第23話 決別

「他の男とセックスしてるの見せられたの……いつの話だよ? その相手に好きとかさ……よく言えるよな」


 総司が自分に、そういう対象として嫌悪感を抱いているのは分かっていた。 それでも言わずにはいられず、覚悟もしていたつもりではいたが、総司の言葉は春の心を抉り耐え難い痛みを与える。

 さらに溢れる涙を拭いもせずにうつ向く春に、総司は容赦なく言葉のナイフを突き立てていく。


「キスは初めてだから喜ぶとでも思ったか? もうしないから今までしてたことは目をつむってもらえるとでも思ったか? 恥知らずな馬鹿な真似を散々やってた女なんか願い下げだよ……」

「……うっ……うぅっ……」

「あんなの見せた相手に好きとか言える戸倉も……それを応援するお前らも……つくづく頭おかしいよな……なあ……本気で思ってたのか? 俺がそんな女でも告白されれば喜ぶなんて……そんな頭おかしいやつだなんて本気で思ってたのかよ?」


 頭のおかしい恥知らずどもと一緒にするな──そう吐き捨てると総司は深くため息を吐く。

 言いたかった、でも言いたくなかった、いい仲間と思っていた相手への、感謝していた、可愛いとも思っていた女の子への罵声。 一度口にしたら自分でも止められず、吐き出すほどに吐き気が募り気持ちがどんどんささくれていくのを感じていた。

 もうこいつらと話したくない。 元々こいつらに分かるなんて思っていなかった。 できないって言うならもうどうでもいい。 罵って気分が晴れるならともかく、不愉快な思いをしてまで無駄なことをしたいとは思わない。


──もういいから帰れ──


 終わりにしようと、断絶の言葉を口にしようとして総司が口を開き、


「……ご……ごめん……ひっ……なさい……」


 春の謝罪に総司は口を閉じる。

 謝るなんて許さない──それをまた言わせるのかと、苛立ちを感じながらまた口を開き、


「総司くんに……そんなこと言わせて……また……うぅっ……嫌な思い……させちゃって……」


 責めようと思った言葉を総司は再度飲み込んでいた。 黙り込んだ総司に、春は抑え切れない胸の内を吐き出していく。


「総司くん……そんなこと……言う人じゃ……なかった……ぐすっ……あたしたちに……ひどいこと……言って……んっ……今だってきっと……嫌な気持ちで……あたしが……バカで……ううっ……そんなに……ひっ……させちゃって……ごめ……なさ……ううっ……あああぁぁぁっ……」


 声を上げて泣き崩れる春に、総司の顔から表情が抜け落ちる。 怒りも蔑みも苛立ちも、何もかもが抜けた表情で、しかし無表情とは違う。 不意を突かれてどんな顔をすればいいのか分からない、そんな気の抜けた表情で春を見る。 泣きじゃくる春に意識を取られて総司の様子に誰も気付かなかった。

 泣いている春に同情も何も感じない。 それでも、不意に示された理解に毒気を抜かれたように、総司の心中は大分落ち着いていた。


「……もういいから帰れよ」


 春が謝る前に言おうとした言葉──しかしそれに込められた感情は飲み込む前とは違ったものだ。


「……総司」

「できないんだろ? 最初からお前らに俺の気持ちを分からせるなんて無理だって思ってた……これ以上、無駄なことさせんなよ」


 面倒くさそうに言う総司に、戸惑ったように洋介たちは顔を見合わせる。 期待してない──それは変わらないしそう言われるのはやはり堪える。 たが、総司の何かが変わったことは分かった。 


「落ち着いたら学校には行く……転校なんてできないしお前らのせいで高校中退とか冗談じゃない。 だけど俺の気持ちを理解してないやつらと関わりたくない……俺はいないものと思ってお前らは今まで通りにしてろよ。 頭おかしい恥さらしな真似も好きなようにやってろ」


 これ以上話すことはないと、総司は言い捨てて立ち上がる。 広間の出口に向かう総司を誰も止めない。

 総司の話は聞いた。 何に怒っていたのか、何に傷付いたのか、自分たちをどう思っているのか、嫌というほど理解した。 その上で──もう何も受け入れてもらえないのだという事実を理解した。 総司を止める言葉など誰も持っていなかった。


「……戸倉」


 広間を出ようとドアに手をかけたところで、不意に総司が春に呼び掛ける。


「……最後の謝罪だけは受け入れるよ」


 何を言われるのか、身を固くした春が思いがけない言葉にぱっと顔を上げる。 涙でぐちゃぐちゃのひどい顔で、しかしそれは背中を向けたままの総司には見られていない。 総司の顔も見えない。 どんな顔をしているのか分からない。 それでも──声の響きには以前のような優しさがほんの少しだが感じられた。

 声をかけるべきか、春が逡巡している間に総司はそのまま広間から出ていった。

 断絶はもうどうにもならないと、その事実を思い知らされた六人はもはや何も言えず黙り込む。

 しばしの沈黙の後、智宏が口を開き親の間で話し合いが始まった。 当事者の春たちは何も言えず、親が話し合うのをただ無言で聞いていた。



 暗い道を無言で、洋介と由美は自転車を走らせる。 周囲の暗さはそのまま、二人の心中の暗さを表しているようで、そのくせ星明かりほどにも先行きを示してくれるものは心中にはなく途方に暮れていた。

 昨日の昼間、総司が何を怒ったのか話していた自分たちがいかに愚かだったか──笑うことすらできなかった。


「……来週から大変だね」


 由美の呟きに洋介は何も答えず、ただ無言で頷く。 自分たちの関係性も、クラスの状況も大きく変わる。 自分たちの心境もすでに大きく変わっていた。

 総司がいなくなった後、親同士の話し合いは言い争いもなく進められた。 親たちから総司に対する文句を言えるわけもなく、自分たちの子供が大変なことをしたと、智宏に対する謝罪がされ慰謝料を支払うことが決められた。 総司は賠償を望んでいないのであくまで智宏に対するものになる。 仕事を休んだりすることになった迷惑料のようなもので金額は大したものではなかった。

 一番重要なのは子供たちの処遇をどうするかだった。 総司に対して今までのように接触させられないのは当然あるが、それを除いても子供たちの乱れた関係を知ってしまってそのままにできるわけもなかった。


 彰は父親の康雄の気性もあるが、智宏と親しかっただけにその怒りは誰よりもひどく、明日からしばらくの自宅謹慎の後、最低でも夏休みが明けるまでは康雄が会社の社長に掛け合って下働きとして働かせると宣言していた。 自分で稼いだ金銭で総司に誠意を見せろとの言いつけに彰も黙って頷いていた。 あるいは彰はそのまま学校をやめることになるかも知れない。


 文彦の親の怒りも激しかった。 何しろ総司の口から実際に性行為を、それも学校で、友人たちの目の前でしてるのを見たことを暴露されているのだ。 あまりの恥知らずぶりに母親が泣きながらひっぱたいていた。 文彦は母方の実家の寺にしばらく預けられることになり、彰と同様にやはり夏休み明けまでは戻ることはないし、学校に戻れるかどうかも分からない。


 信雄はしばらくの自宅謹慎だ。 彰や文彦ほどの対応ができる環境ではなく、預かってくれる親戚がいたら転校させることを考えるが確約はできないと、二人の処置と比べて軽くなってしまうことを申し訳なさそうに謝っていた。


 問題は春だ。 唯一の女子の春は総司にとって一番の、直接的な加害者であり、両親からしても一番恥知らずなことをしていたと思っていた。 近所に住んでいることもあり、総司と一番引き離さないといけないのが春になる。

 たが、春の家は母方の実家の敷地内にあり他に親戚はいない。 父親は両親を若い内に亡くし、戸倉家へ婿入りしてきていた。 他に親戚がいないのは母親と同じだ。

 また、恥知らずなことをして総司を傷付けたとは言え、好きな相手に罵られ春自身も傷付いている。 そんな娘をよそに預けることには不安があり、しばらくは自宅謹慎で様子を見させてほしいと、春の両親は智宏に頭を下げていた。

 スマホを取り上げて仲間たちと連絡を取れないようにさせるのは当然のごとく全員が約束していた。


 智宏は総司が何も求めない以上、好きにして構わないと特に文句を言うことなく受け入れた。 学校や警察にも言わないと約束している。 それは洋介たちを許したわけではなく、公になることで総司が傷付かないよう、総司が求めない限りはそうすることはないとの意思表示だ。

 そうして、彰たちは親に連れられて帰り、洋介と由美は由美の家へと向かっている。


「これからどうなるんだろうね……」


 由美の呟きにまたも洋介は答えられない。

 総司もしばらくは学校にこない。 11人いた仲間が6人まで減ってしまった。 連絡を取ることもできない。 残った仲間たちも、総司の話を聞いたら今までみたいに楽しく、気楽に遊ぶなんてことはできないだろう。 それは性行為に限った話ではなく、普通に遊んで楽しむことも罪の意識が許さない。

 それでも、このことは共有しないといけない。 何故こんなことになったか、他のみんなにも説明しないわけにはいかない。


「……明日、俺ん家に集まるか」

「……そうだね」


 どうするかを決めて、洋介は自転車を止めるとスマホを起動する。 マナーモードにしていた間に、Wireには話し合いの内容はどうだったかを知りたがっているみんなからメッセージが殺到していた。

 明日、洋介の家で総司の話を全部聞かせるから集まってほしいと、それだけをメッセージで送ると二人はまた自転車を漕ぎ始める。 時刻は21時近い。 遅くなると親に言っているとは言え、由美は早く家に帰らないとまずい時間だ。


 無言のまま、二人は自転車を漕ぐ。 暗闇の中を進む今の状況が、そのまま自分たちの状況を表しているようだと、二人はまた改めて重いため息を吐いていた。

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