第34話 意地とすれ違い

 春が用意した夕飯を見て総司が思い切り吐いた後のことだ。

 夕飯を栄養ゼリーで済ませぐったりしていると、春が風呂を沸かしに行った。 総司が疲弊してる様子に気を遣ったのだろう。


『……お風呂沸いたよ』


 そう言われてもすぐに動くのは春に反応してるようになるので、総司はしばらく無視していた。

 無言で春が調理器具を洗いに行き、それが終わるのを待ってもう十分だろうと、風呂に向かった。 春が後ろに付いてきたことは疑問に感じたが、少しでも離れないように脱衣所の前で待っているつもりなんだろうと思った。


 脱衣所にまで入ってきた時は服を脱ぐのにここで待つつもりかと、さすがに苛立ちを感じたが無視すると決めていたから気にしないようにして服を脱ぎ始めた。

 その後ろで衣擦れの音が聞こえ、総司の心臓は跳ね上がり思わず硬直していた。


 無視すると決めた。 反応したら負けだ。 それに、後ろを見るのはまずい気がして、総司は努めて考えないようにしながら服を脱ぎ風呂場のドアを開けた。

 後ろ手にドアを閉めようと手を伸ばしかけ、まずいことになりそうな予感がしてドアをそのままにしてシャワーに向かうと、背後でドアが閉まる音がした。 いつから自動ドアになったのかと、一瞬、現実逃避をしたのは仕方のないことだったと思う。


 鏡が曇っていて本当によかったと思いながらシャワーで軽く頭と体を流すと、総司は浴室の入口から洗い場の方へ目を向けないようにして浴槽に入り──聞こえるシャワーの音に現実逃避も限界だった。

 いる。 確実にいる。 見ないようにしても聴覚はどうしてもそちらへと集中してしまう。


 シャワーの音が止み、出て行くよなと、さすがにこれ以上はないよなと、そんな総司の願いは裏切られることになった。

 ちゃぷんと、確かに聞こえたお湯に足を浸ける音と、視界の端に映った肌色に頭を抱えながら、総司は伸ばした脚を縮めて、横に向けていた首を痛いくらいに真横に向ける。 いっそ真後ろを向けないかと昔のホラー映画のようなことまで願っていた。


 ゆったりとした風呂でよかった、などと思っても何の慰めにもならない。 体育座りになれば二人が入っても触れずに済むくらいには広さはある。 触れないよう、見られたくない自分の男の部分を隠すようそうしながら、自分は何をやっているのかと、どこか冷静な別の自分が考えていた。


 こんなことをしているのはそれこそ意識してる証だろうと、だったら何を考えているんだ、さっさと風呂から出ていけと、そう怒鳴り付ければいいじゃないかと、そう騒ぐ頭の中の声を総司は無視した。

 春をそばにいさせる代わりに自分は春を無視する。 そう決めたことだ。 無視できないなら春を自分のそばには──その先の思考を総司は遮断した。


 代わりに頭に浮かぶのはまた別の自分の声だ。

 いないと思うなら脚を伸ばして真っ直ぐ前を向いて何が悪い、そうすればいいだろうと。 しかし、それも総司にはできなかった。

 そんな恥知らずな真似ができるわけないし、女性の裸を見たらどうなるか、怖かった。 それも自分にあんなことをした張本人だ。 見たいと思うわけがない。


 あれからまた、性欲を感じるはずもない日々が続いている。 見る気も起きないから画像も何も見ていない。 仮に見たとして吐くことになるか、あの時のことを強烈に思い出すことになるか、想像もつかなかった。

 結局、総司は春を強く意識しながら意識していないと、そう自分に言い聞かせることしかできなかった。


 目は閉じなかった。 そこまでしたら負けだと、変な意地があった。 お陰で視界の隅には春の姿が僅かながら入ってくる。 

 春がどんな表情をしているのか、どんな姿勢でいるのかまでは分からない。 タオルで隠しててくれればと、そう思ってもそれすら分からない。 見ないと分からないが見るわけにもいかない、そんなジレンマに苦しみながら早く上がってくれと、総司は一心に願っていた。


 そうして悶々とする中、不意に春が微かに動いた気配を総司は感じた。 意識しないようにして逆に意識してしまい、僅かな身動みじろぎまで総司は敏感に感じ取っていた。

 上がるのかと、思わず視線を向けかけ、慌てて首を逸らして水音を立ててしまった。 視界の隅で春がびくっと慌てていたのが何となく分かった。


「……見た?」


 恐る恐る聞いてくる春に、総司は頭の中で天を仰いでいた。

 見えるようなことをしていたのかと、しかもタオルはしていないんだなと、それが分かってしまい総司は顔を赤くする。

 返事はしない。 無視すると決めているのだから、見てもいないものを見たと勘違いされても答える気はなかった。


 これで総司からは上がれなくなった。 目を閉じるか、春に視線が行かないよう首を不自然に動かすか──春を意識した行動をしない限りはどうしたところで春の裸が視界に入ってくる。 今さらではあるがそれはしたくなかった。


 視線を逸らしてるんだから早く上がってほしい。──お湯の熱さにのぼせそうになりながらそうひたすら願っていた。



 総司が色々と葛藤する一方で、春も頭の中はいっぱいいっぱいになりかけていた。

 総司に逃げるなと言われた。 だからできる限り──総司に止められない限りはそばにいようと、そうしなくてはいけないと決めた。 しかし──


──総司くんとお風呂……うぅっ……──


 総司の目の前、少し手を伸ばせば触れられる距離でお互いに全裸になって、恋人同士のように──そんな甘い状況ではないが一緒にお風呂に入っている。 接触はなくとも、初々しいカップルのようだと思われるそんな状況で、春は羞恥心の余り総司から少しでも隠すように体をかき抱いていた。


 今まで仲間に何度も見られているのに、総司の前で裸になるのはやはり恥ずかしかった。 それに、あんなことをした自分の裸を見たら総司は嫌な気分になってなおさら苦しむに違いない。 脱衣所で総司の後ろに隠れるようにして脱ぎながら、内心では総司が止めてくれないかと期待していた。


 いないものとして扱うと、しかしやり過ぎたら何か言われるか、何かしらの行動で止められると思っていた。 例えばドアを閉めて・・・・・・自分が入るのを止めたり、そういうことをされると思っていた。

 総司がドアを閉めたら、そうして拒絶されたら、それを言い訳にできた。 なのに、総司は浴室に入ってもドアを閉めようとはしなかった。


 無言でシャワーに向かう総司の背中に、早く入って閉めろと、そう促されているように春は感じた。

 後ろを向くことができず、下手に手を伸ばしたら春の体に触れてしまうのではと、それこそ触ってはまずい箇所に触れてしまうのではと総司が躊躇っていたことなど知る由もない。


 ここまで許してくれていると喜ぶべきなのか、ここまで無視されていると悲しむべきなのか、総司の葛藤に気付かず勝手に複雑な思いを抱えながら、春は総司がそばにいろと、そう言っているのだと解釈してしまった。

 総司がそう言うなら春に選択肢はなかった。 恥ずかしくても、総司を苦しめてしまっても、総司のそばにいるしかない。


 浴槽に浸かった総司に続いて春も体を流すと、なるべく総司に裸を見せないように隠しながら浴槽に入って、こうして向かい合っている。

 総司は顔を横に向けて、目もこちらに向けないようにしている。 それでも、もし見られたら──


──見えないよね? 脚閉じてるし……胸も手で……でもひょっとして隙間から……──


 見えてしまうかも──そんな微かな不安に、春は確認するように視線を下に向けながらそこを手で隠そうとして、


「っ──!?」


 微かな水音に慌てて脚をぎゅっと閉じながら総司を見る。

 総司は変わらずに横を見ている。 頑なにこちらを見ようとしていない。 しかし総司が明らかに動いた水音ははっきり聞こえた。

 自分が目線をはずした一瞬、脚を少し開いた一瞬にたまたまこっちを見たとは思えない。 けれどひょっとすると──


「……見た?」


 総司は何も言わない。 横を向いたまま無視を貫いている。 しかし、無視しながらも総司は顔を赤くし、総司に見られたと思った春は総司よりも顔を真っ赤にしていた。

 総司に見られるのは嫌ではない。 そんなわけはなかった。 ただ恥ずかしいのと、総司があのことを思い出して嫌な気分になったりしないかと、それが心配だった。


──あんなこと……してなかったら……──


 総司が自分の裸を見て嫌な気分になどならなかったのにと──そう思ってふと、総司に対して犯した過ちとそれ以前に自分の犯した過ち、それなしでこの状況になることの意味を想像してしまった。

 三秒ほど考え、その三秒で何時間分もの想像が──それも極めて具体的に、鮮明に頭を巡り、春は頭から湯気を出しそうなくらいに真っ赤になる。 一瞬とは言え総司への罪悪感を忘れたことは責められないだろう。 そのくらいに幸せで、もはや望めない想像だった。

 そんな想像をしている場合ではないと頭を振り、春は改めて総司を見る。


 総司はこっちを見ない。 ずっと横を向いたままで無視されている。 しかし、そうやって無視されるのは逆に意識されている証だと感じていた。

 総司が春がいないように、普通に体を伸ばして春のことを見ていたなら、これから総司と暮らしていくのは春にとって苦しさしかなかった。


 桜の言っていた見てもらえるチャンスと、それは確かにあるんだと、それを感じて少しの希望を感じることができた。 ただしそれは、総司のことをやはり苦しめると、その苦さを感じさせるものでもあった。

 そのことに心を痛めながら、総司に意識されていることで春はまた別の悩みに直面する。


 総司は春を見ていない。 だが、自分が立ち上がったら反射的にこっちに視線を向けるかも知れない。 隠しながらでもひょっとしたら──そう思うと立ち上がることができなかった。

 隠しているんだから早く上がってほしい。──総司と同じようにのぼせそうになりながら、総司と同じことを同じように願っていた。



 結局、二人は同時に我慢の限界に達して立ち上がり、お互いに隠す余裕もなく、全てを見せ合うような形で対面することになった。

 数秒、互いに相手の裸をまじまじと見つめ合い、同時に下を向いて自分の状況を確認し──

 無視すると言った総司も風呂の熱とは無関係に顔を真っ赤にして浴室を飛び出し、総司から離れないと決めた春も浴室から出れずにしばし羞恥に身悶えていた。



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