第57話 信念と感情
スピーカーから響いた総司の絶叫に、全員が身を竦ませる。 泣きじゃくっていた春までが、弾かれたように顔を上げて硬直していた。
残響が収まり、それでもある種のパニックに陥った春たちは何も言えなかった。 肩を大きく上下させる総司を、目を白黒させながら見ている。
『俺が間違ってるんだって……そんなこと分かってるんだよ!』
総司の絶叫が頭の中で渦を巻く。
春の気持ちを知ってほしかった。 知ったからと言って許せはしないのは分かっていて、それでも、それを知ってもらえるだけでも、春の気持ちが少しは救われると。 それだけで、それ以外の気持ちも望みもなかった。
総司が間違っている。──そんなことを思いはしなかったし、思ってほしかったわけでもない。 ましてや、総司をそんな風に責めるつもりなどあるはずがなかった。 それなのに、総司は自分が間違っていると、自分が悪いかのように、それを責められたように心の内を吐き出した。
「無理矢理させようなんて……お前ら全員で考えたことじゃないんだろ?」
混乱し、うろたえるばかりで何もできない七人の視線を受けながら、総司は顔を上げない。 先程の激情が嘘のように力なく、肩を落として俯いている。
「あいつらが悪ノリしただけで……お前らに責任なんかないって……怒りをぶつけるのは筋違いだって……」
──分かってる。 静寂の中でなお消えてしまいそうな総司の呟きに、否定の言葉は出なかった。 いや、誰も否定の言葉さえ出せなかった。
『あいつらが馬鹿なことしなけりゃ……』
総司の断罪を洋介の家で聞いた時に賢也が漏らした言葉。 確かに思いはして、しかしそれは誰であっても変わらなかっただろうと。 まして、自分たちがあんなことを計画して起きたことだ。
誰一人として止めはしなかった。 れっきとした共犯者であり、全員に、全ての責任がある。 総司が嫌悪するのも、怒りを感じるのも、当たり前の話だ。 それが間違っているわけがない。
「杉田たちのことも……許せなくたって……謝るのも許さないなんて違う……」
誰も、何も言えない。 理解できない。 総司がなぜそんな風に思うのか──思えるのかが理解できなかった。
「戸倉だって……本当にいい娘で……俺を喜ばせたかったんだって……だから後悔してるのも……苦しんでるのも……ちゃんと分かってる……」
「総司……くん……」
ようやく、春が声を上げた。 総司がなぜそんな風に考えるのか、考えられるのか──それを春だけは知っている。 理解できなくても知っていた。
言葉は出なかった。 自分が間違っていると、そう思う総司が間違っていると否定したい。 総司に苦しんでほしくない。 総司が苦しむのが間違っている。
しかし、総司の言葉を否定することの意味も、春はよく知っていた。
「止めることだってできた!」
沈黙の中で一人、総司の激白が続く。 総司自身、誰にぶつけているのかも分からない、どんな色なのかも分からないほどに乱れ混ざった感情の奔流は止まらなかった。
「ちゃんと言えば止められた! 嫌だって言って、それであんなことするやつらじゃないって、そんなこと分かってる! それをしないで、全部お前らの責任だなんて……許さないなんて思う俺が間違ってるのは分かってるんだよ!」
垂らされた総司の手が震えていた。 涙を流すその顔が歪む。 握れない拳を握りしめようとするのを抑えきれなかった。
「それでも……許せないんだよ……」
絞り出すようなその声──それは総司が見せた、ごく当たり前の人間らしさ。 感情に捉われ物事を正しく見ることができない、総司が何よりも嫌い、それでも何より人間らしい心。
「あんなことされて……どんな気持ちだったか分かるか? 生き恥晒させられて……間違ってるって分かってても分かりたくなかったんだよ!」
ずっと抱えていた苦しみ──自分の抱えていた矛盾を吐露し、総司は荒く息を吐く。
認めたくなかった。 許せない気持ちが大き過ぎて、それが間違っていると思う自分の心から目を逸し続けてきた。
──公正でいられない自分を見たくなかった。
──春から目を逸らし、洋介たちから目を逸らし、彰たちから目を逸らした。
──いい奴らだったと、そう思うのは仕方なくてもそれ以上を見たくなかった。
いい奴ら
だから感情のまま、心の奥底では悪くないと思っていた洋介たちも拒絶し、否定した。 春と向き合うことも避けていた。 許されようと何かすることも、謝ることも許したくなかった。 それを正当なものと思い込もうとしていた。
久しぶりに登校した日、優太の訴えに感じた苛立ちの正体もそれだ。 公正に見てやろうとすることもできない自分に対して、罵りたいほどの苛立ちを感じていたのだ。
今は許せなくても、公正に見て許せるようなら許すべきだとする総司の信念と、それを許したくなかった感情。
いっそ、全員が悪人だったなら総司もここまで苦しまなかっただろう。 悪意を持って傷付けられたなら、自分の感情を正当なものとできた。
渡部の懸念の通り、何よりも総司の公正さが総司を苦しめていた。
公正でいられないことは春にさせられたことよりも恥晒しなこと──総司自身が春に言ったことだ。 それを犯し続けていた自分を、総司の信念は押し込められた心の片隅からずっと責め続けていた。
それに気付いてしまった。 自覚してしまった。 感情を込めて歌い、その歌詞を噛みしめ──そして春と向かい合った。 自分の卑怯さ、総司がそう思うそれと向かい合ってしまった。
分かってるんだと、そう呟くのが精一杯だった。
もう限界だった。 直視して、自覚して、吐き出して、止まらなかった。 噛み殺すことすらできずに漏れ出した嗚咽を止める堰など存在せず、立ち尽くした総司の号泣がスタジオに響く。
誰も、何も言えなかった。 言葉がなかった。 誰も、何も言えず、また春だけが声を上げていた。
子供のように、苦しみと悲しみを吐き出す総司に釣られるように、春の嗚咽が響く。
そして、それは伝播する。 悲痛な二人の泣き声に、苦しげな声が一つ、二つと重なり、止むことなく広がっていった。
様々な感情が混ざり合い、乱脈を極める場は収まることを知らなかった。 乱れやまぬ感情を止められる者はおらず、溢れ出した悲しみの
田舎の
騒々しくもエネルギーに溢れた道を、しかし二人は俯いたまま、一言も話さずに歩いていた。
前を行く総司の後を、春は十mも距離をおいて、自転車を押している。 真っ赤な目と腫れ上がった目元に、先程までの悲しみの残滓が窺えた。
洋介の家を出てから二十分あまり、総司は声を発することもなかった。 スタジオを出た時のように無言で、春を振り返ることもない。
春も同じだ。 何も言えず、総司の背中を見ることもできず、俯いて歩いている。
総司がどれだけ苦しんでいたか、それを知った。 本当の意味で、総司の苦しみを理解できた。 総司がそれを話してくれたから、初めて総司の内面を理解できた。
総司を傷付けただけではない。 総司を傷付け、そのせいで感じて当たり前の感情が、何よりも総司を苦しめていたのだと、それを知って言える言葉はなかった。
黙々と、ただ歩く。 汗が噴き出すほどの熱気も感じなかった。 寒気すら感じながら、ただ総司に従う。
洋介の家からだと、総司の家まで自転車でのんびり走って三十分程度、徒歩なら一時間は優にかかる距離だ。
この暑さの中、それほどの距離を歩くのは総司の負担にならないかと、そう思いはしても話しかけることもできない。 きた時のように二人乗りで帰ろうと、誘うことなどできなかった。
何もできない。 何も言えない。 総司のために、できることは何でもしてあげたいと思っているのに、春は何も持っていなかった。 離れることすら、総司は許してくれない。
また涙が溢れそうになりながら地面を見つめる春の視界に、総司の足が映る。 突然、足を止めた総司に、春も慌てて足を止めた。
反射的に上げた視界の先で、総司は背を向けたままだ。 春へと振り向いたわけでもなく、様子も変わっていない。
一体どうしたのか──困惑して見つめる春の前で、総司は不意に空を仰ぐとため息を吐き、そうしてなぜか一つ頷いた。
「自転車……乗せてもらってもいいか?」
「……え?──う、うん」
いきなりどうしたのかと固まりかけた春が、わずかに躊躇いながら小走りで総司の隣へと行く。 総司から頼まれたことは、春がしていいことで春ができること。 それを示されたことで、ようやく重い空気が破れ動くことができた。
ただ前を見て自転車に跨がる。 総司の顔は見れなかった。 自分を見て、それだけでまた総司の苦しみがぶり返さないかと、そんな不安が、総司の言葉に応じる他に何もさせない呪縛となって春を縛り付けている。
「……戸倉」
ペダルに足をかけた春が、背後からの声に身を竦ませる。
総司の介護をするようになって、総司と話すようにはなった。 それでも、それは総司が春の手を借りざるを得ない時、最低限のものだ。 雑談などはない。
今、あの出来事の後で、総司に名前を呼ばれた。 何を言われるのかと、緊張で唾を飲み込む春に、総司はぽつりと、短い言葉を溢していた。
「……ごめんな」
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