第42話 総司の異常さ

「『ハリネズミのジレンマ』って知ってるか?」


 友達になりたいなどと思うなと、そう告げられやはり無理なのかと落ち込む六人だが、渡部の唐突な言葉に顔を上げた。


「……聞いたこと、あります」


 読書好きの紗奈は渡部の言いたいことをすぐに理解した。 由美と、優太も漫画か何かで読んだことがあるのか頷いている。 他の三人は知らないようで、どういうことかと問いかけるような目を渡部に向けていた。

 有名な話なのに不勉強だな、と呆れながら渡部は簡単に説明する。


「ハリネズミが仲よくしたい相手に近付こうとしたって自分の針で相手を傷付けるばかりだろ? お前らの状況がそれだよ」


 洋介たちは総司にとってのハリネズミだと──近付こうとすれば事件の記憶という針が総司を傷付け、それを嫌がって総司が近付くなと言うのも当たり前だと、渡部の説明に三人も納得した。

 それはつまり、総司と仲直りなどできないということだと、改めて落ち込む六人に渡部はため息を吐く。


「だからな、お前らがまずするべきなのは反省したって見てもらうのに柴谷にくっつこうとすることじゃない。 付かず離れず、見てもらえるだけの距離を取ることだ」

「でも……俺たちがそばにいるだけで総司にとっては──」

「あいつはお前らを単なるクラスメートだって言ってたぞ」


 仲間ではない。 それはもう十分に分かっている。 今更それを聞かされても何も感じなかった。

 しかし、総司のこの言葉を渡部は逆に見ていた。


「いいか? 柴谷は赤の他人とも無関係とも言わなかったんだ。 単なるクラスメートだって柴谷自身が言ったんなら、単なるクラスメートとして接することはできるってことだぞ」


 もちろん、総司がそれを撤回すると言ったならおしまいだ。 六人の願いは諦める他ないだろう。 しかし試してみる価値はある。

 一つの道を示されて、しかし六人は困惑したように顔を見合わせていた。

 どうしたのかと、渡部が怪訝そうな顔をすると、おずおずと洋介が手を挙げる。


「あの……単なるクラスメートって……どんな風にするんですか?」


 何を言っているのかと、一瞬考え込んでしまった渡部もすぐに気付いた。

 教え子たちはみな、小学生の時からずっと同じクラスだった。 総司がくるまで人間の出入りは一切なく、クラスメートと仲間は常にイコールだった。 単なるクラスメートというのはこの場にいる全員にとって言わば未知の存在であって、どう接するのがそれらしいかということも分からないのだ。

 総司を仲間としてすんなり受け入れたのもそれが一因だったのだろう。 自分たちが知らない関係性を抱えたくなかった。──総司自身を気に入ったのは確かであっても、そうした心理も働いていたに違いない。

 そこから教えないといけないのかと、手のかかる教え子に渡部は軽く嘆息する。


「まずはあまり馴れ馴れしくしない。 形から入るなら名前じゃなくて名字で呼ぶようにしたりな。 それから話しかけるのも挨拶と授業とかで必要な最低限のことだけ。 軽く話を振るくらいならありとしてやたらと話しかけたりするな」


 本当に当たり前のことを聞かされて、六人──特に優太が難しそうな顔をしていた。

 それだけかと、それだけしかできないのかと、そう思っているのが落胆したような表情からありありと見て取れた。


「気持ちは分かるけどな、お前らも自分たちがとんでもないことしてたのは分かってるだろ? 許されるまで何年もかかったっておかしくないんだ。 柴谷を刺激しないようそばにいることから始めるしかないぞ?」

「はい……」

「ただしだ、場合によっては単なるクラスメートでもそれなりに交流することはある。 その機会は作ってやるから」



 そうして渡部が提案したのがこの勉強会だ。 自分たちがテストに向けて勉強するついで・・・という体裁で、授業を休んでいた総司に教えてやれと。

 償いというにはあまりにも小さい、しかし確かに総司の力になれる提案に、六人は俄然やる気になった。

 役割分担をして一日でできるだけの準備をして、集まった六人は総司に期待するような、同時に不安そうな目を向けている。 もしもこれを総司が断ったなら、本当に何もできない。 ただよそよそしく接するしかなくなる。


 六人の視線を浴びながら、しかし総司が悩む時間は思ったよりも短かった。 教師の仕事が忙しいのは実際のところだろう。 ならば最初から選択肢はない。 軽く溜め息を吐くと総司は鞄から教科書とノートを取り出し机に並べていく。


「……よろしく頼む」


 素っ気ない、それでも勉強会を受け入れたという総司の意思表示に、六人の表情が明るくなる。


「あ、ああ! 分からないことがあったら遠慮なく聞いてくれ」

「あんた、教えられるほど勉強できないでしょ?──その分プリント作るのがんばってたけどさ」

「そこは俺と洋介の力作な。 これ、柴谷と春の分。 まだ全部じゃないけど」


 得意な教科のある四人はちゃんと教えられるように復習して、教師に示されたテストに出るポイントは洋介と賢也が二人でまとめてプリントを作った。 優太がそこに入っていないのは、意外なことに国語の成績は優太が一番だったからだ。


「助かる」


 プリントを受け取ると総司は短くだが礼を返す。 何も言わず受け取っていても、みな仕方のないことだと思っただろう。 事実、そうなると誰もが思っていた。 渡部もそうだ。

 しかし、総司は自分がされたことがあろうと、この行為にも思惑があってのことであろうと、あくまでそれは別のものとしていた。

 喜びを抑える六人と違い、渡部はこの時、総司の異常さを垣間見た気がした。 そして、総司の何が異常なのか、見当を付け始めていた。

 総司のことをそこまで見ているわけではない。 付き合いも短いし単に教師と生徒の間柄でしかない。 あくまで仮定を基にして見当を付けているのであって、言ってしまえば単なる想像でしかない。 妄想と言ってもいいくらいだ。 しかしもし仮にこれが当たっていたとするならば──


 渡部は総司のことが不意に心配になった。 それ・・は人間にとっての美徳でありながら本質的には機械の領分だ。 人間の美徳でありながら、何よりも感情が邪魔となるそれ・・

 もしも想像が当たっていたなら、総司が苦しんでいるのは事件のことだけではない。 感情と相反するそれ・・が、総司自身が総司を苦しめているのではないか。


 想像でしかない。 それが外れていることを祈る他、今の渡部には何もできない。 確信もなしに何も言える気がしなかった。

 確実に言えるのは、総司が自分を傷付けた人間を許せるようになることは総司の救いになるかも知れないと、そう思って教え子たちに総司から遠ざけるのではない道を示したが、想像が当たっているならそれは絶対条件だ。

 だからと言って渡部には何もできない。 感情も、総司のそれ・・も、言葉でどうにかなるものではない。


 時間はかかる。 それでもその中で上手く収まってくれればと、勉強に励む教え子たちを見ながら、渡部はただ一心にそう願っていた。

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