第三章 薔薇まとう愛の使徒_二

 五月ちゆうじゆん

 フレデリカは馬車にられ、約一か月半ぶりに王都ベルチアを訪れる。

 馬車の窓から見える木々は青くしげり、葉を照らす日差しは温かそうだった。フレデリカは春用のうすのコートをいだ。

 駅馬車を乗りいできた旅もこれで終わる。エリシオとずっと顔をつき合わせていたせいか、じよじよに会話がなくなったが、その無言が心地ここちよかった。宿場でもフレデリカは個室を使わせてもらい、ゆうゆうてきに過ごせた。

 馬車の向かう先は王都の一等地にあるバートリーはくしやく家だ。

 フレデリカはバートリー家の家族構成を頭の中に思いかべる。

 現在しきにいるのはミハエル伯爵、イザベラ夫人、妹のイリアだ。兄のヒューゴは妻といつしよに領地の統治を任されているらしい。近いうちに爵位がじようされると言われていた。

 半年以上もそうろうするからには、できるかぎり仲良くなりたい。まずは第一印象のがおからと、ほおをもみほぐす。

きんちようしなくてもだいじようだよ」

「え、でも」

 フレデリカはうつむきながら、自分が着ているドレスを見る。ていねいに手入れはしているが、ふくしよく業界のトップたちとひとつ屋根の下の暮らしだ。いつも以上に気をつかっていた。

 ややあってエリシオがフレデリカの心情に気づく。

「たとえデザインが最新のものでなくても、おれの両親は服に愛着を持っている人をさげすむことはしない。むしろ敬意をはらうよ。似合っているんだから、もっと自信を持ちなよ」

(……これ、喜んでいいのかしら?)

 フレデリカはくちびるに力を入れて、平常心を保つ。なおに喜べない自分の心にやきもきした。

 やがて馬車が止まる。長旅が終わったのだ。

(わあ……なんて素敵なお屋敷)

 バートリー家の屋敷はごうな装飾でいろどられているが、色味を統一することで派手さよりも上品さを演出していた。さらに広い庭の木々は整えられ、ふんすいまである。

 従者が馬車のとびらを開けてくれ、フレデリカはさわやかな空気に導かれるようにおりる。するとまた別の従者がオルブライト家から持ってきたトランクや積み荷の木箱を運んできてくれるが、エリシオはそれをいちべつするとまゆをさげる。

「それにしても。もっとドレスを持ってきてもよかったのに。ドレスを置くための部屋くらい貸すけど」

「おづかいありがとうございます。ですがわたしは居候の身ですので」

 けんきよに返事をしたが、フレデリカの持ち物が少ないだけである。ドレスはクローゼットに入る分だけで十分だ。

(ぼんぼんなんだから)

 ひそかに悪態をついていると、屋敷の扉が開かれる。中はシャンデリアによって照らされ、二色の大理石をチェスばんのようにいたゆかは鏡みたいにみがかれていた。奥には二手に分かれた階段があり、映画のセットの中にいるようだった。

 しつやメイド長を筆頭に、いろんな人から頭をさげられる。ピシッと決まった背中の角度や指先に彼らのプロ意識を感じた。

「おかえり、エリシオ。そしてフレデリカ・オルブライトだんしやくれいじよう、ようこそ我が家へ!」

 晴れやかな声と共に、四十代くらいのしんが正面から現れる。きんぱつはすきあげられ、あおひとみ息子むすこ同様に爽やかだった。身だしなみや体形には気を遣っているようで、質のいい白シャツとグレーのベストを着た上半身は引きまっていた。

「ミハエル・バートリーです。どうぞよろしく」

「こちらこそお世話になりますわ」

 あいさつわすと、ミハエルの背後から女性がヒールのかかとを鳴らしながら近づいてくる。長くびた金茶のかみいあげ、まつ毛に彩られたタレ目は一度見たら忘れないほどのりよくを秘めている。ドレスはこしのラインを見せるタイトシルエットで、優美な曲線をえがいている。さらにそでぐちにはシルクシフォンが使われていて、いろただよっていた。

「こちらは妻のイザベラだ」

「ごきげんよう、フレデリカさん」

 バートリー夫妻の背後には薔薇のげんかくが見える。美男美女というりよくとしを重ねても健在らしい。というのも、イザベラは社交界の中でも一目置かれる夫人であり、バートリー商会で取りあつかうドレスをだれよりも美しく着こなし、前世でいうモデルのような役割を務めている。うわさによると二十代からずっと体形をしているらしい。

 さすが服飾業界のトップたちだ。はなやかさがちがう。

(素敵ね)

 思わずフレデリカが見とれていると、ミハエルがイザベラの腰に手を当てる。

「ああ、どうして今日も君は美しいんだ。絹のようなはだもみずみずしい。まるであさつゆれたしら百合ゆりのようだ。今度のドレスの新作は白百合をモチーフにしようかな」

「あらいいわね。あなたも相変わらず男前よ。このグレーのベスト、よく似合っているわ。こうたく感があって上品で。だけどあなただったらブラウンのベストも似合うと思うのよね。ねえ同じ型でつくってみない?」

「いいね。君が選んでくれたものなら最高に似合うかも」

 バートリー夫妻はからまるようにぐっときよが近くなり、たがいをめはじめた。フレデリカがまどいを見せると、エリシオから耳打ちされる。

「そのうち慣れるから」

 どうやらこれが日常らしい。しばらくイチャイチャしたあと、バートリー夫妻は目をつりあげながらエリシオを見つめる。

「お前が一か月以上も家に帰らないことはいままでもあったから、とくに心配はしていなかったが……」

「まさかおもい人を急に連れてくるなんて思ってもいなかったわ」

(……想い人?)

 聞き捨てならない言葉にフレデリカの表情が固まった。エリシオもあきれたように否定する。

「いやいや、彼女は仕事仲間だから。ねえ?」

「そうです」

 二人して反論すると、バートリー夫妻は顔を見合わせてやれやれと額を押さえる。

「エリシオ。あなたはフレデリカさんが我が屋敷で暮らすことを世間からどういうふうに見られるか理解しているの?」

 イザベラのふんが美しい女性から勇ましい母親の姿になる。

「どう考えてもこんやく秒読みの想い人をかくまっていると社交界に広まるでしょう!?」

 婚約。意味は結婚の約束をすることだ。一体、誰と誰が。

(えっ? わたしとエリシオさまが?)

 フレデリカは疑問で頭をいっぱいにしていると、エリシオが気だるそうに口を開く。

「すぐに収まるよ。オルブライト家の事情なんてみんな知っているんだから。そのうち領地のために住みこみで働いていることに気づくさ」

 彼はわりと現代的な考え方をする。近世ヨーロッパ風な異世界で、この思考は変わっているらしい。イザベラがなつとくできないとあきれる。

「あなたがどう思っていようと世間の目は違います。そのうちゴシップ記事に書かれるわよ。だからエリシオ、しっかりフレデリカさんを守りなさい」

「わかっているよ」

「いいえ、あなたはわかっていません。商売のためにはご婦人方のごげんりも大事ですが、早く特定の一人を見つけて大事にしなさいとあれだけ言ったのに。ヒューゴを見習いなさい」

「はいはい」

 いつの時代でもどの家庭でも見られそうな会話だった。エリシオは二十四歳であり結婚てきれいむかえているが、ご婦人や令嬢たちと距離を測りながら接している理由がわかった気がする。

(本当に商売以外に関心がないのね)

 きっと彼は石油王のむすめに結婚をせまられても断るだろう。自分でかせぐことに意味があると思っている人に、ただで手に入るあんたいな暮らしなんていらない。

(それにしてもゴシップ記事ね……)

 単語を聞くだけでこしが引けるが、フレデリカも守られっぱなしはいやだった。これ以上の借りをつくるわけにはいかない。

 気のけない日々が続きそうだと思っていると、ふとミハエルが二階に視線を向ける。

「イリア! フレデリカ嬢がいらしたぞ。挨拶なさい」

「…………」

 階上には波打つ金茶の髪を持つ女性が立っていた。ドレスはうすべにいろで花のようせいのような雰囲気をまとっていた。しかしうつむいているため表情が見えず、なにか返事をしているようだが、声が小さくて聞こえない。

 イリアがぺこりと頭をさげたのでフレデリカも深々とさげる。すると彼女はたくさんの本を持ったじよを引き連れてどこかの部屋に行ってしまう。

「すまないね。イリアはずかしがり屋なんだ」

 しようするミハエルに、フレデリカは「お気遣いなく」と言う。いつかの自分を見たようだった。いずれ彼女とも仲良くなれればいいのだが。

 エリシオがポケットからかいちゆう時計を取り出してつぶやく。

「彼女は明日から商会で働いてもらうから。そろそろ部屋に案内するよ」

「そうか。引きとめて悪かったな。フレデリカさん、困ったことがあったらすぐにエリシオに言ってくれ」

「じゃあまた夕食のときにね」

 バートリーはくしやく夫妻は再び体を密着させて去りゆく。

「僕たちは今夜の食事に合うワインでも探そうか」

「いいわね~。今日は赤の気分だわ」

「そうだ。赤薔薇ばらのようなルージュが似合う君を引き立てるようなほうじゆんかおりを持つワインが手に入ってね。とげのような酸味があってからくちなんだけど……」

 フレデリカはその後ろ姿を見送り、少しだけかたの力を抜いた。

(一人ひとりの個性が強い……)

 オルブライト家とは別の意味でにぎやかな一家だった。

「それでは行こうか」

 エリシオに従ってフレデリカも歩きはじめる。しきの中はめいのようで、どのかべにも一定のかんかくとうや金のしよくだいが置かれていた。床に敷かれた青色のじゆうたんの花の模様は見たことがない。これも他国の文化から着想を得たデザインなのか。

「この部屋を自由に使っていいから」

 そういって案内されたのは、広々とした部屋だった。明らかに前世で住んでいたマンションの八じようのワンルームより広い。もしかしなくても二倍はある。

「屋敷の中で一番せまい部屋ですまないね」

「本当におづかいなく」

 ここまでくるといやの域だ。フレデリカはもうなにも思うまいと真顔になる。周囲を見回すと、てんがいつきのベッドもソファも机もクローゼットもしよう台もどれも価値の高い物だとわかる。破損したらべんしようだろうか。気が休まらない。

「夕食の場所は侍女が案内してくれるから。困ったことがあったら彼女たちに聞いて」

 結局エリシオも人任せであり、フレデリカは部屋に取り残される。困ったように侍女たちに視線を向けると、たんたんと告げられる。

「常にとなりの部屋でひかえておりますので、えんりよなくお申しつけください。ご夕飯の準備が整いだいお呼びします」

「あ、ありがとうございます……」

 彼女たちもあっさり隣の部屋に行ってしまった。

 フレデリカはすでに運びこまれていたトランクを開いて中身を整理しようとしたが、その前にクイーンサイズのベッドにこしをかける。ふっかふかだった。おそるおそる横になると、ちょっとしたあい感におそわれ、まくらに顔を押しつけた。



 次の日から、さっそくブライダルサロンの準備がはじまる。

 フレデリカは早朝にエリシオの命によって侍女たちに起こされた。サンドイッチを食べて珈琲コーヒーねむを覚ますとバートリー商会の本店に連れていかれ、服のサイズを測った。

 ブライダルサロンを開設するにあたって、フレデリカとエリシオは変装することを決めていた。別人になるためにエリシオがフレデリカの身につけるものを決めてくれる。

 どんどん買い物は続き、王都にのきを連ねる高級ブランド店をわたり歩き、くつかみかざりに化粧品の箱があれよあれよという間に馬車に積まれる。エリシオがはらってくれるが、のちのフレデリカの稼ぎから利子をつけて引かれる。せいきゆう書を見るのがおそろしかった。

 さらにちゆうでレストランに行き、個室でステーキを食べることになった。てんじようのシャンデリアの光によってグラスや銀のカトラリーがかがやき、真っ白なテーブルクロスの上にはごうしやびんが置かれていた。

 メニューに値段は書いておらず、エリシオはやわらかくて希少部位のヒレ肉を、フレデリカはこの店で一番安そうな肉を予想してたのむ。

 前菜を食べ終えたところで、エリシオが口を開く。

「さっきから思っていたけど、お肉くらい好きなものを食べなよ」

「えっ」

 彼に見抜かれているとは思ってもいなかった。思わず顔を赤くすると、わざとらしくため息をつかれる。

「メニューを見ているときの視線が泳いでいた」

「……む、無意識でしたわ」

 フレデリカは表情筋をさわるように両ほおを押さえていると、きゆうがステーキを運んでくる。肺いっぱいにこうばしいにおいがじゆうまんし、幸福感に満ちあふれる。さすが高い肉だ。

 エリシオは慣れた手つきでヒレ肉を切り、ソースとからめる。

「身分が高くてプライドがある人ほど、人の仕草をよく見ている。そういう人たちを相手に商売をするんだから。君はもっと貴族としてのほこりと自信を表情に出していい。いまはおれの支払いで食べられるんだ。ひとつひとつのいを大切にしなよ」

「……はい」

 フレデリカは年相応に小さく返事をした。彼の言いたいことはわかるのだが。

(そのあとの払いがこわいから食べられないのに)

 フレデリカは小さく切った肉を口に運ぶ。美味おいしくてがおになった。



 王都ベルチアの南区にはさまざまな商店が集まっている。大通りにはカフェやドレスといった流行はやりものの店が並び、さらに路地裏も人の目が行き届くよう常に街灯の明かりが道を照らし、老舗しにせの靴屋や酒場やうらない所の看板が見える。

 路地裏の一角にある二階建ての建物を、エリシオがブライダルサロンの事務所として構えた。

 連日買いこんだ荷物を運び入れていく。この建物のことはエリシオと彼が信用できる側近しか知らない。さらにブライダルサロンをやることは二人だけの秘密だった。

「おれが一階を片づけているあいだに二階でえてきて」

 彼は伯爵家の次男でありながら、自分でそうをすることにていこうがないようだ。フレデリカは横目でほうきを持った彼の姿を見ながら階段をのぼる。

 二階は三部屋だけで、そのうちのひとつが変装部屋となっている。中にはクローゼットと大きな鏡が置かれていた。

 フレデリカは職人たちが急いで仕上げてくれたドレスにそでを通す。

 布地はこうたく感があり、とてもはだざわりがいい。スカートの部分はあわい青色ですそに向けてふんわりと広がりを見せる。そして上着は薔薇のしゆうがほどこされたケープで、女性らしいやさしさと上品さが感じられるようにデザインされている。靴はピンヒールのパンプスだった。

 前世での仕事着が黒やこんのスーツだったせいか、鏡の前に立った姿を見るとかんだらけだ。

「どことなく真面目まじめさが足りないというのか……派手すぎかしら?」

 実際にお客さまの前に立つときは仮面で顔をおおうことになっていたが。フレデリカはさらに印象を変えるためにむなもとまである髪は夜会巻きにして、髪飾りで留めた。そしてキリッとしたまゆをつくり、まぶたくちびるにはベージュ系の色を乗せる。

「……けっこう印象は変わったけれど」

 髪型と化粧と服が合っていない気がした。どこをどうやって直そうかと考えていると、部屋のとびらからノックの音が聞こえる。

「まだ時間がかかりそう?」

 フレデリカが返事をする前に、鏡しにエリシオの姿が見えた。

「ちょ、ちょっと、着替えていたらどうするんですか!?」

「着替えてないと思ったから入ったんだよ」

 彼は悪びれることもなく、しれっと言葉を返した。

(だったら最初から聞かないで……)

 彼はそのままフレデリカの真後ろに立ち、じっと見つめてくる。

「なんかおれのイメージとちがう。後ろ髪、ほどいてもらってもいいかな?」

 背後からつぶやかれ、心臓がねた。フレデリカは平静をよそおいながら髪をいじる。

「やっぱり髪を束ねたほうがいいのか……難しいな」

 エリシオに指示され、しやくどういろの髪をすいたり、ひとつに結んでみたりするが。なかなかしっくりこない。

「このサロンははなやかな世界を知ってもらうための場所だろう? いまのかつこうからはその世界観が伝わらない。もっと着飾ることに遊びがあってもいいと思うんだけど」

「──!」

 きりが晴れたようだった。自分がどういう恰好をすればいいかわかる。

 鏡越しにさわやかなひとみと目が合う。

「おれは客観的な意見しか言えないけど。なにかできそう?」

「はい、なにかできそうです」

 フレデリカは一度エリシオを部屋から追い出し、鏡に向かう。

 髪は編みこみながら束ね、しようを一度落とし、わざと骨格に沿わないようにかげをつけていき、顔のりんかくをシャープに見せていく。くりっとした瞳は目じりに向けてアイシャドウの色をくし、愛のがみフリージアをイメージしながらねこのようにあいきようあでやかさを持たせる。

(顔はかくすけど、しっかり気をつかわないと)

 さらに唇には青みがふくまれたピンクの口紅をのせる。

 鏡に向けてほほえみかけると、いろと自信に満ちた女性が立っていた。ぼくだったときの自分とはかけはなれている。家族と街ですれ違ってもバレない自信があった。

 エリシオを呼び寄せると、彼は満足そうにうなずく。

「似合っているよ」

 あおい瞳が少しだけなごんでいた。それを見て、フレデリカは目を見開く。

(もしかして、おだてじゃない?)

 容姿をめられるなんてめつにない。相手が彼だろうとうれしさには変わりない。きっと一人きりになったらにやけてしまう。

 唇に力を入れていると、エリシオに手を取られ、フレデリカは「へ?」と変な声を出す。

「それではレディ、さっそくその恰好で参りましょうか」

 こしを折って見つめられ、フレデリカはずかしさによって今度こそ顔をそらした。



 化粧をほどこしたフレデリカが向かった先は、王都にあるミティア教の大聖堂だった。

 オルブライト領のマルコ神父が送ってくれた手紙によって、大司教に会うことができた。

 バートリーはくしやく令息のエリシオが、新しいこんいんしきとして『結婚式』を広めたいと考える女性をしようかいする、というはずになっている。仮面で顔を隠すべきかなやんだが、派手な化粧をすることでフレデリカとは別人であることをわざと強調する。

 ブライダルサロンやブライダルビジネスをやるためには、教会の協力がいる。話を持ちかけると、大司教は数ある教会のうちのひとつに使用許可をくれた。

(それもそうよね。婚姻の儀式はお金を払って行われるものだから)

 結婚式という儀式を商売として成り立たせることで、収入がいつもより増えるとなると、教会側もうまみを感じられるはずだ。

 ただしフレデリカたちにあたえられたのは、王都の中でも一番小さくておかざりとなっている教会だったが。

(押しつけられたと感じるのは気のせい?)

 しんこううすれることで信者が減る。すると寄付金も減り、建物のができないらしい。

 帰りの馬車で実際に教会に立ち寄ってみると、外見はくずれかけていてはいきよのようだったが、内装は違った。ひび割れがひとつもないしんろうが入り口からさいだんまで延び、そのりようわきが側廊となっていた。さらに東側には半円形に張り出したアプスと呼ばれる空間があり、日当たりは良好でステンドグラスからしこむ光が祭壇を照らしていた。

 さらにかべにはミティア教の神話のモチーフがえがかれていて、しゆうぜんをして花などで飾れば結婚式にふさわしい場所になるだろう。

「とても楽しみだわ」

 フレデリカがぽつりと呟くと、エリシオは腰に両手を当てて首を縦に振った。

「そうだね。ここの使用料は鹿にならない。がんってかせがないと」

 エリシオの言う通りだったが、ブライダルサロンを通してもうけよりも結婚式というこうに興味を持ってほしかった。

(なかなか手ごわそうだけど)

 心の中でため息をつくと、彼はニヤリと口角をあげる。

「すべては君にかかっているんだ。レディ・リエニス」

「……やめてください。わたしはそんな大層な人間ではありませんわ」

 フレデリカは大司教とたいしたとき「あなたはまるで愛の女神フリージアさまの使徒のようだ」と言われていた。

 その名はリエニス。彼女ははるかむかしに存在した修道女だった。

 そもそも愛の女神フリージアは気まぐれと愛嬌と快楽が混ざったやみなべみたいな性格で、ほかの神々すらほんろうしてきた。そんな女神の教えとなるとハチャメチャのように思えるが、意外と考えさせられる内容だった。

 ──愛することになおになれ。こいの障害はまぼろし。独りよがりに情にいしれるな。

 リエニスはその教えを忠実に人々に広めた。彼女は一説によると貴族のむすめだったらしいが、大戦によって出生を記録した史料がしようめつしていた。つまりせいに彼女の存在はほとんど知られていない。

「案外オルブライト家はリエニスのまつえいかもしれない。よし、サロンの名前は『リエニスのやかた』にしようか」

「……いいのでしょうか、勝手に名前を使っても」

「少しくらい神秘があったほうが人は信じやすい。というわけで君は仮面をつける予定だったけど、ベールにへんこうしようか」

「えっ、ええ? でもベールは王族のみが許された高貴なそうしよく品で」

「リエニスは愛の女神の使徒だよ? ベールのほうが神秘的でえする。それにちょうど艶やかでいい布地が手に入ったばかりでね」

 要はその布地をためしたかったということか。段々と彼の思考回路にも慣れてきた。フレデリカは人目を気にしながら小声で話す。

「エリシオさまもリエニスの館にいるときは変装をするんですよね?」

「そうだね」

「ちなみにどんな恰好をするおつもりで?」

「新作の礼服を着ようかと思っている。まえがみの分け目はちょっと変えて、仮面をつければいいだろう?」

 彼のいう新作の礼服は、一部に華やかなを使い、えりそでが金の糸でしゆうされているものに違いない。

(このままだとエリシオさまのキラキラオーラが消えない……!)

 仮面をつけたところでれいじようたちには気づかれてしまうだろう。

「あの、もっと思いきりがあったほうがいいかと」

「まさか……おれに化粧をするつもり?」

「違います!」

 フレデリカはリエニスの館にもどると、クローゼットの中から、一段とおちついた黒地の礼服を取り出す。目元だけの仮面も金の細工のものではなく、黒地に銀の細工をほどこした片目が隠れるものを選ぶ。そして前髪の分け目を変えてさらにでつける。

「とてもお似合いですわ」

 彼に手鏡をわたすと、いろんな角度から顔を見て感心する。

「……だれだこれ」

 フレデリカは満足げにほほえむ。

「その感想が出てきたということは上出来なんですね」

「君もかなりしたたかになってきたよね」

 リエニスの館の準備はさらに進んでいく。王都で買った花で飾り、びんなどの配置やテーブルクロスの色にも気をつかう。お客さまに少しでもリラックスしてもらえるようにハーブティーも用意した。簡易キッチンがあって助かった。

 さらに式場となる教会の修繕は、大工と聖職者にお願いしていた。じよじよにフレデリカが思い描いていた理想が形になっていく。

 そしてリーシュから手紙が届き、子爵令嬢であるミリアがフレデリカの行った婚姻の儀式に強く興味を持っていることを教えてもらう。そこでフレデリカは「王都に儀式の相談ができるお店があるみたい」というていでリーシュに返事を書き、ミリアをリエニスの館に招待した。

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