エピローグ 約束
手にしたメモと門柱に掛けられた名前を不安そうな顔で何度も見比べていたヒルダが口を開く。
「ここです、ここが母の実家です」
石造りの壁に囲まれた敷地は広く、ここまでに見てきたパイロベル市の一般的な家の十倍以上の広さがあった。
開かれた門からは二階建ての屋敷が見え、これも一般的な家屋の十倍程の大きさだ。
それは彼女たちの祖母が裕福である事とこの都市でもある程度の影響力を持っている事を物語っていた。
「お母さんって、いいところのお嬢さんだったのね」
門柱の影から広い庭を覗いていたシビルがため息交じりにそう言うと、『お姉ちゃん知ってた?』と振り向いた。
視線を屋敷に向けたまま無言で首を振る。
「君たちの祖母は魔道具職人だったな、確か?」
「はい、魔道具職人が本業ですが、他にも薬師をしていると聞いています」
魔道具職人と薬師の兼業か。
どちらも安定して高収入が期待できる上、領主などの有力者と繋がりを持ちやすい職業だ。この屋敷から見てかなりの腕を持っているのは間違いなさそうだ。
「さあ、こんなところで屋敷を覗き込んでいたら騎士団や衛兵に通報されかねない。中に入ろうか」
二人をうながして門を潜る。
「そう、ですね」
「お祖母さんに私たちを送り届けたら、もうマックス叔父さんじゃなくなるの?」
シビルが寂しそうにこぼすとヒルダも肩をビクンッと震わせた。
二人とも寂しいと思ってくれているようだ。
「本当の叔父さんじゃないからそうなるな。だが、俺もこのパイロベル市で職に就く。いつでも会えるさ」
「本当? ずっとここにいるの?」
「マクスウェルさん程の魔術師でしたら引く手あまたですよ」
『引く手あまた』ねぇ。選択の自由がない身としては返事に困る。
「ずっとはいないが、そうだな、シビルが成人するまでは側にいるつもりだ」
ネルソン団長もその約束だけは守るはずだ。
「もう、マックス叔父さんったら。私が成人するまでだなんて、遠回しなのね」
頬を染めて俺の左腕にしがみ付く。
顔もしらない祖母と会うというのに何ともマイペースな娘だ。
「シビル、マクスウェルさんから離れなさい。貴女が成人する頃には私が適齢期です」
違った、マイペースな姉妹だ。
俺の左腕を争って可愛らしい言い合いをしている二人をよそに、空いている右手で扉を叩いた。
◇
◆
◇
通された客間の天井は高く、調度品はいずれも高価なもので手入れが行き届いていた。
部屋の中央には大理石の低いテーブルが置かれ、それを挟んで向かい合うように大人四人が並んで座れる程の長椅子が二脚配置されていた。
俺たち三人は案内をしてくれたメイドの勧めるまま、うながされるままに奥の長椅子に腰を下ろす。
中央に俺が座り、右側にヒルダ、左側にシビルが腰を下ろした。
通された部屋をファーリー姉妹が見回す傍らで、客間まで案内してくれたメイドと途中すれ違った三人のメイドの事を思い返していた。
玄関扉をノックすると二十代後半と思しきメイドが出迎えてくれた。
屋敷の外観から予想した通り、メイドがいた。予想外だったのはメイドが魔術師という事だ。それも騎士団が欲しがるほどの力があるとすぐに分かった。
何でそれ程強力な魔術師がメイドをしているのか不思議でならない。疑問が渦巻くまま彼女に案内されていると、すれ違った三人のメイドも揃って強力な魔術師だった。
パイロベルでは魔術師が余っているのだろうか?
もしそうなら、優秀な部下がすぐに集まりそうだ。
ノックの音が響き、扉の向こうから老婦人が現れた。
挨拶を交わして再び椅子に腰を下ろすと、一緒に入ってきたメイドが俺の前にお茶を差し出す。続いてヒルダとシビルの前にもお茶が並べられた。
「ありがとうございます」
俺のお礼の言葉に続いて、ヒルダとシビルも緊張した様子で『ありがとうございます』と揃ってお礼の言葉を口にした。
メイドは最後に主人である老婦人の前にお茶を置いた。
ヒルダとシビル、二人とも老婦人を前に緊張しているのが伝わってくる。
十年振りの再会。
ヒルダは六歳のときなので祖母の事を憶えていたらしいが、シビルはまったく記憶にないと言っていた。
緊張するのも無理はない。
俺も心臓が大きく脈打っている事を悟られないように平静を装ってはいるが、背中には冷たいものが伝っている。
老婦人は人の良さそうな穏やかな笑顔と優しげな声で語り掛ける。
「マクシミリアン・マクスウェルさん、でしたね。先程ヒルダから聞きましたが、道中、二人を守って下さったそうですね。何とお礼を申し上げたらよいか」
「いえ、お礼を言われる程の事ではありません。逆に私の方こそお詫びを申し上げないとなりません」
扉が開かれて老婦人が姿を現した瞬間に思い出した。
あの日。師匠の愛人であるマール・ファーリーさんに師匠の死を伝えに行った日に一緒に報せを聞いた女性だ。
あのときは彼女の正体を確かめる余裕がなかったが、まさかマール・ファーリーさんの母親だったとは。いや、今になって考えてみれば分かる。師匠の死の報せを聞かせられる老婦人なんて他にはいないよな。
「お詫び?」
カップを運ぶ手を止めて視線を俺に固定した。
「既に街中では噂になっていますが、『ゴブリンの集団暴走』に遭遇しました。残念ながら犠牲者を出してしまいましたが、何とか
跳ね上がる心臓の鼓動から意識を逸らして老婦人を真っすぐに見つめる。
「実は『ゴブリンの集団暴走』の戦闘に際して、お孫さんお二人の力を借りました。結果的にお孫さんを危険にさらしてしまいました。申し訳ございません」
立ち上がり頭を下げる俺に老婦人の穏やかな声が聞こえた。
「マクスウェルさん、顔を上げてください」
うながされて顔を上げると老婦人はニッコリとほほ笑み話を続けた。
「予期しない災難や災害はあるでしょう。同じ駅馬車に乗り合わせたのなら力を貸すのは当たり前です。その最中で孫娘を守り抜いてくれたのですから、私としてはやはり感謝の言葉しかございません」
「恐縮です」
老婦人にうながされて腰を下ろすと、彼女は俺の左右に座っているヒルダとシビルに交互に見やる。
「ヒルダ、シビル。二階の空いている部屋ならどこを使っても構いません。部屋を選んで荷物を片付けて来なさい」
「え? ですが、まだお客様がいます」
「お客様を置いて片づけをするのは失礼じゃないですか?」
ヒルダとシビルが俺を見てそう口にすると、
「ここが貴女方の新居です。綺麗に片付けた部屋をマクスウェルさんに見てもらいましょう。そうすればマクスウェルさんも安心でしょ?」
ヒルダとシビルから俺に視線を移す。
話が唐突すぎる。嫌な予感しかしない。
「そうですね。おっしゃる通りです」
◇
二階から家具を動かすような大きな音が聞こえ出した。見えるはずのない二階の様子を天井越しに見るように老婦人が天井を凝視している。
まさか、俺の正体がバレている、って事はないよな。
大きく脈打つ心臓の音を聞きながら、平静を装ってお茶の入ったカップを口に運ぶ。
「十三年振りかしら」
老婦人の不意のセリフに咳き込み、落としそうになったカップを慌てて押さえる。
「あの時の坊やが随分と立派になったものですね。見違えましたよ」
「何のお話しでしょうか?」
口の周りに付いたお茶をハンカチでふき取りながら返す。もちろん平静を装う事は忘れない。
向こうだって確信がある訳じゃない。ここは惚け通そう。
「昔ね、ロクデナシが戦争で死んだことを伝えに来たくせに、そのロクデナシの弟子は泣いてばかり」
救国の英雄、レスター・グラハム・ランドールもこの老婦人からすればロクデナシなのか。
「臨月の愛人と三歳の幼い娘の気持ちを考える余裕も無かったのでしょう。弟子の坊やは目を真っ赤に泣きはらして、愛人や娘の顔も見ようとしなかった」
紅茶の入ったカップを手にしたまま、穏やかな笑みを浮かべて真っすぐに見ている。
完全にバレている、よな、これ。
「申し訳ございませんでした。その泣いてばかりいたのは私です。おっしゃる通り余裕などなく、師匠を失った悲しみと自分の不幸をただ嘆いていました」
その場の雰囲気に耐えかねて、立ち上がって頭を下げる。
「座って下さい。その事を今さらどうこう言うつもりはありません。それに孫娘を無事に連れて来てくれた事には感謝しています」
「ありがとうございます」
「ただ、お願いがあります」
俺が長椅子に腰を下ろすのを待っていたように老婦人が話し出した。
「孫娘たちには父親の事を秘密にしておいてください。英雄の娘という重荷を背負わせたくありません」
「お約束します。決して口外しません」
「あの二人には娘のマールが叶えられなかった幸せな家庭を築いて欲しいのです」
分かります、とも言えず無言でいると、
「それと、幸せな家庭に騎士は不要です。英雄の弟子など以ての外です」
初めて鋭い視線を向けられた。
「誤解があるようです。やましい事は何もありません。神に誓ってもいいです」
「神は大嫌いです」
奇遇だ、俺も神さまは大嫌いだし、教会はもっと嫌いだ。
「あの二人は父親というものを知りません。父親を知らずに育った未熟な娘が、年の離れた男性に惹かれるというのはよくある事です」
いや、ないだろ。と言うか、そっち方向に話を持って行かないでくれ。
「私が恋愛に
「ヒルダは世間知らずですし、引っ込み思案なところがあります。シビルはまだまだ子どもで思慮も浅く、自分の行動が周りの人たちにどう映るかすら考えていません」
「二人ともしっかりしたお嬢さんです。特にヒルデガルドさんは思慮深い娘さんに育っています」
「経験豊富な大人の男性にかかれば容易く騙されてしまうでしょう」
人の話を聞いてくれよ。
老婦人は紅茶を一口飲むと再び口を開いた。
「こちらでは国境騎士団に籍を置くのですか?」
「はい。身勝手な話ですが、師匠との約束を履行するために二年間国境騎士団に所属し、このパイロベル市で生活をします」
「約束?」
「シビルさんが成人するまでは見守って欲しい、と今際の際に頼まれました。娘さんとお孫さんを死の瞬間まで気に掛けていました」
少し考え込むように『そうですか』と言うと、少しの間紅茶のカップに視線を落とし、再び顔を上げるとゆっくりと話し出す。
「見守って頂く必要はありませんが、そちらも師匠とのお約束でしょうから、側にいる事をとやかく言うつもりはありません。ですが、言動には注意をお願いいたします」
何を言いたいのかは分かる。
分かるだけにここでハッキリさせておこう。
「誤解です。お孫さんには何もしていませんし、これからも女性として干渉するつもりはありません」
ファーリーさんは二階に視線を向け、再び俺を真っすぐにみる。
「若い娘には騎士団の制服はとても魅力的に映るようです。恐らくあの二人も例外ではないでしょう」
「お孫さんに若い騎士を近づけるような事はいたしません。お約束します」
「二年間。シビルが成人するまでに、二人に貴方のことを諦めさせるようにしてください」
間違いない。シビルの性格はこの祖母さん譲りだ。
「分かりました、二年間の間に何らかの答えを出しましょう」
姉妹が俺に好意を持ってくれているのは確かだが、あの年頃の娘の気持ちだ。二年間あれば変わるだろう。
ここでこれ以上誤解を深めるのは得策じゃない。
ここは余計なことは言わずに要求を受け入れよう。
「そのとき、孫娘たちを傷付けないように配慮してくださると嬉しいです」
「承知いたしました。お孫さんを傷つけるような事は決していたしません」
「ありがとうございます。今日のところは一先ずお引き取りください――」
満足したのか、ファーリーさんは立ち上がると扉を示す。
「――ささやかですが、今夜は孫娘たちが無事に到着した事を祝って夕食会を開きます。マクシミリアン・マクスウェルさん、是非いらして下さい。そのときに片付いた二人の部屋を見てやってくださると孫娘たちも喜ぶと思います」
実にいい笑顔だ。
人間、思い通りに事が運ぶとこんなにも素敵な笑顔になるらしい。
俺はその晩の夕食会への出席を承諾して、騎士団本部へと急いで向かった。
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