第55話 愚かな決断

 玄関の前で騒いでいた面々をゆっくりと、不愉快そうに見渡し、総司はため息を吐く。 その後ろの春はおろおろと慌てた様子だ。 対象的な二人だが、状況が分からないのは二人とも同じだった。

 総司に知られたくなかった。 春に知らせたくなかった。 だから、由美は自分たちが相手をするから出てこないでほしいと、何も言わずに春にそう頼んでいた。 春に話して、春に断らせるのが最も確実に男子を思い止まらせる方法だが、できるならそれを選びたくなかった。


「柴谷くん、ごめん。 すぐに帰らせるから柴谷くんは──」

「ちょっと待て! 俺らは──」

「あんたたちは余計なことしないで!」

「じゃあお前らは何してたんだよ!」


 由美の叱責に、しかし賢也は怯まなかった。 逆に憤然と喰ってかかる賢也に、由美は苛立たしさを隠さずにはっきりと言い返す。


「柴谷くんのご飯を作ってただけよ」

「んなこた分かってる! それでよく俺らには余計なことするなとか言えるよなって言ってんだよ!」

「あたしたちは柴谷くんには関わらないようにしてるの! 春に話してもらって、柴谷くんがいいって言ってくれたからしてるのよ!」


 賢也の糾弾にも、由美は後ろめたさは見せず堂々と言い返す。

 実際、由美も梨子もこの二週間、総司と顔を合わせたのはほんの数回だ。 昼前に柴谷家にきて軽めに昼食を作り、そのまま夕食用にしっかりとした食事を用意する。 その間、二人ともキッチンからはほとんど出なかったし、総司も部屋に籠もっていた。


「柴谷くんに迷惑かけないで、それでも春に何かしてあげられないかって、あたしたちだって考えてるの。 なのにあんたたちはもうダメって決めつけてバカなことしようとして──」

「じゃあお前らは春が総司に──」

「うるさいって何度も言わせるなよ」


 また言い争いを始める二人に、呆れ返った総司の声が投げかけられた。 気まずそうな二人の間に微妙な緊張感が漂う。 総司とお互いの間で視線を行き来させるその様には、どう切り出すか、どうやって諦めさせるか、探り合うようにしているその内心が如実に表れていた。

 だが、その沈黙は長くは続かなかった。


「で……何しにきたんだよ?」


 出方を窺っているところにあっさりと総司に切り出され、由美の顔が真っ青になる。


「柴谷くん! お願いだから──」

「どうやって帰らせるんだよ?」


 まだ何とか丸く収めようとする由美だが、総司の静かな疑問に黙り込む。 諦めさせたくて、諦めさせたくなくて、それで必死に言い募ったところで、馬鹿なことを考えた男子をわずかにも翻意させられていない。 いくら間違っていると言葉をぶつけたところで、賢也も洋介も優太も、それを分かった上で決めているのだ。


「帰れって言ったって帰らないんだろ? それでどうするんだよ? いつまでも家の前で騒がれるのも迷惑なんだけど」


 頭を必死に回転させながら、由美は言葉が出なかった。

 時間をかけて話せばまだ男子を翻意させることはできたかも知れない。 難しくとも不可能ではなかったと思う。 しかし、今すぐどうにかすることなど到底、無理な話だ。 焦燥が募るばかりで総司を納得させる答えなど出せなかった。


「何しにきたんだか知らないけど──」

「お願い! バカな話なんて聞く必要ないから! こいつらに帰れって言ってやって! 柴谷くんだってバカなことに関わりたくないでしょ!?」


 由美の懇願に、総司は賢也たちに目を向ける。 三人とも、真っすぐに総司の目を見返している。


「帰れって言ったら帰ってくれるか?」


 帰りはしないだろうと、そう思いながらの総司の問いに、言葉での返答はなかった。 意を決したように息を吐いた賢也は、不意にその場で正座をすると地面にこすり付けるようにして頭を下げた。


「賢也!」


 蒼白になった由美の制止も意味はなかった。 土下座をした賢也が勢いのままに、馬鹿な願いを吐き出していた。


「バカを承知で頼む、総司! 一曲だけ付き合ってくれ!」




 重苦しい沈黙が流れている。 八人も人間がいて、誰も、一言も発しない。 頼みごとをした男子も、それを止めようとした由美と梨子も、一緒に責任を負うことを決めた紗奈も、総司に付き従ってきた春も、何も言えず無言で総司を見ていた。──同じように無言の、馬鹿な頼みごとを承諾した・・・・総司のことを。


 洋介の家のスタジオの中央で、スタンドマイクの前に立つ総司も全員の視線を受けながら無言でいる。 以前に収録をした時のように発声練習をしたりもしない。 しかし、その雰囲気には他の七人ほどの重苦しさはなかった。 むしろどこか清々とした気持ちですらいる。


──一曲付き合ってほしい──


 ふざけていると思われて当然で、断られて当たり前で、そのまま絶交されるのが普通だと、頼んだ賢也も一緒にそれをすることを決めた洋介と優太も思っていた。 もしも引き受けてくれるとして、どれだけの言葉を尽くし、気持ちを尽くせばいいのかなど想像も付かなかった。 女子たちも総司が受け入れるなどと思っていなかったし、だからこそ由美は意味のないことをさせたくなかった。


 しかし、総司は少し考えただけでそれを受け入れた。 あまりにもあっさりと、不快さも見せずに受け入れた総司に、全員が呆気に取られ、信じられない思いに困惑を隠せなかった。


──ずっと何もできずにいるから気分転換にちょうどいい──


 面倒くさそうにしながらそう言う総司に、しかし頼みを受け入れてもらった賢也たちも素直に喜びはしなかった。 以前の関係ならばあり得たことだが、今の関係で、総司の心境で、そんなことを抵抗なく、何もなしに受け入れるはずがないと、それくらいは理解していた。

 そして、それは正しかった。


「確認しておくけど──」


 覚悟はしていた。 それで当然と思っていた。 それでも重苦しい気分に沈む三人に、総司は改めて突き付ける。


「これっきり、もう二度と関わらないからな」

「……分かってる」


『そんなバカなことを頼みにくるんだからそれくらいは覚悟してるんだろ?』


 困惑する賢也たちに総司が静かに言い放った言葉。 もう二度と関わらなくて済むなら最後に一度だけ付き合ってやると、その言葉に賢也たちは頷いていた。 頼みに行った時点で、それは当たり前のこととして覚悟をしていた。

 総司の念押しに、三人は変わらず、当然のように頷く。 真剣な面持ちの三人に、総司は内心で馬鹿馬鹿しいと、そう感じていた。


 六人のやり取りを総司も途中から、断片的にだが聞いていた。 玄関先で騒がれて気にならないわけがない。


──春の気持ちを少しでも分かってほしい──


 賢也のその言葉から、何を考えてこんなことを頼みにきたのか想像は付いた。


「歌で気持ちを伝えようとか……単純過ぎだろ」


 どうでもいいと思った。 馬鹿馬鹿しくて、わざわざ言うつもりもなかった。 それでも、思わずこぼれた総司の内心に春が俯く。

 男子が春のために行動を起こしたと、それは春も総司と一緒に聞いていた。 春が頼んだわけではない。 それでも、春のために起こされたことで総司を不快にさせてしまったと、気に病まずにはいられなかった。


 総司の言葉に俯いたのは男子たちも同じだ。 単純で、上手くいくとはとても言い切れない、そんな馬鹿馬鹿しい思い付き。──そんなことは分かっていた。

 それでも、自分たちが総司に許してもらえる、もはや潰えた可能性を捨て、ほんのわずかな可能性でも総司に春の気持ちを伝えられればと、そうして決めたこと。


 届くと、賢也はそう信じていた。

 洋介が宇宙部に上げた動画に付いたコメントは、歌い手の感情の込め方がすごいと絶賛する声が多かった。 それは洋介と賢也が肌で実感していたことだ。

 カラオケの時もすごいと感じた。 だが、生演奏での総司の歌はその比ではない。 演奏しながら鳥肌が立つのを抑えられなかった。


 それほどに感情を込めて歌う総司ならきっと感じてくれると、そう思った。──以前のように歌ってくれさえすれば。

 今の総司が以前のように歌ってくれるかどうか、それが何より問題だった。 気分が乗るわけもないところに、頼みに頼んで無理矢理に引っ張り出したならなおさらだ。

 幸い、二度と関わらない約束と引き換えとは言え、総司はすんなりと付き合ってくれたわけだが、事前にはその心配があった。 そして気分が乗るかどうか、感情が込められるかどうか、懸念はまだ消えたわけではない。


 できることはこの二週間でやった。 やり尽くした。 最も努力したのは、ドラムセットの前に緊張した面持ちで座る優太だ。

 総司の気分を少しでも乗らせるため、演奏の質を高めるために、触れたこともないドラムでの参加を頼まれ、それからは毎日、練習に明け暮れた。

 洋介と家が近い幼馴染なだけに、家人に何を言われることもなく何日も泊まり込んで、朝から晩まで必死でドラムを叩いた。 さほど激しい曲でなく、初心者向けに編曲アレンジされた楽譜を使ったとは言え、短い時間でしっかりと演奏できるようになったのはその努力の賜物だ。


 楽器のチューニングはすでに済んでいる。 最後に確認するようにギター軽く鳴らすと、洋介が頷いて総司に近寄りスマホを取り出す。

 選んだ曲はボーカルからスタートする、歌い出しが分かりづらい曲だ。 カラオケの採点モードのように歌い出しが分かりやすいようにした動画にピアノとキーボードの演奏を合わせて用意していた。

 スタンドマイクに固定していたアームにスマホをセットし、画面に曲名が映し出される。

 


 総司の表情が変わった。



「……総司くん?」


 不愉快そうなのはいつものこと。 しかし、ただ不愉快なだけではない。 まるで見たくないものを見せられたような苦々しさが、総司の顔に浮かんでいた。


「……さっさと終わりにするぞ」


 総司が決めたことに対して、春は異を唱えるつもりはなかった。 総司が決めたなら従うと、そう決めている。

 しかし、いつもと違う総司の様子に、止めた方がいいのではないかと迷う春の前で総司は告げる。

 始めるではなく、終わりにすると。


「……バカ」


 顔を押さえて俯く由美の漏らした呟きも、もう力がなかった。

 男子たちが頷き、最後のセッションが始まる。

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