第22話 総司の本意

 どうすればいいのか──春の問いに対して総司が静かに言った言葉は、これまでの総司の言葉の中で最も理解できないものだった。 言われた言葉が飲み込めず、全員が総司をまじまじと見る。

 自分たちがしていたことを恥知らずとあれだけ罵り、母の不貞に傷付いていた総司が、そんなことをしろと言うのが信じられなかった。


「総司……何……言ってんだ?」


 聞き間違いではない。 しかし、できればそうであってほしいと思わずにはいられず聞き返す洋介に、総司はもはやため息すら吐かずに淡々と言葉を投げる。


「今ここで、いつもしてるみたいに四人でセックスしろって言ったんだよ」


 棘のある総司の言葉に洋介たちは春を見る。 春が身を強張らせるのを感じた由美は春のことを守るように抱き締めていた。 総司に──好きな相手に目の前で、他の男としろと言われてどれだけ傷付くか、分からないはずがなかった。


「仲間内でするのは当たり前で恥ずかしくもないんだろ? だったら今、お前らの親もいる前ですれば無理やりさせられた分を差し引いても俺がどんな気持ちだったか少しは分かるだろうよ」

「ちょっと……それはいくら何でも──」


 どんな気持ちか分からせる──それが比喩でもなしにそのまま、同じ思いをさせるということだったと分かり、由美が思わず抗議の声を上げる。

 うつ向いた春が顔を真っ青にして小刻みに震えている様子に、彼氏がいた由美も自分に置き換えて想像し胸が痛んだ。 そして、総司の気持ちは分からないと罵られているのと同じように、今の春の気持ちも理解しきれていない──春の心の痛みはもっとひどいのだと、そう思わざるを得ない。


「それくらいしないで俺の気持ちが分かったなんて言わせない……分からないまま謝って……罪悪感を軽くしようなんて認めるかよ」


 自分の気持ちを理解しないまま、謝ったり償うなんて許さない。 そんなことで罪悪感を軽くしようなんて認めない。 そんな総司の固い意思に、文彦と信雄は目に狼狽の色を浮かべて互いを見る。

 うつ向いて震える春も、康雄に睨まれた彰も何か言えるような状況ではない。 洋介も由美も、実際に総司に無理強いしたわけでないから総司からはずされているし、下手なことを言えば総司がさらに頑なになるかも知れないから黙るしかない。


 総司の言う通りにするか──できるわけがなかった。 元から仲間以外の前でするようなことはなかったし、総司にここまで罵られて自分たちがおかしかったと自覚させられてしまったのだ。 例え親がいなくとも、もう以前のようにする気も起きない。 何より──好きな相手ができた春にそんなことはできない。 その相手の前でなんてできるわけがなかった。

 だからと言ってそれを総司に言えるか──それも言えない。 そんなことを言えば総司の気持ちを理解する気がないと言うのと変わらなかった。 それでどうなるのか──怖くて何を言えばいいのか、どうするべきなのか分からず、結局は二人とも黙り込んでしまう。


 また流れる沈黙の時間──総司から答えを聞いても誰も動かない。 動けない。 当事者たちは何もできなかった。


「総司くん……だったね」


 結局、声を上げることができたのは親しかいなかった。 これ以上黙っていられず、春の父親が声を上げる。


「娘がそんな馬鹿なことをしているだなんて恥ずかしながら全く知らなかった。 娘をちゃんと見ていなかった私たちにも責任がある。 本当にすまなかった」


 深々と頭を下げる春の父に総司は無言だ。 妻と娘から聞いていた総司のイメージとあまりにかけ離れたその様子に、やりにくさを感じながら春の父親は続ける。


「君がそこまで言うのも仕方のないことだと思う。 確かに君がどれだけの傷を負ったか、同じ経験をしないで完全に分かったとは言えないかも知れない。 だけど娘も自分たちがどれだけ──」

「……黙っててもらえませんか?」


 総司の静かな言葉に遮られ、春の父親は頭を上げる。 何の感情も浮かべていないその顔に、むしろ総司がどんな気持ちでいるのかが表れていた。


「……父さんは賠償とかの話で呼んだみたいだけどそんなのほしくない……償うなんて絶対にさせない。 そいつらに俺の気持ちを理解させる以外、何もいらないんですよ」

「だけど──」

「これは俺とそいつらの問題で親は関係ない……悪いと思うなら黙って戸倉たちがセックスするの見て、頭のおかしさを教えてやってください」

「待ってくれ! そんなことはさすがに──」

「俺たちの問題なのに責任を感じるとか言って口を挟むんだったら……嫌とか言って逃げないでくださいよ」


 総司に釘を刺され、春の父も何も言えなくなる。 今の総司には何も伝わらないし翻意させることなどできないと、それをようやく、痛いほどに実感させられた。

 彰に激怒していた康雄も、息子へのあまりな要求に総司を説得してもらえそうな唯一の相手に向き直る。


「柴谷さん……頼むから息子さんを──」

「杉田さん。 私は総司がやり過ぎない限りは止めないと──」

「こんなのさすがにやり過ぎだろうよ!?」


 耐えきれずに智宏に懇願した康雄が、智宏の言い様に思わず大声を上げる。 しかし智宏は欠片も動じない。 康夫の剣幕にも、やり過ぎと言われたことにも何の動揺も見せなかった。

 大きな現場を管理するために求められるのは何よりも合理性だ。 智宏はそれを長い現場経験で身に着けている。


「杉田さんはやり過ぎだと思いますか?」

「当たり前だろう! 息子さんだってあんたの前でさせられたわけじゃ──」

「あなたがやり過ぎだと思う以上のことを総司はさせられたんですよ」


 智宏はあくまで静かだった。 言葉を荒げることもなく淡々と話している。 それでもその雰囲気に、康雄は言葉を失っていた。


「彼らにとってはいつも、何も考えずにやってたことでしょうが、総司にとっては誰にも見られたりしたくないことだったんですよ? おまけに総司は初めてで、押さえ付けられて強要された。 それを考えればまだ彼らの天秤の方が軽いくらいでしょう」

「柴谷さん……だけどいくら何でも親の前では──」

「それじゃ他に、お子さんたちが見られたくない相手でも連れてきますか? 親のあなたたちであることはまだ救いだと思いますよ」

「そうじゃなくてよ──」

「これが私的な復讐で許されないと言うのであれば、それこそ警察の手に委ねるべきことでしょう。 私としてはそれでもかまいませんが?」


 冷静な、ある種事務的とも言える対応をしていたから気付かなかったが、ここに至って康夫も他の全員も気付かされた。 総司と同様、智宏も相当な怒りを抱えているのだと。 

 妻に浮気され離婚することとなり、心に傷を負っているだろう息子を呼び寄せて新しい生活が始まって数日でこの有り様だ。 ただ一人の大事な家族を傷付けられた怒りは相当に深かった。

 総司の意思を尊重することを一番に考えているが、本来なら警察にすぐにでも訴え、賠償請求を起こして、相応の報いを受けさせたいのが智宏の本音だ。

 総司を説得してもらうなど到底望めない──それを理解し親も何も言えなくなると総司は固まった四人を見やる。


「……どうした? 俺の気持ちを理解したいんだろ? ……さっさとやれよ」


 余計な雑音が消え、促す総司にそれでも誰も動かない。 冷たい目を向ける総司と視線を合わせることもできずにいる。

 総司の無言の圧力の中、いつまで待っても誰も動こうとしないことに焦れた総司が口を開き、


「でき……ないよ……」


 総司の言葉よりも先に、春の口からか細い声が出ていた。 うつ向いたまま、総司の方を見ることもできない。 ぎゅっと、膝に置いた手を握り締め、つっかえながら自分の気持ちを絞り出すように伝える。


「総司くんの気持ち……知らなきゃ……いけないって……でも……あた……し……そ、総司くんの……こと……好きで…………みんなと……もうしないって……みんなも……がんばれって……だから……! 初めての……キス……も……総司くんだから…………なのに……できないよ……!」


 汚い女、性欲処理にすらごめんとまで蔑まれ、すでに砕け散った叶わぬ想いをそれでも捨てられず、春は必死に総司に伝える。 受け入れてもらえるわけもない想いをそれでも、せめてそんなことはさせないでほしい、許してほしいと。


「……それを俺が喜ぶとでも思ってるの?」


 春の必死の告白と懇願に、総司の返事は冷たかった。 これ以上下がることはないと思われた総司の心の温度がさらに下がり、勇気を振り絞った春の心すら凍り付かせる。

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