、里香さんが困っているのであれば、何としてでも力になりたいと思う。俺は明日ここへ来る事を夏目に約束した。

「里香ちゃんから聞いていたけど、ハルイチくんは本当にいい人だね」

「ハハハ」

 馴れ馴れしく名前を呼ぶ夏目に手が出そうになったが、代わりに笑っておいた。コイツには無意識に他人を怒らせる能力が有るのだろう。取り敢えず、恐らく多分、俺を怒らせるつもりはないのだろう、そう思うと逆に面白くなってきた。

「怒らせ屋、夏目だな」と心の中で呟くと少し笑ってしまった。


 名残惜しいがそろそろこのバカを帰らして、本来の目的に戻らなければと思い、携帯番号だけ交換し、その場で別れた。まさか秋吉さんより先に夏目のボケの番号を手に入れる事になるとは思いもしなかったが。


 まだ振り返り振り返り俺に手を振りながら駅のホームへと降りていくあいつを見ていると段々と愛嬌のある人間に思えてきた。最後は俺も笑顔で手を上げていた。




 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る