第4話 渓谷の美女
モーム嬢の『お嬢様は必ず川沿いか、少なくとも水のあるところにいます』という言葉を信じて崖下にある渓谷へと向かっていた。
「馬車の落下地点から最も移動し易そうな水場となるとこの先だな」
「河まで五十メートルといったところですね」
モーム嬢に左腕を取られたニールが右手一つで器用に地図を確認する。
「ちょうど、あの岩場を越えると見えるはずです」
うっそうと茂った木々の隙間から覗く岩を視線で示した。
ドレスを着てここを抜けたのか?
疑問に思いながら周囲を観察すると、ドレスの切れ端が木の枝に引っ掛かっているのを見つけた。
視線をさらに先へと向けると、真新しい血痕が幾つもあった。
不味いな。
モーム嬢の視界を塞ぐように身体を移動させたが、間に合わなかった。
「血っ!」
樹木に付着した血痕を見たモーム嬢が声を上げた。
「ご婦人には少々刺激が強すぎたようですね。大丈夫です、お嬢様の血とは限りません」
「ありがとうございます、騎士様。そうですね、お嬢様は絶対に無事です」
あの血痕を見てから、エレノア嬢の無事を確信したような表情に変わった?
どういうことだ?
「ニールの言う通りだ。少なくとも危険は脱したようだな」
さらに先に真二つに両断された、数頭のワイルドウルフの死骸が転がっていた。
どれも見事な斬り口だ。
鋭利な刃物で一刀のもとに切り伏せている。
さて、問題だ。
このワイルドウルフを仕留めたのがエレノア嬢でないとすると誰だ?
「モームさん、落下する馬車のなかには死亡した商人とエレノア嬢しか乗っていなかった。間違いないな?」
「はい、間違いありません」
「盗賊は全員引き返した。これも間違いないか? 何人かが馬車の積み荷に目がくらんで崖を下りていなかったか?」
「盗賊は間違いなく全員引き返しました。私自身、盗賊が引き返すのを待って崖をよじ登りました。その間に誰かが崖を下りていれば気が付きます」
もっともな言い分だ。
「エレノア嬢は剣術の心得があるのか?」
心得どころか、斬り口を見る限り達人の域だ。
もしそうでないなら、お嬢様以外に稀有な戦闘力を有した人物がいる。
ニールもそれが分かっているのだろう、ワイルドウルフの死骸をみつけてから、万が一に備えて魔力障壁を全身に展開していた。
「お嬢様は魔術の心得はありますが、剣術の心得はございません。刃物はペーパーナイフくらいしか持ったことがないはずです」
「エレノア嬢は十九歳だったな?」
「はい、十九歳でした」
十九歳なら、或いは……
魔術師としての才能があり、
何てことはないよなあ。
まあ、考えても仕方がない。先を急ごう。
「ともかく、この先に誰かいることは間違いない」
「絶対にお嬢様です」
何故だ? 先程からモーム嬢との会話に妙な違和感を覚える。
俺は違和感の正体を掴みかねたまま、モーム嬢を連れたニールと共に岩山へ向けて歩を進めた。
◇
「見事な斬り口ですね」
岩山の途中に転がっていた、新たなワイルドウルフの死骸。
その斬り口にニールが感心する。
「間違いありません、お嬢様はこの岩山の向こうにいます」
モーム嬢はそう言うと、転がるワイルドウルフの死骸を一瞥し、岩山を駆け上がりだした。
速い!
予想はしていたが、魔力を全身に展開して駆け上がっている。
「モームさん、何があるか分かりません。危険ですっ」
「追うぞ」
俺とニールは駆け上がるモーム嬢を追いかけた。
魔力で身体強化したモーム嬢を追いながら、ニールが言う。
「何となくそんな気はしていましたが、彼女魔術師ですね」
「ああ、それもかなり強力な部類の魔術師だ」
全身にまとう魔力を見ればわかる。いま、まとっている魔力だけでも、女盗賊だったノーマ・ベイト以上だ。
あれは全力じゃないよな。
「ワイルドウルフの血を見ても怯えていませんでしたね、彼女」
「怯えた振りをして、お前さんに抱き着いていたがな」
『まんまと騙されたようだな?』そんな言葉を呑み込む。
だが、察したようにニールが言う。
「別に騙されていた訳じゃありませんよ。騙された振りをして上げていたんです」
「そりゃあ、ご苦労なことだ」
「妙齢の美しい女性に抱き着かれるのは、苦労じゃありませんよ」
ニールはそう言って口元に笑みを浮かべると、
「十九歳のお嬢様はマクスウェルさんにお任せします」
深窓の令嬢を後ろに乗せて戻るのか。面倒くさそうだな。
そもそも馬の背中なんて乗ったことあるのか?
そのとき、岩山の上からモーム嬢の声が響いた。
「お嬢様! お嬢様、無事だったんですね! 騎士様を連れてきましたよー!」
見上げると岩山の向こう側に手を振っている。
「あ、駆け下りしましたよ!」
「追うぞ、まだ剣の達人の正体も分かっていないんだ」
俺とニールは岩山を急ぎ駆け上がった。
モーム嬢に遅れること一分ほど。
岩山の上に到着すると、モーム嬢は既に渓谷に避難していたエレノア嬢と思しき女性の下にたどり着いていた。
「取り敢えず、お嬢様は無事そうです、よね?」
木陰に置かれたソファーに座っている美しい女性を見てニールが言う。
「ああ、剣の達人はいないようだが……」
「どうしました?」
「エレノア嬢はどこにいるんだ?」
モーム嬢が会話をしている相手は、二十代後半の妖艶という言葉がピッタリくるような美しい女性だ。
どこを見ても十九歳のお嬢様は見当たらない。
「ドレスって破れていましたよね?」
「破れていたな」
モーム嬢と会話している二十代後半の女性は真新しいドレスを着ていた。
不信感を
「あのドレスの切れ端と彼女の着ているドレス、絶対に違う生地ですよね」
「着替えたんじゃないのか、あそこに到着してから」
もしそうなら、随分と余裕のあるお嬢様だ。
絶対に普通の深窓の令嬢なんかじゃない。
「マクスウェルさん、何となく嫌な予感がするんですが……」
「奇遇だな、俺もだ」
とは言っても、ここにいては
さてと、真相を確かめに行くか。
◇
岩山を下りると、渓谷に避難していた二十代後半の女性と駆け寄ったモーム嬢の二人と合流した。
「第七国境騎士団第三連隊隊長のマクシミリアン・マクスウェルです」
俺はソファーに腰かけていた、二十代後半の美しい女性の手を取って微笑みかける。
「エレノア嬢で間違いありませんか?」
「はい、エレノアです。堅苦しいのは苦手なので、どうぞ『エレノア』とお呼びください、マクシミリアン様」
名前で呼び合う仲になったつもりはないが、いまはもっと気になることがある。
俺は視線をモーム嬢に向けた。
だが、当のモーム嬢は川に向かって伸びをしている。
仕方がない、気が進まないが本人に聞こう。
「エレノアさん、非常に聞きにくいのですが……」
「なんでしょうか?」
「彼女、あなたの侍女でしょうか?」
俺は背中を向けているモーム嬢に視線を向けた。
エレノア嬢も俺の視線の動きを追うようにモーム嬢を見ると、
「リンゼイは侍女というよりも、私の秘書です。私の最も信頼する部下ですが、何かありましたか?」
少しだけ警戒するような視線を俺に向けた。
なるほど腹心の部下といったところか。
「実はモーム嬢から虚偽の申告がされた疑いがあります」
「虚偽?」
エレノア嬢の形の良い眉がピクリと動いた。
「ええ、別に大した問題ではないので罪に問われることはありませんが、一応確認をさせて頂きたいと思いまして」
自分で言っていてなんだが、何とも歯切れの悪いもの言いだな。
「リンゼイ、どういうことですか? どんな虚偽の報告をしたんです?」
「え、えーとですね。騎士様をお連れするためにちょーっとだけ無茶を言いました」
エレノア嬢は、話が見えないといった様子でリンゼイから俺に視線が戻された。
「申し訳ございません、マクシミリアン様。私からもお詫びいたします」
「謝られるようなことではありません。その、念のため確認をさせて頂けませんでしょうか?」
「寛大でいらっしゃいますのね。ありがとうございます」
そう言ってお辞儀をすると、
「私の方でお答えできることでしたら、何でもお答えいたします」
そう言って魅力的な笑みを浮かべる。
聞きにくい。
ものすごく聞きにくい。
ニールに視線を向けたが、辺りの様子を調べる振りをしてこちらに視線を向ける気はないようだ。
「エレノアさん、実はですね……」
「はい」
小首を傾げ、穏やかな笑みが返ってくる。
「エレノアさんが十九歳だと知らされていたのですが、本当の年齢を教えて頂けませんでしょうか」
「は?」
エレノア嬢が固まった。
「リーンゼーイ、私に恥をかかせたかったの?」
地の底から響くような声。深窓の令嬢らしからぬ、声が上がった。
「違います、お嬢様、違います」
すぐに俺に向きなおる。
「騎士様も嫌ですよ。私ちゃんと言ったじゃないですか、『十九歳だった』って。お嬢様は間違いなく十年前に十九歳でした。本当ですっ」
背中を向けていたニールが吹き出した。
「リンゼイッ! この大馬鹿者ーっ!」
色々な意味で顔を真っ赤にしたエレノア嬢の怒声が渓谷に轟いた。
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