3.扉の前で

 エスカレーターを降りると、二階は、広い廊下になっていた。

 エスカレーターを囲む回廊かいろうのような作りだった。いくつものグループが、銀色の人に案内され、廊下を進んでいる。壁際かべぎわ間接照明かんせつしょうめいが、人々を柔らかく照らし、魚の群れのように彩っていた。

 廊下の両側には、長い壁が続いていた。その壁には、いくつものとびらが並んでいた。


 若者と恋人がいるグループを案内してきた銀色の人は、ある扉の前で止まった。扉には『84番』のルームナンバーが付けられていた。

 銀色の人は、グループの一同に向かって、話しかけた。

 「皆さんには、この84番の扉から、中に入っていただきます。中には別の者がいて、皆さんをご案内します。私の案内は、ここまででございます。短い間でしたが、お付き合いいただき、どうもありがとうございました」

 銀色の人は一礼した。一同は拍手をして、銀色の人をねぎらった。

 銀色の人は、84番の扉を開けた。扉の向こうには、全身を銀色で覆われた人が立っていた。顔も、手のひらも覆いつくされ、肌色の個所がなかった。目鼻の形が分からない。

 全身が銀色の人の肩越しに、部屋の奥がちらりと見えた。なぜか、草原が広がっていた。青い空の下、白い花が風にそよいでいた。


 若者の心は、恐ろしさでいっぱいになった。彼は、恋人の腕を引っ張って、グループから離れた。若者は叫んだ。

 「帰ろう! この建物はおかしい!」

 恋人は、困惑の表情を浮かべた。

 「どうして? あの扉をくぐったら、助かるのに!」

 恋人と若者は、引っ張り合いになった。若者は、恋人を壁に押し付けて、言い聞かせた。

 「いいかい、ぼくは、この建物で何が起きてるのか、確かめてくる。きみはその間ここにいて、動いちゃだめだよ。いいね!」

 「うん……」

 恋人は不満そうな顔をして、うなずいた。


 若者は、通りかかった銀色の人を一人捕まえて、問い詰めた。

 「あんたたちは、どこの誰だ? この建物は、何のためにあるんだ?」

 若者は、銀色の人の体を揺さぶった。だが、妙に手ごたえがなく、力が入らなかった。

 「扉の向こうには、何があるんだ? どうして草原があるんだ? おれたちを連れて行って、いったいどうしようというんだ……」

 銀色の人は、落ち着きはらっていた。その人は、おだやかな口調で返答した。

 「私たちは、あなたがたを助けに来た者です。この建物は、救助のための施設です。扉の向こうには、病気にかかることのない、幸せな世界が……」

 その説明はていねいで、しかし、何も分からないものだった。若者は怒り、銀色の人を突き放した。

 「何がどうなってるんだ、ちゃんと説明のできるやつを出せ!」


 84番の扉の向こうから、全身銀色の人が出てきた。

 若者の疑問に答えるために出てきたのではなかった。全身銀色の人は、グループの一同に向かって、部屋の中へ入るようにうながした。人々は逆らうこともなく、一人また一人と、84番の扉をくぐり、部屋の中へと消えていく。

 壁際かべぎわに待たせていた、恋人の姿が見えない。

 若者は、悲鳴のような叫び声をあげた。恋人の姿を求めて、駆け出そうとした。その肩を、誰かの手がつかみ、引き留めた。若者はいつの間にか、三人の銀色の人に、取り囲まれていた。

 銀色の人は、若者に告げた。

 「あなたは、助けを受け入れる心の状態にないようだ。帰って、冷静になる時間を持ちなさい」

 銀色の三人は、若者を取り押さえ、下りの階段へと引きずっていった。若者は逆らったが、なぜか、体に力が入らなかった。若者は、今度こそ本当に悲鳴をあげた。

 「待ってくれ! 放せ!……放してくれ!」

 若者は、恋人の名前を叫んだ。でも、声が聞こえているのかいないのかも、分からない。


 銀色の三人は、建物の裏口から若者を突き出し、扉を閉めた。若者は、扉を激しく叩き、大声でわめいたが、扉は開かれなかった。

 若者は、気を取り直した。正面玄関は開かれているだろう。行列と一緒に入ればいい。若者は、建物の正面へと急いだ。

 だが、建物の周りを何度回っても、正面玄関は見つからなかった。何度回っても、扉のない壁面だけが、冷たくそびえていた。あれほど大勢いた行列も、影も形もなかった。

 若者はわめき疲れ、走り疲れ、その場に倒れ、気を失った。

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