第33話 期待と不安

 桜を送ると春の父親が家から出てきた。 本来なら一緒に行くべきだったが、妻が自分が決めたことで自分がさせたことだからと、自分一人で謝りに行くと譲らなかったと、恐縮しきりで頭を下げてきた。


 総司と話し、智宏もすでに許したことだ。 桜にしたのと同じ念押しをすると智宏はお詫びの印に一杯どうかと、色々と話もしたいという春の父親の誘いを辞して家に帰った。 明日も仕事はあるし、それがなかったとしても、何の問題もない恋人同士だったとしても、高校生をこんな時間に家で二人きりにしてやろうと思うほど、智宏はおおらかではなかった。


「あの……お帰りなさい、おじさん」


 玄関を開けるとそこには春が立っていた。 智宏に挨拶をして、智宏の反応を窺うようにしている。

 お帰りなさい──家族が、同じ家に住む人間がする挨拶だ。 客人のする挨拶ではない。 ましてや、招かれざる客がそんなことを言っても受け入れられるものではない。

 事実、智宏も春の挨拶に少し苦い顔をする。 それでも──


「ただいま」


 春の挨拶に答えて智宏は家の中に入る。

 家に住むことを認めてもらえた。 そんな思いに春は智宏に頭を下げていた。 感謝と、申し訳ない気持ちと、ない交ぜになりながらそうする春に、智宏は軽く頭に手をやっていた。


「戸倉さんも自分のしたことに苦しんで……ずっと後悔していたんだね」

「……はい……本当にごめんなさい」


 優しい手と言葉に、春は頭を下げたまま、涙を溢していた。 自分にそんなことをしてもらう資格も、そんな言葉をかけてもらえる資格もない。

 そんな春に智宏はさらに言葉を重ねる。


「君が悪意を持って総司を傷付けたんじゃないのは分かっている。 だからと言って許せるものではない。 だけどね、総司を傷付けたことをそんなに思い詰めるほど後悔していたのは分かった」

「……はい」

「許せない気持ちは総司の方が強い。 その総司が認めたことだ。 私はもう何も言わないよ」

「……ありがとう……ございます」


 もっと罵られることを想像していた。 総司が認めたからと智宏が受け入れてくれたことは春には意外で、反省していたと、それを認めてもらえたことは嬉しかった。


「親として、総司には早く立ち直ってもらいたい。 そのためには戸倉さんと離れて一刻も早く忘れられるようにする──それが一番だけどそうもいかなくなった。 なら荒療治になるけど治らない傷の痛みを真っ正面から乗り越えるしかない。 手助けをできるようがんばってほしい」

「……はい」


 総司のことを思っての言葉で、同時に紛れもない春への励ましの言葉でもあっただろう。 しかし、答える春にその期待に応える自信はなかった。

 いないものとして扱う。 そうはっきり言っている総司に何かしてあげられるなどと思えなかった。

 頷きながらも暗い顔になる春に、智宏はため息を吐く。 総司が認めた以上、何も言うつもりはない。 だがこうなった以上は春に期待する──がんばってほしい気持ちがある。 総司が立ち直るためにがんばってもらわないとならない。


「そんなにすぐにどうにかできるわけもない。 傷が治るには時間がかかるものだ。 でもね、総司はどんな形であれ君がそばにいることを許したんだ。 少しずつでもきっと変わっていけるよ」


 焦ることはないと、そう諭す智宏に春は頷く。 しかし、春の内心は焦りでいっぱいだった。 道を示してもらえたからこそ、早くそうできたらと、そう思ってしまう。

 それも仕方ないかと、智宏は苦笑する。


「焦らずがんばりなさい。 焦って総司の負担になるようなら……私も考えないといけなくなる。 それは肝に銘じておくようにね」


 智宏の春に対する気持ちは大分軟化していた。 それでもこれだけは言っておかないとならなかった。 何も言わないと、春に期待していると、それはどちらも嘘ではない。 しかしそれも、総司が潰れそうにならない限りの話だ。


「分かったならもう休みなさい。 私は明日も仕事だから、すぐに風呂に入って軽く飲んだら寝るよ」


 固い表情で頷く春に背を向けると、智宏は自室へと足を向ける。 仕事で疲れて帰って、こんな話が舞い込んでくるとは思っていなかった。 少し時間も取られたし気疲れしてしまった。 仕事に差し障りが出ないようにしなくてはと、思わずため息が漏れる。


「あ、あの!」


 不意に呼び止められ振り向くと、春は悲しげな表情でうつ向いていた。


「夕御飯……作ってあります。 お弁当もおかずを詰めて冷蔵庫に……総司くんには食べてもらえなかったけど……よかったら……」


 食べてもらえないかも知れないと、春も考えてはいた。 だが、準備した夕飯を目にして総司がトイレに駆け込んだのは想像よりも激しい拒絶で、ショックなどという言葉では済まなかった。

 結局、総司は食事がまともに摂れなかった時に買ってあった栄養ゼリーだけで夕飯を済ませ、春は作った夕飯を智宏の分を分けて一人で食べた。 涙を流しながら、ほんの少ししか食べられなかったけど、手を付けずに捨ててしまうのはあまりに悲しすぎた。


「……ありがたくいただくよ」


 思い出した悲しみに打ちひしがれる春を気遣うように答えると、智宏は改めて自室に向かう。

 総司が決めたことではあるが、やはり息子の心の傷の大きさに不安がよぎる。


 春が総司に示していければ──後悔して、反省して、苦しんでいて、それを示しながら総司に尽くして、そうして総司に許せると思わせるようになれば、それは総司が立ち直る道ではあるはずだ。 しかしそれは総司にとってつらい、親として選ばせたくない道だ。


 だが、総司が春をそばにいさせると決めたならそう期待するしかない。 見守ると、そう決めた。 しかし、本当に大丈夫なのかと、心配な気持ちは抑えられなかった。




 カチカチと時計の針が進む音が響く。 田舎の深夜だ。 車の通る音が聞こえるようなこともない。 微かに外で虫の鳴き声が聞こえるが、耳に付く時計の音を掻き消すほどのことはない。


 ベッドの中で総司は眠れず、身動きも取らずにいた。 ここのところは夜も普通に眠れたのに、今日はとても眠れそうにない。 原因はもちろん、昨日までは感じることのなかった人の気配だ。

 寝返りを打つこともない。 寝息も聞こえない。──おそらく春も眠っていないのだろう。 眠れず、自分の気に障らないようにと気配を殺そうとしている。 それが逆に、総司に春を意識させる結果になっていた。


──そこまでするなら別の部屋に行けばいいのに──


 総司は客用の布団を広間に置いておいた。 そこで眠るだろうと、普通にそう考えていた。 なのにだ、春は平然と総司の部屋に布団を持ち込んできた。

 逃げるなと、そう言ったせいだろう。 とにかく春は総司のそばから離れようとしなかった。 家事とトイレの時以外はずっと総司のそばにいて、触れるようなことはしなかったが離れようとも決してしない。


 自分の言ったことだ。 それは仕方ない。 そんなつもりで言ったことではないが仕方ない。 言ったことを理解できなくてあんなことになったのに、それを忘れて細かく言い聞かせなかった自分が悪い。 だが、さすがに物事には限度がある。


 わざわざ言う必要もないくらい当たり前のことまで言わなかった。 春と話したくないのだから最低限のことだけで済ませるのも当然の話だ。

 正直この状況もかなりどうかと思う。 それでも、触れることを遠慮してかベッドに入ってこないだけまだましだ。

 しかし──


──風呂にまで入ってくるとかあり得ないだろ……──


 思い出していたたまれない気持ちになり、総司は寝返りを打つ。 春がそれに反応した気配を感じるが総司はそれを無視した。

 高校生男子にとってたまらないシチュエーションのはずだ。 自分と同じ部屋に薄着のパジャマで、可愛い女子が寝ている。 しかもほんの数時間前に、そのパジャマの下の裸身を見た相手だ。


 一緒に入浴しているのだから一線を越えて何の問題もない、そうなってて当たり前な状況だった。 いや、一線はすでに越えさせられているのは確かだが、それは総司にとって認めたくない、思い出したくない話だ。


──あんなことがなければ……──


 一瞬考えてしまい総司は頭を振って否定する。 春とはそもそもあり得ない。 今は、ではない。 初めからあり得ない話を考えてどうすると、そう思う。

 数時間前のそれも本来ならあり得ない話だった。 恋人同士かあるいは性的な関係でなければあり得ない話──春とあってはいけないことだ。 思い出したくもない。

 なのに、総司はそのことを思い出してしまっていた。



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