第115話 40歳・ひとり

母の時もそうだったけれど、今度もまた私は、毎日、毎日、泣き続けた。


仕事があれば、また違ったのかもしれないけれど、まだ働ける状態ではなかった。

時間があると、父のことばかり考えてしまう。




私と妹の違いと言えば、妹は他に家族がいて、嘆いてばかりもいられなかったと言うことだろう。

それだけではなく、多分、立ち直りの早さが私の方が非常に遅い。


ただ悲しむだけではなかったからだ。

母の時にも父の時にも、私は自分の判断を後悔し、自分自身を責め続けた。




母の死から続いた悲しみやストレスが、この長い闘病生活の原因の1つになったのだと私は思っている。

そして、それはただ出来事が起こったと言うだけでなく、その時の私の受け止め方がストレスに拍車をかけていたのだと思っている。

そうやって私は、自責の念で、自分を痛めつけ、叩きのめし、病に追い込んで、さらにその病に餌を与え続けたわけだった。





父の死後、母の時ほどではなかったけれど、私はまた鬱状態に戻りかけていた。

夏には、妹一家と私は乗鞍に旅行に行った。

父は、まだ1人で出かけられた頃、毎年のように、夏には乗鞍のほうに出かけていた。

大学時代、父は山岳部に入っていたそうで、そのOB会が毎年、乗鞍で開かれていたのだ。



子供の頃は私たちも何度か、家族で乗鞍に行ったし、上の甥が生まれた後、いちど家族旅行したこともあった。

つまり父との思い出の場所だった。




家を空けるのはとてもつらかった。

遠出するのがつらい精神状態だった。


けれど、旅行の手配はすっかり妹がしてくれたので、父のお骨のひとかけらを持って私たちは出かけた。



乗鞍だけでなく、他にもいくつか周辺の温泉を回ったけれど、どことどこに行ったのか私はさっぱりわかっていない。

ただぼんやりとついていっただけだ。


1つ、今でも思い出すとつらい気持ちになってしまうことがある。



どこの温泉だったか忘れてしまったが、いやはっきり言えば、当時はどこの温泉なのか全然記憶する気もおきず、聞いても右から左へ聞き流したのだが、到着して、義弟と甥たちは先にお風呂に行ったかそれともどこか見て回っていたのか、妹と私と2人だけ部屋に残っていたときのことだ。


風呂に行こうと、妹が浴衣に着替え始めた。

私はぼんやりとそちらを見ていた。

視線をそちらにやっていただけで、別に何を見ていたわけでもない。


「何見てるのよ。こっち見ないで」


妹が言った。


「いいじゃない別に。姉妹なんだから」


別に、妹の裸を見たって楽しいことなどないのだし、本当に見ていたわけではない。

ただぼんやりしてしまい、動いているもののほうに視線をやってしまっていただけだったのだ。

説明するのが面倒なので、そう返事をしただけだった。

すると妹は、



「姉妹と言ったって、もう何年も別々に暮らしてるんだから、友達みたいなもんでしょ」


着替えて、妹は先に風呂に行った。


私は一緒にいかなかった。

行けなかった。

泣きそうになるのをこらえていたから。

妹が、「もう友達」であるなら、もはや私には家族がいないということだ。



妹が、そんなつもりで言ったわけでないことはわかっていた。

妹は、どちらかと言えば私より優しい、親切な性格で、目の前で困っている人がいれば、すぐに手を差し伸べる。

けれど、目の前でなければ想像しない。

少し、想像力に欠けたところがあるのだ。




父を亡くしたばかりで、1人になったばかりの私にはつらい言葉だった。

悪気はないとわかっていても、つらい言葉だった。

胸に深く、鋭い刃物のように突き刺さった。

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