第44話 衝撃
春も、洋介たち六人も、全員が顔から血の気を引かせて凍り付いていた。 日常的なことではないから意識もしていなかった。 しかし、今となってはそんなどうでもいい話というわけにはいかない。 総司には知られたくないこと──春にとっては特にそうだ。
話をやめさせて、外に行って説明できるだけでもしなければまずい。
「先輩……それはちょっと──」
「ああ、分かってるよ。 お前らだって適当にカップルんなってやりまくるんだろ?」
「いや……そうじゃないんです。 そういう話はちょっと──」
「んなしぶんなよ。 女が少ないのは俺らと同じだからあぶれるやつもいるし、そこに貸してくれっつってもいい気はしねぇだろうけどさ。 ま、そこを頼むよ」
まともに話も聞かず、野上は洋介の肩を叩くと脇をすり抜け、座ったまま固まる女子たちに近付く。 突然やってきた最悪の事態に、混乱しきって誰も声も上げられない。
「何だ? 戸倉以外みんな髪切ってんのか。 イメージ変わってちょっと新鮮だな」
値踏みするように女子を眺めながら、男子も女子も揃って髪を切ってることに理由があるなどと考えもしない。 野上はよく言えば鷹揚と言えなくもないが、はっきり言ってしまえば無神経で鈍感だ。
「早瀬は俺らの相手はしてくんないんだよな。 じゃっ、松永と井口と戸倉、よろしくな」
事前に示し合っていたのか、野上と一緒にきていた二人、木村と遠野がそれぞれ由美と紗奈に声をかける。
そんなことをするつもりは二人には当然ないが、混乱と、何よりも春と総司のことが気になってはっきりとした態度が取れなかった。 先輩男子と春、そして総司に狼狽しながら視線を向けるばかりだ。
男子も先輩に対してどう出るべきか、止めなくてはならないのは分かっているのに混乱してどうにもならない。
春はうつ向いて身を強ばらせている。 立っている野上からは春の表情は見えていない。 混乱と焦燥と、絶望に彩られたその顔を、春は上げることができなかった。
「そんじゃ、久しぶりだけど頼むな。 あいつらに悪いからすぐにすませるけどちゃんと気持ちよくしてやっからさ」
珍しいことでもない、おかしなことなどと微塵も思わない態度の野上に、春は声が出なかった。 顔をわずかに動かすことも、隣の席の総司を横目で見ることもできない。 恐ろしくてできなかった。
「ほら、鍵もこっそり借りてきたからよ。 適当なとこでさっさと楽しもうぜ」
職員室からこっそり借りて、つまりは盗んできた鍵を指に引っかけて回しながら、野上はどこがいいかと呟いている。
「あんま長いこと借りてるとバレるしな。 さっさと行こうぜ」
校内の鍵の管理が甘いとは言え、教師も終業式のこの日に点検もしそうにない場所を選んできたとは言え、長時間借りていてはバレる危険性は高まる。
少し急いたように野上が春の腕をつかみ立たせようとすると、春の体はようやく硬直が解けたようにビクッと震えて野上の腕に抵抗していた。
「……どしたよ?」
「あ……あの! あたし……そういうのはもう……」
胸が潰れそうな息苦しさに何とか拒絶の言葉を絞り出す春に、野上は一瞬きょとんとした顔を浮かべ、すぐににやけた顔で笑み崩れる。
「何だよ。 男をじらすのも覚えたのか? まあそういうのもいいけど今は時間がないんだからまた今度な」
春の態度を男を煽る媚態と決めつけると、春を強引に立たせる。
「ちが……違うん……です」
「分かった分かった。 じゃあ俺らは書庫で──お前らも好きなとこ選びな」
仲間に残りの鍵を投げると、野上は春を引きずるようにして教室から出ていこうとする。
「まっ……違う──」
必死に抵抗しないといけない。 それなのに、春は体に力が入らなかった。 総司に知られてしまった絶望感があまりに大きすぎた。
小柄な春の力ない抵抗は、野上にとっては抵抗して
ようやく、男子たちも混乱してる場合でも、先輩だからと気を遣ってる場合でもないと、声を上げて止めようとした。 実際にことに及ぶまでにはさすがに気付くだろうが、その手前であっても許すわけにはいかない。
しかし、誰かが声を上げる前に野上は足を止めていた。 腕を捕まれ、何事かと振り返りその手の主を確認する。
「そうじ……くん?」
春も洋介たちも、全員がその手の主──総司のことを呆然と見ていた。
総司を見て、見知らぬ顔に野上は一瞬、首をひねっていた。 しかしすぐに気付き納得したような声を上げる。
「ああ、そう言や転校生がいたんだっけか? 俺は三年の野上ってんだ。 よろしくな」
「……柴谷です。 それより先輩、嫌がってるのを連れてくのはやめた方がいいんじゃないですか?」
総司の行動と言葉に、春も洋介たちも驚きを隠せない。 それはどう見ても、いないものとして扱うと言った春に、今また、知られていなかった過去の乱行を晒され、さらに嫌悪されて当然の春に救いの手を差し伸べたようにしか見えなかった。
総司の至極真っ当な指摘に、野上は総司を馬鹿にしたような、とまでは言わないがどこか優越感を漂わせる風に余裕の笑みで頭を振る。
「おいおい。 女の嫌がる素振りなんかそう見せてるだけに決まってるだろ? 戸倉だって前にした時は腰振って喜んでたんだからよ」
露骨な、決定的な暴露に、洋介たちは固まっていた。 春に慌てて目を向けると、うつ向いた春は顔面蒼白になりながら歯の根が合わずに震えている。
汚い女だと、そう思われているのは分かっている。 仕方ない。 自分が犯した過ちだ。 だが、これも自分の過ちではあるが晒されたくはなかった。 これ以上、総司に汚い女だと思われる、それにはとても耐えられなかった。
立つこともままならなくなりそうな絶望に脚が震え、崩れ落ちそうな春にも気付かないまま、野上はさらに総司へと聞くに堪えない話を悪いとも思わずに暴露していく。
「それともお前が戸倉とやる予定だったか? そいつは悪かった。 まあこいつすごいエロいしいい声で鳴いてくれるし、アレの具合もこいつらの中じゃ一番だってうちのクラスのやつらも言ってるしな。 早くやりたいのは分かるけど俺らも明日から夏休みだってテンション上がる時だから一発楽しんどきたいんだよ。 な? 一時間だけだから頼むよ」
やめてやめてやめてやめてやめて!──春の内心の絶叫も、野上には届かない。 涙すら溢れてこないほどの絶望に、噛み締めた唇から血が流れる。
「先輩……」
「それに、今度のイベントの時にはお前もうちのクラスの女子と楽しめんだからよ。 美智子と柚はお前のことちらっと見たみたいで誘ってみるって言ってたぜ? 二人ともエロい体してるから思い切りやってやれよ」
野上の暴露は止まらない。 もう手遅れと、誰も何も言えなかった。
普段はあまり交流しないが校内や一部校外でのイベントでは上級生や下級生とも交流する。 そうした時に、乱交ではないが普段はない他学年の生徒との性行為は少なからずあった。
全員がそうしているわけではない。 三年にも一年にもそうしたことをしない人間はいる。 クラス全員がそういう関係という春たちはさすがに異常だが、常時二、三人とそういう関係であったり、イベントの時に雰囲気で普段は関係のない相手と試しに性行為に及ぶことが珍しくない程度に、この田舎町の少年少女は性に開放的だった。 娯楽が少ない、というのもその一因としてある。
恐る恐る、洋介たちは総司の様子を窺う。 何も感じていないような無表情──感情を一切表さないそれは、逆に総司の内心を表していた。
──春が、洋介たちが何をしていたとしても関係ない。
嫌悪すら湧かない無関心。 試験前の勉強会でほんの僅かなりとあったと思っていた変化すらぶち壊されてしまったと、そう思った。
「まあばれない内に鍵も返さないとならないから長くはならないからよ。──行こうぜ、戸倉」
もはや春は何も考えられなかった。 抵抗しないと──そんな当たり前のことも思い浮かばず、脱け殻のように野上に腕を引かれ一歩を踏み出していた。 このまま誰も止めなかったなら、絶望のまま、何の反応も示さず無抵抗に、春は好きなようにされていたに違いない。
「先輩……」
だから、春は見ていなかった。
見ていた洋介たちも、何が起きているのか分からなかった。
総司に呼ばれて振り向いた野上も、そんなことをされるなどと思っておらず理解ができなかった。
誰も理解できないまま、それは起こった。
振り返った野上の額に、総司が思い切り振りかぶった拳が叩き付けられ、その勢いのままに野上が壁に吹き飛ばされていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます