第62話 今・回想

私の一生は、何度も、若かった頃に自分が親に言った言葉や思った事が、そのまま自分に返ってくるようなことが繰り返し起こっている気がする。



今、自分が自分の家に執着し、もしかしたら自分のためにはさっぱり諦めて離れてしまったほうがいいのかもしれない状況にあって、母があの川口の家に執着していたことを思い出す。


あの家は確かに、とても美しい家だった。

S住宅と言う、今はない、かつての大手の会社が作った家だ。

たまたま母の発想と、当時の担当の方の熱意が生み出した家なのだろう。

完成したときには、今でもよくあるが、業界雑誌に紹介されたそうだ。


家の真ん中には、本来ならリビングであるけれども、リビングとしては使ってなかった応接間があり、半分ほどは吹き抜けになっていて、斜めの大屋根は、なまじの大工の手に負えず、S住宅の中の1番腕利きの大工さんが仕上げたものだった。

大屋根の内側には天然木が貼られ、建築当初の壁紙はすべて布壁紙で、床は木製タイルだった。



しかし、当時の川口は住みやすい場所ではなかった。

空気がひどいし、こんなことを言っては失礼だが、住人もあまり良いとは言えなかった。


私はよくは知らないのだが、戦後、闇市があった関係で、柄の悪い住人がかなり残っていたらしい。

特に、父は司法書士で、不動産業界関係者との付き合いが多い。

今でこそ、不動産業界も普通にちゃんとした人たちが多くなったけれど、当時はまだまだ胡散臭い人の多い業界だった。



場所柄も職業柄も良くなくて、父は生涯で、一体何度詐欺にあったことか。

もしも父がいちども詐欺に合わなかったら、我が家はそこそこの財産家だったかもしれないと思う。


また、口が悪い割に、典型的な日本人で頼まれると断れない父は、全くだまされやすい人でもあった。



しかし、持ち家とは言え、下の土地は借地だった。

父は、バブルが弾ける前、何度も地主に掛け合って、売ってくれるように頼んだが、最後まで売ってくれなかったと言うことだ。


この土地はまた、なかなかの曰く付きの土地と地主で、祖父がここを借りたとき、近所のIさんが、ゆくゆくは自分のものになる土地で、そうなったら売ってあげるからぜひ借りるといいと勧めたそうだ。

Iさんは伯父から、自分が亡くなったあと、譲ると約束をされたそうだが、口約束だったため、相続人が反故にした。

この相続人がうちの地主だったわけだが、Iさんのおじさんの娘婿で、しかもおじさんの娘さんは亡くなって、後妻さんとその子供・・という、Iさん一家とは血縁関係のない相手になってしまっていた。




もしも母が、あの家にあれほど執着していなかったら。

もっとあっさり空気の良い場所に引っ越していたら。

もっと私も、父や母も、健康にもなれたかもしれないし、もう少し長生きしていたかもしれないし、もっと人柄の良い隣人達と付き合って、詐欺に遭うこともなく、楽に暮らしていけたかもしれなかった。



そして今になって私は、母の気持ちがわかる気がしている。

自分の好みの通りに作った家から離れるのは本当につらいことだ。

たとえ体がつらくても、そう簡単に決心つかない。

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