第2話 任官


 §


 マルクスは駄々広い部屋にある大きなベッドの端にちょこんと座り、茫然としていた。

 

 埃一つ落ちていない床。

 国旗や絵画が飾られてある石壁。

 部屋を照らす三又の燭台。


 ふと見ると、テーブルの上には新鮮で瑞々みずみずしいフルーツが盛り合わせてあった。

 昨日までとは雲泥の差である。


 なんだこの部屋は。

 田舎出身の地方貴族の若輩である自分にはいかにも不相応だ。

 全く現実感がない。


 宰相。

 国のナンバー2。

 政治に関して言えばトップの権力の持ち主だ。

 様々な決定権を持ち、女王に物申すことすらできる立場である。

 もしも俺が本当にその位に就いているのであれば――この部屋は相応ではあるが。


 とてもそうは思えない。


「どうしてこんなことになった」


 マルクスは一人、頭を抱えた。


 本来なら出世は喜ぶべきことだ。

 しかし、いきなり国の中枢に抜擢されて、一体この先どうすればいいのか。

 

 しかも――女王は稀代の悪女のプリズムミマムである。

 あのような無策無計画の場当たり的な政をするのは命がけであろう。

 いいや、もっと言えば――


 多分、この俺も遅かれ早かれ殺されてしまうだろう。

 あの、哀れな公爵のように。


 こんこん、とノックの音がした。

 マルクスは腰を浮かし、「どうぞ」と言った。


 姿を現したのはピエール卿だった。

 マルクスは体を硬くした。


「ピ、ピエール様」

「楽にしろ」


 咄嗟に傅こうとするマルクスを制して、ピエールは言った。


「大した用事はない。そのまま聞け」

「は、はい」


 マルクスはごくりと喉を鳴らした。


「さて、マルクス。今日の出来事にはさぞ驚いたであろう」

「……はい。正直に言って、戸惑っております。宮殿で宮仕え出来るだけでも恐れ多いのに、いきなり宰相などと――」

「まあ、そうじゃろうの」

「ピエール様。女王陛下は、一体どこまで本気なのでしょうか」

「全て本気じゃ」

「では、私めが宰相というのは」

「国の決定事項じゃ」


 ピエールは当然のように断言する。

 信じられない。

 国の中枢の人事を、あんな場当たり的に決めてよいのか。


「お前には明日から、元老院議員のトップとして会議に参加してもらう。そう言うわけじゃから、お前は畏まる必要はない。お主と儂は同格」

「そ、そういうわけには」

「言ったであろう。陛下の言葉は、国の言葉なのだ」


 ピエールは近くにあった椅子を引き、よいか、と言いながらそこに腰かけた。


「よいか、マルクスよ。この国において、陛下の言葉は絶対なのじゃ。例えそれがどんな内容であろうと、全て正解なんじゃ。我々官吏は、それを実現・実行するのみ」

「で、では……陛下の言葉の吟味や、それについての議論などは行わないのでしょうか」

「行わぬ」


 ぴしゃりと断言する。

 マルクスはまたくらり、とした。


「し、しかし、税制や法律の制定、或いは軍事管制など、国の重要かつ専門的な政務についてはどうするのですか」

「それについては我々元老院が事前に会議をし、ある程度の目安を定めて陛下へ提出する」

「な、なるほど。やはりそうでしたか」


 ホッと胸を撫で下ろす。

 それはそうだ。

 租税や軍備調整など、繊細な国営があの頭の悪そうな陛下に出来るはずもない。


「んで、その数字を陛下が思いっきりいじる」


 だっていうのに、ピエールはそんな言葉を吐いた。

 マルクスは「へあ?」と変な声が出た。


「い、いじるんですか?」

「うん。いっつも、めちゃくちゃイジる。つか、ほとんど全部変える」

「その……陛下には、政務をするための専門的な知識はおありなのでしょうか」

「ない」

「な――ないのに、女王が決めるんですか」

「うん。その時の気分で上げたり下げたり、また上げたり」

「そ、その時の気分次第?」

「そうじゃ。機嫌が良いと無税にして、機嫌が悪いと蜂起が起こるギリギリまで上げる」

「そ、そんな適当なんですか」

「うん」


 禿頭の老人は躊躇いなく頷いた。

 マルクスは絶句した。

 そんな――そんな馬鹿な話があるか。


「そんな馬鹿な話があるか、という顔をしておるな」


 と、ピエールが言った。


「まあ、そうじゃろうの。じゃが、この国は現在、真実そういうやり方で政をこなしておる」

「しかし、それでは民が苦しむのでは」

「平気じゃ。現に今、国は栄えておるじゃろう? 愚民など、女王のために働いて居ればそれで幸福なのじゃ」


 ピエールはほっほと笑った。


 ほっほ、じゃねえよ。

 マルクスは生まれて初めて、心の中でツッコミを入れた。


「お、畏れながら」


 マルクスは頭を垂れ、出来るだけ言葉を選びながら口を開いた。


「畏れながら、申し上げます。私はまだ若輩で不勉強なもので、斯様な口を出すことは憚られるのですが」

「よい。何でも言え。貴様はこの国の宰相。女王に次いでトップなのだ」

「そのような場当たり的な統制では、いずれ破綻するのではないのでしょうか。今はたまたま上手く行っておりますが……きっと行き詰る」

「大丈夫じゃ」


 ピエールは目をぱちくりさせながら言った。

 この顔だ。

 完全に――思考停止してる。


「なぜ、そう言い切れるのでしょうか?」


 マルクスは、半ば呆れながら聞いた。

 するとピエールはとろんとした目つきになり、


「何故? 何故ってそりゃあ――」


 うっとりした顔つきになった。

 それから、上気した顔つきで、中空を見ながら、


「だって、プリズムちゃん、可愛いんだもん」


 と、のたまった。


 その仕草を見て。

 マルクスは確かに、この国の崩壊を見た。


 この国は――直きに滅ぶ。


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