第三章 薔薇まとう愛の使徒_二
五月
フレデリカは馬車に
馬車の窓から見える木々は青く
駅馬車を乗り
馬車の向かう先は王都の一等地にあるバートリー
フレデリカはバートリー家の家族構成を頭の中に思い
現在
半年以上も
「
「え、でも」
フレデリカはうつむきながら、自分が着ているドレスを見る。
ややあってエリシオがフレデリカの心情に気づく。
「たとえデザインが最新のものでなくても、おれの両親は服に愛着を持っている人をさげすむことはしない。むしろ敬意を
(……これ、喜んでいいのかしら?)
フレデリカは
やがて馬車が止まる。長旅が終わったのだ。
(わあ……なんて素敵なお屋敷)
バートリー家の屋敷は
従者が馬車の
「それにしても。もっとドレスを持ってきてもよかったのに。ドレスを置くための部屋くらい貸すけど」
「お
(ぼんぼんなんだから)
「おかえり、エリシオ。そしてフレデリカ・オルブライト
晴れやかな声と共に、四十代くらいの
「ミハエル・バートリーです。どうぞよろしく」
「こちらこそお世話になりますわ」
「こちらは妻のイザベラだ」
「ごきげんよう、フレデリカさん」
バートリー夫妻の背後には薔薇の
さすが服飾業界のトップたちだ。
(素敵ね)
思わずフレデリカが見とれていると、ミハエルがイザベラの腰に手を当てる。
「ああ、どうして今日も君は美しいんだ。絹のような
「あらいいわね。あなたも相変わらず男前よ。このグレーのベスト、よく似合っているわ。
「いいね。君が選んでくれたものなら最高に似合うかも」
バートリー夫妻はからまるようにぐっと
「そのうち慣れるから」
どうやらこれが日常らしい。しばらくイチャイチャしたあと、バートリー夫妻は目をつりあげながらエリシオを見つめる。
「お前が一か月以上も家に帰らないことはいままでもあったから、とくに心配はしていなかったが……」
「まさか
(……想い人?)
聞き捨てならない言葉にフレデリカの表情が固まった。エリシオもあきれたように否定する。
「いやいや、彼女は仕事仲間だから。ねえ?」
「そうです」
二人して反論すると、バートリー夫妻は顔を見合わせてやれやれと額を押さえる。
「エリシオ。あなたはフレデリカさんが我が屋敷で暮らすことを世間からどういうふうに見られるか理解しているの?」
イザベラの
「どう考えても
婚約。意味は結婚の約束をすることだ。一体、誰と誰が。
(えっ? わたしとエリシオさまが?)
フレデリカは疑問で頭をいっぱいにしていると、エリシオが気だるそうに口を開く。
「すぐに収まるよ。オルブライト家の事情なんてみんな知っているんだから。そのうち領地のために住みこみで働いていることに気づくさ」
彼はわりと現代的な考え方をする。近世ヨーロッパ風な異世界で、この思考は変わっているらしい。イザベラが
「あなたがどう思っていようと世間の目は違います。そのうちゴシップ記事に書かれるわよ。だからエリシオ、しっかりフレデリカさんを守りなさい」
「わかっているよ」
「いいえ、あなたはわかっていません。商売のためにはご婦人方のご
「はいはい」
いつの時代でもどの家庭でも見られそうな会話だった。エリシオは二十四歳であり結婚
(本当に商売以外に関心がないのね)
きっと彼は石油王の
(それにしてもゴシップ記事ね……)
単語を聞くだけで
気の
「イリア! フレデリカ嬢がいらしたぞ。挨拶なさい」
「…………」
階上には波打つ金茶の髪を持つ女性が立っていた。ドレスは
イリアがぺこりと頭をさげたのでフレデリカも深々とさげる。すると彼女はたくさんの本を持った
「すまないね。イリアは
エリシオがポケットから
「彼女は明日から商会で働いてもらうから。そろそろ部屋に案内するよ」
「そうか。引きとめて悪かったな。フレデリカさん、困ったことがあったらすぐにエリシオに言ってくれ」
「じゃあまた夕食のときにね」
バートリー
「僕たちは今夜の食事に合うワインでも探そうか」
「いいわね~。今日は赤の気分だわ」
「そうだ。赤
フレデリカはその後ろ姿を見送り、少しだけ
(一人ひとりの個性が強い……)
オルブライト家とは別の意味でにぎやかな一家だった。
「それでは行こうか」
エリシオに従ってフレデリカも歩きはじめる。
「この部屋を自由に使っていいから」
そういって案内されたのは、広々とした部屋だった。明らかに前世で住んでいたマンションの八
「屋敷の中で一番
「本当にお
ここまでくると
「夕食の場所は侍女が案内してくれるから。困ったことがあったら彼女たちに聞いて」
結局エリシオも人任せであり、フレデリカは部屋に取り残される。困ったように侍女たちに視線を向けると、
「常に
「あ、ありがとうございます……」
彼女たちもあっさり隣の部屋に行ってしまった。
フレデリカはすでに運びこまれていたトランクを開いて中身を整理しようとしたが、その前にクイーンサイズのベッドに
次の日から、さっそくブライダルサロンの準備がはじまる。
フレデリカは早朝にエリシオの命によって侍女たちに起こされた。サンドイッチを食べて
ブライダルサロンを開設するにあたって、フレデリカとエリシオは変装することを決めていた。別人になるためにエリシオがフレデリカの身につけるものを決めてくれる。
どんどん買い物は続き、王都に
さらに
メニューに値段は書いておらず、エリシオは
前菜を食べ終えたところで、エリシオが口を開く。
「さっきから思っていたけど、お肉くらい好きなものを食べなよ」
「えっ」
彼に見抜かれているとは思ってもいなかった。思わず顔を赤くすると、わざとらしくため息をつかれる。
「メニューを見ているときの視線が泳いでいた」
「……む、無意識でしたわ」
フレデリカは表情筋を
エリシオは慣れた手つきでヒレ肉を切り、ソースと
「身分が高くてプライドがある人ほど、人の仕草をよく見ている。そういう人たちを相手に商売をするんだから。君はもっと貴族としての
「……はい」
フレデリカは年相応に小さく返事をした。彼の言いたいことはわかるのだが。
(そのあとの払いが
フレデリカは小さく切った肉を口に運ぶ。
王都ベルチアの南区にはさまざまな商店が集まっている。大通りにはカフェやドレスといった
路地裏の一角にある二階建ての建物を、エリシオがブライダルサロンの事務所として構えた。
連日買いこんだ荷物を運び入れていく。この建物のことはエリシオと彼が信用できる側近しか知らない。さらにブライダルサロンをやることは二人だけの秘密だった。
「おれが一階を片づけているあいだに二階で
彼は伯爵家の次男でありながら、自分で
二階は三部屋だけで、そのうちのひとつが変装部屋となっている。中にはクローゼットと大きな鏡が置かれていた。
フレデリカは職人たちが急いで仕上げてくれたドレスに
布地は
前世での仕事着が黒や
「どことなく
実際にお客さまの前に立つときは仮面で顔を
「……けっこう印象は変わったけれど」
髪型と化粧と服が合っていない気がした。どこをどうやって直そうかと考えていると、部屋の
「まだ時間がかかりそう?」
フレデリカが返事をする前に、鏡
「ちょ、ちょっと、着替えていたらどうするんですか!?」
「着替えてないと思ったから入ったんだよ」
彼は悪びれることもなく、しれっと言葉を返した。
(だったら最初から聞かないで……)
彼はそのままフレデリカの真後ろに立ち、じっと見つめてくる。
「なんかおれのイメージと
背後から
「やっぱり髪を束ねたほうがいいのか……難しいな」
エリシオに指示され、
「このサロンは
「──!」
鏡越しに
「おれは客観的な意見しか言えないけど。なにかできそう?」
「はい、なにかできそうです」
フレデリカは一度エリシオを部屋から追い出し、鏡に向かう。
髪は編みこみながら束ね、
(顔は
さらに唇には青みが
鏡に向けてほほえみかけると、
エリシオを呼び寄せると、彼は満足そうに
「似合っているよ」
(もしかして、おだてじゃない?)
容姿を
唇に力を入れていると、エリシオに手を取られ、フレデリカは「へ?」と変な声を出す。
「それではレディ、さっそくその恰好で参りましょうか」
化粧をほどこしたフレデリカが向かった先は、王都にあるミティア教の大聖堂だった。
オルブライト領のマルコ神父が送ってくれた手紙によって、大司教に会うことができた。
バートリー
ブライダルサロンやブライダルビジネスをやるためには、教会の協力がいる。話を持ちかけると、大司教は数ある教会のうちのひとつに使用許可をくれた。
(それもそうよね。婚姻の儀式はお金を払って行われるものだから)
結婚式という儀式を商売として成り立たせることで、収入がいつもより増えるとなると、教会側も
ただしフレデリカたちに
(押しつけられたと感じるのは気のせい?)
帰りの馬車で実際に教会に立ち寄ってみると、外見は
さらに
「とても楽しみだわ」
フレデリカがぽつりと呟くと、エリシオは腰に両手を当てて首を縦に振った。
「そうだね。ここの使用料は
エリシオの言う通りだったが、ブライダルサロンを通して
(なかなか手ごわそうだけど)
心の中でため息をつくと、彼はニヤリと口角をあげる。
「すべては君にかかっているんだ。レディ・リエニス」
「……やめてください。わたしはそんな大層な人間ではありませんわ」
フレデリカは大司教と
その名はリエニス。彼女ははるかむかしに存在した修道女だった。
そもそも愛の女神フリージアは気まぐれと愛嬌と快楽が混ざった
──愛することに
リエニスはその教えを忠実に人々に広めた。彼女は一説によると貴族の
「案外オルブライト家はリエニスの
「……いいのでしょうか、勝手に名前を使っても」
「少しくらい神秘があったほうが人は信じやすい。というわけで君は仮面をつける予定だったけど、ベールに
「えっ、ええ? でもベールは王族のみが許された高貴な
「リエニスは愛の女神の使徒だよ? ベールのほうが神秘的で
要はその布地を
「エリシオさまもリエニスの館にいるときは変装をするんですよね?」
「そうだね」
「ちなみにどんな恰好をするおつもりで?」
「新作の礼服を着ようかと思っている。
彼のいう新作の礼服は、一部に華やかな
(このままだとエリシオさまのキラキラオーラが消えない……!)
仮面をつけたところで
「あの、もっと思いきりがあったほうがいいかと」
「まさか……おれに化粧をするつもり?」
「違います!」
フレデリカはリエニスの館に
「とてもお似合いですわ」
彼に手鏡を
「……
フレデリカは満足げにほほえむ。
「その感想が出てきたということは上出来なんですね」
「君もかなり
リエニスの館の準備はさらに進んでいく。王都で買った花で飾り、
さらに式場となる教会の修繕は、大工と聖職者にお願いしていた。
そしてリーシュから手紙が届き、子爵令嬢であるミリアがフレデリカの行った婚姻の儀式に強く興味を持っていることを教えてもらう。そこでフレデリカは「王都に儀式の相談ができるお店があるみたい」という
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