第15話 九月ある日

 夏目の件で時間がかかり過ぎたのか、結局山村さんは現れなかった。これでは先生に怒られると思い、何か先生へのお土産を探そうと周りの店を見て回った。


 俺は団子屋に入り早速、店員の女性に抹茶団子三種食べ比べセットを頼んだ。店から出た俺を待ち構えるように、六十代くらいのおじさんがリードで繋いだ茶色と白の小型か中型か迷う位の大きさの犬と一緒に立っていた。おじさんは俺と目が合うとニコリと和やかな笑顔を見せた。愛嬌のある間抜けな顔をしている犬はジッと俺を見上げている。


「こんにちは、古川 晴一くんだね」

 おじさんは落ち着いた声で訊いた。

 彼が山村さんだと確信した俺は出来る限りの丁寧な挨拶と自己紹介をした。

「君が駅に着いた時から見ていたよ。やはり武道家という立ち振る舞いだね。僕には直ぐに判ったよ」

 山村さんはニコリと穏やかな目で俺に笑いかけた。だったら早く声を掛けてくれよと思ったが、そこは笑って済ませた。


 俺は駅に着いてから一度もこのオジサンとこの犬など全く見ていない。それから、俺が古武術の訓練を始めたのはたった二か月前からなのだけど本当に武道家に見えるのだろうか。


 もう一つ、山村さんはずっと見ていたと言うけれど、俺が改札を出て行って戻って来るまでも見ていたのだろうか? いや、たった今到着したに違いない。


 最後に駅の中で盲導犬以外の犬を歩かせるのはどうだったかななどと犬をぼんやり見ながら考えていると

「ああ、この犬はね、エジプトの女王も飼っていた犬種なんだよ」

 と、どうでもいい事を俺に説明した。相変わらず犬は俺の事を純粋な目で真っ直ぐ見上げている。


「それで、南田師匠に何も聞かされずに来たのですが、僕はどうすればいいのでしょうか? 」

 俺はせっかちではないのだけど、どのような用件なのかを聞くまでは不安なので、世間話もせずに単刀直入に訊ねた。


「うん。もう用件は済みましたよ。南田さんから嬉しそうに、初めての弟子が出来たって聞いてね。誠実そうな青年で安心しましたよ」

 山村さんが穏やかに話した。俺は誠実と言われ少し照れてしまって下を見ると、つぶらな瞳のエジプト犬がまだ俺の顔を見ている。


 俺は最後にこの可愛い犬を撫でてみたい衝動に駆られた。

「えーと、じゃあ、これで、僕は帰っても良いのですかね? 」

「ええ、ええ南田さんによろしくお伝えください」

 山村さんは丁寧な口調で挨拶すると背を向けて帰って行った。

 犬が一度振り返り俺を見た。エジプトの犬と聞いたからかその眼は気品に溢れている様に感じた。犬はもう一度振り返ることはなかった。


 不安だったお使いも、訳がわからないままあっさりと済んで拍子抜けした。なんだか煙に巻かれた気分で南田屋敷に戻った。


 南田道場で先生と一緒に茶団子を食べながら里香さんのストーカーの話をした。

「そんな卑劣な奴は許せんな! 」

 話を聞いた先生は、自分の事のように怒り、顔を真っ赤にしている。そして、更にこう続けた。

「そいつを見つけたら、毎日矛の地獄を与えて、二度とそんな事する気が失せるように心をへし折ってやれ。毎日だぞ、毎日、いいか? 毎日やってやれ! ずっとだ! そんな奴は! 」

 俺も里香さんを困らせる奴は誰であろうと断じて許すつもりは無い、がこの人の感情むき出しに怒り狂う様子を見て少し冷静になる事が出来た。


 南田先生に別れを告げた俺は、そのままアルバイト先に向かった。山村さんへのお使いは結局のところ何だったのかすっかり聞きそびれてしまった。

 レジの前には大学生の三好くんが立っていた。一旦声をかけてから交代の時間までバックヤードに行こうとした俺を三好くんが追いかけて来た。

「古川さん聞きましたかぁ? この店のことですけどぉ」

 相変わらずの話し方ではあるが、三好くんは怒っている様子だ。


 詳しい話を聞くと、この店は建物が古いので立て替えなければならないのだが、建て替えの間の一ヶ月程人件費が無駄になるので一旦アルバイトは全員解雇になるというオーナーの意向を店長は申し訳なさそうに三好くんに説明したらしい。

 俺は別にクビになるのは一向に構わない。暫く働かなくても暮らしていける預金は有る、それに最悪の場合、実家に帰れば良い。


 この状況はそろそろ本格的に職を探せという事なんだろうとかと良い方向に考えることにした。


 三好くんと話していると林 店長がやって来た。店長は俺たち二人だけに正直に話すと言い、店の内情を話してくれた。この店だけだとかなり儲かっているのだが、オーナーが色々なことに手を出して借金を作り首が回らなくなったらしいと言うことを。


 店長の予想では今日、明日急に破産手続きに入るかわからない状況だと言う。俺と三好くんは本当に真面目に働いてくれていたので申し訳なく思い打ち明けてくれたのだと言う。


 俺と三好くんはその場で店を辞め今までのその場で給料を精算してもらうと店を後にした。林店長には「何か手伝う事があれば連絡して下さい」と言い俺は三好くんと一緒に飲みに行くことにした。


 座敷童子という居酒屋に入り個室ではないがひとつのテーブル毎に仕切られた席に着いた。座るなり三好くんは声を荒げた。といっても三好くんの割にだが。

「ああああぁ、あの職場気に入ってたのにぃぃ! 」

「ハハハ、でも給料もらい損ねなくて良かったじゃん」

 と俺は慰めた。俺も職を失った身だけれども。


 直ぐに女性店員が注文を聞きに来た。二人ともレモン酎ハイと唐揚げ、焼き鳥などを頼んだ。暫く呑んでいると三好くんがいきなり立ち上がり、居酒屋に入って来た男の方に大きく手を振った。


「あの人僕の先輩の、先輩の先輩なんですよぉ、ちょっと挨拶だけして来ますね」

 三好くんは、早歩きで男のところへ行った。俺も立ち上がり男にお辞儀だけした。見ると男は、驚いたことに深見鉄心さんと回転寿司屋で揉めた、アロハシャツを着たデブだ。


 なんて狭い世界に住んでいるんだおれは! デブアロハは俺とは気づかずに会釈した。俺は座り、目まぐるしくどうしたものかと考えた。


「先輩が奢ってくれるそうなんで一緒に飲みましょうよ」と戻ってきた三好くんが屈託のない笑顔で言った。

「いやーでも初対面なのに悪いよ奢ってもらうなんて」と俺は渋った。

 だが、俺の言い分など気にせず、三好くんは店員に断ってサッサと席を移る準備を始めた。


 今逃げ出しても、その内どこかで会うかもしれないし、俺のいない時に深見さん単独で出くわすともっとややこしくなる。前回は深見さんにも寿司を三度も間違うという悪い部分もあった。三好くんの先輩なら尚更、きっちり謝ったほうがいい。ただ今は頼みの綱の業は使えないのが痛い。盾だけでも使えたら良かったが。

 考えた末、意を決して謝罪する事にした。


 三好くんと一緒に先輩の席に行くと、俺は自己紹介した後、思い切ってアロハ先輩にこの間の深見さんとのことを話して、そして謝った。

「あっお前か! あの時の!  俺たちを罵った…………まあ良いや謝ってくれてるんだから」

 アロハ先輩は意外にも簡単に許してくれた。やはり良い人なのだろう、深見さんの間違いを三度まで許したくらいだから。


「まあ、あの時は俺たちも結構酔っていたからな、だけどあのおっちゃんも酷いよな、三回も間違えたうえに最後に赤出汁を俺たちにぶちまけたんだぜ、完全にワザとやっているようにしか思えなかったからな」

 先輩は呆れたようにあの時の愚痴を言った。あの人は酔っていたとはいえ味噌汁までブチまけていたとは俺は心の中で呻いた。

「ただあの人悪い人ではないんです、ホントに。悪気はなかったはずなんです」

 俺は慌てて深見さんのことをフォローした。

「ああ、うん、まあ、そうだろうよ。まあ取り敢えず飲もうぜ、ハルイチ」

 アロハ先輩は笑って許してくれた。そして先輩は坂田と名乗った。

「坂田先輩は凄いハッカーなんですよぉ」

 三好くんは鼻高々に教えてくれた。

「あのー、パソコンのこと? 」と俺は聞いた。

「ハッカーじゃなくてプログラマーだ! 」

 先輩は三好くんに強く訂正した後、名刺をくれた。それには


 コンピューター・セキュリティー・アドバイザー

 (株)スーパーメロン 代表取締役 坂田 登


 と書かれてあった。


 俺がコンピューターの事に疎すぎるからなのか、名刺からは仕事の内容は全く理解出来なかった。


 三好くんが言うには先輩は本当に優秀なプログラマーだそうだ。パソコンのことならスーパー知っている人、ウルトラ有能なのだそうだが上司と衝突して会社を辞めたそうだ。


「IT関係の会社を作ったばかりでな、お前たち仕事失くしたばかりなんだろ? ウチの会社に来いよ」

 今の俺には有り難すぎる申し入れだが、その分野で全く役立ちそうに無い俺は丁重に断った。

 何でもやってみようという精神ではあるがパソコン関係はやる前から無理だと分かる。いや、分かり切っている。俺は名刺を大切に財布にしまった。

 三好くんは大学を卒業して尚且つまだ就職出来ていなくて、まだその会社が存在していれば考えてみてもいいと言ったので坂田先輩にヘッドロックされていた。


 話せば話す程、坂田先輩は良い人だと感じた。俺はふと、いつか一緒に深見さんと坂田先輩も呑む日がくるような気がした。

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