まさかの事態
多少過ぎてしまっても、とにかく周りを見ずに走るしかない。
パタパタパタッ…
自分のスニーカーの音が、"女の足音"を夜道に知らしめる。
と、その時ー…
シュッッ…
と、風が切る音がした。
同時にふわりと薫る、花のお香のような匂い。
私の顔に柔らかい布が触れたかと思うと、男性の腕で強く引き寄せられた。
「きっ… …」
「きゃっ…んっ、むっ。ん!!」
きゃぁああ!!!出たー!!!
と、叫びたかったのだが。
完全に口を封じられ、もう人生の終わりを直感した。
男の顔も見たくない、何に捕まえられているのか、確かめたくもないー…
「ちょっと、叫ぶなよ!」
押し殺したような、男の声が耳元で聞こえる。
もう、半泣きだった。
「ん!!…ん~!!」
誰か助けて、死にたくない斬られたくない!!
「マジで!静かにしないと、君斬られるよ?」
「っ…」
とんだ脅し方だ。
ひなのはふるふると流れる涙をそのままに、口を閉じる。
見たくないー…しかし、事もあろうか男はひなのを覗き込んできた。
あ!!
その瞬間、小さく息を飲む。
さっきの人だ!
さっきの、扉開けた人!!
口元を離されると、ひんやりとした空気が肺を満たす。
「君さ、何で帰らなかったの?」
普通に、話しかけてくる。
何なのこの人、人斬りじゃあないの…?
何だろう、すごく怖いのに怖くない。
「家の鍵、取りに戻っていて。その…間に合わなくて」
「ん~…一応さ、俺たちの決まりのままいくと、俺この場で君を斬らなきゃならないんだよね」
…やっぱり、人斬り…!!!
「たださぁ…今は、斬らないことにする。
だから、ちょっと着いてきてくれない?」
…今は斬らない…?
本当に…?
「…着いて行くって…?」
「まぁ、説明は後でいいでしょ。来るよね?来ないなら、今すぐ斬るから」
そんなこと…!
そんなこと言われたら、選択肢なんてないじゃない!
「い…行きます…」
どこに行くんだか、なんで斬られないのか、そんなのは分からなかった。
だが、着いて行くしかないのだ。
「じゃ、行くか。
…言っとくけど、俺と一緒にいるから、斬られないだけだから。
今もそこら中に連中いるし、血迷って逃げたりすると、すぐ死ぬからね」
…逃げませんよ!!!
一瞬怖くないと思ったけれど、やっぱり怖すぎる!!
夢なら、覚めてくれと思った。
しかし、紛れもなく現実だ。
だって、握りしめる手の中で鍵が突き刺さっているし、頬を伝う冷や汗の感覚はー…
本物だから。
そのまま、しばらく歩かされた。
途中、ひなののアパートの横を通り過ぎた時、また涙が溢れそうになった。
…本当なら、私がバカをしなければ、今頃家にいるはずだったんだから。
自業自得なの…
でも…今すぐ逃げ出して階段駆け上がって、家に帰ってしまいたい。
こんなこと、全部夢ならいいのに。
しかしそんな思い虚しく、アパートはあっという間に遠ざかっていった。
…いつ、帰れるんだろう。
…帰れる…よね?帰れるのかな?
「あのさー、さっきからさぁ、もうあんまり泣かないでよ。こっちが悪いことしてるみたいじゃん」
人斬り男はそんなことを言うが、悪いことしてるんじゃん!!
と、心の中で突っ込まざるを得ない。
悪いこと…してるんだよ。だって人斬りだもの。
…まぁ、私まだ斬られてないけど。
「だって、笑ってなんていられないじゃない」
「まぁ、そりゃそうか。でも君生きてんのにさ、そんな顔してると斬られたも同然じゃん」
男は、振り向きもせずに後ろを着いてくるひなのに言った。
「私、家に帰れずに死ぬの?」
声に感情がこもらない。
言葉にして実感した、こんなにも悲しくて虚しくて辛いことない。
「んー、君次第かな。ほら、着いたよ」
その一言で、ひなのはやっと地面から顔を上げた。
しばらく闇の中のコンクリートを見ていた目に、どんよりと茶色い木の扉が飛び込んでくる。
まさかと、思うけれど…
「この中に、来てもらうよ。街の掟とか、そんなのは知ったこっちゃないから」
え…
ええええ!!
そんな!!!禁断の扉に入れと?!
今ここで斬られるのと、果たしてどちらがいいのだろう。
分からない。この扉の中を予想できないことには。
男は相変わらず振り返らず、堂々と扉を開け放った。
足がすくむ。全身が、身の危険を察してか動くことを拒んでいるようだ。
「…はぁ。ねぇ、担がれたくなかったら、歩いてくれる?」
一歩、また一歩と扉へ近づくしかない。
自分は、一体何をしているんだろうか。
呼吸も忘れ、緊張のあまり息を止めたまま、その扉の敷居を跨いだ。
「…いい?この先には"平和町(へいわちょう)っていう町がある」
絶対嘘!その名前おかしい!!
「そこで、君には俺たちのリーダーに会ってもらうから」
ひなのはたんたんと話す男について、次々に同じ扉をくぐって行く。
3つめ、4つめ… …
このまま永遠と、扉をくぐっているだけならいいのに…と、心の中で真剣に願った。
「どうして…?」
「え?」
「どうして、私なの?他の街の人なら、今までに沢山…その、斬って来たんでしょう?
どうして、私だけそこにいくの?」
何も、特別扱いされる理由などないのに。もしかしたら、斬られるよりももっと酷い何かが待っているとか…
「説明、今じゃなくてもいいでしょ」
それ以上は、聞けない声色だ。
この人、口調は強くないのに声がとても冷たい…
「…禁断の扉って…あなたたちの、町だったのね」
「そういう事。こんなん、大っぴらになってたら、皆怖がるでしょ?
君もだけど、よくこの街に人住んでると思うよ」
「…あなたは…
人斬りはすごく怖いのに、私今あまり怖くない。
もしかしたら恐怖も通りこしているのかもしれないけどー…
あなたは、不思議な人ね」
私がそう言うと、彼は前を向いたままフッと笑った。
「不思議な人なんて、この中沢山いるから。
俺、案外フツーな方だと思うよ」
こんなに、普通の会話もできるのに…この人は、人斬りなんだ…
そんなことをぼんやりと考えていたから、ざわめきと明かりが近づいてきたことに気づかなかった。
彼に呼ばれて意識を戻すと、最後の扉が開かれようとしていた。
向こうに町の明かりが見え、賑やかな音頭が聞こえてくる。
「俺から離れるなよ、あんまり歓迎されないと思うから」
そう言った彼と共に踏み込んだその地は…
人斬りの住む町、平和町。
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