第5話 お嬢様
川のせせらぎをかき消すように、
妙齢の女性の声というのは随分と響くものだな。
変なことに感心しながら、俺とニールはエレノア嬢とモーム嬢に背中を向けて辺りを警戒していた。
「リーンゼーイッ! 十九歳ってなによっ。私が年齢を気にして、歳を誤魔化していると誤解されるでしょっ」
「そんなつもりじゃなかったんですよー」
モーム嬢が情けない声を上げて言い訳を並べる。
「詰め所にいた騎士様が男性でしたから、今度三十歳になる女性よりも十代の女性の方が釣れるかな、って思っただけです」
「俺たちは釣られたらしいぞ」
「聞きたくありませんでしたね」
「それに三十歳ってなによ、誰のことよ。まだ二十九歳になって十日も経ってないでしょ」
二十九歳になったばかりなのか。
二十四歳と申告していたモーム嬢とそれほど変わらない年齢に見えるな。
いや、こうなるとモーム嬢が申告した年齢も怪しいものだ。
「だから、『今度』って言ったじゃないですかあ」
「それが余計なのよ。素直に二十九歳になったばかりです、って言えばいいでしょ」
被害届の調書なんで、二十九歳になった時期までは不要だ。
「次からはそうします。お嬢様の年齢を誤魔化したりしません」
「だいたい、騎士様が女性の見た目や年齢で対応に大きな差をつける訳ないでしょ。それと、お嬢様って呼ばないで」
気持ちは分かる。
二十九歳にもなって『お嬢様』とは呼ばれたくないだろうな。
「そんなの分かりませんよー」
モーム嬢の懸念にニールが反応した。
「私は騎士になったばかりなので分かりませんが、対応に差ってでるものなんですか?」
出るんだろうなあ。という顔で聞くなよ。
「誤解されるようなことを口にするもんじゃない。騎士は公正さを旨としているんだ、女性の見た目や年齢で差なんてでる訳ないだろ」
「対応に差がでるなら、身分よ。辺境伯の孫娘だって分かったら飛んできます」
身も蓋もない。まあ、実際その通りなんだけどな。
エレノア嬢の主張にニールが苦笑しながら言う。
「だそうですよ」
「騎士でなくても飛んで行きそうだ」
「もしかして、痛いところを突かれましたか?」
エレノア嬢が突いたのは真実だよ。
「あいにく俺の良心に、突かれて痛いところなんてないんだ」
「鋼の良心ですね。実にマクスウェルさんらしいです」
誉められた気がしない。
「お嬢様、申し訳ありませんでした。リンゼイは海よりも深く反省しています」
地面にひれ伏して大袈裟に泣き真似をしている。
絶対に反省していないな、あれは。
「お嬢様、禁止っ」
「エレノア嬢は辺境伯のお孫さんだったんですね」
「世の中広いよな、今日一番の驚きだ」
後ろを振り返りもせずにニールが言う。
「マクスウェルさん、そろそろ止めたらどうですか?」
「なんで俺なんだ? ご婦人の担当はニール、お前の仕事だろう」
「いまの私はモーム嬢で手一杯ですよ」
確かにあの二人を一人で護衛するのは色々な意味で大変かもしれない。
「分かった。エレノア嬢は俺が護衛する。ニールはモーム嬢を引き続き頼む」
「妥当な選択ですね。承知しました」
俺はエレノア嬢に向かってゆっくりと歩き出した。
近づいてきた俺たちに気付いたエレノア嬢が妖艶な笑みを浮かべる。
「これはマクシミリアン様、お恥ずかしいところをお見せしてしまって」
「大丈夫ですよ、エレノアさん。背中を向けていたので何も見ていません」
声はよく響いていましたけどね。
「あら素敵。私、気遣いのできる男性って好きよ」
俺もできれば気遣いのできる女性の方が好ましい。
「パイロベル市まで護衛をします」
エレノア嬢に手を差しだし、軽くウィンクをする。
「マクシミリアン・マクスウェルです」
「ですが、近くにまだ盗賊がいるかも知れません。大丈夫でしょうか?」
両手を胸の前で組んで不安そうに見上げる。
美人だ。
先ほどの会話や聞き出せていない諸々の疑問、謎がなければ
「モーム嬢から盗賊の戦力は聞いています。十分に対抗できるだけの騎士と衛兵を連れてきています」
「まあ、頼もしい。その騎士様と衛兵は崖の上でしょうか?」
崖の上を仰ぎ見るエレノア嬢に言う。
「騎士団と衛兵には、駅馬車がきた道をたどらせ、他の襲われた駅馬車の調査と救出に向かわせました」
エレノア嬢が急に怯えた表情を浮かべる。
「では、この場にいるのはマクシミリアン様とニール様だけでしょうか?」
「不安かな?」
「口調が変わりましたわよ、マクシミリアン様」
「申し訳ない、こっちが地でね。お気に召さなければ戻すが、どうする?」
「地の方でお願いできるかしら。私も堅苦しいのは苦手のよ、実はね」
そう言って小さく舌を出してほほ笑んだ。
令嬢らしからぬ言葉遣いにも驚いたが、舌をだしての笑顔にはさらに驚いた。
「盗賊程度、たとえ百人いても俺とニールなら
「大口を叩いて恥をかいた男を大勢知っているわ。私の周りにはそんな男ばかり現れるの」
「奇遇だな、俺も大口を叩いて恥をかいた男を大勢知っている。もしかしたら、共通の知り合いがいるかもしれないな」
目を丸くしたエレノアにウィンクをして言う。
「因みに俺の座右の銘は『謙虚』だ」
エレノアの形の良い唇に愛らしい笑みが浮ぶ。
水色の瞳が輝いた気がした。
「マクシミリアン・マクスウェル様、改めてよろしくね。私はエレノア・ドレイク。ドレイク商会の会長をしているの」
商会の会長? 辺境伯の孫娘が?
辺境伯の孫娘のくだりは聞こえなかったことにしているから、これ以上は聞けないな。
「よろしく頼む。道々、色々と聞きたいことがあるんだが、構わないか?」
あの高さの崖から飛び降りて、どうして無事なのか。あのワイルドウルフはどうやって切り伏せたのか。リンゼイ嬢の予想通り、なぜ水場に陣取っていたのか。
興味は尽きない。
「あら、私に興味を持ってくださるの?」
「ああ、興味深いね」
「いいわ、色々とお話してあげる」
エレノアが不意に身体を寄せて、俺の背後を指さした。
「でも、その前に目の前の危険を排除してくださらない? マクシミリアン様」
何であんなのがいるんだ?
エレノアの示す先に虎の頭を持ち、上半身を虎の毛皮で覆われた三頭の魔物がいた。
俺は反射的に全身に魔法障壁を展開し、剣を抜いてエレノアを背後に
「ニールッ。ワータイガーだ」
「キャーッ!」
悲鳴を上げてしがみつくモーム嬢を引きはがしながら、ニールも全身に魔法障壁を展開する。
「マクスウェルさん、この辺りにワータイガーがでるなんて聞いてまいせんでしたよ」
「帰ったら魔物の分布図を作った部署に二人で文句を言いに行こう」
エレノアは落ち着いて俺とニールのやり取りを面白そうに見ていた。
悲鳴を上げたモーム嬢にしてもどこか余裕が感じられる。
「エレノア、随分と落ち着いているじゃないか?」
もしかして、ワータイガーの恐ろしさを知らないんじゃないだろうな?
「マクシミリアン様が
「会ったばかりの男を簡単に信用するのは感心しないな」
「マクシミリアン様だから信用するんです」
違うな。あのワータイガーを利用して俺とニールの力量を図るつもりだ。
こまったお嬢様だ。
「ニール、二頭は俺が片付ける。一頭は任せた」
「三頭ともマクスウェルさんが倒した方が速いんじゃないですか?」
「部下にも働いてもらわないとな」
「今日は随分と働いた気がしますが、気のせいでしょうか?」
ニールが背後のモーム嬢に一瞬視線を向けた。
なるほど、確かに随分と働いてもらったかもしれないな。
俺は内心で苦笑しながら言う。
「妙齢の美女二人が俺たちの力量を知りたがっているんだ、少しは張り切れ」
「そう言うことですか」
ニールの口元が綻んだ。
よし、俺の意図が伝わったようだ。
さてと、それじゃあ、力を抑えつつ、あっさりと迎撃をするか。
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