第19話 クラーレン市
結局、恐鳥に襲われていた人たちが合流したところで、すぐにクラーレン市を目指して移動を開始した。
谷間から出発して二時間余り、到着したクラーレン市で待っていたのは、都市に入る手続きをする人々の長蛇の列。しかも列は一つだけ、ざっと見ても八十人は並んでいる。
「揉めていますね」
ニールは傍観者のような口調でそう言うと、文句を言う声や言い争う声が聞こえてくる西門の付近から、自分たちの駅馬車隊とそれに合流した人たちへと視線を巡らせた。
その視線の先を追うと、馬車から荷物を降ろす人たちが忙しそうに動き回っている。
「ジェフリーが上手く交渉してくれるよう願うとしよう」
この駅馬車隊の責任者であるジェフリー・モートンが衛兵の詰め所に入ってから既に十分弱。そろそろ話がまとまってもいい頃合いだ。
「旦那、ニールさん。旦那に騙し討ちされた例のランクA冒険者の雇い主が騒いでいますよ」
「正確には五人のパーティーでマクスウェルさんに不意打ちを喰らったのが四人ですね」
ロザリーの言葉に西門付近へと視線を向けると二人の商人が一際大きな声で騒いでいた。使用人の男と女性を恐鳥の前に突き飛ばし、自分たちだけが馬車の陰に隠れた男たちだ。
偶然だろうがその隣にはファーリー姉妹と揉めた二人の商人が見える。
「その隣で一緒になって騒いでいる二人も見覚えがありますね」
ニールとロザリーも気付いたようだ。
「あ! あいつらですよ、旦那。シビルちゃんを化け物呼ばわりしたヤツらです」
「恐怖でパニックになっていたんだろ、もう忘れてやれ。それに約束をさせたから、もうそんな失礼な事は口にしないだろうよ」
シビルを目の前にして顔を蒼ざめさせ、ガタガタと震えながら謝罪と約束をした二人の姿が脳裏に蘇る。
「旦那、ちょっとまずい雰囲気ですよ」
「騒ぎが大きくなっています。マクスウェルさん、止めに行った方がよくありませんか? ――」
西門付近を注視していたロザリーとニールの言葉が重なる。
駅馬車隊の隊長であるジェフリーの『命よりも財産が大切な方はどうぞ残って下さい』、との一言で合流した馬車の乗客と護衛たちは口をつぐんだのだが……目的地に到着して不満が爆発したようだ。
「――手続きをする衛兵に詰め寄る程度ならともかく、先に並んでいた者たちと揉めだしました」
手続きをする衛兵と揉める者や金を握らせて順番を繰り上げようとする者に交じって、先に並んでいた者たちから順番を買い取ろうとする者や力ずくで割り込もうとする者たちがチラホラと見える。
駅馬車隊が雇った護衛の冒険者も仲裁に駆け回っているが、対処しきれていない。
「ニール、ロザリー、護衛の手助けをしに行こう」
二人に声を掛けて歩き出すと、揉め事を涼しい目で見やりながら、数名の護衛を引き連れて門を潜るエンリコ・カイアーノの姿を目にした。
「うわー、予想はしていたけど、やっぱりあの奴隷商人が真っ先に西門を潜りましたね。やっぱりお金の力って偉大だわ――」
門を潜る奴隷商人一行を見ていたロザリーが、鎖で繋がれた奴隷たちを指さす。
「――しかも、商品の奴隷たちと従業員は門の外に置き去りですよ」
「エンリコ・カイアーノさんですね。彼の場合、衛兵の上層部どころかこの都市の市長、或いはこの辺りの領主であるミラード子爵と繋がりがあってもおかしくありませんからね」
「え? でも衛兵に
「衛兵とあの奴隷商人じゃ立場も格も違いすぎる。あの奴隷商人から見れば、門番をやっている様な衛兵なんて使いパシリと変わらんさ。渡した革袋は
いつの世も割を喰うのは金の無い者とコネの無い者だ。
そしてあの奴隷商人は俺が予想したよりも権力者との繋がりが強固なようだ。少し注意しておくか。
◇
合流した二人の商人に嫌悪の視線を向けるとロザリーが口を開く。
「旦那、あいつら衛兵だけでなく、護衛の冒険者にまで文句を言っていますよ」
「合流した駅馬車隊の商人ですね」
「文句を言って衛兵が仕事を出来ないようにしたら、それだけ都市に入るのが遅くなるって分からないのかしら?」
「分かっているだろ、それくらい。遅くなって全員が迷惑するのも衛兵のせい、って事なんだろうな――」
シビルを化け物呼ばわりした二人と、自分の使用人である壮年の男と女性を恐鳥の前に突き飛ばした二人の商人。四人で若い衛兵とアラン少年の二人を取り囲んで文句を言っている。
「――連中の思考が手に取るように分かる。『自分を優先しない、手間を掛けさせる衛兵が悪い。さらには、止めに入った護衛も悪い』、といったところだ」
代表で恥をかいてもらおうか。
「アラン君、どうした? 何か問題でも起きたのか?」
「問題だ? のんきに何を言っているんだ! 大問題だ!」
「余計な口出しはしないでもらおうか!」
そう叫んで振り向いた二人の商人の顔が硬直した。残る二人は口を閉ざして顔を強ばらせている。どうやら四人とも俺の顔を憶えていてくれたようだ。
「あら、可哀想。旦那の事、怖がっていますよ」
「ランクAの冒険者四人を不意打ちで壊しちゃったからですね」
「壊していない。ちゃんと治療しただろ、ベレスフォード神官が。それに驚いているのは恐鳥を倒したのが俺だと知っているからだ。自称ランクAの若造を教育したからじゃない」
俺がそう言い切った直後に商人の一人が声を上げた。
「き、貴様は騙し討ちをした卑怯者……」
「あたしの認識で正解ですね。世間は不意打ちじゃなくて騙し討ちと思っているんですよ、旦那」
満面の笑みでロザリーがそう言うと、ニールが口元を綻ばせて小さく肩をすくめた。
「私は優しすぎたようです。不意打ちとか、つい思いやりのある言葉を選んでしまいました」
二人に返したい言葉は幾つも浮かんだが、それらを吞み込んで四人の商人に語り掛ける。
「その衛兵が戻るのを大勢の人が待っているんだ、そろそろ解放してやってくれないか」
俺のセリフに、列に並んでいる者たちから早くも歓声が上がった。続いて商人たちをののしる声が聞こえた。
「さっきまでの威勢はどうしたんだ?」
「足が震えているぞ、あいつら」
「何だよ、魔術師が出てきたらダンマリかよ」
そんなギャラリーに笑顔を振りまいて手を振って応えるロザリーを横目に、衛兵とアランに向かって声を掛ける。
「衛兵、アラン君、仕事に戻っていいぞ――」
そう俺が口にするとアランは弾かれたように走り出し、衛兵は俺と四人の商人との間を忙しく視線を動かしたが、すぐに俺に向かって会釈すると受付へと戻って行った。
改めて四人の商人の顔を見回す。
「――さて続きだ。先程、問題だと騒いでいたな。どんな問題だ? 俺で良ければ相談に乗るぞ」
もちろん口だけだ。本音は会話もしたくない。
「もう解決した」
「何でもない、あんたには関係ない事だ」
二人がそう答えると残る二人は小さく舌打ちをし、四人揃って列の最後尾へ向かって歩き出す。
四人を視線で追っていると、隣に立ったニールが口を開いた。
「随分と嫌われたものですね」
「何だニール、知らなかったのか? ああいった連中に嫌われるのは、美女に好かれるのと同じくらい気分がいいものだぞ」
意識しなくても口元が勝手に綻ぶ。
「旦那、ニールさん、ようやく衛兵が出てきましたよ」
「ようやくですか、随分と時間が掛かりましたね」
ロザリーの言葉通り十名以上の衛兵が詰め所から駆け出して来ると、手続きをする場所を慌ただしく設置する。
「受付を増やす準備をしていたんだろ? 今だけでも好意的に見てやろうじゃないか」
夜が明けるころには罪人になっているかもしれないんだ。
「まあ、なかには無実の衛兵もいるかもしれませんからね。一生懸命働いてくれる間は好意的に接しましょうか」
「二人とも大人ですねー。私はとてもじゃないですけどそんな優しい気持ちにはなれません――」
槍を杖代わりにしてその様子を見ていたロザリーが、衛兵の不十分な対応を目にして苦々しげに言い放つ。衛兵が盗賊とグルだと知っているから余計に手厳しい。
「――本当、怠慢な連中よね。ようやく受付の人員を増やしたわ」
手続きの列が一列から五列へと増え、揉めていた者たちが我先にと各列に散って行った。
「どうやら、ジェフリーさんとマーカスさんが上手くやってくれたようですね」
ニールの言葉に続いて、衛兵の詰所から出て来たジェフリーとマーカスの見つけたロザリーがつぶやく。
「あ、ジェフリーさんとマーカスさんが戻ってきた」
「コンスタンスさんも一緒ですね」
ジェフリーとマーカスは手続きの準備を進める衛兵たちや駅馬車隊の乗客たちをよそに、三人の衛兵を伴って檻馬車の中に捕えてある盗賊たちの方へと向かって行った。
その様子を眺めていたロザリーとニールの口元が綻ぶ。
「あらー、衛兵さんは都市に入る人たちよりも捕えてある盗賊の方が気になるようね」
「当然でしょう。何しろ極悪人をまとめて生け捕りにしたんです。しかも、その極悪人を衛兵には引き渡さずに、この先の砦まで護送して騎士団に引き渡す。そう言っているんですから、そりゃあ、気にもなりますよ」
グルになって悪事を働いている連中を生きたまま騎士団に引き渡されたら、そら
さて、ジェフリーとマーカスのどの程度上手くやったか知りたいところだ。
「マクスウェルさん、マーカス隊長から伝言です」
女性の声が響く。
その声に振り向けば、衛兵の詰所から一緒に出て来たコンスタンスがこちらへと走ってくるところだった。
「何かあったのかしら?」
小首を傾げるロザリーにニールが続く。
「顔がにやけているので、何かあったとしても面倒事ではないでしょうね」
にやけているどころか、『してやったり』といった様子がにじみ出ている笑顔だ。
すぐに理解したロザリーも口元を綻ばせる。
「ああ、マーカス隊長に代わって報告に来たのね」
「ご苦労さん、コンスタンス。それで、首尾の方はどうだった?」
「はい、上々です! マーカス隊長と一緒に檻馬車へ向かったのは、この都市の衛兵隊の隊長と副隊長です――」
そう言って彼女は檻馬車へと向かっている四人に目を向けると、楽しそうにつぶやく。
「――マクスウェルさんの言う通りにしたら、あの通りですよ」
「楽しそうだな、コンスタンス」
「はい、笑いを堪えるのが大変でした。衛兵隊の隊長と副隊長、大きな尻尾を隠そうともしないで大慌てでしたよ――」
その様子を思い出しているのか、クスクスと魅力的な笑顔を浮かべる。
「――マーカス隊長が衛兵に『捕らえた盗賊はこの都市の衛兵には引き渡さず、この先の砦まで護送して騎士団に引き渡す』、と言ったときの慌てようといったらありませんでしたよ」
「それは慌てるでしょうね」
「うわー、見たかったなー」
ニールとロザリーのセリフに苦笑しながらコンスタンスが続ける。
「さらに、『盗賊なんてさっさと殺しちまえ! と隙あらば盗賊を殺そうとしている乗客もいるから、出来るだけ乗客を刺激しないで欲しい』と。マーカスさんが衛兵に伝えたら、衛兵隊の隊長が『それは今後の事を考えると悪い前例にしかならない。急いで乗客と盗賊たちを引き離しましょう』、と言って受け付け手続きの人数を増やす手配をしていました」
「それは酷いな。俺たち乗客をダシに使って衛兵を急がせたのか」
「それで、あれなんですね」
ニールが檻馬車に駆け寄った衛兵の隊長と副隊長に視線を向け、ロザリーが俺を見る。
「旦那の入れ知恵ですよね?」
「入れ知恵なんてしてないさ。可能性の話をしただけだ」
「こちらの狙い通り、彼らは今夜仕掛けてくるでしょうか?」
「ノーマ・ベイト次第だろうな」
ノーマ・ベイトの名前にコンスタンスとロザリーが反応する。
「あの口と態度の悪い女盗賊ですね?」
「旦那、本当にあの女盗賊を信用するんですか?」
「約束したんだ、当然信用もするさ」
裏切ったときの用意はしてある。ニールに視線を向けると静かにうなずき、彼女を擁護する。
「手を組むんですから、信用してあげましょうよ」
ニールも大概役者だな。
「ふーん、ああいう色気のある女が好みなんだ?」
俺とニールを交互に見やるとロザリーが不貞腐れた様にそう口にし、コンスタンスが抑揚のない口調で同意をした。
「男の人はだいたいそうですよ」
予想はしていたが、ノーマが美人なことや、胸が大きいだとかスタイルがいいという事には二人とも触れないんだな。
「安心しろ、ノーマ・ベイトじゃ俺を騙すには色気不足だ」
さて、今夜は眠れそうにないな。
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