第28話 感情と決意

 学校の進路相談室はどこも殺風景なものだ。 総司たちの通う学校もそれは変わらない。 仮に豪華な部屋だったとして、総司はそんなものに興味も示さなかっただろう。


 担任の渡部に促されて椅子に座ると、総司は持ってきたパンにかじりつく。 教師に対して失礼な振る舞いに思えるが、『飯を食いながら話そう』と誘いをかけたのは渡部だ。 気にする理由などなかった。

 渡部も向かいに腰を下ろすと総司の前に缶コーラを置き、同じようにパンを食べ始める。


「……普通はコーヒーとか淹れて出すんじゃないんですか?」

「ん? 面倒だしコーヒーよりかはこっちの方がいいだろ?」


 だらしないにやけた表情で自分の分のコーラを掲げて見せると、渡部はそれをぐいっと呷る。 たまらないように声を上げるその姿は教師らしいとは言えない。

 思わず眉を顰める総司だが、コーヒーよりもコーラの方がありがたいのは確かだった。 遠慮なくコーラに口を付ける。 パンに水分を奪われた口内に、弾ける刺激と水分は心地よかった。


 渡部は教師という多忙な仕事ゆえの職業病か、コーラで流し込みながらほんの数口でパンを食べきると食事を終わらせ、総司の方に身を乗り出す。


「ああ、ゆっくり食ってて構わないぞ。 それでお前を呼んだ理由なんだが……まあ何だ。 学校にこれるようになってよかったな」


 渡部は普段から生徒に対してもフランクに、遠慮なくものを言う。 それは総司も知っていた。 しかし、今の渡部は総司のことを探るように、奥歯に物が挟まったような言い方をしている。

 さすがに触れづらいのだろうと、総司は嘆息する。


「別に遠慮しなくていいですよ。 俺が休み始めた直後にいきなり四人が同時に学校にこなくなった。 残った連中も様子がおかしい。──誰も何も話さなかったんでしょう?」


 遠慮していたことをずばっと言われ、渡部は参ったなと言いたげに頭をかく。


「まあそういうことだ。 柴谷もあいつらと上手くやってたみたいなのにいきなり何があったのかと思ってな。 ちょっと聞いてはみたんだが誰も話してくれないんだ」

「俺も話したくはないです。 先生に話すならとっくに警察に行ってますよ」


 思いもしなかった言葉に渡部が目を剥く。


「おい、ちょっと待て……警察って言ったか?」


 子供同士の喧嘩、仲違い──それにしては深刻そうで憂慮していた渡部だが、さすがにそんな言葉が出てくるとは想定していなかった。

 どういうことだ、と身を乗り出す渡部に対して、事の重大さを仄めかした総司はその疑問に答えるつもりはなかった。


「詳しく聞きたかったらあいつらから聞いてください。 俺は戸倉たちのことを学校にも警察にも話さないって約束しましたから。 あいつらが俺のことを勝手に話せないと思ってるなら、俺は話して構わないって言ってたと言えば話すと思いますよ」


──自分たちのバカさ加減を他人に話せるなら、だけど──


 言えないだろうと、その内心までは伝えず、総司はパンをさっと食べるとコーラを飲み干す。

 話すこともないし立ち去ろうと腰を浮かしかけた総司だが、一つだけ話しておかないとならないことがあることを思い出した。


「そうだ。 先生に話しておきたいことがあります」

「何だ?」


 思ったよりも大事なんだと、どう対応するか頭を悩ませる渡部に、総司はさらっと追加で大事をぶちまける。


「戸倉が俺の家に住むことになりました」

「ちょい待ち、柴谷」


 何でもないようなことのように言われ、渡部は思わず待ってくれと言うように手を突き出していた。


「……確か、お前の家はお父さんの帰りは遅いんだよな?」

「まあ21時に帰れればかなり早い方ですね」

「その家にクラスメートの女子が暮らす?」

「そうなります」

「あのな……それは実質二人きりの同棲で、高校生が同棲とか普通に大問題だぞ?」

「後でバレてそういう誤解されて問題になるのが嫌だから先に言っておこうと思ったんですよ。 断っておきますけど戸倉とそんな仲だなんて勘違いされるのは不愉快だし、戸倉のお母さんに頼まれてのことですから」


 総司が春と仲がいいのは渡部も知っていた。 それなのに、総司の言い方には仲がよかったはずの春に対する不快感が溢れていた。

 相当なことがあったんだと、それを改めて噛み締めるが話してくれない以上は何もできない。


「俺からはそれだけです。 コーラ、ご馳走さまでした」


 総司はそれだけ言うと立ち上がる。 これ以上は訊かれても話すことはなかった。


「柴谷──あいつらはお前にとっていい友人か?」

「……単なるクラスメート以外の何でもないです」


 総司の声がやにわに低くなった。

 内心の重さはあっても、担任の渡部にまで不快感を示すのは違う。 だから、総司は普通に話していた。 しかし、春たちとの関係を訊かれ、心底から感じているその不快感を隠せなかった。


 渡部の目から見て、休み時間や放課後に時々見る教え子たちは全員が楽しそうにしていた。 新しくやってきた総司もそうだった。 みながいい友人だったはずだ。


 分かったことは多くはない。 総司が洋介たち全員と決別するような仕打ちを受けたのだということと、洋介たちはそれを後悔しているということ。 自分たちが悪かったと、そう思っている。 朝、総司と春がいることへの驚きが大きくてスルーしたが、三人が頭を丸めていたのはそういうことなのだろう。


 悪気があってしたことではなかった。 それでも、すれ違いから間違いが起きることはある。 そんなことがあったんだろうと、ただその程度に想像するしかできない。


「柴谷──」

「……何ですか?」


 渡部に呼び掛けられ、進路指導室を出ようとした総司は足を止める。


「まあ、何だ……事情も知らずに言うもんじゃないとは思うんだけどな──」


 あいつらも反省している、許してやれ。──そんなことを何も知らない人間に言われたら、総司は激しく反発していただろう。 振り返りもせずに出ていって、二度と渡部とこのことについて話をしようとはしなかったに違いない。

 だが、続いて投げ掛けられた渡部の言葉は、総司にとって意外なものだった。


「許さないって決めるのはやめとけよ」


 何を言っているのか意味が分からず、しかし、それが何も知らずに許してやれなどという押し付けがましいものでないことは分かった。

 総司が振り返ると、いつものだらしない笑みを浮かべる渡部はそこにいなかった。 真面目に引き締まった顔で、総司を真正面から見据えていた。


「許せないってのはまあ仕方ない。 人間だから感情はどうにもならんさ。 それを曲げてまで許してやれなんて言いやしない。

 だけどな、感情なんてのはいつか収まるもんだ。 悲しみも怒りも長続きはしない。 許せないって感情も同じだ。 いつかは許せるようになる」


 まあ相手が許せない真似をした馬鹿のままならそうもいかないだろうけどな。──そう言って笑うと、渡部はポケットから電子タバコを取り出し口に咥える。 校内は当然のごとく禁煙だが、バレなければいいとお構いなしだ。

 一吸いして蒸気を吐き出すと、渡部は話を続ける。


「だけどな、許さないって心に決めると許せるはずのことも許せなくなる。 相手が反省してるのも分かって、許せるようになってるのに意固地になっちまうんだ。 許さないために理由を探したりな」


 黙って話を聞く総司がどう受け止めているか、それは渡部にも分からない。 それでも年長者として、教育者として、自分なりの言葉で渡部は教え子に語りかける。


「だからな、許せないのは仕方ないけど許さないなんて心に決めるな。──あいつらはいい友人だっただろ?」


 今はともかく前はそうだっただろう?──その質問には総司も内心で頷くしかなかった。 それでもそれを表に出すことには抵抗があるのか、総司は実際に頷くことはなかったが、渡部はそこは確信していた。


「いい友人だったならいい友人に戻ることもできるかも知れない。──なのに許せるようになっても許せないようにしたらもったいないぞ。 取り返しの付かない過ちになって後悔しないようにな」


 こんなことを言われるなどと、総司は全く思っていなかった。 春たちを許す気は全くない。 だが、意固地になるなと、今の気持ちを変えちゃいけないものと決めつけるなと、それについては総司も考えさせられるものがあった。


「……真面目なことも言うんですね」

「おいおい。 お前は俺を何だと思ってるんだ?」

「禁煙場所で堂々とタバコを吸う不良教師じゃないですか」

「こっちじゃないだけ気を遣ってるんだがな」


 ポケットから普通のタバコを取り出して見せる渡部に総司は苦笑する。 そういう問題ではないだろう、と苦笑いの総司に、渡部はニヤリとまただらしない笑みを浮かべる。


「まあ学校には内緒にしてくれ。 その代わり、俺もお前が学校や警察に黙っててほしいような話があったら聞いても黙っててやるからよ」


 面白い先生だなと、総司は思わず感心していた。 安心していつでも相談してこいと、そのために担保を差し出してきたわけだ。


「……何かあったら相談させてもらいますね」

「おう。 いつでも言ってこい」


 軽い調子で言う渡部に頭を下げ、総司は進路指導室を出る。


──許せるようになる……か──


 進路指導室前の廊下で、総司は渡部に言われたことを考える。

 許せない──頭の中はずっとその思いでいっぱいだった。 今も春たちのことを考えるとあの時の最悪な気分が甦る。 許せないと、その思いしか湧いてこない。


 悪夢も未だに見る。 吐き気にも襲われる。 それでも、その頻度が減っているのは確かだ。

 悪夢に魘されても飛び起きるほどではない。 実際に吐くこともほぼなくなった。 程度も軽くなっている。──いや、いた。


 土曜に春が家にきてから二日、何度か吐いている。 空気と思うといったところで本当に見えないわけでもない。 どうしたって思い出す。 しかも、春はただいるわけではない。


 逃げるなと、確かにそう言った。 どこにいても何をしても自由だとも確かに言った。 それは確かだが斜め上の拡大解釈も過ぎるだろうと、絶叫したくなることを春はしている。


 最悪なことに、総司は春のことをいないものとして扱うと宣言して、その通りにしている。 反応するのは負けのような気がして何もできなかった。 春を相手に前言の一つも翻す気にならなかった。

 いっそ、自分がどこまで無視を貫けるのか挑発されてるような気すらしてくるくらいだ。


 許せないというその思いが薄まるわけがない。 薄まるのかは分からない。 薄めてやろうとは思わない。 しかし、薄まるならそれは受け入れろと、渡部の言ったことはそういうことだろう。


 どうこうできることでも、どうにかすることでもない。 考えてどうにかなるものでもない。──そう結論付けると総司は教室に向かう。

 昼休みはまだ大分残っている。 しかし、どこかで時間を潰そうとは思わない。 春と顔を合わせる時間を少なくしようと考えない。


 春を空気として扱う。 空気なら気にする必要はない。 自分で決めたこととは言え、総司は春を意識して、意識しないようにしていた。 春を避けることは春を意識しているように思えて、春を意識していないんだと自分に強弁するように春のそばにいようとしていた。


 これも渡部の言う意固地になってるということなのかと、そう思いはしてもそれをやめようなどとは思わなかった。

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