第27話 あり得ない現実

「おはよ──」


 登校してきた紗奈が教室に入り、挨拶しかけて入り口で固まる。 目線はすでに登校してきていた五人の内、三人の男子の間を行ったりきたりしている。 これ・・が総司のことがある前なら大爆笑していただろうが、今はそういう状況ではなかった。


「おはよう」


 挨拶を返す洋介に、呆気に取られていた紗奈は席へ向かう。


「それ……やっぱそういうこと?」


 洋介は頭を指差す紗奈に落ち着かない様子を見せながら、


「まあ……反省したの示すのって難しくてさ。 まずは形からな」


 綺麗に剃り上げられた頭を撫でて恥ずかしそうに笑う。 しかもそれは洋介だけではない。 賢也も優太も、三人揃って坊主顔負けの、光が反射しそうな綺麗な頭になっていた。

 土曜日にそれぞれ帰宅した後、グループトークで少し話をした。

 がんばろうと、そう決意はした。 ならば具体的にどうするかを考えないといけない。 何をするべきか──結論から言えば何も出てこなかった。

 それはそうだろう。 社会的に反省を表すと言えば反省文や奉仕活動があるが、友人に対して反省したことを示すのに何があるか。

 自分が大事にしているものを処分する、好きなことを二度としないと誓う、とにかく謝罪する──総司の様子を見ていた洋介と由美からすれば、そんなことをしたところで『どうでもいい』の一言で済まされる確信しかなかった。


 そもそも、こうすれば反省の意志が伝わる、そんな方法はないのだ。 心の中でどう思っているかなど、正確に伝わるわけがない。


『お前らに俺の気持ちは分からない』


 そう言い切った総司だ。 逆に言えば自分たちの気持ちだって理解できない──何をしようと、何を言おうと、そう切り捨てられるだろう。 それこそ、優太も読んでいる某漫画のように焼き土下座でもして見せるしかないのかも知れない。

 何も出てこないまま話は終わり、各々が日曜も一日中悩んだ。 内容はぼかして親や兄弟に相談したりもした。 その結果として男子三人が出した答えがこれだった。


「これもな、髪型変えただけとか言われそうだけど、まずは形からと思って」

「……あたしたちもやるべきかな?」


 スキャンダルで坊主にした某アイドルを思い浮かべながら呟く紗奈に、洋介は苦笑しながら首を振り否定する。


「さすがに女にこれはキツすぎるだろ。 まあ……髪を短くするくらいはありかもな」


 それで認めてもらえるかは分からないが、認めてもらえるならやる、認めてもらえないならやらないというのは反省とは違う。

 明日、自分たちも髪を切ってこようと頷き合っていると教室のドアが開く音が聞こえた。

 予鈴前に担任がくるのは珍しいなと思いながら慌てて席に着いた紗奈は、教室の入り口に目を向けて硬直した。 紗奈だけではない。 全員が同じように、あまりの驚きに固まっていた。


 入り口にいたのは担任ではなく総司だった。 落ち着いたら学校に行くと言っていた総司が11日ぶりに学校にやってきた。

 洋介と由美以外は事件後、初めて見る総司の変わりように絶句する。 あの晩に二人が見たほどにやつれていたり隈が浮いてるわけではない。 幾分か落ち着き、食事も睡眠も取れるようになっているのだろう。 それでも、穏やかな雰囲気だった総司は人が変わったように、暗い雰囲気をまとっていた。 しかし、それだけが六人を硬直させた理由ではない。


 ドアを開けて姿を現した総司は、三人が頭を丸めていることにも何の反応も示さず、それどころか一瞥することすらせずに真っ直ぐに自分の席へと向かう。 その後ろから総司に付き従うようにもう一人の人間が姿を表した。──総司に近寄ることを誰よりも許されない、誰よりも総司を傷付け、誰よりも嫌悪されてるはずの春がそこにいた。

 声を上げることもできない六人を無視して、総司と春は席に着く。


 総司は六人から机を遠ざけたりするような真似はしなかった。 自分の席でなく、休んでる三人の席の中から洋介たちから少しでも離れられる席を選んだりもしない。 前から四列、四列、三列で並べられた席の最後列右側の自分の席に座る。

 隣には春、前には洋介、左前は梨子、右前は彰の席で空白だが、洋介たちの近くにくることを避けようともしないで普通に席に着いた。

 それは洋介たちのことをどうでもいいと思っていることの表れだった。 無関係であり関心がない。──嫌いとすら思っていない。 そういうことだ。


 全員が振り向いて見ているのもまるで気に止める様子もなく、総司は鞄から教科書を出して机にしまっている。 隣の春はちらちらと洋介たちの様子を見るが声を上げることはなかった。

 突然のことで何を言えばいいかも分からず、それでも躊躇いがちに声をかけようと洋介が口を開こうとした時、予鈴が鳴り響き担任がやってきた。

 タイミングを失い開きかけた口を閉じた洋介は、総司と春が登校してきたことに驚く担任の声に前を向く。


 よかったと、そうは言いながらも総司と春の変貌に怪訝そうな顔をした担任は、この場で聞くことでもないと考えたか、洋介たちの頭にも触れずにそのままHRを始めた。

 HRが終わると総司と春は担任に呼ばれ、教室の入り口で話をしていた。 少しでも事情を聞ければと思ったのかも知れないが、何を話しているかは洋介たちには聞こえなかった。 昼休みに職員室にきてくれと、最後に総司にそう言っていたのだけは聞こえた。


 すぐに一時間目の授業が始まり、一度タイミングを逃してしまったせいで声をかけづらくなってしまった洋介たちはそのまま、休み時間にも何も話ができないまま昼休みを迎える。

 できれば総司と話をしたい。 しかし洋介たちが声をかけるよりも先に、総司は鞄からパンを取り出すと教室から一人、姿を消した。 担任のところへ行ったのだろう。

 春は席に座ったまま、黙ってうつ向いていた。 久しぶりに会う仲間に声をかけるでなく、鞄から弁当を取り出すでなく、総司が帰ってくるのをただ待つように黙りこくっている。


「春……久しぶりだね」


 春の様子に戸惑いながら、由美が恐る恐る声をかける。


「……久しぶり……だね」


 力ない笑みを浮かべてか細く答える春に、以前のような元気さは欠片もなかった。 春の受けた衝撃の大きさを感じ、どう言葉をかければいいのか、すぐには出てこなかった。

 春も何も言わない。 またすぐにうつ向いて、膝の上に置いた手を握り締めている。

 元気だった?──そんな当たり障りのない話も振れない。 元気だったわけがないし、そんなことは今の春の様子でも分かる。

 ずっと苦しんでて、今も苦しんでいるのだと──誰よりも苦しんでいるのが分かっていて迂闊なことは言えなかった。

 そんな春に梨子が近寄ると、春のことを後ろから抱き締める。


「……ごめんね、春」

「……」

「あたしだって……あんたと同じなのに……あんた一人に嫌な思いさせちゃって……つらかったよね……」


 総司に罵られた春のつらさを、梨子は自分のことのように受け止めていた。

 総司が自分たちをどう思っているか、録音した音声は聞いた。 激しい拒絶と蔑みの言葉に、梨子もひどくショックを受けた。 だが、それを直接ぶつけられた春のつらさはそれどころではない。 春と梨子の役割が変わっていたらそれは自分が受けていたのだ。

 梨子の気持ちを受けて、しかし春はそれで涙を流したりはしなかった。


「あたしがバカだったから……」


 つらそうにしながら、それでもつらいと、そんな言葉は言わず、春はうつ向いて言葉を吐き出す。


「あたしが悪いの……総司くんに言われるようなことしてて……総司くんを傷付けて……自業自得だよ……」

「春……」

「一番つらいの……総司くんだよ……総司くんに嫌な思いをさせて……今もさせちゃってる……あたしのせいで……」


 総司のことを思い言葉を搾り出しながら、春の目から涙が一滴こぼれ落ちる。

 自分のつらさは仕方ないものと、つらくてもがんばって受け止めている。 そうしないといけない。 だが、総司のことを思うと堪えきれなかった。

 今もまた、自分のせいで総司に嫌な思いをさせている──これからもさせ続けることになってしまった。 自分が馬鹿なことをしたせいで。


「あのさ……その総司のことなんだけど……一緒に登校してきたんだよな?」


 総司の話が出たことで、朝からずっと疑問に思っていたことを洋介は口にしていた。 聞きづらい状況で気まずそうにはしているが、どうしても抑えられなかった。

 あの日まで、総司と春が一緒に登校してくるのは当たり前の話だった。 楽しそうな春と一緒に総司が教室に入ってくる、もう戻らない光景が朝の風物詩と言ってもいいくらい当たり前だった。


 それはもう過去の話だ。 今の春が総司を迎えに行けるはずも、待ち合わせをすることもできるはずがない。 総司がいつから学校にくるのか知る術もない。 総司が春と一緒にいたいと思うはずがない。 それ以前に、春が総司に会うかも知れないのに学校にくることを親が許すはずがない。

 しかし現実に、総司と春は一緒に登校してきた。


「俺たちさ……土曜日に春の家に行って、誰も出ないから帰ろうって時にさ……総司の家から出てきた春のお母さんに会ったんだ」


 頭に浮かぶのは当然、土曜日に桜と話したことだ。

 桜は総司に何かを頼みに行ったと言っていた。 おそらく、と言うより間違いなく、それが総司と春が一緒に登校してきた理由に関わっているんだろう。

 総司が春を許しているようには見えなかった。 春に対して何も言わず、視線を向けることさえしなかった。 それでも、それが総司と仲直りする取っ掛かりにならないかと、そんなすがるような思いを全員が抱いていた。


「おばさんは聞かせてくれなかったけど……何があったんだ?」


 春は黙っている。 母親が総司に頼んだこと、そうせざるを得ないくらいに母親に心配をかけてしまったこと──何より、そんな無茶を総司が承諾して、総司の心の負担になり続けることがつらかった。

 逃げるなと、そう言われた。 自分が逃げれば総司は楽になれるのに、傷付け合って苦しみ合う道を示してくれた。 総司が春のために、これ以上傷付いたり苦しんだりしていいはずもないのにだ。

 許してなんかもらえない。 嫌われ、憎まれ、蔑まれている──それでもその道を示してくれた総司に、春はだからこそ申し訳なくて苦しかった。

 そんな苦しさに耐えきれず、春は仲間へとそれを口にしていた。



「あたしね……総司くんと一緒に暮らすことになったの」

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