第3話 落下地点

「この先です。あの大岩の向こう側です」


 騎馬を駆るニールの背中にしがみついた女性が前方を指さす。

 衛兵の詰め所に駆け込んできた女性だ。


「マクスウェル連隊長、この付近の崖はかなりの高さがあります。まず助からないかと……」


 ノーランが俺の隣に騎馬を寄せてささやいた。


「生きている可能性はかなり低そうだが、生死の確認が取れるまではそんな顔をするな」


「そうでした、気を付けます」


「ノーラン大隊長。君は部下と衛兵を連れて途中で脱落した馬車の確認を頼む。落ちた馬車の救出は俺とニールで十分だ」


 この辺りに出没する魔物のリストを思い返す限り、ノーランと彼が率いるメンバーなら対処できるだろう。

 恐鳥用の大型の武器も用意してある。


 だが……


「この間の『集団暴走』の生き残りや上位種がでてきたら逃げろ。自分たちの生命を最優先させるんだ」


 俺が付け加えた言葉にノーランは一瞬表情を固くすると、


「畏まりました。ではすぐに向かいます」


 そう言ってすぐに後ろを振り返り、自分の直属の部下である騎士数人と衛兵の二個小隊に指示を出す。


「ここはマクシミリアン連隊長とライリー大隊長にお任せする。我々は盗賊に襲われた他の馬車の救出に向かう」


 騎士と衛兵から了解の声が上がり、一斉に騎馬の速度を上げる。

 妙齢の女性を後ろに乗せたニールの騎馬を追い抜いた。


「ええっ、そんなっ。お嬢様を助けてくださいっ。崖の下で困っているはずですー」


 ニールの騎馬に同乗した女性が叫び声を上げ、非難するような目で俺を振り返った。

 そして即座に責めるような口調で声を上げる。


「連隊長様、どういうことですか?」


「心配するな。お嬢様と同乗していた商人一人くらいなら、俺とニールで十分に救出できる。任せてくれ」


 騎馬の足を速めてニールに並ぶ。

 リンゼイがなおも不安そうに言う。


「もし、もしもの凄く強い魔物がいたらどうします?」

 

「それは、別行動をさせている騎士と衛兵が心配だな」


「え?」


 意味が分からないといった様子で、リンゼイが疑問の声を上げた。

 そんな彼女にニールが甘い声で語り掛ける。


「モームさん、マクスウェルさんを信用してください。先行した騎士たちと衛兵の二個小隊よりも、マクスウェルさんの方がずっと頼りになりますよ」


 ニール、お前さんを当てにしているんだ。そこで自分を外すなよ。


「はいっ。騎士様がそうおっしゃるなら信用いたします」


 効果てき面のようだ。

 頬を染めて目を輝かせると、ニールにしがみつく腕に力を入れた。


 大岩を越えたところでモーム嬢が崖際を指さす。


「あそこです。あの車輪が転がっている少し手前から馬車が落ちました」


 馬車の車輪と折れた車軸が無造作に転がっていた。

 車輪と車軸から目をそららせ、沈んだ顔をするモーム嬢にニールが優しく声をかける。


「御者が放り出されて、モームさんが御者席にたどり着いたときに車軸が折れて馬車が落下したんでしたね」


「リンゼイです、騎士様。はいそうです、騎士様。御者席にはたどり着いたのですが、手綱を握る前に馬車が岩に乗り上げてしまって……」


 始まった。

 衛兵の詰め所での事情聴取でもそうだったが、隙あらばニールに甘えていた。


貴女あなたは馬車の外に放り出され、崖の途中にある木に引っ掛かって助かったと」


「はい、私だけ助かってしまいました。う、うぅ」


 ハンカチを目に当てているが、本当に泣いているのか怪しいものだ。


「モームさん、いまは貴女が無事だったことを喜びましょう」


「リンゼイです。騎士様はお優しい方ですね。でも、お嬢様が……」


 お嬢様は最後か。

 自分の主人が馬車ごと崖下に落下したというのに悲壮感や緊張感のかけらもないよなあ、この娘……


「大丈夫です。これからマクスウェルさんと私が崖下に降りてエレノアお嬢様を救出してきます」


「降りるのは俺一人で十分だ。ニールはモーム嬢の護衛としてここに残ってくれ」


 ニールには気の毒だが、その方が仕事に集中できる。


「ちょっと待ってください、マクスウェルさん」


「下りますっ。私も一緒に下ります」


 二人から同時に抗議の声が上がった


「崖下にはどんな魔物がいるか分からない。それにエレノアさんや同乗していた商人が、怪我をしていて一人で動けない可能性もある」


 お嬢様の死体を見て崖下で騒ぎだされても困る。

 泣き叫ぶ女性を抱きかかえて崖を登るニールの身にもなって欲しいな。


「でしたら、人数が多い方がいいですよね? それに、お嬢様なら大丈夫です」


「モームさん、お気持ちは分かりますが、この高さです。無傷というのは難しいかもしれません」


「リンゼイです、騎士様。お嬢様なら絶対に無事です。かすり傷くらいは負っているかも知れませんが、これくらいの高さから落ちた程度では骨の一本も折りません」


 どれだけ頑丈なお嬢様なんだ?


「そう、ですか」


 ニール、俺に助けを求めるような視線を向けるな。


「お嬢様は魔術師です。身体強化なり何らかの魔法なりを使って身を守っているはずですっ」


「分かった、じゃあ、一緒に降りよう」


 俺はニールから目を逸らしてそう口にした。


 ◇


 馬車が落ちた場所から、一緒に崖下を覗き込んでいたニールが言う。


「かなりの高さがありますね」


「下は川か」


 崖の高さは百メートル以上。下には木が生い茂り、生い茂る木々の間からわずかに水が見える。

 これだけ植物が生い茂っていては陰に隠れてしまって、俺の魔力視を使ってもここから生存者を見つけだすのは難しい。


「私のように途中の木に引っ掛かっているかもしれません」


「木に?」


 馬車ごと落下したなら木に引っ掛かっている可能性は低い。


「落ちる馬車から飛び降りていました」


「誰が?」


 我ながら間抜けなことを口走った。


「お嬢様です」


 他にいないよな。


「落下する馬車から飛び出して、パイロベル市に向かって騎士様を呼んでくるように指示をだされました」


 一瞬、俺はニールと顔を見合わせた。

 落下する馬車から飛び降りるとは、随分と肝の据わったお嬢様だな。何となく無事でいるような気がしてきた。


「それなら木に引っ掛かっている可能性もあるな」


「そうですね、途中で木に引っ掛かっているか。或いはその痕跡を探しながら下りましょう」


「さすがです、騎士様。頼りにしています」


 腕にしがみついたモーム嬢をやんわりと引きはがそうとしているニールに言う。


「ニール、モーム嬢を連れて下りてくれ。俺は周囲の木にエレノアさんが引っ掛かっていないか確認しながら崖下へ向かう」


「はいっ、分かりました」


 諦めたような表情のニールにしがみついたモーム嬢の小気味良い返事が聞こえた。

  

 ◇


 ロープを使って崖の下まで下りると大木のそばに馬車の残骸があった。

 完全に破壊されている。


「お嬢様!」


 モーム嬢が駆け寄ってきた。


「死体は一つ、男。首の骨が折れている」


「モームさん、こちらの男性が同乗していた商人のモーガンさんで間違いありませんか?」


「リンゼイです、騎士様。その方がモーガンさんです」


 モーム嬢はそう答えると辺りに向かって叫び出した。


「お嬢様ーっ。どこですかー。返事をしてくださーい。お嬢様ーっ」  


「マクスウェルさん、この周辺にいないということは無事でいる可能性が高いですね」


「少なくとも辺りに死体もなければ怪我を負った痕跡もみあたらない」


 崖を降りてくる途中、魔力視を併用して周囲を調べながら下りてきたが、あったのは木に引っ掛かったドレスの切れ端だけだった。


「騎士様、お嬢様を、お嬢様を一緒に探してください。お願いします」


 モーム嬢がニールにしがみつきながら俺に訴えかけるような視線を向けた。


「もとよりそのつもりだ。ここからはどんな危険があるかも分からない。君はニールの側を片時も離れるんじゃない」


 不安が吹き飛んだようにモーム嬢の表情に明るさが戻る。


「はい、分かりました。連隊長様っ」


 ニール、若く美しいご婦人の護衛だ。もっと嬉しそうな顔をしてくれ。

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