第37話 無言の拒絶

 春の自殺未遂や総司と春が暮らすことになったことをある意味で上回る衝撃に固まりながら、六人は頭の中で春の言葉を咀嚼して難しい顔をする。


「水着……着てるんだよな?」


 聞くまでもないと思いながら念のために確認する洋介に、春は顔をさらに赤くして首を振る。


「春……あんた……正気?」


 唖然とした由美が思わずそう呟いてしまったのも仕方ないだろう。 全員がそう言いたい気分だった。


「でも!……総司くんのそばにいるように総司くんに言われてるし……総司くんも止めなかったから……」


 厳密には総司はそうは言っていない。 春の歪曲拡大解釈だが、それを知らない由美からしても、仮に総司がそばから離れるなと言ったとしても、それはさすがにいき過ぎだろうとそう思わせるくらいの過激な行為だ。


「だからってね……総司くんに思い出させるようなこと──」

「分かってる……でも総司くんは一緒に苦しめって……だからあたしも……総司くんに止められないならそうしないとって……」


 総司が拒絶しなかったと、そう聞いて六人は困惑するしかなかった。

 俺の気持ちは分からない。──総司のその言葉が六人の心にまた突き刺さる。 本気で総司が何を考えてるのか理解できなかった。


「総司くん……大丈夫なの?」

「吐いたりはしてないよ……昨日はタオルで隠してたからかも知れないけど……一昨日は……ぜ……全部見られちゃったけど平気だった」


 夕べ、また総司に続いて風呂に入ろうとした時、総司は腰にタオルを巻いていた。 もう一枚タオルが置かれていて、これを使えと総司が無言で示してるのが春にも分かった。 春を無視すると言った総司の、譲歩できるギリギリのラインでの干渉だったのだろう。

 そのおかげで一昨日みたいなことにはならずに済みはしたが、その一昨日にはそれはもうしっかりとお互いに全てを見せ合ってしまっている。

 春とのセックスを連想して吐いてもおかしくないのにそうならなかったと聞いて、総司の心境がなお分からなくなる。


「総司が春のことを少しでも許してるってことは……」


 思い付いたことをそのまま口にする賢也だが、自分で言いながらそれはないと、内心で即座に否定していた。


「それはさすがに──」

「うん……総司くん……お風呂でもあたしのこと見たくないって感じにこう……して──」


 風呂の中での総司を再現するように首を真横に向けた春が、不意に金縛りにあったように固まる。 どうしたのかと、洋介たちも春の視線を追うように横を向き、同じように凍り付いていた。

 全員で春に詰め寄っていて気付かなかったが、七人の視線の先にはいつの間にか戻ってきた総司が立っていた。 小刻みに震えながら名状しがたい表情で七人を見下ろして──いや、その睨み付けるような視線は七人ではなく、明確に春に向けられていた。


 何を話してやがるんだ、この野郎──総司の内心を文字にするならそんなところだろう。

 苦虫を噛み潰したような顔で、文句を言いたそうに睨み付け、しかし何も言わずにため息を吐くと自分の席に着く。 文句を言いたい気持ちよりも春を無視すると、それを貫く姿勢を何よりも優先している。 しかし小説を取り出して読み始める憮然としたその顔は微かに赤くなっていた。


 どこからかは分からないが聞かれていた。──総司の様子からそれは確実で、洋介たちは気まずくなる。 やってしまったというのが正直な思いだ。

 どう声をかけるべきか──自分たちで余計に難しくしてしまった問題に直面して、洋介が躊躇いながら総司の前に立つ。


「総司……ちょっといいか?」


 総司は洋介に反応しない。 手にした小説から目を離さず沈黙している。 話しかけられるのを拒否する空気を、相変わらず露骨に漂わせていた。

 挫けそうになりながら洋介はもう一度口を開こうとし、


「……弁当」


 総司の唐突な言葉に間抜けな顔で固まる。


「……さっさと食わないと昼休み終わるぞ」


 総司の目線は優太の机に向けられていた。

 いつも優太は弁当箱をギリギリまで片付けない。 そこから弁当も食べずに話していたんだろうと総司が見当を付けて言っていることに洋介は気付いた。 それと同時に『話しかけないで弁当でも食ってろ』と、そう言われているのも分かったが、洋介は気を取り直して口を開く。


「いや、それはまあよくて……それより大事な話があるんだ」


 食い下がる洋介にため息を吐くと、総司は小説を閉じて洋介に目を向ける。 友人への親しみを欠片も感じさせないその目に、梨子たち四人は初めて、総司が自分たちに抱いている感情を痛いほどに実感していた。


「そのな……あの晩の総司の話なんだけど……全部録音しててこいつらにも聞かせたんだ」


 録音していることは総司に話していなかった。 だが、総司はそれについて何を言うでもなく、黙って洋介の話を聞いている。 先を促すでなく、それがどうしたといった感じに黙っている。

 途方もない居心地の悪さを感じながら、それでも他の五人も総司に向き直ると洋介は口を開いた。


「総司の言う通りさ、俺ら本当にバカだったんだってみんな分かった。 そのせいでお前を傷付けたのも分かったし、その……許してほしいとかじゃなくて謝らせてほしいんだ。 本当にすまなかった」


 洋介に合わせて全員が頭を下げる。 春だけはそうすることもできなくて居心地悪そうに一人、うつ向いていた。

 総司はそれに何も言わない。 ただ深々とため息を吐く。

 渡部に言われたことが総司の頭を過った。 許さないと決めるなと、考えはしたものの、今は許せないというその気持ちの方が先に立った。


「それでさ──」

「俺が言ったこと、覚えてるだろ?」


 さらに続けようとする洋介を総司の無感情な声が遮る。

 謝らせない、関わるな、いないものとしろ……仲直りなんて考えるだけ無駄──それは分かっている。 それでも、自分たちの犯した罪をそのままにはしたくない。 だからもう一度、洋介は口を開いていた。


「……分かってるよ。 総司が俺たちみたいなバカとは関わりたくないって……だけど俺たちもバカだったのが分かったし、もうそういうことはしない……したいとも思わない。 それで──」

「……もうしないから目をつむってもらえると思ったか?」


 総司の言葉に洋介は凍り付いた。 他の五人も、そしてその言葉を言われた春が誰よりもショックを受け、悲痛な顔でうつ向いていた。

 春に言っていたことで、自分たちに向けられたものと思っていなくて失念していた。 しかし、それは総司の中では春にだけでなく、今の自分たちに向けての言葉にもなるのだと。

 自分たちが馬鹿なことをしていた、そのことを忘れるつもりはないと、それを突き付けられ何も言えなくなる。


「もうやらないから、それでどうなる? なかったことにしてじゃあ今まで通りにしようか……できるわけないだろ?」

「……俺らもすぐにできるとは思ってないよ。 でも俺らはお前とできれば仲直りしたい……だから反省してるんだって──」

「それをどうやって見せるんだよ? 俺のご機嫌取りでもするつもりか? いちいち俺に気を遣ったり、それこそパシリみたいなことでもする気か?」

「……総司がそうしてほしいなら──」


 総司にどうすれば反省してることを伝えられるか──分からずに悩んでいた洋介が総司に示されたことに頷き、総司は呆れたようにため息を吐く。


「──そんなのをお前らは友人関係だと思うのか?」


 非難するような口調ではない。 それでも総司の言葉に、洋介ははっとした顔になる。

 違うだろうと、考えるまでもないくらいに当たり前のことを、どうすればいいのか分からずに悩んでいたせいでそのまま頷いてしまい、後悔しか感じなかった。

 友人に戻りたいんじゃない、ただ許されたいんだろうと、そっちが本音なんだろうと糾弾されたように思えて押し黙るしかなかった。


 沸き起こる苛立ちに総司は深いため息を吐く。 許せない感情だけではない。 それを除いても元に戻れるわけはなかった。 粉々に割れた器はどう継ぎ直したところで、割れた痕は決して消えない。 

 罵りたくなかった。 だが、罵った。 その時点で総司は絶縁を覚悟していた。 もし許せる時がきたとして、あれだけ罵った相手に親しく接することなどできるはずはなかった。

 いい仲間に戻れるかも知れない──渡部の言葉を思い出し、そんなことは無理だと、総司は顔を押さえていた。 もはや許せる、許せないという問題だけではない。 自分がされたことの全てを水に流せたところで無理な話だと、そう思わざるを得ない。


「なぁ……俺らバカだったけどさ……でも変わろうとしてるんだよ。 それも認めてもらえないのかよ?」


 いっそまた罵って拒絶するか、そう思って陰鬱な気分になった総司に、お調子者の優太にしては珍しく──まあこの状況で以前の調子だったら総司も容赦なく罵っただろうが──暗い様子で言葉を発していた。


「どうしたらいいかなんて俺たちだって分かんないよ……だけどバカやってたの分かってさ……反省してるって……それを総司に見てもらいたいって……また友達になりたいって……それが全部意味がないって言うのかよ?」


 優太の必死な、悲痛な訴えに、総司は言葉にできない苛立ちを感じた。 それがどこからくるのか、総司にも分からない。

 罵声を浴びせたい衝動に一瞬駆られ、しかし分からないままに罵声を浴びせるのは総司の良識が許さず、拒絶のために吐こうとした罵声も飲み込んでいた。 罵声を浴びせたい衝動が罵ろうとしていたのを止めさせたのは皮肉と言っていいだろう。


 固唾を飲んで総司の言葉を待つ六人に、総司は大きなため息を吐くと鞄をつかんで立ち上がる。 呆気に取られる六人の前で、総司は無言で教科書を詰めるとそのまま教室の出口に向かい、春も慌てて鞄に教科書を詰めて後を追う。

 二人が教室を飛び出すのを、六人はただ黙って見送るしかなかった。

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