第51話 諦めと希望

 茹だるような部屋の暑さを和らげようと、エアコンが必死に冷たい風を吹き出している。 普通にしていれば気にも止めないその小さな音が、今の三人には嫌に耳に付いた。

 洋介の家のいつものスタジオ──爆音を掻き鳴らすための空間はいつかのように静まり返っていた。

 総司の本音をみんなで聞いたあの時よりも人数が少ないこともある。 しかしそれ以上に、これだけしか集まれなかった現実が示す重さが、総司との関係が壊れてしまったことを知ったあの日のように全員の心にのし掛かっていた。


 総司が野上を殴った日から四日が過ぎた。

 事件の翌日に総司と春、それに当日に聴取された八人が確認のための再聴取を受け、翌日に野上が聴取された。

 野上も他の人間が話した内容を否定せずに認め、全員から聞き取りをした内容を精査したところ、おかしな点は認められなかった。 全員が真実をありのままに語ったのだから当然だ。


 野上を含めた三年生三人が納得したかはおいて、生徒たちの処分は概ね渡部が総司と春に話した内容で決定された。

 総司が五日、春たち七人は三日間の停学処分。 これは渡部が話した内容そのままだ。

 野上たちは鍵を盗んだ件について、野上が実行犯だが木村と遠野も共犯として処分を受けることになった。 遠野は十日、木村は十五日、野上は二十日と、総司たちと比べれば大分重い処分になる。


 実際に処分を受けるのは夏休み明けになるが、各家庭に報告はすでにされている。 それに対する対応は様々だ。

 乱交をしていたことまでは暴露していないため、男子で彰たちほど激しい怒りは買った人間は誰もいなかった。 あまりやんちゃするな、女を傷付けるような真似はするなと、そんな風に説教を受けたくらいだ。

 親たちも子供と同じ年頃の時には似たようなことをしていた。 今となっては子供にそれを許していいわけではないと思っていても、特に男親は寛容になりがちだ。

 だから三人──洋介と賢也と優太はこうして集まれた。


『話したいことがあるから集まれないか?』


 昨夜、Wireのグループトークで賢也がそう呼び掛けたのに対して、応えたのは洋介と優太、それに梨子だけだった。 メッセージのやり取りに付いた既読は三人。 由美と紗奈、メッセージを返さなかった二人分の既読が付かなかった。

 梨子は親に叱られはしたものの、水商売の母親はその辺の意識がゆるいのかそこまできつく叱られはしなかったようだ。 スマホを取り上げられるようなことはなく、Wireでの話にも参加ができた。

 ただ、しばらくは家にいるようにと言われているから参加はできないと、ここにくることはなかった。 


 由美と紗奈の状況は全く分からない。 しかしWireの既読も付かないとなると、スマホを取り上げられて謹慎状態だろうと想像はつく。

 今後、自分たちの関係がどうなるか──彰たちのようになりはしないかと、また壊れてしまうのかと、そんな不安が三人の胸中からは拭えない。


 そうして黙り込んでしまっていた三人だが、いつまでもこうしていたところでどうにもならないと、洋介が口を開く。


「それで……話したいことって何なんだ?」


 率直に切り出され、しかし賢也は言いづらそうに口ごもる。 話をするために集まりたいと言い出したのは賢也だ。 それなのに唸るような声を出すばかりで、一向に口に出そうとはしない。

 一体どんな話をするつもりなのかと顔を見合わせる二人の前で、しばし悩んだ末にようやく覚悟が固まったか、賢也は一つ息を吐くとおもむろに切り出した。


「総司に許してもらうのさ……諦めないか?」


 友人の口から飛び出た信じがたい言葉に、洋介と優太は目を剥いていた。 ついさっきまで、三人を包んでいた静けさよりもなお重い沈黙が場を支配する。


「おまっ……何言ってんだよ!」


 突然の衝撃から立ち直り、優太が立ち上がると大声を上げる。


「総司に許してもらえるようがんばろうって、みんなで決めただろ!? それを──」

「できると思うか?」


 激昂した優太が賢也の一言で黙り込む。 総司に許してもらえるのが遠ざかった──それは優太も感じていたことだ。


「野上先輩のことでさ……もう俺たちのこと、軽蔑しきってるだろ。 そんな相手と仲直りしたいなんて……」

「じゃあ……お前は総司を傷付けたままでいいって言うのかよ!? そんなこと忘れて楽しく過ごそうって言うのか!?」

「忘れられるわけないだろ!」


 優太の言葉に賢也も堪らず立ち上がり大声で言い返していた。

 賢也にそんなつもりはなかった。 あまりな優太の言葉に昂奮し息を荒くする賢也のその表情に、賢也もそんなつもりではなく苦しんでいることを理解し、優太は若干の後悔を感じながら小さく謝る。


「……ごめん」

「いや……俺も悪かった」


 賢也もばつが悪そうに謝りながら腰を下ろすと、うつ向いたままで小さく胸の内を打ち明ける。


「……あんなに総司のこと傷付けて、何もしないで忘れるなんてできるわけないだろ。 だけど、もう無理だって思う」


 仲直りしたい、総司に許してもらいたい、それは賢也にとっても切な願いだ。 傷付けたまま総司と完全に決別することになれば、それは一生、心に棘として残る。 人を深く傷付けて、許されることも償うこともなしにそれを忘れ、楽しく過ごせるような下劣さは持っていなかった。

 それでも、最早その願いは叶わないだろうと諦めを以て吐き出された言葉に、洋介も優太も気持ちは理解しても納得はできなかった。


「でもさ……春のことだけでも何とかしてやりたくないか?」


 諦めてどうする、そう反駁しようとした二人が揃って口を閉じていた。

 総司を最も傷付け、総司に最も嫌われ、総司に最も軽蔑され、総司の最も近くにいて──総司を誰よりも好きでいる。 今回のことで一番つらい思いをしているのは春だと、そんなことはみんな、この場にいない女子たちも分かっていることだ。


「あいつ、総司のことを本気で好きなのにこんなことになってさ……俺たち全員で考えたことなのにあいつだけつらすぎだろ」


 総司に無理強いしようと全員で決めたわけではない。 そうしてしまった春や彰たちにはやはり責任があるが、それでも責任は全員が負うべきものだ。

 何とかしてやりたいと、それは洋介も優太も思っていたことだ。


「だったらなおさら、総司のことを諦めるわけにいかないだろ。 俺らも総司が少しでも早く立ち直れるように──」

「それが無理だと思うから諦めないかって言ったんだよ」

「諦めたらそこで終わりだろ。 俺は諦めたくない。 諦めるなら賢也一人で──」

「ちょっと待て、優太」


 二人のやり取りを聞いていた洋介が、何かに気付いたように優太を制止する。 その顔には何かを考え込むように、怪訝な思いがはっきりと浮かんでいた。


「総司のことを諦めるのと春を何とかしてやりたいって話……関係があるのか?」


 賢也は諦めると決めてそれをただ宣言したわけではない。 諦めないかと、相談するようにというよりもむしろ『一緒に諦めよう』と誘うようにそう言った。 そして、それに繋げるように春の状況を何とかしてやりたいと口にした。 何か関係があると、そう考えるしかない。

 洋介の疑問を肯定するように賢也は頷き、二人をまっすぐ見る。


「思い付いたことがあるんだけど……上手く伝わるかも分からないし、総司のことを多分もっと怒らせる。 絶交されるかも知れない」

「……総司をまた傷付けるつもりか?」

「違う! 傷付きはしないと思う。 ただいい気はしないだろうし、仲直りなんかできなくなると思う……でもそんなの今さらだろ? だったらいっそ諦めて一緒にやってくれないかって……俺一人じゃできないことなんだよ」


 深刻そうな賢也の訴えに、洋介と優太は互いに顔を見合わせていた。

 総司のことを諦めたくはない。 しかし、このまま卒業まで時間をかけても、総司に許してもらえるか、仲直りができるかは分からない。 ただ、その可能性が今回の事件でより低くなったのは確かだ。

 そして総司に許されるまでの間、許されるかどうかも分からないまま、春は総司のそばにいることになる。 今までよりもさらに軽蔑され、嫌われたまま、総司のそばでずっと苦しむことになる。

 それならば、自分たちは総司のことを諦めて春のために何かしてやれないかと、賢也はそう言っているのだ。


「……一体何を思い付いたんだ?」


 思い付いたことが何なのか、本当に春のためになるのか、総司を傷付けたりしないか──どんなことをするのか聞かずに同意はできない。

 疑念の混じった洋介と優太の視線を受けながら、賢也はゆっくりと口を開き思い付いた内容を二人に打ち明ける。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る