第26話 罵倒と後悔

 玄関の扉の隙間から、家の中の様子は見えなかった。 総司がいたのかどうかも分からない。 不意に総司に会うようなことにならなくて、六人は全員がほっとしていた。

 ただ、中にいる誰かに頭を下げ、ドアを閉めてこちらを向いた春の母親──桜とは即座に目が合う。 これだけの人数でいて気付かれないはずもなかった。

 突然の遭遇に桜も戸惑ったようだ。 六人の様子を窺うようにして難しい顔をしている。


 しかしそれも本当にわずかな間で、険しい顔になると六人へと足を向ける。

 洋介たちの目の前で足を止めると、桜はあの晩のように洋介たちを睨み付ける。 その目が赤いことには気付いたものの、誰もそれを聞くために口を開く勇気はなかった。


「……総司くんに謝りにきたの?」


 いつも明るく迎えてくれた桜からは考えられないくらい冷たい声。 賢也も優太も、桜が自分たちにどんな感情を抱いているのか、否応なしに悟らされる。


「その……今までのこと反省して……みんなのお父さんお母さんに謝ろうって……春のとこに行ったらおばさんがいなくて帰ろうとしたんですけど──」


 男子に話をさせると桜の反発を呼ぶのは目に見えている。 そう思って慎重に言葉にする由美だが意味はなかった。

 桜は由美をちらりと見て、しかし目線はすぐに洋介たちに戻る。


「春もバカなことをやった……でもね、それをいいことに娘を好き放題していたあんたたちを、あたしも旦那も一生許すつもりはないよ」


 軽蔑と怒り──いっそ憎しみと呼んだ方がいいくらいの感情を込めて吐き捨てる桜に、男子三人はうつ向いていた。

 総司に言われて分かったつもりでいた。 それでもまだ足りていなかった。 自分たちがしていたことが女子にとってどういう意味を持つのか、あの晩、桜に睨まれた洋介も全く考えが足りていなかった。 梨子に謝りはしたが梨子に責められるわけでもなかったから理解できなかった。

 実際に桜に罵られそれを思い知り、言葉も何もなかった。


 そんな三人に桜は容赦しない。 娘を叱りつけた。 怒りのあまりにあの晩は罵りまでしてしまった。 それでも春は大事な娘だ。

 その春が苦しんでいるのを一週間も見続け、あんなことにまでなり、溜まっていた鬱憤を元凶を目の前にして飲み込んではいられなかった。 言ってやりたかったことを文字通り叩き付ける。


「仲間とか綺麗事言って、それで春はどうなった? 好きな相手に汚い女って、あそこまでひどく罵られて……春の責任でもあるけどそれでどれだけあの娘が傷付いたと思ってるの?──総司くんが言ってたことは何も間違ってないんだよ。 こんなことが知れたら嫁になんて行けたもんじゃない……謝って済むような問題じゃないんだよ」


 人の一生を台無しにするようなこと──そんなことを思いもしなかった高校生にはあまりにつらく、重い罵声だった。

 春にも責任がある。 それは分かっているだけに、いくらでも溢れ出しそうな罵声を桜は飲み込み口をつぐんだ。

 桜は由美たちへ目を向ける。 その目には哀れむような、痛ましいものを見るような色が浮かんでいた。


「あんたたちもバカなことをしたね……いつか春みたいに後悔する日がくるかも知れないんだよ? 話を聞いたなら分かっただろうけど──」

「後悔……してます」


 小さな声に苦言を遮られ、桜は声の主を見る。 うつ向いた梨子の姿に、春の姿を見てきた桜は梨子の胸の内をすぐに察した。


「梨子ちゃん……あんたも?」


 黙って頷く梨子に、桜の刺々しい感情が和らぐ。 娘と同じ心境の、同じように馬鹿なことをした、同じ被害者がいる。 春を労るのと同じ気持ちが自然と梨子に向けられていた。


「梨子ちゃん……その後悔は大事にしなさい」


 優しい声音に、梨子の目から思わず涙が溢れていた。 鼻をすすりながら頷く梨子を、桜は抱き締める。 春と同じ痛みを抱える少女を放っておくことは、今の桜にはできなかった。


「これからね、あんたたちはまたバカをやるかも知れない。 でもね……その後悔を大事にして、自分がしてることはどんな意味があるのか、それを考えられれば本当にバカな真似はしないで済むから……ね?」

「……はい……ぐすっ……」

「バカな真似はしない……約束だよ?」


 心底からの思い遣りの言葉に、梨子は桜に抱き付いて泣きじゃくる。 梨子の嗚咽を聞きながら、洋介たち三人も泣いていた。

 ただただ後悔に苛まれ、誰も桜が口にした『バカな真似』の意味までは気付かなかった。

 しばらくの間、梨子が泣きじゃくるのを、桜は優しく受け止め、落ち着いた梨子の背中を軽く叩くと、


「さ、それじゃあたしは春が心配だから帰るよ。 梨子ちゃんもね、総司くんに謝りたいかも知れないけどそれはまたにしなさい。 今は気分がいいはずないから」


 泣き止んだ梨子から離れて、桜は少し穏やかに、諭すように言う。 洋介たちに対しても、涙を流す姿から反省していることは受け止めたか、険は残っているものの先ほどと比べれば向ける目は幾分か柔らかくなっていた。


「あの……総司くんの気分がって……おばさんは総司くんのところに何をしに行ってたんですか?」


 不意に湧いた疑問を由美がぶつけると、桜はそれに答えるでもなく、総司の家に目をやる。


「総司くんさ……本当にいい子だよ」


 家の中の総司との話を思い浮かべながら、桜は感じ入ったように呟く。

 それだけで何のことか分かるはずもなく、女子三人は釣られるように総司の家に目を向けていた。


「すごい恥知らずなお願いに行った。 断られて当然で……罵られて殴られたって文句を言えないようなことだよ。 もちろんね、何を考えてるんだって言われはした。 それでもさ……総司くんは受け入れてくれたんだ」

「それって……春のことで何か?」


 由美の質問に桜は暗い顔で沈黙する。 何かあったんだと、それは分かったが桜がそれをあまり話したくないと思っているのも分かった。

 しばらく黙り込み、桜はまた六人へと顔を向ける。


「あんたたちはもう帰りなさい。 あたしも色々やらないといけないから」


 春に何があったのか、総司に何を頼んだのか、気にはなるがそれ以上は聞けなかった。

 桜ももう話すことはないと言うように、六人に背を向けて自転車に乗ると自分の家へと向かう。 洋介たちにはもう振り返りもしなかった。

 取り残された六人は、総司の家の前でしばらく動けなかった。 洋介も、賢也も、優太も、みんな桜に突き付けられた自分たちがしていたことの重さに、愚かさに、後悔の念に苛まれ涙が止まらなかった。


「ごめん……本当に……ごめん……」


 由美も、梨子も、紗奈も、両親が知れば桜と同じようなことを言うだろう。 嫁にも行かせられない汚い娘と、自分たちのせいでそう思われる。 自分たちがそうしてしまった。 その思いにごめんと、他に言えることもなく三人は繰り返し謝り続ける。

 そんな三人に、由美は軽くため息を吐く。


「あたしたちも楽しんでて、あんたたちだけの責任じゃないでしょ」

「うん……だけど……本当に……」


 無理やり迫られたわけでもない。 誰だったかは忘れたが成人向けの雑誌を持ってきて、興味を示した何人かがしてみないかと、そうやってみんなの前で始めて、互いにするようになっていった。

 最初は躊躇いがあった人間もいたかも知れない。 それでも仲間がしているからと、流されて混ざった人間もいたかも知れない。 それぞれの心の内がどうだったかまでは分からない。

 それでも、だ。 本気で嫌だったらしなかったしそれを咎めたりもしなかった。 だからこれは全員が望んでしていたことで全員の罪だ。


「みんな悪かった……まあ女子の方が男子よりもそうやって見られるのはあるから分からないでもないけど、それだってあんたたちだけの責任じゃないでしょ?」

「……だけど……」

「責任を取るって言うんならさ、それこそあたしたちを惚れさせるくらいのいい男になって結婚を申し込むくらいしかないんじゃない?」


 由美のからかうような言葉に、三人は顔を上げる。 涙でグシャグシャになった顔の三人に、由美はさらに呆れたように笑い、


「ま、それくらいのちゃんとした人間になってさ、みんなに許してもらえるようにがんばろうよ」


 由美も決して明るい気分になれる心境ではない。 なのに、励まそうとしてそんな冗談めいたことまで言ってくれる由美に、洋介たちは恥ずかしい気持ちになった。

 男なのに情けない。──涙を乱暴に拭うとようやく、三人は真っ直ぐ顔を上げる。 ひどい顔だがみんな何かを決意したような、少しだけ男らしい顔つきになっていた。

 ようやく気を取り直した三人に、由美は満足げに頷く。


「やったことを忘れちゃダメだけどさ、前向きにがんばろ?」

「そうだよな……悪い」


 すぐに実るわけがない。 それだけのことをしてきたししてしまった。 彰たちの両親にはすぐそばで見せられないが、総司は学校にくるのなら自分たちが変わったことも見せられる。 認めてもらえるのがいつになるかは分からないが、許してもらえる努力を続けていくしかない。

 そう決意して、六人はそれぞれの帰途へと着いた。



 そうしてそれぞれに思いに耽りながら休日を過ごした。

 総司がいつ学校にくるか、それは分からないが相当な覚悟がいることはみんな理解していた。

 そして迎えた週明けの月曜日。 学校には六人を驚かせる出来事が待っていた。

 桜が総司に何を頼んだのか、そのことも知ることになる。

 そして、それはまた、彼らの心に苦い罪悪感を噛み締めさせるものだった。

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