第6話 厄介ごとの予感
ニールの背後に
魔力障壁を全身に展開し、左右の手には練り上げた魔力の塊。
片やエレノアは口元に笑みを浮かべて興味深げにこちらを見ている。
モーム嬢に対する信頼の厚さがうかがえるな。
「お嬢様、ソファーを収納してください」
「終わったらね。それと、お嬢様と呼ばないで頂戴」
そう言ってソファーに腰を下ろすエレノアを、リンゼイが背後に庇う。
「三頭とも抜けてきたら、私一人ではちょーっと難しいですよ」
「あら、リンゼイったら」
エレノアの小さな笑い声が耳に届き、続いて楽しげな口調が聞こえる。
「若く見眼麗しい騎士様の前だからって、
迫るワータイガー三頭を目の当たりにして、単独での対処が難しい。
そんなセリフをさらりと口にするご婦人が手弱女ねえ。
「お嬢様、淡い恋心を胸に秘めた乙女をからかわないでください」
モーム嬢に視線を向けられたニールが、自然な動作で目を逸らす。
「マクスウェルさん、きますっ」
ニールの声と同時だった。
距離百メートル。ワータイガーが走りだす。
「先頭のヤツはやり過ごすっ」
ワータイガーの俊敏さと魔力で身体強化された俺の速度。
百メートルの距離が一瞬でなくなる。
先頭のワータイガーの一撃をかわし、後続の二頭の眼前に飛び出す。
魔力を帯びさせた長剣を、横薙ぎに一閃させた。
ワータイガーの右腕を斬り飛ばした長剣は、その軌道上に心臓を捉え、ワータイガーの身体を上下に分断する。
まず、一頭。
俺が長剣を振り抜いたタイミングで、最後尾のワータイガーが
およそ三百キログラムの
がら空きとなった左半身への攻撃。
狙いは悪くないが。
「相手が悪かったな」
左手に練り上げた魔力を発動させる。
生み出された爆裂系の火球が空中のワータイガーに直撃し、火球が轟音を伴って爆ぜた。
爆発は空中のワータイガーをさらに上方へと押し上げ、左胸から左肩にかけての部位を四散させる。
振り返ると、ニールの長剣がワータイガーの心臓を貫いたところだった。
周囲に他の脅威はなし。
俺はエレノアとモーム嬢の方へと向き直る。
「いま確認した限りでは、周囲に脅威は見当たらない。すぐに移動しよう」
茫然とするモーム嬢をよそに、エレノアが魅力的な笑みを浮かべて言う。
「素晴らしい腕です、マクシミリアン様。剣の技も魔術も、どちらも素晴らしいっ」
少し興奮した様子で差しだされたエレノアの手を取って、ウィンクをする。
「なあに、あの程度のことで、ご婦人の不安を取り除けるなら安いものさ」
「先ほどはマクシミリアン様の能力を疑うような発言をしてしまい、申し訳ございませんでした」
立ち上がったエレノアが頭を下げた。
「気にするな、謝られるようなことじゃない。初対面の男を簡単に信じる方がどうかしている。君の判断は間違っちゃいないさ」
対応の方は疑問が残るがな。
モーム嬢の能力がどれ程のものか知らないが、少し油断し過ぎじゃないか、あれは。
「そういう訳にはいきません。パイロベル市に到着して落ち着きましたら、是非お食事に招待させてください」
俺が断る間もなくニールにも言う。
「そちらの騎士様も是非ご一緒ください。リンゼイが喜びます」
「そうですっ、私が喜びます! 是非、騎士様もご一緒ください。お願いしますっ」
示し合わせたような呼吸でモーム嬢がニールに詰め寄った。
「ええ、そうですね」
モーム嬢の勢いに押されたニールが、承知したようなセリフを口にした。
すると、間髪容れずエレノアの弾んだ声が響く。
「決まりですねっ」
決まったようだ。
俺がニールの方を見ると、一瞬申し訳なさそうな表情をし、すぐに視線を逸らした。
「ところで、マクシミリアン様」
エレノアの声に反応すると、彼女は愛らしい笑みを浮かべて聞いてくる。
「あれ程の速度で動き、尚且つ、発動直前の魔力を控えさせていた。騎士団にはそのような方が何人もいるのでしょうか?」
「俺も数日前に国境騎士団に赴任したばかりだ。実は顔と名前が一致しない同僚の方が多いんだ」
「心当たりがないのですね」
はぐらかそうとしたが、ダメだった。
「まあ、そうなるかな。将来有望そうな若者が一人いるのは知っている」
エレノアが悪戯っ子のような笑みを浮かべた。
瞬間、背筋を悪寒が走る。
「マクシミリアン様、ご実家はどちらですか?」
「機密事項だ」
「あら、残念。でも、騎士団の機密事項って好奇心をそそられますね」
「騎士様のご実家も機密事項ですか?」
俺とエレノアのやり取りを、黙って聞いていたモーム嬢がニールに聞く。
「ええ、機密事項ですよ」
ニールが大嘘で即答した。
モーム嬢がなおも何か言おうとしたので機先を制する。
「さあ、まずは落下した馬車まで戻るぞ。話はそれからだ」
そう言ってエレノアを引き寄せた。
◇
落下した馬車だったモノのところに戻ると、氷漬けにしておいた死体に腐肉を漁る鳥が群がっていた。
それを見たニールがあきれて言う。
「氷が溶けていないというのに、大した嗅覚ですね。野生動物や魔物の生存本能には驚かされます」
「まったくだ。だが、あのまま放置しておく訳にもいかない」
俺とニールの風魔法が同時に発動した。
二つの突風が交差して複雑な気流を生む。その気流に驚いた野生の鳥たちが一斉に飛び立った。
「念のため、もう一度氷漬けにしておく。ニールは散乱した積み荷を調べてくれ」
「分かりました」
そう言って馬車へ向かうニールの後をモーム嬢が付いていく。
気になってエレノアを求めて辺りを見回すと、いつの間にか収納の指輪からソファーを取りだして腰かけていた。
まあ、ウロチョロされるよりはいいか。
モーム嬢に周りをウロチョロされているニールに同情しながら、男の死体を再び氷漬けにする。
「マクスウェルさん、ちょっときてくださいっ」
男の死体を氷漬けにし終えたところで、緊張したニールの声が聞こえた。
「どうした? 何か見つけたのか?」
「ええ、凄いものを見つけました」
期待せずに聞いたが返ってきた答えは予想を遥かに超えていた。
「大量の王国金貨です」
そう言ってニールは地面に置いた大型の鞄を開いてみせた。
ギッシリと詰まった大量の金貨。
「この男のものか。遺族を捜しだして届けないとな」
俺は氷漬けにした男を振り返った。
「遺族もそうでしょうが、背後関係の調査が先ですよ」
「どういうことだ?」
ニールに問うような視線を投げかける。
脳裏に一つの単語が浮かんだ。
「この王国金貨、ニセモノです。全部を確認した訳ではありませんが、恐らくすべてニセモノですよ」
ニセ金貨造りは重罪だ。
騎士団として優先して対処する必要がある。最初の発見者が所属する部隊の責任者が、その指揮を執るのが慣習だ。
「面倒なことになったな」
「あのう、もしかして、私たちも容疑者でしょうか?」
ニールの背中に隠れていたモーム嬢が不安そうに聞いてきた。
「容疑者扱いはしないから安心していい」
容疑者ではないが、容疑者候補として行動は制限される。
「何か問題でも起きたのかしら?」
異変を察したのか、ソファーに腰かけていたエレノアがこちらへと歩いてきた。
「ちょっと難しい問題が起きた」
「ニセ金貨が馬車に積んでありました。恐らくモーガンさんのものです」
言葉を濁す俺のセリフとモーム嬢のダイレクトなセリフが重なった。
エレノアの顔色が変わった。
「ニセ金貨ですって? 厄介な事件に巻き込まれたようね」
ニセ金貨の罪御重さや王国の対処の優先度を知っているような口振りと表情だ。
まあ、辺境伯の孫娘なら知っていても不思議ではないか。
「そうだな。ちょっとどころか、かなり厄介なことになりそうだ」
ニセ金貨を乗せた馬車が襲われた。
二重の意味で面倒だ。
「マクシミリアン様、私たちの行動はどの程度制限されますか?」
「盗賊に襲われた他の馬車を救出に向かった部隊と、合流してからでないと何とも言えないな」
絶対に大人しくしていないよな、このお嬢さん。
俺とエレノアは同時に天を仰いだ。
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