第118話 40歳・墓地探し

その年の秋から、妹が墓石屋さんに問い合わせしてくれて、私たちは墓地を探し始めた。


当時、私は再び鬱傾向が出ていて、妹が手配した墓石屋さんと墓地を見て回るのも、結構つらかった。

出かけるのもしんどければ、知らない人と顔を合わせるのもつらかった。

けれど、私のそういう精神状態には、妹は気がついていなかったようだ。




私のほうも妹にそういう話はしなかった。


父が亡くなったばかりなのだ。

つらいのは当然のことだろう。

母の時にも苦しんだのだから、父の時にもその時間を省略しようとせず、立ち直れるまで苦しめばいいと。

そう思っていた。


母が亡くなった後は、もっとひどかったのだから、これでも2度目で少しは慣れたのだろうとも思った。

もっとも母は、我が家の場合、大黒柱だったとも言えたので、親をなくしただけでなく、経済的、精神的支柱を亡くした不安もあったかもしれない。





うちは一応、真言宗だったので、最初は真言宗のお寺と、宗派なしの霊園などを見に行った。

ちょうど近所で出ていた真言宗の墓地は、歴史ある良いお寺だったけれど、また飛び地だった。

飛び地が悪いと言うわけではないけれど、もともと川口のお墓を母が嫌ったのは、飛び地になってしまったからなのだから、せっかく買い換えるなら飛び地以外がよかった。



また他に見に行ったのは、寺院の敷地ではあるけれども、霊園として別組織にしている所で、こちらは墓地の場所は良かったのだけれど、お寺がちょっと一風変わっていて、観光客として行くなら楽しいだろうけれど、墓地としてはどうなの…という感じで、妹と顔を見合わせて笑いを堪えたこともある。


どちらにしろ、さすが鎌倉。

どこも価格が非常に高かった。

私たちの予算では、いっぱいいっぱい頑張っても、1番小さな墓地になりそうだった。

1番安かったのは、車通りの多い道路に面した斜面にへばりついているところだったが、さすがにうるさすぎて、しんみりする余裕もなさそうな場所だった。



鎌倉だけでなく、葉山にも見にきた。


当時はもちろん、後に葉山に引っ越すなんて思いもしなかったし、大きな霊園で海も見え、とても良いところだったけれど、駅から送迎バスに乗って行くとなると、当時の私にとってはとても遠くに感じられた。

できればいちいち妹に頼まなくても、気が向いた時、ぶらりと1人で行ける場所が良い。

それに、たまたま当時、ほかの霊園が潰れた話などが耳に入って、お寺の方が安心なのではなかろうかと思った。




結局、たまたま父が購入した墓地が真言宗のお寺だっただけで、取り立てて両親とも真言宗を信仰していたわけではないし、他の宗派でもよかろうと言う話になった。

何しろ、うちが真言宗の檀家だと言うことを把握していたのは、父と私だけだから。


母と妹は


「うちって宗派は何?」


と本気で聞いてきたことがある。




そういう私も、本当はこういう事はまず檀那寺に相談しなければいけないと言う事は、後から知った。

お寺の方から紹介された真言宗のお寺をまずは見に行って、それで気に入らなければ他を探し始めるようにしないといけなかったのだろうけれど、もしそうしていたら、ものすごく距離が離れていると言うほどでは無いから、ひきとめられたかもしれないし、とにかく当時の私はそういった話し合いが出来るような状態でなかったので、仕方がないかなぁとも思う。


そうは言っても、やはり、ちょっと申し訳なかったなぁと言う気持ちは今でもある。



父の葬儀の時に家族葬にせず、叔母たちに来てもらっていたら、また違っていたかもしれないが、法事など以外、普段の交流がなかったので、相談する先がなかった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る