第170話 今・風車

録画してあったアニメ

「打ち上げ花火下から見るか横から見るか」

を観た。


青春とやらにはとっくにおさらばしたおばちゃんには胸に迫ると言うより、昔のアルバムでも見てるようなこそばゆい感じだった。




それはともかく、舞台がどこなのか知らないが、このアニメには風車がズラリ並んでいるシーンが出てくる。

アレは確かに絵にはなるのだが、低周波被害に遭っている私にとって、ぞっとする光景だ。

その背景が映るたびにぞっとしてしまうので、いまいち楽しめなかった。


汐見先生は、「低周波音被害を追って」の中で、風車による被害はそれまでの低周波被害とは違うと書いておられる。

風車被害は低周波の中でもさらに低い超低周波と呼ばれる周波数によるものだ。

私は、他の低周波被害と違うと言うよりも、超低周波と言うのは特に「毒性」が強いのではないかと思った。



どのあたりが違うかと言うと、普通の低周波被害が一部の人にしか出ないのに対して、超低周波の被害はほとんどの人に症状が出るらしい。

さらに、通常は、低周波被害が出るまでに潜伏期間と言うものがあり、数ヶ月から長い人では数年症状が出るまでに時間がかかるのだけれど、超低周波の場合、ほとんどすぐに症状が出るケースが多いらしい。

また、わずか1〜2デシベルの「加圧」で、被害が出たりするそうだ。



この風車の被害について、低周波ではなくて可聴音によるものだとしているホームページもあるのだけれど、おそらくこれは「感覚閾値に満たない音は健康被害をもたらさない」と言う、例のばかばかしい論に基づいているものではないかと思う。

超低周波はきっちりデータとして計測されているにも関わらず、耳に聞こえない音は健康に影響がないはずだから、超低周波は計測できても関係ない、ただの騒音被害なのだというわけだ。


いきなり被害者がどっさり出ているのだから、事実を認めて、そこから出発するべきだ。

事実を否定する説を支持するために、無理矢理解釈を歪めようとするのは、主客が反転している。

発生した事実がそれまでに信じていた説を明らかに否定するのなら、それまでの説の方を疑うべきなのだ。




私が風車を初めてちゃんと見たのは、アメリカでだった。

もう20年ほど前のことだ。

それまで日本でも、多分、遠くにチラッと見た事はあったかもしれないけれど、意識して見たのは、妹に無理矢理引っ張っていかれたアメリカだった。

見渡すかぎり、なんにもないところに数機が並んでいた。


日本人だったら、あれだけ広々と何もないところだったら、ずらりと並べてしまいそうな気がする。


あれだけ広々と、右見ても左を見ても、木々や道路の他は地平線しか見えないようなところにほんの数機。

本当は、それが正しい設置方法なのではないか。

日本に風車は無理。

ムリムリムリムリムリ。

低周波が全く発生しない風車を作ることができるまでは、無理。



東北の震災以前、原発の危険を考える人は本当にものすごく少数派だった。

この小さな島国に、あんなにたくさん原子力発電所を作ってしまって、「危険の可能性」を軽視し過ぎている。

日本人は危険に対する感覚が、どう考えてもおかしい。

科学を信用しすぎてる。



きっと大丈夫と、危険の可能性に対して目をつぶってしまう、楽天的というか、一部分、麻痺しているのではと思うくらい鈍いところがある。

それは多分、地震や天災が多いこの国に生きるために培った性質なのかもしれないけれど。


この国では、「予防原則」と言う言葉はほとんど機能していない。

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