第63話 20代・語学留学

母が肝硬変だと診断されたのは私が24歳になる頃だった。




大学を卒業し、アパレル会社に就職したものの、上司とうまくいかず、たった数ヶ月で退職した私は、1年間、中国に語学留学した。


なぜそんなことになったかと言うと、もともと私は中国に行きたかった。


中国語は大学の第二外国語で、特に専門的に学んだわけではなかったが、中国語を学ぶこと自体は楽しく、それに、中国に、と言うよりシルクロードに憧れがあった。


あまり真剣に考えたわけではなかったけれど、いちど外国で暮らしてみたかったし、就職してお金を貯めて、そのうち語学留学しようと思っていた。

もちろん、会社の中でそういった機会があればそれはそれでも良い。

要するに取り立ててちゃんとした目的も目標もなかった。




それなのにたった数ヶ月で会社を辞めて、そのまま語学留学した理由はと言えば、母が足りない分を出してくれると言う話になったからだ。


学生時代からの貯金も多少あり、半年程度の金額は貯まっていた。

残りの半年、なぜ母が出す気になったかと言えば、 1つには当時の私がかなり精神的に参っていたからだろう。


この上司は、当時まだ26歳で、今から考えれば相手も子供だったのだ。

会社からの売り上げのプレッシャーで本人自身もピリピリしていたのだと思う。

彼女の下には私ともう1人が配属されていたが、そのもう1人の先輩は、彼女に何を言われても、返事だけはいはいとしていて、あまり真面目に受け取っていない様子だった。


多分、その態度が正解だったのだ。

私は彼女の細かい注意をいちいち真剣に受け取って、ほんのわずかの間に精神的に参ってしまった。


後に聞いた話だったが、この上司は私の前の年にも新入社員をやはり同じように辞めさせてしまったらしい。

まぁ私よりは長く持ったのではないかと思うけれど。



アパレル業界なので、勤務時間は早番遅番とあり、休日も不定期で、ある日ある時、たまたま2日連続の休みが入り、明日から2日休めると思ったら、涙が止まらなくなった。

休みが1日だけなら、休み明けからの準備に追われて気を抜く暇は無いのだが、二日間休みがあると言うのは入社してから初めてだったような気がする。


その様子を見て母は、このままだとうつ病になってしまうと思ったらしい。

同じような状態から、どんどん悪化して入院し、完全には元に戻らなくなってしまった知人がいたようだ。



ほんの数ヶ月しか勤務していないと言うのに、やめたほうがいいと言われた。

もしもこの会社にずっといたいと思っていたら、だからといって簡単には辞めなかったと思う。


ただ、私にとっては最初から数年のつもりの場所だった。

お金がたまればやめて、語学留学してしまうつもりだった。

それで、私はあっさり辞めてしまった。



それでももちろん、アルバイト等探して、引き続きお金を貯めるつもりだったのだが、母は本当に私があきらめるつもりがなさそうなので、さっさと行って気が済んだら帰ってこいと、そういったつもりでお金を出す気になったらしかった。




1年間中国に行った後、1年間イギリスにも行きたい。

だからお金を貯めているのだ。

まさか、イギリスに行くお金まで出してくれるつもりはないんでしょ?


と言うと、そちらも出してくれると言う。

それならその話に乗らない手はないので、私はまず喜んで、中国に旅立った。

1年経って秋、日本に戻り、今度はイギリスに行こうとしたが、私の顔色があまりに悪く、病院に連れて行かれ、栄養失調と診断された。


そこで、出発をワンシーズン遅らせるように言われ、1月に出発することになった。



しかし、同時に母も医師の診断を受けることになる。


そして肝硬変と診断されたのだった。



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