第2部 炎の都に集う厄災たち

プロローグ 厄災

 ファルナ王国最南端の都市、パイロベル市。『炎の都』の異名を持つ、ファルナ王国でも有数の人口を誇る大都市でもある。

 そのパイロベル市にある聖教教会の中庭を二人の男性と一人の少女が並んで歩いていた。


 七十歳前後と思しき白髪の男性が、隣を歩く四十代半ばの大柄な男性に向かって言う。


「ベレスフォード神官、聖教騎士団団長への就任、おめでとう」


「ありがとうございます、神官長」


 ロイ・ベレスフォード神官が恭しくお辞儀をした。


「おめでとうございます。ロイ」


 ベレスフォード神官に寄り添うように歩いていた十五、六歳に見える少女が誇らしげに自分の夫を見上げた。

 神官長が朗らかに笑いながらベレスフォード夫人に話しかける。


「ベレスフォード夫人はパイロベル市は初めてでしたね。如何ですか?」


「辺境の都市とうかがっていたので少し不安でしたが、とても活気に満ちていますね」


 神官長が鷹揚にうなずいて答える。


「隣国との交易が盛んな都市ですからな」


「教会の建物もこれほど立派だとは想像もしていませんでした」


 ベレスフォード夫人が見上げた白亜の建造物は城塞のような堅牢な造りをしていた。


「有事の際には信者の避難所としての役割もあります。やはり国境に隣接する都市ですから、それなりの堅牢けんろうさと規模が必要となります」


「住民の数も多いようですね」


「国境に隣接する都市としては王国で三番目です。人口が多いのも活気に満ちているのも、魔の森のお陰です」


 魔の森は強力な魔物の生息地ではあるが、貴重で高価な魔物の素材や魔石が入手できる。

 このため腕に覚えのある冒険者が多く集まっていた。


「魔の森ですか。何だか恐ろしい響きですね」


「魔の森と言うと恐ろしく聞こえますが、貴重な素材や効果の高い魔石を提供してくれます」


 それこそがこの都市に人が集まる最大の理由だった。


「それでも魔物は恐ろしいです。ここに向かう途中でも魔物の群れと戦いになりました」


「なあに、心配は要りません。このパイロベル市を守る第七国境騎士団のオブライエン団長は先の戦で勇名をせた優秀な魔術師です」


 神官長がもろ手を挙げて騎士団の団長を誉めたことに、ベレスフォード夫人が驚きの表情をみせた。

 だが、すぐに平静を取り戻す。


「申し訳ございません。私、戦争や英雄にはうといもので、オブライエン団長の名を存じ上げませんでした」


「『神の盾』とうたわれた英雄の奥方が、戦争や英雄に疎いとは意外ですな」


 そう口にして朗らかに笑う神官長にベレスフォード神官が告げる。


「申し訳ございません。私が戦争のことについて家で話をするのを嫌うものでして、自然とその方面に疎くなってしまったようです」

  

「いやいや、ベレスフォード神官らしいと感心しましたよ」


 ベレスフォード神官にそう答えると、続いて夫人に向かって優しげに話しだす。


「この都市は戦略上の要所です。王国としても荒廃こうはいさせたり奪われたりする訳には行きません。ですから優秀な人間を送り込んできて当然の都市なのです」


「それは心強ですね」


「それにベレスフォード神官が聖教騎士団の団長に就任しましたからね、ますます以って安心です」


「お力になれるよう精一杯努力させて頂きます」


 神官長はベレスフォード神官に向かって『頼りにしているよ、ベレスフォード神官』、と鷹揚おうように伝えると、


「恐ろしいだけではありません。温泉もたくさんあります」


 ベレスフォード夫人に向かってそう言ってほほ笑む。

 火山地帯に隣接するだけあって湯量の豊富な温泉を幾つも抱え、ファルナ王国でも人気の観光地の一つとなっていた。


「お話にはうかがっております。色々な効能があるそうですね」


「ええ、女性に人気のある肌を美しくする温泉もあります」


 三人が談笑していると、前方から副神官長が数人の神官を引き連れて歩いてくるのが見えた。

 神官長の顔が一瞬ゆがむ。


「これは神官長と新入りのお二方」


 副神官長が三人をさげすむような目で見回した。


「ロイ・ベレスフォード一級神官です。この度、正式に聖教騎士団の団長に就任いたしました」


「妻のシルビア・ベレスフォード三級神官です」


 深々とお辞儀をする二人に副神官長が言う。


「これは奥方でしたか。私はてっきりお孫さんかと思いましたよ」


「お恥ずかしい。よく父娘と間違われます」


 言外に祖父と孫娘に間違われたことはないと、ベレスフォード神官が告げた。


「君が聖教騎士団の団長に就いたのか。先の大戦の英雄が我々の盾となってくれるとは頼もしい」


 背後に付き従っている者たちを副神官があおる。


「君たちもそうは思わないか?」


 そのさまは、この聖教教会において自分こそがもっとも権力があるのだと、『神の盾』ロイ・ベレスフォードですら怖くないのだと、殊更に誇示しているように映った。


「はい、名にし負う『神の盾』となれば頼もしい限りです。ベレスフォード一級神官以上に頼りとなる方を思い当たりません」


「教会のためにご尽力頂けることを感謝いたします」


 副神官長に付き従っていた神官たちが、言葉とは裏腹にすれ違いざまに蔑むような視線をベレスフォード神官に向けた。

 彼らが遠ざかると神官長が真っ先に口を開く。


「申し訳ない、ベレスフォード神官。私に力がないばかりに君や奥方に嫌な思いをさせてしまって」


「お気になさらずに。そもそも私はそのために呼ばれたと心得ております」


「頼りにしているよ」


「私と一緒の駅馬車隊できた者のなかに、とても優秀な騎士がおります」


 話題が突然変わったことに、神官長が怪訝けげんな表情を見せる。


「街で噂になっている騎士かね? 確か、マクシミリアン・マクスウェルだったかな?」


「ええ、彼なら正攻法で副神官長を追い詰めてくれるでしょう」


「彼は協力してくると?」


「教会にですか? 協力はしてくれないでしょう」


「その騎士を利用するということか」


「はい、上手く誘導してご覧にいれます」


「任せたよ、ベレスフォード神官」


 神官長の言葉にベレスフォード神官が深々としたお辞儀で答えた。


 ◇


 ベレスフォード神官たちから離れたところで副神官長が口を開いた。


「ところで、ベルクド市からこちらに向かう馬車に乗っているお客様へ迎えはだしたかね?」


「はい、副神官長。抜かりはございません」


「目くらましだからと、手を抜いたりしていないだろうな?」


「歴戦の傭兵団を雇い入れました。彼等にはよけいな情報は与えておりません」


 その言葉に副神官長はニヤリと笑みを浮かべる。


「そろそろダ―ル王国から客人がくる。そちらの準備も怠らないようにな」


「畏まりました」


 ◇

 ◆

 ◇


 ベルクド市からパイロベル市へと向う唯一の街道。ガリア―ド街道を大きく外れ、断崖だんがいの迫る荒野を一台の馬車が走っていた。

 小石を弾き飛ばし土煙を巻き上げながら疾走しっそうする。


 疾走する馬車の乗客は三人。


 そのうちの一人、二十代半ばの女性が馬車の窓から身を乗りだして後方の土煙に目を凝らす。


「護衛の数は減っているのに、盗賊の数は減っているように見えません。まだ五十騎くらいいます」


「ご、護衛は、護衛は何をやっているんだ!」


 五十代後半に見える商人風の男が車内で叫び、馬車の窓から身を乗りだした女性が馬車のなかに向けて大声で叫ぶ。


「お嬢様! 護衛の冒険者が全滅したようです!」


 盗賊たちと戦っていた護衛役の冒険者。その最後の一人が馬上から転げ落ちた。


「リンゼイ、お嬢様って言わないで! 距離はどれくらいまで詰まっているの?」


 窓から後方の様子をうかがっていた女性に向かって、上品なドレスを身にまとった二十代後半の女性が聞いた。


「もう、三キロも離れていません」


「追撃が早いわね。脱落した馬車は見逃したのかしら?」


 彼女たちが乗った馬車は、六台構成の駅馬車隊の最後の一台。盗賊たちが脱落した駅馬車に時間を割いている様子はなかった。


「見逃したというよりも、取り敢えず皆殺しにして、この馬車を追いかけてきたのではないでしょうか?」


「目撃者はださないってことね。徹底しているじゃないの」


「エレノア様、不吉なことを言わないで頂けませんか」


 商人風の男がドレスを身にまとった女性に言った。


「モーガンさん、現実を見てください」


 商人風の男にそう告げると、エレノアと呼ばれた女性が御者に声をかける。


御者ぎょしゃさん! この先に見える大きな岩場まで頑張ってちょうだい! あそこまで逃げ込んだら迎撃よ!」


「迎撃ですと? 我々だけで、ですか?」


 気でも違ったのかと言わんばかりの勢いでモーガンがエレノアに詰め寄った。

 モーガンが詰め寄っただけ距離を取ると、


「他にどうするというのですか? まさか、盗賊にお金を払えば見逃してもらえるとでも?」


 エレノアが面倒くさそうに言った。


「パイロベル市まで逃げましょう。街に近付けば騎士団が気付いてくれるかもしれません」


「逃げ切れる距離ではありません」


 モーガンの希望をエレノアが一蹴した。その横でリンゼイが前方に視線を移して独り言を言う。


「巡回中のイケメン騎士が都合よく現れないでしょうか?」


「あら素敵。ここで颯爽さっそうと現れて助けられたら、イケメン騎士でなくても惚れちゃいそうよ」


 祈るように天を仰ぐリンゼイと妖艶な笑みを浮かべるエレノア。

 そんな二人に当たり散らすようにモーガンが叫ぶ。


「ふざけている場合ではないでしょう!」


「お嬢様、間もなく追いつかれます」


 リンゼイとモーガンの声が重なった。


「お嬢様は禁止って言ったでしょ! リンゼイ、頼りにしているわよ」


 馬車のなかに顔をひっこめたリンゼイがモーガンと御者に視線を走らせる。

 リンゼイの表情は目前のモーガンと御者があてにならない、と語っていた。

 

「私とお嬢様の二人で迎撃ですか? ちょっと厳しい展開ですね」


「バカな! 本気で迎撃するおつもりですか? 向こうは五十人以上の盗賊ですよ!」


 モーガンが目を丸くした。


「じゃあ、諦めて殺されますか? 私は嫌ですよ。まだまだやりたいことがたくさんあるのに、あんな盗賊の手にかかって死ぬなんて、まっぴら」


「私もです。私もまだ死にたくありません。せめて結婚して子どもを生んで、可愛い孫に囲まれてから死にたい」


「貴女方と話をしていると調子が狂います! エレノア様――」


 モーガンがエレノアに向かって話しだしたところで馬車が大きく跳ねた。

 御者の叫び声が響く。


「ウワーッ! た、助けて……」


 馬車の窓から宙を舞う御者の姿を三人が見た。


「お嬢様、御者が飛んで行きましたー!」


「うわーっ! もうだめだ! お終いだ!」


「リンゼイ、馬、馬! 馬ー!」


「は、はい!」


 リンゼイが慌てて馬車のなかを移動して御者席へと飛び移った。


 次の瞬間、馬車は大きく跳ねると空中で横向きとなり、そのまま激しい破壊音を伴って地面へと落下する。

 きしみを上げていた車軸が折れ、車輪が吹き飛ぶ。


 地面に二度三度と打ちつけられる馬車が崖下へと舞った。


 馬車の跳ね上がる衝撃で宙へ放り出されたリンゼイの視界に、自分よりもさらに遠くへ跳ね上がった馬車が映る。

 馬車の中からエレノアの悲鳴が響く。

 

 リンゼイは崖に生える樹木に何度か弾かれ、十メートルほどのところで樹木に引っ掛かった。


「お嬢様ー!」


 届くはずのない馬車に向けてリンゼイの右手が伸びる。


「リンゼイ! パイロベル市へ向かいなさい! 騎士団を連れてきて! それと! お嬢様、言うなあぁぁぁぁー!」


 落下する馬車からドレスを翻して、身を躍らせるエレノアの姿がリンゼイの目に映った。


「お嬢様ぁぁぁぁー!」


 ◇


 追いついた盗賊たちの一人が崖下を覗き込んで言う。


「団長、馬車ごと崖下です」


「馬鹿者! お頭と呼べ!」


「すみません、お頭」


 お頭と呼ばれた男も馬から降りて崖下を覗き込んだ。


「この高さだ、助からんだろうな」


「どうします? 念のため下まで降りて確認をしますか?」


「時間をかけて騎士団にでくわす方が危険だ。戻って他の馬車の積み荷を全部頂く」


 お頭と呼ばれた男が大きく右手を振ると、全員が馬首を巡らせた。

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