第5話 前夜
§
その夜。
マルクスは自室に戻ると、一人筆をとって遺書をしたためた。
家族や友人たちに感謝の意を記し、机の二重底に忍ばせておいた。
わが友、モンブリーならこれに気付いてくれるはずだった。
マルクスはベッドの端に座り、蝋燭の火に揺れる豪奢な部屋を眺めながらため息を吐いた。
どうしてこんなことになってしまったのか。
ドルトムントから海外へ留学へ行き、国に仕官するために戻ってきた。
出生は弱いが、父や母、そして故郷の期待に応えるべく、立身出世を夢見て城に勤めるために努力を続けてきたというのに。
俺は明日。
決闘にて果て無ければならない。
マルクスはおもむろに立ち上がり、腰から剣を抜いた。
そしてその場で、ペレス式剣舞第5型を舞った。
剣先は目にもとまらぬ速さで、しなやかに、まるで鞭のように撓った。
剣の腕には自信があった。
昼間はああ言ったが、本当はマルクスは剣術の達人だった。
留学先でも無双の強さであった。
しかし、それでもティタンには適うまい。
お道化ていて変人であったが、あの男が途方もなく強いのであろうことは、マルクスにも分かった。
いいや。
そういう問題じゃないか。
一しきり剣舞を終えた後、汗を拭いながらマルクスは苦笑した。
明日の決闘。
それは男の勝負などではない。
第一、マルクスがティタン王子を殺して良いはずがないのだ。
相手は隣国の王子である。
決して勝ってはならぬ勝負であることは明白だった。
言ってしまえば、王子に気持ちよく帰国してもらうための儀式なのである。
なんという理不尽な死であろうか。
マルクスは運命を儚むように乾いた笑い声をあげた。
しかし――ある部分では、全ての出来事が腑に落ちていた。
なぜ、自分が女王に選ばれたのか。
最大の謎に得心が入った。
こういう時に、体よく相手に首を差し出せるからだ。
つまり、最初に思った通り、この一連の出来事は茶番だったわけだ。
若輩でなんのコネもない私が国のナンバー2?
そんな御伽噺など、現実に起こるわけがないではないか。
全ては、女王の戯れ。
俺の命はそのために使われるのだ。
コンコン、と扉をノックする音が聞こえた。
剣を収め、どうぞ、と返事を返した。
「夜分に失礼いたします」
現れたのは見覚えのない男だった。
背が高く、全身が筋肉で出来ているような大男である。
眉毛が太く、奥まった瞳はギラギラと光っている。
口ひげを綺麗に整えて、いかにも武人といった雰囲気である。
「どなたですかな」
マルクスが問うと、大男はその場に傅いた。
「お初にお目にかかります。私はブラディオ。元老院のメンバーと、現国王軍連隊最高司令官を兼任しております。位は中将。任期は3年目でございます」
「ブラディオ――中将殿」
「は。今宵は、大将殿の代わりに馳せ参じました」
マルクスは首を傾げた。
「一体、どのようなご用件でしょうか」
「無論、明日の決闘についてです」
ブラディオは傅いたまま答えた。
顔をあげてください、とマルクスは言った。
「わざわざ来てくれて感謝いたします。しかし、よく分かっております」
マルクスは自嘲気味に笑った。
「心配しなくとも、決して勝とうなどとはしません。上手く負けてみせます」
ブラディオは眉を顰めた。
「何の話でございましょうか」
「いえ、だから明日のティタン王子との決闘の話でしょう」
「ええ、それはそうですが」
「端的に言えば、私はティタン王子のために、外交のために死ねば良いのでしょう?」
「馬鹿を申されるな」
ブラディオは立ち上がり、怒ったように顔を顰めた。
「宰相殿。あなたは国の最重要人物の一人ですぞ。万が一にも殺されては困ります」
「……は?」
「今日は、あなたに作戦を申し上げに参りました」
「作戦?」
「はい」
ブラディオは頷いた。
「明日の決闘。女王の目論見は、恐らく、あなたの力をこの国の人間に知らしめることだと思われます」
「私の――力を?」
「そうでございます。コロッセオの衆目の前で、あなたがティタンを打ち倒せば、これ以上ないほどのアピールとなる。そうすれば、今後の政もやりやすくなりましょう」
マルクスは眉根を寄せた。
……まさか。
あのちゃらんぽらんの女王陛下が――そこまで考えているとは思えない。
「しかし、ご存じの通り、ティタンは達人でございます。マルクス様ほどの剣術をお持ちでも、おいそれと勝てる相手ではないでしょう」
どうやら、こちらの力量は見抜かれているようだ。
「そこで」
と、ブラディオは言った。
「私たちが遠方から援護を致します」
「援護?」
「我が軍にいる特殊暗殺部隊が、ティタンを銃で撃ちます。闘技場は大歓声に包まれておりますから、銃声は聞こえません。初撃に合わせて太ももを撃ち抜きますので、そこをマルクス殿が袈裟斬りに伏してください」
ブラディオはそれだけ言うと、それでは、と踵を返した。
ちょっと待ってくれ、とマルクスはその背中に声をかけた。
「そんな卑怯な真似ができるか」
と、マルクスは言った。
「相手は正々堂々と戦いを申し込んできたのだぞ」
「戦に卑怯もなにもありませぬ」
ブラディオは半身だけ振り返った。
「大事なのは勝つこと。敵国で決闘を申し込んだティタンが間抜けなのです」
マルクスは下唇を噛んだ。
「そのようなことをすれば、隣国の王が黙ってないだろう。下手をすれば戦争にまで発展する」
「望むところだということでしょう」
「それは――プリズムミマム様の意向なのか」
「恐らくは」
「恐らく?」
マルクスは顔を顰めて、半歩、足を踏み出した。
「そんな曖昧な意識で、このような高度な政治的判断をなさるおつもりか。ブラディオ殿。あなたは、女王の心を邪推し、勝手に動いているだけではないのか」
「邪推などしておりませぬ」
「ならば、女王陛下の意志をご確認いただきたい。そうでなければ――」
「マルクス殿」
ブラディオはマルクスを遮った。
鋭い目線に、思わず怯んだ。
「女王はあなたに死んでほしいなどとは思っておりません」
「いいや、そんなことはない。あの方は、私を捨て駒に」
「いいえ。あの方の為すことに、
「失敗はあり得ない?」
「そうです。この国は、陛下の御心で全て守られて来た。あの方の言葉は神の信託と同義なのです」
ブラディオの真っすぐな瞳。
完全に、プリズムミマムに心酔しているのは間違いない。
しかし――その目には不思議と光が宿っている。
洗脳を受けている人間の目ではない。
そもそも、ブラディオの興奮は知的でとても操られているようには思えない。
「だが」
と、マルクスは言った。
「だが、女王陛下は、なんの衒いもなく臣下を斬った。顔が気に食わないという理由だけで、あの哀れな男は首を刎ねられたのだ。私は、あの男と同じなのではないのか」
ブラディオは目を細めた。
それから小さな声で「なるほど」と呟いた。
「どうやら、マルクス殿は本当に何も知らないようですな」
「どういう……意味でしょうか」
「あの男。後の調査で、敵国に情報を流していたスパイだと判明しました」
「な――なんですと」
マルクスは目を見開いた。
「どうやら、女王陛下の気まぐれな政策によって、地位を下げられたことを恨んでいたらしい。出生も遡ればその国に行きつくのだろう。顔立ちからして、恐らくは間違いない」
マルクスはごくりと喉を鳴らした。
汗が一滴、床に落ちた。
「とにかく、女王陛下があなたを宰相に任命した。そのことは、この国において、絶対的に正しいことなのです。私や枢機卿、そしてあなた自身にも分からないところで、陛下のご意志は正しい解へと帰結・収束するようになっているのです。よって――我々は、あなたを死なせない」
失礼します、と言って、ブラディオは出て行った。
マルクスはその場に立ち尽くした。
ブラディオの言葉はすぐに肚に落ちて行かなかった。
しかし――確実に彼の心を揺さぶり、意識を変えたのだった。
マルクスはその夜。
結局、一睡もできなかった。
ナニをするにも支配的!麗しの暴君悪女様、圧倒的独裁で民衆を華麗に幸福へと導く! 山田 マイク @maiku-yamada
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