第114話 40歳・葬儀

父の葬儀は家族葬にした。

父の希望でもあった。


母のときには父も妹もまだ働いていたし、母の希望もあって、盛大な葬儀になった。

その数年前の、祖母の葬儀のときにはおり悪しく、自宅が改築中だったので葬儀場を借りたが、母は母の愛した自宅で葬儀を行えて良かったと思う。

だが、正直言って葬儀の後、父と妹と私はヘトヘトに疲れ果ててしまった。


こたつで3人、座る気力すらなく、三方にぶったおれたまま、何日も過ごしていた時、父が言ったのだ。


「俺の時は家族だけでいいからな」




まぁ、当時と違って妹も仕事を辞めてしまっていたし、鎌倉に引っ越して昔からの知り合いとはすっかり切れてしまっていたし、同じことをしようとしてもどうせ無理だったとは思うけれど、ありがたく言葉通りにさせてもらった。



父が入院した後も何の準備もしていなかったけれど、たまたま、家から徒歩5分ほどの場所に葬儀場があったので、何も考えず、そこに頼んだ。

そこは中規模の一般葬用の部屋があるような、ごく普通の葬儀場で、本当は家族葬専門の小さな部屋のある葬儀場にしたほうがよかったのかもしれない。


閑散とした大きな部屋を私と妹と妹の夫と甥たち、計5人と安置された父だけで占領し、ハープの生演奏を聴きながら広々した会場の片隅にちんまりまとまって、父の葬儀を行った。


たった5人のために生演奏とはだいぶ贅沢だけれど、CDなどよりも心に響いて、とてもよかった。


高かったけど。




当時はとにかく悲しくて、何がどうでもよかったので、自宅から1番近い会場に電話して、家族葬にすると伝え、何の検討もせず、そのまま頼んでしまったけれど、後から考えると、ごく一般的な家族葬と比べて、非常に高額だった。

多分、家族葬専門の所と違って、会場費だけで結構なお値段になってしまうのだと思う。

これで生演奏がグッと心に響いていなければ、後からちょっと後悔してしまったかもしれない。

悲しいときには大体、何がどうでも良くなって考える余裕などないので、全然悲しくない時に検討しておいた方が良い。


余談だが、そう考えた私は後日(何年も後になって)、妹に、家族葬用の部屋のある施設のチラシを見せて、自分の葬儀はここで出してくれ、直葬でもよし、と告げたところ、嫌がられてしまった。

葉山に引っ越してくる前、鎌倉でのことだが、そういうことは全然危なくない時に話しておくといいと思うのだが、その手の話をするのも嫌な人もいるので難しいものである。





話は戻るが、普通、日本人は葬儀の時にもあまり涙を見せたりしないものかもしれないけれど、その点、妹と私は全然日本人らしくないかもしれない。

母の時にも父の時にも、最初から最後まで泣き通しだった。

とにかく2人揃うと全く無理なのだ。

母のときには一応、人目もあることだし、泣き止もうと努力をしたのだけれど、なんとか涙をこらえられそうになったとき、まだ泣いている妹が目に入ると、止まらなくなってしまう。

父のときには他人がいないので、遠慮なく大泣きさせてもらった。




その後、数ヶ月後、私と妹は相続放棄の手続きをとった。

結局、父が勝手に名義を使われたのが、何件位にのぼるのか、分からずじまいだった。


父の名誉のために最後まで調べることも一応考えはしたが、体調も悪いし、もう、気力が尽きてしまっていた。

自分たちの手続きの後、叔母たちにも放棄してもらった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る