第50話 新たな問題
総司は今、どうしようもないまでの気まずさに頭を悩ませていた。 それは春も同様だ。 同居を始めてすでに半月ほど経つが、その間でこれほどの気まずさを感じたことはなかった。
何か言えば変な空気になりそうで、二人はまるで貝のように口を閉じて黙り込んでいた。 もはや手の着けようもないほどに変な空気ではあるのだが、二人ともそれに気付ける余裕などない。
端から見たなら、お互いに初めての恋人同士が緊張のあまり何も言えなくなっているようにしか見えない状況だ。
春が総司の介護をする。 その上での大きな問題は二点あった。
まずはトイレの問題。 普通にするなら色々と見られてしまい、その相手が同級生女子となると仕方のないこととは言え恥ずかしさで死にたくなる。
そこは見ないようにがんばると、春が目を瞑りながら脱がせ、ウォシュレットも使って流した後に同じように目を瞑って戻してもらうと、それで何とかなった。 水分を拭き取ってもらうのは頼むしかなくそれだけでも相当に恥ずかしいが、それでも今の状況と比べれば幾分は我慢できる。
そもそもこの状況になる前に言うべきことだ。 しかし、これ自体は完全に日常と化してしまっていて、今までとは違うことになるのを失念していた。
気まずさのレベルが違い過ぎて、二人とも動けず、沈黙を破ることができない。 だが、いつまでもこうしているわけにもいかなかった。 総司は覚悟を決めると、背後の春に声をかける。
「……前から言いたかったことなんだけどな」
「う、うん……」
「この状況って、普通に考えてまずいのは分かるよな?」
「そう……だよね」
「俺が戸倉を無視するって決めてたから言えないのも分かってたよな?」
「それは……うん」
頷く春に、総司は安心を覚えて心の中で胸を撫で下ろしていた。 ひょっとすると理解していないのではないか、そのレベルで常識が違うのではないかと、そう心配したことはどうやら杞憂で済んだようだ。 話が通じなかったらどうしようかという不安さえ覚えるほどに、今までの春の行動はあり得ないものだった。
しかし、そうすると逆に苛立ちが湧いてくる。 分かっているなら察しろと、何かしらの対応を考えろと、そんな思いにため息を吐くと、それはもう言いたくて仕方なかったことを総司はぶつけていた。
「だったらさ……水着くらい用意しようとか考えるだろ、普通」
浴室の洗い場で全裸で立ち尽くしながら、背後で同じく裸で立っている春に苦々しげに言うと、総司はある種の爽快感を覚えていた。──ようやく言ってやれたと。
春は一応全裸ではない。 腰と胸にタオルを巻いて、肝心な──もとい大事な部分を隠してはいる。 ただし、それが扇情的でないかと言えば決してそんなことはなく、上も下も、特に相当な発育具合を見せる胸に巻き付けたタオルは結び目もギリギリで、いつ外れてしまってもおかしくない、ある種の趣のある状況だ。
健全な男子であったならば、あるいはある意味で不健全な男子であったならば、格好付けて見せたとしても内心では大喜びな状況だ。 だが、今の総司がそれを、少なくとも春が相手で喜ぶわけがない。 今、総司にとって喜ばしいことは、ずっと言えなかったことを何を憚る事もなく言えるという自由に他ならない。
「今は仕方ない。 だけどな、もう今さらなんだけど……普通なら一緒に風呂に入るなんて考えないだろ? それも隠しもしないで」
今は仕方ない。 一人では風呂に入ることもできないし、この季節に一日くらい入らないでもいいか、などとできるはずもない。
今日は特にそうだ。 暑さは当然のこと、骨折の処置をされるまで、激痛に脂汗が止まらずシャツが絞れるほどになっていた。 最低限シャワーで流さないことには気持ち悪くてどうにもならない。 だからこうして、一緒に風呂に入るのは介護の一環として半分諦めながら受け入れた。
しかしだ。 今までもそうだったし今もそうだが、なぜせめて水着を着るとかそういった気遣いを見せないのかと、総司は言わずにいられなかった。
昨日までは総司もできれば水着を着たいと思っていた。 春を空気と思うと決めていなければ、自宅で風呂に入るのに水着を着るのが不自然でなければそうしていたに決まっている。 タオルを使うのは本当に、総司としては苦肉の策でしかなかった。
今は水着を着るのはある理由から問題があり、総司はやむなく全裸でいる。
総司に改めて言われたことで、春も自分のしていることがどういうことなのか、それを強く意識させられ顔を赤くして俯いてしまう。
恥ずかしくないわけでは決してなかった。 逃げたいくらいに恥ずかしかった。 それに、総司は嫌がるだろうと悩みもした。
それを推して総司と入浴したのは春なりの理由があり、気まずさと恥ずかしさに耐えながら春は口を開く。
「えっとね……総司くんのそばにいないといけないって思ってたし……総司くんが本当に嫌だったらドアを閉めて入れないようにされると思ったんだけど……総司くん……あたしが入るの待ってるみたいにしてたから」
待ってるわけがないだろう。──怒りとともに喉まで出かかった言葉を総司は飲み込む。 確かに、ドアを開けたまま閉める素振りも見せずにいたのだからそう思われても仕方ない。
「……せめて水着くらい着てくれよ。 持ってるだろ? 持ってきてなくても家に行けばあるよな?」
学校の授業には水泳がなかった。 少人数でプールを使うのは予算の関係で難しいのだろう。 だがこんな田舎だ。 夏場の遊びとして川で泳いだり、それくらいはしていておかしくない。
しかし、総司の質問になぜか春は顔を赤くしてもじもじと指を絡めさせている。
「その……水着はね……去年は一昨年の着てたんだけど今年はちょっと着れなくなってて……今年は買いに行こうと思ってたんだけど……」
言いにくそうにする春に、総司は頭の中で疑問符を浮かべるが、言わんとすることを察するのにさほどの時間はかからなかった。 成長してサイズが合わなくなったと、そういうことだろうと。 そして一五〇cmちょっとと小柄な春なら、成長したのは身長の話ではなく別の部位の話に違いない。
「分か──」
「その……おっぱいがね……去年はCだったのに今年はEでもきつくなってきてて……」
具体的に聞きたくなくて遮ろうとした総司だが、それよりも先に春に具体的にぶちまけられ顔を赤くしていた。
「去年は81cmだったのに今年は88cmになってて……最近またブラがきついから今は──」
「……そこまで具体的な話はいらないだろ」
胸が大きくなった──その一言で済むことに余計な情報を付け足され、膨れ上がった気まずさに総司は下を向く。 自然と目に入ってきた自分の分身には何の変化もない。 そのことに思わずため息を吐いてしまう。
春とセックスをしたいとは思わない。 そんなことを到底思えないようなことを今までしてきたのを知ってしまっている。 しかし、春とこうした状況になって興奮することがあり得なかったかと言えば、それはノーとはっきり言える。
AV女優や風俗嬢を性行為の相手として嫌悪したとして、その裸や行為を見れば興奮を覚えてしまうのは男の性だ。 行為をしたくないと思っても、そんな考えとは関係なく反応はしてしまう。 心の影響は体に現れるが、心が体を全て支配するわけではない。
もしもあの事件が起こらず、入浴中に春が入ってきてこんな状況になっていたとしたら、春としたいとは思わなくても反応はしてしまっていた。 それは総司も否定できない。
しかし、今はそんな兆候は全くない。
心が体を支配している。 吐き気も、静かなままの分身も、それを如実に思い知らせてくる。 体を支配してしまうほどに心の傷は大きい。
それでもだ。 春と裸でいる状況や胸が成長している話を聞かされて何も感じないわけではない。 興奮はなくても変な、微妙な心持ちにはさせられる。
「その……ごめんなさい」
総司をまた怒らせたかと、項垂れながら謝る春に総司はまたため息を吐く。 春と話しているとため息しか出てこない。
今までの感覚が違いすぎた。──自覚をして、それでもまだ噛み合わない部分が多いことを噛み締め、総司は顔を上げる。
「明日、おばさんに水着買いに連れてってもらうようお願いしてくれ」
「うん。 後で電話しておく……ごめんね」
これからは自分の考えを伝えられる。 それで少しずつ変わっていくことを期待するしかない。 期待半分、諦め半分に内心で独り言ち、総司は椅子に腰を下ろす。
とにかく問題は一つ片付いた。 今日一日だけ我慢すれば多少はましになる。 ましになるだけで、これからされることの気まずさは何も変わらないが、それだけになおさら、余計な気まずさを感じないようにはしたい。
何も感じないようにしよう。 無念無想、無我の境地、自分は石、何も考えないし感じない。──無理なことと分かりながら、必死に思い込むようにして、総司は覚悟を決める。
「それじゃ頼むな」
「う、うん」
三十分後──裸の同級生女子に一部を除いた全身を隈無く洗われるという、状況が違えば天国のような精神的苦行を終え、リビングでぐったりする総司の姿があった。
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総司が洗われるシーンは書くと長くなる上に物語上不要なので省略しました。
………………書きたかったなぁ。
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