第三章 薔薇まとう愛の使徒_一

 フレデリカは教会の裏で、エリシオに手を掴まれながら問いめられていた。

「こんなかくし玉を残していたとはね。今日の結婚式はおれへの企画のひとつだったのかな?」

「ち、ちがいます。わたしは参加してくれたみんなが幸せになれるようにやっていただけで」

 彼はさわやかなあおい瞳を細め、じっと見つめてくる。

(うぅ……近いわ)

 フレデリカは異性慣れしていないため、気まずくなって顔をそらす。するとエリシオはつないでいた手を解き、子どもと目を合わせるようにこしを折る。

「教会を花やかざりでいろどるという発想がおれにはない。どうやって思いついたんだ?」

「それはその……愛のがみフリージアさまのお言葉を参考にしまして」

「出典は? どんな言葉?」

「きゅ、旧ミティア教経典の第九章にある……」

 食い気味に聞かれ、フレデリカは後退しながら答えた。

「なるほど。『しかるべき場所ほど彩るべき。しんこうは目を引いてこそ集められる』か。ご令嬢の中にも博識な子はいるけど、大戦前の経典の内容まで勉強している子はなかなかいない」

「領地の未来がかかっていますから、はしから調べただけで」

「それを婚姻の儀式に取り入れるところがらしい才能なんだ。それに指輪入れがクッションのようなものにわっていたけど。あれにも意味があるんだね?」

「え、ええ。そうですけど」

「遠目だったから確信は持てなかったけど。もしかしてバートリー商会のシフォンを使ってくれた?」

れいだったので。使わせてもらいました」

「そうなんだ! 今回の婚姻の儀式は部外者であるおれへの敬意も感じられてよかったよ。本当に細部にまで参加者のことを考えていたんだね」

 ものすごくめられるが、フレデリカは反応に困る。なぜなら前世はブライダルプランナーだったからだ。

(確かに結婚式は商売として成立していたけれど、婚姻の儀式ではそう上手うまくいくかしら?)

 もしも前世の結婚式のやり方をイフレイン王国にしんとうさせるとなると、大司教の協力が必要になってくる。それに王族側がなにも思わないわけがない。

 リオハルトのするどくてすずやかな青いひとみを思い出して、フレデリカは身をすくませる。彼を敵に回すとやつかいだ。

 表情をしずませると、エリシオのやさしいこわいろがふってくる。

「もしかして、おれの言葉が信じられない? いままでずっと断り続けていたから?」

「いいえ……信じますわ。だってこれ以上ないくらい、ありがたい申し出ですから。でも」

「手のひらを返されるのがこわい?」

「!」

 フレデリカは顔をあげる。エリシオはやわらかい笑みをかべていたが、瞳からはしんの強さが感じられた。

「そんなことはしない。おれは君の力が欲しいんだ。周囲の意識をより良いものに変えて共感させていくその力が。掴んだ手をそう簡単に離したりしないよ」

 彼の言葉にはりよくめられているようだった。こんなにも強く求められ、思わずフレデリカの胸がうずいた。

「おれは商売で儲けることを生きがいとしている。バートリーはくしやく家に生まれたから、領地をぐことのない次男だからかもしれないけど。きっかけに正解も不正解もない。おれは商売でまだまだ成功を収めたい」

「……? エリシオさまはもう十分、かせいでいると思いますが」

「それだけでは満たされないんだ」

 ややあってフレデリカはなつとくする。どうしようもないえだった。彼は自分の欲望を満たせるのは自分だけと思っているのだろう。だから上限がない。

「君も知っての通り、おれは他国からシフォンの技術を持ちこむことでバートリー商会にこうけんしたよ。でもそれは両親の功績でもある。つまり後ろだてがあったからなんだ。だからこそ今度はおれ自身がだれかを後押しするような儲け方を探していたんだ。フレデリカ嬢、君とならそれができると確信した」

「……あまり買いかぶらないでください」

「どうして? ほかにもアイデアがあるんだろう?」

「えっ……? なぜそう思うのですか?」

「おれはこう見えても一流の商人だよ。わかるさ」

(──ああ)

 エリシオによってフレデリカのおくの奥底にねむっていた感情が引っ張り出される。それは一人の社会人として、ブライダルプランナーとしての欲。

「ええ、ありますわ」

 自分自身でもおどろくほど、強気で自負の表れた声だった。

(前世の私にとっての生きがいはけつこん式だったもの)

 結婚式はある程度のプランやコースが決まっているが、その中でもお客さまのことを考え、へんこうしなければいけないところがある。すべては結婚式に参加した人々に喜んでもらうため。そして一人の人間としておのれの能力をほこるために社会はあった。

 フレデリカはあいいろの瞳をえた。

「エリシオさまのお話をお受けします」

「そうこなくっちゃ」

 エリシオは片手を差し出した。フレデリカはくちびるを引き結ぶと、彼の手をしっかりと掴んだ。



 その翌日。フレデリカは領地の出入り口である『フォグリヤ』で、こんいんしきを無事終えたリーシュたちレーベル家を見送った。

 リーシュからは一生分の感謝とげきれいの言葉を受け取った。さらに彼女の父親であるレーベル家当主からもお礼としてかなりの大金をもらった。きっとオルブライト家のためにはずんでくれたのだろう。無下にするわけにもいかず、ルーベンは「大切にする」と告げた。

 領民たちと共に遠ざかる馬車を見つめたあと、フレデリカは背後をり向く。そこにはエリシオと彼の側近が立っていた。誰もが「なぜこのお方がここにいるんだ」という顔をする。

「ええっと。もうしばらく残ってくれるそうです」

「お世話になります」

 綺麗なみを浮かべるエリシオに対し、ルーベンはいぶかし気な表情でたずねる。

「エリシオ殿どのはオルブライト家のことを助けてくれるのですか?」

こうてい、はできませんね。結果的にはそうなるかもしれませんが」

 ルーベンはますますわからないとけんにしわを寄せた。

「実はバートリー商会にフレデリカじようのお力を貸していただきたいと思っています。彼女の情報収集の力と、古きを重んじてしようさせる姿勢はたいへん素晴らしいものです」

「フ、フレデリカがバートリー商会に協力を?」

 ルーベンを筆頭に家族にも二度見されながら、フレデリカはこくりとうなずく。イフレイン王国では女性の社会進出を認めていた。これも五十年前の大戦によるものだったが。

「いつの間にエリシオ殿とそんな関係になったんだ?」

 フレデリカは関係? と首をかしげる。なにかふくみのある言葉だったが、おずおずと答える。

「気づいたら、かしら。毎日かくしよを持っていった甲斐かいもあったのかもしれないけど」

「……毎日か。なるほど」

「ああ、ついにお姉さまが」

 なぜかルーベンとセオドールが遠い目をしていた。フレデリカが理由を問う前に、母親のサーシャによってさえぎられる。

「エリシオさま、どうぞむすめのことをよろしくお願いしますわ」

「もちろんです。では、フレデリカ嬢、さっそく商談と参りましょうか」

「え、ええ」

 フレデリカはエリシオによってエスコートされながら議会堂を目指す。どうしてだろうか。ルーベンとセオドール以外の人に見守られるような視線を向けられた。

 議会堂に着いてから紅茶を用意しようとすると、エリシオの側近が「私たちがやりますので」と申し出てくれた。彼らにうながされ、フレデリカは議会堂の中にある個室のソファに座る。その対面にエリシオもこしをおろす。

「さっそくだけど、リーシュ嬢の婚姻の儀式を行った手ごたえはどうだった?」

 フレデリカはまぶたを閉じて熟考したあと、ハッキリとした声で告げる。

「時間がない中で最高の儀式ができたと思っています」

「それに関しては同感だ。見方を変えれば、時間があればできることもあったんだね?」

「はい。……教会の中はしよくだいで明かりがついていますが、どうしても足元が暗くて。しんろうわきろうそくなどの明かりがあればいいと思いました。ランタンとか、それ専用のガラスの容器を用意すれば、ぐっとふんも変わると思います」

「たとえば?」

「えっと、つうとうめいなグラスの中に蝋燭を入れると、月の輪のように光が広がります。でも加工がほどこされたガラスなら、光のえ方が変わります。あの教会のてんじようは青色ですから、星が地上に散らばって見えるような加工ができればれいだわ」

 気づいたらじようぜつに語っていた。エリシオは気にしていないようで「続けて」と言う。

「あとは、身廊にじゆうたんいてみたいです。いままで両親に育ててもらった日々を感謝し、今度は自分たちがはぐくんでいく番だという意味を込めて、そういうしようちようになるものがあってもいいと思います」

 エリシオはまゆを寄せ、深くうなずきながら前のめりになった。まだ話せということなのか。フレデリカは側近が持ってきてくれた紅茶を一口含むと、あっと声をあげる。

「『時が止まったもの』という意味を持つ……れない花をつくってみたいです。それがあれば一年中さまざまな場所をいろどることができますから」

 さすがのエリシオもぎもかれたのか、げんな顔をする。

「あのさ、ここは神々の世界ではないんだよ。そんなものはできない」

 実は材料さえあればプリザーブドフラワーはできる。もちろん神々の世界の花のように永遠ではないが、加工をほどこせばいろあざやかでみずみずしい質感を約三年、保存状態がよければ五年も保つことができる。

酒精エタノールや、花を染めるためのインクは植物性の顔料があったけれど。グリセリンはまだ見つかっていないのよね)

 正直、前世のように着色しなくても本来の花の色でも十分だが。青といった自然界での生育が困難な色を再現できれば、ばくはつ的に売れると思った。

(エリシオさま、だまったままだわ。もしかして性急すぎたかしら)

 とつな考えだ。ざんしんなことを好みそうなエリシオでもそう簡単に受け入れられるわけではないだろう。だが、可能性をあきらめるわけにはいかない。

「もしもですよ。もしもできたら。商売としてもうけることはできますよね?」

「最っ高にね」

 返ってきた言葉に、フレデリカは深呼吸をしてから口を開く。

「材料はおそらく、酒精エタノールと植物性の顔料、湿しつ力の高い液体があればできます」

「なんだって?」

 彼の目の色が変わった。フレデリカはたたみかけるように、前世の記憶をそれっぽく今世で学んだようにみせる。

「枯れない花は、その、色と花弁の質感を保たせればいいんです。だから酒精エタノールで色を抜き、植物性の顔料で色を入れ、保湿力の高い液体にけこめば……」

「理論的にはできなくもないけど、……保湿力の高い液体がばくぜんとしている」

しよう水の原料の中に近いものがあると思います」

 エリシオは眉間にしわを刻みながらあごに手をそえる。やがてぽつりとつぶやく。

聖糖水ミルトはどうかな?」

「……? 美のがみエレビスさまがしつれんしたときに天から地上へ流したなみだのことですか?」

 大量の涙は地上で泉となって各地できあがるようになったと言われていた。しかしその源泉はすべてしやくずれや先の大戦により失われていた。

「いまはめないはずでは?」

「そうでもないよ。ほうかいしたおかげで大地にみわたっている可能性がある。他国にわたったとき言われたことがあるんだ。イフレイン王国の水は甘いってね。山のふもとの水であればとくに聖糖水ミルトが含まれていると思うんだけど」

 フレデリカは考えこむようにうでを組む。

(……だから作物の甘みが強くて、そのぶんいたみやすいのかしら?)

 かいせきすることができれば、領民たちの役に立つかもしれない。

(すごい、エリシオさまと話していると考えのはばが広がるわ)

 エリシオの話し方はずいぶんと現代的で、とても話しやすかった。

「君の考えは以上かな?」

「はい、そうです」

「うん。どれもおもしろいアイデアだ」

 フレデリカはぱっと表情をかがやかす。彼の反応には手ごたえがあった。

「で、かんじんの資金はどうするつもり?」

「え?」

 思わずき返してしまった。さんざん持ちあげてここで落としてくるとは信じられない。

「手を組むとは約束したけど、そんし合うわけではないからね。資金源は君が考えるべきところだよ。さて、ちょっとがんってひねり出してみようか」

 彼の上から目線な態度に、フレデリカはむっとくちびるをとがらせる。それを見てエリシオは悪戯いたずらっぽく笑った。

「もしかしてはげましの言葉が必要かな?」

「おづかいなく……!」

 フレデリカは無理やり声を張りあげてからうつむくが、あいいろひとみいまだ強い光を放っていた。

(資金集めの方法なら、ひとつだけあるわ)

 それはこんいんしきの演出──つまりプランニングをすることだ。

 フレデリカほどくわしい人物はイフレイン王国にいない。

 リーシュはきっと友人や知り合いの貴族に今回のことを話すだろう。そうすれば新しい婚姻の儀式として『結婚式』というがいねんを広めることができる。

 だからこそはなよめをターゲットにし、どんな儀式にしたいのかという夢やあこがれを形にできる場所──ブライダルサロンをつくってしまえばいいのだ。

 小さな事務所とフレデリカの身ひとつさえあればできる。

 もうけは期待大だ。現にレーベル家からお礼という名のほうしゆうもらっている。

 ブライダルサロンで儲けたお金でプリザーブドフラワーなどの商品をつくり、その商品を結婚式で使うことで世に広める。連動することで財政回復に向けて確かな手立てとなるだろう。

(……でもいくつか問題があるわ)

 そのうちのひとつが、イフレイン王国の結婚の在り方を変える危険性をめていることだ。

(だってわたしは、愛のない結婚なんていやだもの)

 イフレイン王国は過去の大戦を経て神々へのしんこうが弱くなりながらも、貴族と平民の線引きはあった。

 もしかしたらブライダルサロンでお客さまと話しているうちに、親に決められた政略結婚や身分ちがいで最愛の人と引きかれた姿を見るかもしれない。

 フレデリカにとって結婚式は愛を深めるための手段のひとつであり、お世話になった人に感謝を伝えることができる場であった。それにとてもお金がかかる儀式である。だからこそ、この人がいればだいじようと安心感をいだいたり、自然ながおを見せられる人と結ばれてほしいと思っていた。

 前世で現代人だった感覚を押しつけることはしないが、ちょっとした態度で身分階級をこわすきっかけになるのはめんだった。

 そう理解しているからこそ、ブライダルサロンのことを口に出すのがはばかられる。

 冒険的リスキーな案は果たして成功するのか。失敗したら取り返しがつかないが。

(自分にブレーキをかけるのは……もうやめましょう)

 ゆっくりと顔をあげる。十八歳にして大人びているのはいいが、勇気や勢いまで忘れたくない。かぎりある人生だからこそ、行けるところまでちようせんしたい。

 大きく息をいてから藍色の瞳をえる。

「新しい婚姻の儀式として、結婚式の相談ができるサロンをつくるのはどうでしょうか?」

「!」

 エリシオは楽しそうに、だけど瞳だけはギラギラとさせ、一言一句聞きのがさないというはくを見せる。

「……本当に君は面白いね。どんどん話してくれ」

「わかりました。では」

 フレデリカはブライダルサロンのメリットとデメリットをすべて話した。エリシオは腕を組みながらふむとうなずく。

「君の言う通り、おれも王族を敵に回したくはない。そのサロンはあくまで期間限定のもの、ということでいいかな?」

「ええ。引きぎわはエリシオさまの判断に任せますわ」

「いいだろう。この案なら賛成だ」

 エリシオは足を組み、瞳を細める。

「サロンの開業資金の一部はおれが持つよ。ついでに商売の手続きもしてあげよう。その代わり、売りあげが出たら倍にして返してもらうからね」

「もちろんですわ」

 そう言いながらフレデリカはひそかにかたの力をく。どっとつかれが出て、しように甘いものが食べたくなった。

(……気を抜くと、エリシオさまに足をすくわれそうね)

 どうせ上辺だけの仕事仲間だ。たっぷりと利用させてもらうわ、とフレデリカは頭を切りえて、エリシオと今後の方針をとことん語り合った。




 ある晴れた日の朝、フレデリカは議会堂に家族と一部の領民、そしてマルコ神父を招いた。

「というわけで、財政を回復させるためにミティア教から着想を得た商品に注目したの」

 フレデリカはだれが見てもわかりやすいように、絵をいた資料を配っていた。ルーベンはそれを見て顔をしかめる。

「……いや、しかし婚姻の儀式にも使える商品で儲けるとはなあ」

 バージンロード用のじゆうたんとリングピローはバートリー商会でつくってもらい、キャンドルホルダーは新たに職人とけいやくしてつくってもらおうと考えていた。

「それにしても『時が止まったもの』? オルブライト領の薔薇ばらで本当にできるのか?」

「わたしはできると思っているわ。もちろんみんなの力がなければできないけれど」

 オルブライト領の作物には聖糖水ミルトふくまれている。プリザーブドフラワーにするには最適だった。王都にしゆつする手間と費用を考えても利益は十分出る。

 ルーベンはちらりとマルコ神父を見る。

むすめはこう言っていますが。神父さま、婚姻の儀式をり行う身として、あなたの意見はどうでしょうか?」

 彼はたるんだまぶたを重そうにゆっくり開け、いつぱく置いてから口を開く。

「そうですね。正直に申しあげますと……あんなに美しくかざられた教会の姿を見るのは久々で、心がふるえました。それにあの日を境においのりをする人が後を絶たない。これはらしい成果です。ぜひ今回の一件を大司教にお知らせしたいと思っています」

 願ってもない言葉だった。フレデリカは喜びにむなもとを両手で押さえながら、ぜひお願いしますと頭をさげるが。セオドールがこんわくしたように首をかしげる。

「いつもより強気なお姉さまも素敵ですが、そのための資金はどうするんですか?」

 やはり世の中お金だ。フレデリカはみんなを安心させるためにほほえむ。

「わたしが体を張ってバートリー商会でかせぐからだいじようよ」

 ブライダルサロンをやることはエリシオと二人だけの秘密となった。表向きは商会の手伝いをするために王都へ行くことになっている。

(……ん?)

 心配させまいと明るい声で告げたが、ルーベンは悲しそうになにかをこらえていて、サーシャにいたってはにこにこしていた。ただセオドールだけはなつとくできないとエリシオに厳しい視線を向けている。

「バートリー商会に協力する、ということはわかりますが。つまりお姉さまは王都へ行くと?」

「そうだね。住みこみで働いてもらう予定だけど」

「住みこみ!?」

 セオドールがするどい声をあげる。あまりのけんまくに、エリシオも少しだけ狼狽うろたえる。

「ま、まあだんしやくれいじようを預かるからにはバートリー家のしきで過ごしてもらうけど」

「お姉さまと一つ屋根の下ですか……!?」

 しばらくしてエリシオは頭の中でなにかてんしたようだ。

「弟君が心配していることはなにひとつないよ」

「当たり前です。相手がエリシオさまであっても僕はまだ認められません」

「わかった。そんなに心配なら……」

 エリシオはセオドールをなだめるためにひそひそと耳打ちをする。フレデリカにその内容は聞き取れなかったが、ややあってセオドールは納得したようで身を引いた。

 すると今度はルーベンがいつにも増して真剣な声を出す。

「フレデリカ、ひとついいか?」

「な、なにかしら?」

 ルーベンは領主としての顔つきになった。フレデリカは背筋をばす。

「私はお前の考えを尊重したい。だからこそ協力したいと思っている。しかし、いくら爵位はくだつかいするためだとしても、先祖が守って来た土地や伝統を手放す重大さはわかっているのか?」

 領主の言葉に、領民たちのひとみが強く光を放つ。あつかんが増し、ふんがぐっと重くなる。

 フレデリカはこの空気に飲みこまれそうになるが、あわてて口を開く。

「ちょっと待って! 畑は、いまの規模のまま続けて。薔薇もいつもより生産を増やすだけで十分よ」

「……本当か?」

 頷きながら、フレデリカは聖糖水ミルトのことを話す。するとルーベンははっとしたように目を見開いた。

聖糖水ミルトえいきようか。確かにむかしから父上に水の配分には気をつけろと口をっぱくして言われてきたが。そういうことだったのか」

 フレデリカはルーベンの手を取る。

「わたしもオルブライト領の一員よ。みんなが守ってきたものをないがしろにはしないわ。王都でいろんなことを学んで、領地のために生かしたいと思っているの。ねえ、エリシオさま」

「そうだね。薔薇のプリザーブドフラワーは希少価値を高めるつもりです。目玉商品とすれば、興味を持った方がオルブライト領におとずれるきっかけとなります。そしたらオルブライト領の野菜や果物でもてなしてとりこにしてしまえばいい。ここの料理のおいしさはおれが保証します」

「……そうですか!」

 領民たちの表情がやわらかくなった。エリシオは商売に対して厳しい目を持っている。その彼にめられれば、不安は希望へと変わる。

「では私たちはいままで通り畑を守りつつ薔薇の生産に力を注ごう」

 ルーベンの言葉に領民たちも頷く。すると母親のサーシャが一歩前に出た。

「フレデリカ。私たちにもできることはあるかしら?」

「もちろんあるわ。わたしが領地にいるうちに『時が止まったもの』の花、そうねえ、プリザーブドフラワーの試作を手伝ってほしいの」

「あなたがそう言うなら、精いっぱいがんるわ。ねえ、みんな」

 サーシャは後ろをり返って女性じんに声をかける。すると「やってみせましょう」という明るい声が聞こえてきた。

 フレデリカは「それと」と言葉をつむぐ。

「キャンドルホルダーは、わたしたちの中から誰かがアルノーへ行き職人とこうしようして製作してもらい、バートリー商会で売ってもらおうと考えているのだけど……」

「これにかんしてはおれから説明を。アルノーにはいい職人がたくさんいますが、彼らのプライドは高く、必ず足元を見てくる。注文を押し通すには、ある程度の商売の知識が必要です。だからバートリー商会で数人を研修生としてやといたいと思っています」

 誰もが目を見開き、ざわめきが広がる。エリシオはそれに負けじとよく通る声で告げる。

「バートリー商会は各地に支店があります。ぜひこの機会に商売の世界を自分の目で見て感じてもらいたい」

 これも事前にエリシオと話し合って決めていた。バートリー商会も常に人手が足りているわけではないらしい。

「研修といっても雑用やちょっとした業務はしてもらいます。給料の代わりとしておづかいを支給しますし、食料と住居の手配と休息も約束します。ただ、できれば根性のある方だとうれしいです」

 するとすぐに一人の手が挙がる。セオドールだった。

「僕が行きます」

 エリシオが目を見張った。

「いいのかな? 男爵令息だろうとようしやない世界だよ」

「エリシオさま、僕はこの領地のなんです。家族を、みんなを守るためならいくらでも体を張りますよ。それにお姉さまがつなげてくれた希望のその先を僕は見たい」

 きよせいではない、あふれ出る自負心によって可愛かわいらしい顔立ちは男前へと変わる。エリシオはふっとみをこぼす。

「見込みある若者はだいかんげいだよ。ほかにも興味がある子がいたら集めておいてほしい」

「わかりました」

 ようやく話し合いは終わった。これからはいよいよ行動に移していく。



 それからはもうとうの日々だった。

 早々にセオドールと集まった研修生はバートリー商会の各支店へと向かった。約二か月間、商売の知識やじつせん方法を学んでから交渉のためにアルノーへ行く。

 キャンドルホルダーのデザインは研修生に任せている。商会で多くの文化にれて、いいデザインを生み出してもらいたい。

 フレデリカはサーシャたちと共に、散りはじめた小薔薇カロンはやきの花を使ったプリザーブドフラワーの製作に追われる。

 まずは酒精エタノールに花を一日以上けこんでだつしよくと脱水をし、聖糖水ミルトふくんでいる水に植物性の顔料を混ぜたもので着色する。そして二、三日かんそうさせれば完成だ。

 プリザーブドフラワーの加工は花の性質によって、かかる時間や色合いが変わってくる。薔薇ばらぜんせいむかえるまでに調合の感覚をつかみたかった。実験結果を紙に書きながら、フレデリカたちは時間の許すかぎり研究を重ねていく。

 交代で休みながら夜おそくまで作業する日が続き、白い花弁がうっすらとピンク色に染まったときは、領民たちと喜びを分かち合った。

 そして。

 ついにフレデリカは旅立ちの日を迎える。エリシオと共に王都へ向かうのだ。

 不安や心配はないわけではないが。財政の回復にむけて、オルブライト家はそれぞれの方向に歩み出した。

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