第47話 渡部の思惑

 なぜそんなことをと、それがどうしたら総司を守ることに繋がるのかと、そんな疑問にしばし沈んでいた総司が口を開こうとした時、ちょうど渡部の車は総司の家に到着した。

 暑いから中でゆっくり話そうと、そんな渡部の提案に三人は柴谷家に入り、リビングで向かい合っている。

 エアコンを付けたばかりで部屋はまだ涼しいとは言えない。 春が差し出した氷たっぷりの冷えた麦茶のコップも、敷いたコースターに染みができるほどに水滴を滴らせていた。

 部屋の暑さと自身の冷たさを同時に主張するコップを手に取ると、渡部は半分ほど一気に呷る。 気温のせいだけでない、体の中の不快な熱を冷ましたかった。


「まず心配なのは野上が嘘をついた時だ」


 文字通りに一息吐くと、渡部はおもむろに口を開き、途中になっていた説明を始める。


「今回の件で一番明白なのは柴谷、お前が野上を殴ったってことで、野上の行為には確かな証拠がない」


 野上と総司、それぞれの怪我に加え、木村と遠野の証言があれば暴行罪、負傷の程度によっては傷害罪が明白に成立する。

 対して野上の行為には明白な証拠がない。 春が訴え、洋介たちが証言したとして、しかし野上が春に強要しようとしていた物的証拠は何もない。 鍵を盗み出し二年生の教室にきた目的は何だったのかと、それは傍証となり得るがあくまで状況証拠の一つだ。


「だからな、お前が殴ったことに正当性を与えるには野上にそういうつもりじゃなかったとしてもそれをしていたと認めさせる必要がある」

「それと須原たちが自分たちのことをばらしたのがどう関係するんですか?」

「ただ野上が悪かったって言ったらお前のことを庇って嘘をついたと思われるかも知れない。 だが、野上が悪かったが原因が自分たちの過ちにあったと、そう打ち明けて擁護もしてるとしたらどうだ? 話の信憑性が増すだろ?」


 渡部の言葉の意味をしばし頭の中で考え、そういうことかと総司は納得する。 自分たちの罪を明かしての証言となれば確かに信憑性は高くなる。 況してや話している内容は事実以外の何物でもない。

 そして、実際に学校側は洋介たちの話をまず間違いのないことだろうとしている。 だからこそ、当事者たちの話を聞く前から処分の方向性を決めているわけだ。

 確認のために当事者への聞き取りは行われるが、仮に野上が自分の行為を否定するならば相当に整合性の取れた嘘をつかないとならない。


「それに、須原たちが自分たちがしてたことを明かして、それで野上が勘違いしてしまった、それに自分たちにやましいこともあったからすぐに止めることができなかった──そう申し出て処分が軽くなるなら野上だって受け入れやすいし、お前のことを逆恨みするような心配も減るだろう? 確実とは言えんがな。 お前を守るためにってのはそういう意味もあるんだよ」


 総司を犯罪者にしないためだけでなく、野上が総司に危害を及ぼす行動に出ることを防ぐ。 二重の意味で総司を守ろうとしたのだという渡部の説明に、総司は納得はして頷いていた。 確かにそうした心配はあり得ることだし、洋介たちの行動でそれが軽減されるのは確かだ。 しかし、腑に落ちないこともあった。


「先生……」

「何だ?」

「それ、須原たちが考えたんじゃないですよね?」


 これだけのことを子供が、それもあれだけの騒動の直後で混乱してる中で考えられるとはとても思えない。

 総司の確信の籠った質問に、渡部は苦笑を返して肯定する。


「学校側で聞き取りをする前にな、混乱してるだろうし落ち着いて聞き取りもできなさそうだからまずは落ち着かせるっつって俺があいつらの話を聞いたんだ」


 うちのクラスの生徒が大半だからって言ったらすんなり認められてな──そう状況を説明しながら、渡部はまた麦茶をあおる。 


「で、あいつらに柴谷が自分たちのせいで大変なことになったから何とかできないかって相談されてな。 自分たちも傷付く覚悟があるならこうしてみろとは言ったが選んだのはあいつらだ」


 総司を守るために、隠しておきたかった自分たちがしてきた恥ずべきことを隠すのをやめた。 それをしたからと言って誉められることではない。 むしろそれをしなかったら最低な人間だ。

 それでも最低な道は選ばなかった。 総司を守るために自分たちの汚さをさらけ出すことを厭わなかった。 それは総司を守りたいという気持ちが確かなものだと、それをしっかりと示していた。


「戸倉はな、今回の件でお前のことを黙っているわけにはいかない。 だから話をさせた」

「はい……あたしが悪かったから当然です」


 当然のことだと、春は神妙な顔で頷いていた。 そんな春に、渡部は気まずそうな顔で頭を掻く。

 総司を守るためにそうさせた。 それは確かだが、同時に渡部にはそれ以外の目論みもあった。 しかし、これをどうするか、どうなるかは渡部が決めることではない。 だからそこまでは渡部も話さない。


「ああ、それと木村と遠野に関してだが、あいつらは鍵については野上が盗んできてたから知らないって言ってる。 処分は野上に確認してからになるな。 遠野は不純異性交遊で三日の停学処分は決まりだが木村には問題がもう一つある」

「これのことですよね?」


 テーピングで固定された左手を見せる総司に、渡部はゆっくりと頷く。


「お前に怪我をさせたんだ。 処分は当然、遠野よりも重くなる。──木村を訴えないことは柴谷にも頼みたいんだが、それとは別に木村の処分を軽くするように協力してもらえないか?」

「それも俺のためってことですか?」

「あまり処分が重いと野上と木村が結託してお前に何かするかも知れない……一人なら思い止まったことを二人ならって心配はあるからな」


 逆恨みにもほどがある。 とは言え、総司も自分の行動が軽率だったと、それは理解していた。


「……あの先輩たちは須原たちの話を認めてるんですか?」

「認めてなかったら仮にとは言えこんなに早くに処分を決められるわけないだろ? 野上ももう嘘をついて否定するのは無理だ」

「よくすんなり認めましたね」


 総司から見て、先輩三人に対する印象は最悪だ。 どんな人間かは知らないが処分を逃れようと嘘を吐くくらい平然とすると思っていた。

 意外に思う総司に、渡部は人の悪そうな笑みを総司に向ける。


「まあ責任逃れで嘘を吐くのは構わんが、もしもそれがばれたら反省の色なしってことで処分は重くなるぞって教えてやったからな」

「それ……脅迫じゃないんですか?」

「人聞きが悪いな。 本当のことを言えって当たり前のことを言ってるだけだぞ」


 不当に誰かを悪者にしたり庇おうとしているのではない。 本当のことを話せと、それの何が悪いんだと、渡部の表情は雄弁に語っていた。

 それは正しいと総司も思う。 許せないことをしていた野上だが、野上一人が重い罪を背負うならそれは不公正だと思わざるを得ない。 洋介たちも含め、適正な処罰を受けるのであれば公正な結果と言えるだろう。

 その内心はどうあれ、認めて処罰も受けるのであれば総司としても事を荒立てる気はない。


「分かりましたよ。 先輩に怪我をさせるつもりはなかったと思うし重い処分は望まないと、そう言います」

「頼む。 お前から申し出があれば木村もお前を恨んだりはしないだろう」


 残った麦茶を飲み干すと、渡部はソファから腰を上げる。 話はこれで終わりということだろう。

 総司と春も立ち上がり、玄関に向かう渡部を見送りに行く。


「野上は明日退院だから聞き取りは明後日になる。 お前らは明日の10時頃に学校にきてほしいんだが迎えにくるか?」

「父さんは仕事だから戸倉のお母さんにお願いしてみますよ。 戸倉にも聞き取りはあるんでしょう?」


 渡部は軽く頷くとまた明日な、とそう声をかけて総司と春に背を向ける。 扉を開けようとして、渡部は一瞬だけ動きを止めた。

 総司に言おうか、悩んでいることがある。 だが、以前に感じた総司の異常さ、総司を苦しめている原因が想像の通りなら、それを言えば総司をさらに苦しめることになるだろう。

 その思いに、渡部は結局その言葉を口に出すことを思い止まった。 じゃあなと、軽い別れの言葉だけを残して、総司の家には総司と春だけが残された。

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