第43話 招かれざる訪問者

 終業式の日、通知表を見ながら総司は胸を撫で下ろしていた。 毎日学校が終わった後に開かれた勉強会のおかげで、苦手な教科も含め悪い点数にはならずに済んだ。 出席日数はどうにもならないが成績を落とさずに済んだのは救いではある。

 周りでもそれぞれに、自分の成績に安堵の声や落胆の声を漏らしている。 通知表を見せ合いながら話をしている六人は、女子が春に成績を聞いたりはしているが総司には話しかけてこない。

 

 試験までの間、毎日開かれた勉強会は授業の遅れを取り戻す以外の効果もあった。 単なるクラスメートとしての接し方──馴染みのなかったそれを、まだ探るようにしている部分はあるものの六人は理解し始めていた。

 話しかけるのも本当に最小限に、接し方にもぎこちないところが少なくなっている。 妙に様子を窺うようにして話しかけられる不快さがなくなり、総司としても許容できる接し方になっていた。

 六人は日曜にも集まって勉強会をすると話してはいたが総司を誘いはしなかった。


『柴谷はどうする?』


 一緒にやらないかと、一緒にやりたいという自分たちの希望を見せるわけではなく、ただどうするか、総司の意思を確認するだけの問いかけ。 本当に小さなことだが印象はかなり変わる。 総司は参加を断ったが、そうしたやり取りにはさほど不快感を感じなかった。

 試験終了後の一週間の試験休みも何か誘われることもなく、連絡をしてくることもなかった。 春がそばにいるのは心の負担ではあるが、余計なものを背負わされることもなく、多少は穏やかに過ごせたと言える。


 とは言え、春が常にそばにいる以上、事件の記憶が総司を刺激し苦しめることは何も変わらない。 頭から離れることはあっても、心からは決して消えない。

 楽しい気分になれたことなどないし、重苦しい気分で過ごしながら時折やってくるフラッシュバックでトイレに駆け込むことも毎日ではないがある。

 悪夢でうなされるのは毎夜のことだ。 朝、目が覚めた時に春が手を握ったまま寝てるようなことは一度もなかった。

 ただ一度だけ、夜中に飛び起きた時には春が謝りながら慌てて自分の布団に潜り込んでいた。 おそらく毎晩、最初の日のようなことにならないよう気を付けながら魘されている自分の手を握っているのだと、総司はその時に初めて気が付いた。

 それをどう思えばいいのか、総司にも分からない。 しかし、春が総司を不快にさせないよう少しは考えているのだと、そのことは感じ取れた。


 これから夏休みを迎える。 転校してきた当初は色々と楽しみにしていた、今となっては何も期待することのない空虚な時間。 それをどう過ごすかなど、考えることも難しい。

 東京の友人に連絡を取って、何日か向こうで過ごすのもいいかも知れない。 しかし総司はそれもやめにした。 以前のように楽しめる気も、以前のように振る舞える気もしない。 何かあったと思われて気を遣われるのも嫌だったし、何があったかなど話せもしない。

 だからやめにしたと、総司はそう思っている。 思い込んでいる。


 夏休みの間に何かが変わる。 期待したいとすればそれくらいしかない。 それが自分の心のことか、傷のことか、春のことか──何に対してかも漠然としている。 それでも何かの変化があってくれないかと、そう求めるのは当たり前の話だ。

 それは春も同じだった。 今のまま、総司を苦しめることなど嫌だと、心から思っている。 事件が、自分の過ちがなければ求めていた変化など今は求めてはいない。 求められるわけがない。

 総司を苦しめずに済むようになりたいと、そうできるように自分が変われないかと思っている。 そう努力していこうと思っている。


 前向きな変化を求め、そうなれることを期待する総司と春に対して、運命は公正だった。 変化は訪れる。 夏休みを待つこともなく、今、それが近付いていた。

 しかしそれは、過去に犯した過ち、過去の愚かさが招く、それを清算してからでなければ前向きな変化など許さないと、そう運命が言っているようなひどく公正で残酷なものだ。


 ホームルームが終わってすぐに総司が帰っていたなら、総司と春が教室から姿を消していたなら回避できた。 そのことが総司に知られることもなく、総司があんな行動に出ることもなく、変化は望めなくてもある意味で平穏な夏休みを過ごせた。

 そうできなかったのは、総司が春と女子たちが話しているのを待ってしまったからだ。

 苦しんでいるのを見せろと言い、春はそうしている。 総司を苦しめている罪の意識に苦しんでいる姿を見せられて、しかしそれは総司の心を楽にするものではない。

 だから春と二人きりの重苦しい時間を少しでも後にしたいと、教室を出るのを少し待った。 待ってしまった。


 どちらがよかったかなど、後で考えてすら分かりはしない。 回避したならどうなっていたかなど分からないのだから当然だ。

 そうして選びようもない選択は、運命は回避のしようもなく、教室のドアを開けてやってきた。



「おー、いたいた。 邪魔するぜ」


 突然の声に教室にいた全員が声の主を見ていた。 教室の入り口にいたのは三人の少年だ。

 先輩か後輩か、他学年と交流するようなことはなかったため、総司には誰だか分からない。 しかし、他の人間にとっては普段から交流するわけではないが、小学校から通しての顔見知りであった。


「お久しぶりです、野上先輩」


 洋介が挨拶をすると、声をかけてきたリーダー格らしい少年を先頭に三人が教室に入ってくる。 三人ともやんちゃそうな雰囲気──率直に言えば輩の予備軍のような雰囲気を漂わせている。 とは言え、近しい人間に横暴になったりするようなことはなく、洋介たちからしても気のいい先輩でしかなかった。


「よっ。 何か杉田とか何人も休んでるらしいな。 てかお前らもそんな頭にして……何があったんだ?」

「いえ……詳しくはちょっと。 それよりどうしたんですか?」


 事件については当事者たちと担任の渡部以外は知らないが、大勢が学校にしばらくきていないのは小耳に挟んでいたのだろう。 リーダー格の少年、野上 悟は心配よりもむしろ好奇心を剥き出しにして聞いてくるが、詳しく話せるはずもなく、洋介は口を濁していた。

 それよりも洋介はなぜこの先輩たちが二年の教室にきたのか、そのことが気になった。 野上たちにとっても、後輩の問題も気にはなっていたが自分たちがきた目的の方が重要だ。

 何も知らず、それが問題になっているなどと思わず、後輩たちが以前とは違うということに気付くわけもなく、総司以外の人間を蒼白にさせる要求を、野上は平然と投げつける。


「ああ、俺らちょっとあぶれちまってな。 お前らもまあやるんだろうけど一時間程度貸してくれよ」

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