第3話 謁見
§
――だって可愛いんじゃ。
昨日の枢機卿の言葉が脳内でリフレインしている。
マルクスは廊下を歩きながら、目と目の間を摘まんだ。
目がかすみ、少し頭がクラクラする。
昨夜はあまり眠れなかった。
こんなことではいけないと、マルクスは軽く頭を振った。
今朝、さっそく女王から呼び出しを受けた。
これから彼女の部屋へ行かなければならないのだ。
言うまでもなく、初めての謁見は重要。
マルクスは心の内で気合を入れた。
もう開き直って受け入れるしかない。
すれ違う者たちがみな、マルクスを見て大げさなほど慇懃に頭を下げる。
自分より明らかに位が高そうな服を着た爵位持ちが、みな、まるで畏れるように自分に傅いていく。
どうやら、昨日の出来事は悪い夢ではなかったようだ。
たしかに――と、幅の広い豪華な階段を登りながらマルクスは思った。
たしかに、プリズムミマムは美しい。
あの完璧な顔立ち。
美しい天鵞絨のようなブロンドの髪。
幼さは残るが、まさに傾国の美女――いや、美少女といえるだろう。
自分だって、初めて彼女を見たとき、思わず心を奪われた。
なんと美しい女性なのだと思った。
だが、だからと言って、あのような残虐かつ傍若無人な振る舞いは許されない。
マルクスには、ある疑念があった。
留学先の大学で聞いたことがあった。
今より昔のこと。
遥か東にある東洋の国に、妖術を使って王を誑かし、民を苦しめた悪女がいたという。
その女は妲己と言い、狐の化身だった。
民を人間として扱わず、自らの余興のためにあらゆる殺人を犯した。
その恐ろしい女は、暇つぶしに庶民を虐殺することに耽溺していたというのだ。
プリズムミマムは、その伝説に似ている。
妲己も、恐ろしいほどの美貌を持っていたと言われている。
妖術だの妖怪だのと言うのは馬鹿馬鹿しい与太話であることは分かっているが――
もしかしたら、あり得るのではないか。
この国の政治を司る人間は全て彼女に洗脳されているのではないか。
あの美貌と妖術で、政を牛耳っているのではないか。
そうのように考えると、マルクスの背中には冷たい汗が滲むのだった。
§
女王の間に着いた。
マルクスは自らの胸に手を当て、大きくスーハーと深呼吸をした。
そうして息を整えてから、コンコン、と扉を叩いた。
「入れ」
女王の声がした。
マルクスは「失礼いたします」と言ってから、ゆっくりと扉を押し開いた。
室内はこの世の贅を凝縮したような造りになっていた。
金やクリスタルで彩られた装飾で埋め尽くされている。
中に入るとチカチカと目が痛んだ。
室内を進むと、侍女が2人、マルクスに向かって丁寧に頭を下げた。
さらに入っていくと、ど真ん中に巨大なベッドがあった。
その一番奥、フカフカの布団に埋もれるようにして――
いた。
プリズムミマム17世だ。
今はガラスに入った青色の飲み物をストローでちゅーちゅー吸っている。
「うぃっす!」
プリズムミマムはマルクスに目をやると、そうしていかにも軽薄そうに手をあげた。
もう片方の手には、何やら薄い本のようなものを持っている。
「お、おはようございます」
マルクスは頭を下げた。
少し声が震えていた。
「本日はこのような寝室にお呼びいただき、至極光栄でございます。オスカー家の3男、マルクスでございます。昨日は突然の任命に戸惑いましたが、この身を女王陛下に、そしてこの国に捧げる覚悟で――」
「うるさい」
マルクスが初心表明を語っていると、プリズムミマムが遮った。
マルクスの心臓が跳ねた。
「朝からんな堅苦しい話は聞きたくにゃーだが」
「も、申し訳ございません」
マルクスはその場に平伏した。
「わ、私は雅な作法に疎いのでございます。何しろ田舎者でして」
「そんなことはいいから、テメー、ちょっとこっちにこい」
「こ、コッチ、というのは」
「こっちだよ、こっち。こ、こ」
プリズムミマムは言いながら、自分の横をボフボフと叩いた。
マルクスは目を見開いた。
まさか――寝具の上に上がれというのか。
「で、出来ませぬ。女王陛下殿の夜具に乗るなどと、そのような無礼なことは」
「うるせえなあ。いいから来い。こねーなら首を刎ねる」
「く、首を――」
「あと10秒な」
じゅーう、きゅーう、とプリズムミマムが間延びしたカウントダウンを始める。
マルクスの脳裏に、昨日の斬首の光景が瞬いた。
こ、殺される――
マルクスは木靴の紐を急いで脱ぎ捨て、這うようにしてプリズムミマムの元へと向かった。
「にひひ。ギリギリセーフにしてやる」
枕元まで行くと、プリズムミマムはそう言って笑った。
屈託のない笑顔に、思わずドキリとした。
――だって、可愛いんじゃ。
ピエールの言葉が頭に響く。
マルクスは金縛りにあったように、一瞬、体の自由を失った。
近くで見ると――プリズムミマムはこの世のものとは思えないほど美しかった。
「テメー、これ、見てみ」
プリズムミマムは無造作にマルクスの懐に近づいた。
そうして、持っていた本を彼に見せてくる。
マルクスは恐る恐る、それを覗いた。
すると、そこにはデフォルメされた絵が描かれてあった。
絵は4つに区切られ、上から順番に読み進めていくようだった。
1つ目には容姿端麗の美青年がいて、2つ目には禿頭の老人がいた。
3つ目で二人は抱き合い、そして4つ目には、二人を融合させたような禿げた美青年が描かれていた。
「おもしれーだろ」
プリズムミマムは腹を抱えてケタケタと笑った。
「は、はい。あ、あはは。こいつは傑作でございますな」
マルクスは頬をひくひくさせながら笑った。
どうしよう。
全く――面白くない。
「これよ、昨日殺した奴の部屋にあったらしいんだ。こんなの読んでるなんて、あの野郎、なかなか良いセンスしてやがった。うーん。殺したの、ミスったかな?」
プリズムミマムはそう言って、また笑い転げた。
相変わらず、生殺与奪のハードルが低すぎる。
「しかし、お前もこの笑いが分かるのか。やっぱ、側近にしてよかった」
プリズムミマムは満足そうにニコニコ笑った。
「他の奴らはよ、この4コマの面白さが理解できねーんだ。なあ?」
プリズムミマムはそう言って、ベッドの脇に待機する侍女たちを見た。
すると侍女たちは、肩を竦めて首を振った。
「分かるわけないでしょ、そんなシュールなの」
「そうよ、プリ子はさー、ちょっと笑いのセンスが独特すぎるんだから」
二人はそのような軽口を叩いた。
マルクスは驚きのあまり、目を見開いた。
この女ども――女王陛下になんという口を聞くのだ。
「うるせーなー。オメーらがセンスねーだけだろ」
だっていうのに、プリズムミマムはただ口を尖らせて不満を言うだけで、怒るような素振りは微塵も見せない。
「よ、よろしいのですか」
マルクスは小声で言った。
「なにが?」
「じ、侍女にあのような口を利かせて」
「よくねーよ。こいつら、ほんと朕のこと、なんだと思ってやがんだろうな」
プリズムミマムはケタケタ笑った。
どうやら――良いらしい。
この暴虐の女王は、どういうわけかあの侍女たちには心を開いているようだ。
ピエールなどの貴族より、よっぽど非礼を許している。
完全に身分と態度があべこべである。
それにしても――プリ子って。
「プリ子。そんなことより、さっさと準備しなきゃ」
「準備ぃ?」
「んもう、昨日言ったでしょ。今日は隣国から使者が来るって」
「ああ、あれかー。いいよ、めんどくせー」
「そんなこと言わないの。あんたは女王様なんだから。ほら、さっさと着替えなさい」
侍女はプリズムミマムを手招きした。
「いやじゃいやじゃ! 朕は今日、ここでこの男とまったりするんじゃ」
プリズムミマムはそう言いながら、マルクスの腕に抱きついた。
それから、潤んだ瞳で、マルクスを見上げた。
「の? マルクス、今日は朕と、ここでイチャイチャしてたもれ」
か――可愛い。
その刹那。
マルクスの思考は完全に停止した。
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