第20話 飯の美味い宿屋

 西門から中央広場に向けて真っすぐに伸びる大通り。それを五百メートル程進んだところで、先頭を進んでいたニールが足を止めて一軒の建物を見上げる。

 ニールの視線の先には『銀狼亭』と書かれた、今にも落ちそうな看板が掛かっていた。


「ジェフリーさんから教えてもらった条件に合いそうな宿屋は、この『銀狼亭』か、向こうに見える食堂兼宿屋です」


 ニールの視線を追って十字路の角に建つ別の建物へ向ける。そこには『飯の美味い宿屋』と書かれた看板が外れかかっていた。

 傾いたままの看板を指摘する気も失せる程に店の外壁はボロボロだ。


「ニールさん、あれ、本当に宿屋なんですか? ――」


 ロザリーが『飯の美味い宿屋』の屋根を指さすと、側を通りかかった通行人が振りむいた。


「――あの屋根、ところどころ瓦がズレていますよ。間違いなく雨漏りしますね」


 通行人を気遣って屋根に穴が開いている事を指摘しなかった事は褒めよう。


「ジェフリーさんに教えてもらった限りでは一階が食堂で二階が宿屋のはずです」


「雨漏りもそうですけど、屋根の修理もしていない宿屋なんて間違いなく不衛生ですよ。そんなところの食事なんて絶対に食べたくありません」


 市民が離れた途端、辛辣になる辺りは実にロザリーらしい。


「ジェフリーの話では食事だけは美味いらしいぞ」


「旦那、その食事が不安なんですよ。あれは絶対に不衛生ですよ。どうせならこっちの『銀狼亭』にしましょうよ」


 そう言って俺の左腕に伸びて来たロザリーの右手が触れる手前で声が響いた。


「マクスウェルさん、お待たせいたしました」

           

「荷物はそれだけか?」


 振り向くとヒルデガルドとシビルの二人が背中に小さなバックパックを背負い、大き目の手提げ鞄を下げていた。


「はい、カモフラージュは最低限に留めました。もう魔力を隠しても仕方がないので……」


 ヒルデガルドが何とも言えない非難めいた視線をシビルに向けるが、当のシビルはその視線に気付いていないのか少女らしい明るい笑顔で言う。


「これからはマックス叔父さんのように力を隠さずに生きていこうと思います」


「叔父さん?」


 ロザリーがトゲのある口調で聞き返す横で、ヒルデガルドがシビルを叱責する。


「シビル! マクスウェルさんの事を叔父さんと呼ぶのはさっきまでの話です」


「構わんよ。パイロベルに着くまでは叔父さんって事で通してくれ。その方が余計なトラブルに巻き込まれないですむ――」


 特にこの都市から同行してくる乗客や冒険者たちが酷い目に合わずにすむはずだ。


「――ヒルデガルドも俺の事を叔父さんでもマックス叔父さんでも構わないから、そう呼んでくれ」


「ありがとうございます。お気遣い感謝します。私のことはヒルダと呼んで下さい。親しい人はそう呼びます」


 勢いよくお辞儀をしたと思ったら、すぐに可愛らしい笑顔を浮かべて右手を差し出した。その手を取ろうとした瞬間、


「マックス叔父さん、私のことはハニーって呼んでね」


 シビルが満面の笑みで俺の胸に飛び込んで来た。


「シビルっ! 何を言っているの! ――」


 再びヒルダの叱責する声が響き、シビルの襟首えりくびを掴んで引きはがすと、子猫のように摘み上げたシビルを睨み付ける。


「――だいたい、あなた、口の利き方がなっていません。マクスウェル叔父さんはずっと年上なのよ!」


 ニール、背中を向けて笑っているが、お前さんも俺と同い年だからな。『ずっと年上』の仲間だからな。


「私、お父さんを早くに亡くして……顔も見た事ないから……マックス叔父さんがお父さんみたいで、ちょっと甘えたかったんです。ごめんなさい」


 目に光るものを浮かべたシビルが涙を拭いながらヒルダと俺の様子をうかがう。

 気付かれていないつもりなんだろうな。こういうところはまだまだ子どもだ。

 可愛いものだ。


 優しいヒルダもシビルには厳しい。


「気持ちは分かるけど、叔父さんって呼ばせてもらえるだけでも感謝しなさい。私たちの事を無用なトラブルから守ろうとしてくれているのよ」


 君たち二人が被害者になるとは決まっていないけどな。


「父親は娘の事をハニーとは呼ばない。もちろん、叔父さんもだ――」


 涙の止まったシビルに静かな口調で語り掛ける。

 彼女の寂しそうな眼差しから視線を逸らすようにヒルダに視線を移す。


「――二人とも力は隠しておけ。本当に賢い者はここぞというときに使う。普段から誇示するヤツは馬鹿か小者だ」


 横でニールが反応した。


「つまり、マクスウェルさんはまだ力を隠しているんですね」


 お互い様だろ。


「さあ、どうだろうな? そんな事よりも宿屋の主人と話をつけに行こうか」


 ロザリーの抗議の声を背に、俺は『飯の美味い宿屋』へ向けて歩き出した。


 ◇

 ◆

 ◇


 結局ロザリーの反対を押し切って『飯の美味い宿屋』に宿泊する事にした。

 宿泊するメンバーは俺とニール、ロザリー、ベレスフォード夫妻、ファーリー姉妹、マーカスとコンスタンス、そしてマーカスが選抜した護衛の冒険者が五人。

 この宿泊するメンバーがそのまま盗賊と衛兵隊の迎撃に当たる。


 その『飯の美味い宿屋』の一階で俺たち――俺とニール、ロザリー、ベレスフォード夫妻、ファーリー姉妹の七名は、早めの夕食を摂っていた。


「マーカスさんとコンスタンス、五人の護衛はいつ頃こちらに来るんですか?」


 羊肉の燻製をナイフで切り取りながら訊ねるニールに答える。


「マーカスとコンスタンスは間もなくここへ来るはずだ。護衛の冒険者五人は他で食事を済ませてから来ると聞いている」


「まさかとは思いますが、エールを飲んでいるなんて事はありませんよね」


 奥のテーブルに運ばれて行くエールを恨めしそうに目で追っているロザリーを横目で見ながらそう口にした。


「ないだろう、幾らなんでも」


 俺とニールの会話の間、ロザリーが三本目となる牛のモモ肉が刺さっていた串を皿の上に置く。


「ああ、やっぱり食欲が湧かないわ」


「ロザリーさん、食べざかりのシビルちゃんの次くらいに食が進んでいますよ」


「不思議ですよねー。幾ら食べてもエールが無いと食べた気にならないんですよ。って、ニールさん酷い。ちゃんと『女性の中では』って付けてください――」


 少し拗ねた口調のロザリーが、俺とベレスフォード神官の前に並べられた食事を見やる。


「――あたしが旦那やベレスフォード神官よりも食べているように聞こえるじゃないですか」


 ロザリーの抗議にニールがからかう様な口調で謝罪していると、マーカスとコンスタンが連れ立って入って来た。

 すぐに俺たちを見つけた二人が足早に駆け寄ると、テーブルに着くなりマーカスが口を開く。


「旦那、盗賊たちは手はず通りに自警団と衛兵隊に分けてあずけてきました。自警団の方はコンスタンスが、衛兵隊の方は俺がそれぞれ引き渡しの現場に立ち会いました」


「ありがとう、二人とも。それで、どんな感じだった?」


 氷魔法で冷やした水の入ったコップを二人の前に置くと、マーカスが一息に飲み干してすぐに続きを話し出した。


「引き渡しの段階では別段怪しいところは見当たりませんでした。ただ、盗賊団のボスと女盗賊のノーマをそれぞれ、自警団と衛兵隊に分けると分かったときに盗賊のボスの顔色が変わっていましたがね」


 そう言って声を押し殺して笑うマーカスから、その様子を苦笑して見ているコンスタンスに目を向ける。


「マクスウェルさんのご指示通り、ノーマを含めた女性たち七名は自警団の牢屋に入れてもらいました。男たちの方は地下牢に二十名です」


 コンスタンスの言葉をマーカスが補足する。


「残りは衛兵隊の宿舎にある地下牢に放り込まれています。今のところですけどね」


「ノーマが手はず通りに動けば、牢屋を破壊して脱出。地下牢も解放して、その後に衛兵隊の宿舎にある地下牢を襲撃だ」


「そこまでは大丈夫でしょう。問題はその後の動きです。ノーマさんはどこまで上手くやってくれるでしょうね」


 俺の言葉にニールが周囲の喧騒けんそうを気にしながらそう口にした。


「夜のうちに衛兵隊と一緒になってこちらを襲撃してくるよう、誘導する手はずでだ」


「最善はマクスウェルさんの計画通り、盗賊と衛兵隊とが一緒になって、今夜私たちを襲撃してくる――」


 そう誘導する事がノーマの役割だ。

 ニールの言葉に全員の食事の手が止まった。


「――次点が明日以降、クラーレン市からアロン砦へ向かう途中で盗賊と衛兵が一緒になって襲撃してくる。最悪は盗賊に逃亡されること」


「私なら夜のうちにマクスウェルさんとベレスフォード神官を始末することを考えます」


 コンスタンスの物騒な意見にマーカスが同意する。


「俺が連中の立場だとして、旦那とベレスフォード神官が待っている駅馬車隊を襲うなんてごめんですよ。勝機があるとすれば不意打ちくらいしかありませんよ」


 今まで黙って話を聞いていたベレスフォード神官が口を開く。


「それに盗賊たちもシビルさんの火魔法による攻撃魔術を見ています。衛兵が加勢したとしても移動中の駅馬車隊を襲うくらいなら、逃げるでしょうね」


 逃がすつもりは毛頭ない。


「今夜仕掛けて来なければ、逃走する前に捕らえる」


「衛兵隊はどうします?」


 ニールが聞いて来た。


「衛兵隊と一緒になって仕掛けて来るようなら、一網打尽にする――」


 自警団には既に話を通してあるし、この『飯の美味い宿屋』を罠として利用する準備は既に進んでいる。


「――その為にここに泊まるんだ」


 壊れた宿屋の修理費用は衛兵隊に出してもらおう。


「大丈夫なんですか?」


 不安そうな目を向けるヒルダにウィンクをしてほほ笑む。


「騎士団には伝手がある。次の砦にそいつが居るかはしらないが、名前を出せばそれなりに便宜を図ってくれるんじゃないのか?」


「やはり騎士団関係者でしたか」


 ベレスフォード神官が口元を綻ばせた。


「関係者という程ではありません。知り合いがいる程度です――」


 鋭い視線とにこやかな笑顔のベレスフォード神官に俺も笑顔で答え、視線が鋭くならないよう気を付けて聞き返した。


「――それで、ベレスフォード神官、教会の方は如何でしたか?」


 教会関係者という事でベレスフォード夫妻は優先的に都市に入れていた。そして、俺たちが門の外で待っている間に教会と接触されてしまった。


「ノーマさんの仰っていた者は既に姿をくらませていました。一足遅かったようです」

 

『神官の一人が衛兵隊と繋がりがある』

 ベレスフォード神官のいる前でノーマがそう口にしたときから、くだんの神官を捕らえるのは諦めていたが……案の定だった。


「盗賊がまとめて捕らえられたという情報が衛兵から伝わったのでしょう。仕方がありません――」


 ベレスフォード神官はシレっとそう言うと、物騒なセリフを慈愛に満ちた笑みと口調で口にする。


「なんとも嘆かわしい事です。見つけ次第、私の手でその者を神の下へ送り届けましょう」


「随分と物騒ですね」


「マクスウェルさん、お忘れですか? 私は神官であると同時に教会騎士団の人間です。教会の名を汚す者に情けを掛ける事はありません」


 静かだが強い意志が伝わって来るその言葉に、テーブルが静まり返った。


「シビルさんは素晴らしい能力をお持ちですね。もしよろしければ、光魔法が習得を私の下で学んでみるつもりはありませんか?」


 一瞬の沈黙と気まずい空気を払しょくするように、ベレスフォード夫人が笑顔でシビルに話し掛けた。

 即座にベレスフォード神官がシビルに向かって声を上げる。


「それは素晴らしい考えです。もし光魔法を習得する事が出来たら、是非とも教会騎士団にお誘いしたい」


 光魔法を習得することが出来たら神官兼教会騎士にするつもりか。例え習得できなくとも裏で動かせる戦力とするつもりなのだろう。

 冗談じゃない。


「ありがとうございます、ベレスフォード神官。ですが、私は姉さんと一緒にパイロベル市の祖母の下で魔道具職人を目指したいんです」


「シビルさん、今すぐでなくてもいいのです。パイロベル市までの道中、考えて頂けませんか? 教会の神官は市井しせいの魔道具職人と違い、大勢の人々に必要とされる職業です」


「ベレスフォード神官、私も妹も魔道具職人であった母の後を継ぎたいと決心して祖母の下へ向かっています。ですから――」


 ヒルダの言葉を遮ってベレスフォード神官が口を開く。


「ヒルデガルドさん、シビルさん。私の失言でした。大変失礼な事を申し上げてしまった。お詫びいたします」


 そう言って立ち上がるとファーリー姉妹に深々と頭を下げた。

 慌てたのはファーリー姉妹だ。大人が、それも教会の一等神官が、こうも簡単に自分たちに対して頭を下げるとは思っていなかったのだろう。

 

「いえ、気にしていません。頭を上げてください、ベレスフォード神官」


「そうです。お姉ちゃんの言う通りです。気にしていません、大丈夫ですから」


 ファーリー姉妹も立ち上がってベレスフォード神官に頭を上げるよう訴え、絶妙のタイミングでベレスフォード夫人が間に入った。


「三人とも、皆さんが驚いていますよ。そのお話はここまでにして食事をしましょう」


 また一つ厄介事が増えた。

 これはヒルダが光魔法を使える事を隠しておいた方が良さそうだな。

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