第二章 花冷えのその先は_二

 エリシオとの約束の期限、そしてリーシュのこんいんしき当日。

 太陽がのぼりきったころ。フレデリカは不安なおもちで教会の中にいた。一段とおちついた印象のドレスを着て、ピンク色の口紅を引いたくちびるから小さく息をく。

 できることはやりきった。すでに準備は終わり、昨日の夜にハロルドの姉ふうとうちやくし、教会にらいひんがそろった。あとはリーシュと彼女の父親の入場を待つだけだった。

 胸がドキドキと脈打つ。式の本番前にきんちようするのは前世のときと変わりなかった。

(リーシュ、ハロルドさま、レーベル家やオルブライト家のみんな。そして手伝ってくれたすべての人たちが幸せな気持ちになりますように)

 さあいこう、とフレデリカは顔をあげる。

 リーシュたちには合図があるまで教会に入らないでねと告げていた。

 フレデリカは参加者やマルコ神父にうなずきかけると、内装が見えないようにとびらからするりとすべりこむように外に出る。

「こちらの準備は整ったわ。リーシュとおじさまはどうかしら?」

 パタンと後ろ手で扉を閉めると、フレデリカはいまこんわくしている親子にほほえみかける。

 リーシュはオレンジ色のドレスを着ていた。教会は祈りをささげ、げんしゆくな儀式を行う場である。彼女はしゆつが少なくなるよう八分そでえりがあるものを選んでいた。スカート部分はすらりとした長身を生かすためにすそに向けてが広がっていた。

(欲をいえばベールも用意したかったけれど)

 白が王族の色であるように、ティアラとベールも王族や神のみに許されている装飾品のため、そう簡単に使用することができなかった。

「リーシュ、とってもてきだわ」

「……ありがとう。でも準備もなにもかも、私が事前に調べた婚姻の儀式とはだいぶ様子がちがうようだけど。教会の中はどうなっているの?」

「俺は先ほど少しだけ見たが、一体どこで思いついたんだ?」

 彼女の父親も黒地のビロードの礼服に身を包んでいた。フレデリカは「おじさまもよく似合っているわ」とめてからりゆうちように語る。

「あら、まったく新しいことをしているわけでないわ。愛のがみフリージアさまのお言葉から派生している古い儀式を取り入れているだけだもの。財政を回復させるために調べたことが役に立ったみたいで本当によかった」

 リーシュは自分の首元のネックレスをとんとんと指さす。

「このおまじないもフリージアさまのお言葉なのよね?」

「そうよ。『四つの喜びサムシング・フオー』ね。これは裁きの神シンディスさまと愛の女神フリージアさまの婚姻の儀式にも実際に使われたおまじないなの。効果は期待できるわ」

 フレデリカは事前にリーシュに『儀式の当日までに古いもの、新しいもの、借りたもの、青いものを用意しておいてね』とお願いしていた。

 サムシング・オールドは先祖から受けいだ伝統やきずなしようちよう。だからリーシュは母から受け継いだパールのネックレスを。

 サムシング・ニューは新しい生活への希望の象徴。だから新しく買ったくつを。

 サムシング・ボローはすでに幸せになっている夫婦の持ち物を借りる。だから昨年結婚したハロルドの姉から借りたかみめを。

 サムシング・ブルーは幸せを呼ぶ色である青いものを見えない場所に身につける。だから幼いころから大切にしているフレデリカとおそろいの青いハンカチを用意していた。

 フレデリカはいま一度かくにんして頷く。

「ばっちりだわ。神々のさちがここにあらんことを」

 リーシュはひとみを細め、唇を震わせる。

「婚姻の儀式を挙げられること自体が幸せなことなのに。正直とても緊張しているわ。これからなにが起きるか想像つかないもの」

。ここから先はあっという間よ。だけど忘れられない体験となるわ」

「ふふ。親友のはげましの言葉が、幸せになれる効果が一番あるかもしれないわ」

 彼女の言葉にフレデリカは表情をほころばせ、次の瞬間には引き締める。

「さあリーシュ、おじさまとうでを組んで。そろそろ行きましょう」

 そういってフレデリカは教会の扉を開いた。

 リーシュの目が見開かれる。

 教会の中はしきさいであふれていた。うすぐらい教会を照らすように、ピカピカにみがかれたしよくだいろうそくがほのかにともる。そしてしんろうはさむように設置されたながはしには赤とピンクの小薔薇カロンのブーケと、白い布がドレープをえがいてかざられていた。

 しかも長椅子に着席するのはレーベル家にハロルドの親族にオルブライト家の人々。だれもが温かい目でリーシュをむかえてくれる。その中にはエリシオの姿もあり、彼もにこやかな笑みを浮かべていた。

 さらに正面奥のさいだんにはマルコ神父と──リーシュの婚約者であり最愛の人であるハロルドが待ち構えていた。

 ハロルドは青みがかった黒の礼服に灰色のベストを着ていたが、ネクタイには一部にオレンジ色のストライプが使われていた。これはフレデリカのアイデアだった。

 リーシュはおどろきのあまり入り口で足を止めてしまった。わずかに肩がふるえているのはなみだをこらえているからだろう。フレデリカは背中を押すように後ろからやさしい声をかける。

「前だけを見て進んで、リーシュ」

 こくり、と彼女は頷いた。そして父親と共に一歩ずつ前にみ出す。

 フレデリカは頭の中で身廊をバージンロードに見立てていた。

 そもそもバージンロードは和製英語であり、外国ではウエディングロードやアイルなどとも呼ばれていたが。これらはどれもはなよめの人生そのものを表す。

 父親と歩きながら生まれてからの日々を思い出し、そしていとしい人の手を取り未来をえる。バージンロードにはそんな意味が込められていた。

 イフレイン王国でも花嫁は自分の父親と入場するのが当たり前とされているが、由来は父親がむすめの権限をはな婿むこわたすためのものだった。

だんそんじよ名残なごりかもしれないけれど、きっとその中に大切な我が子をたくすという意味も込められている。わたしはそう信じるわ)

 リーシュはミティア教の神々がまつられる祭壇の手前で父親の腕から手をはなし、ハロルドの腕に手をばす。

 二人がそろうと、参加者全員でミティア教のさんを歌う。教会の中におだやかで優しい歌声がひびいた。それが終わるとマルコ神父がきようてんの中から一部の祝詞のりとを唱えてくれる。

 フレデリカも長椅子の後ろから二人の様子をうかがう。

 リーシュの手とハロルドの手がれ合う。それがほほえましくて、胸が満たされる。

 やがてマルコ神父がハロルドに告げる。

なんじはこの女性を妻とし、良きときもしきときも、富めるときも貧しきときも、妻と共に歩み、聖なるけいやくのもとに愛をちかいますか?」

「はい、誓います」

 ハロルドのかたい声が響く。次はリーシュの番だった。

「汝はこの男性を夫とし、すこやかなるときもめるときも、死が二人を分かつまで、夫と共に歩み、聖なる契約のもとに愛を誓いますか?」

「はい、誓います。永遠とわに」

 そしてリーシュとハロルドは向かい合った。いよいよ指輪こうかんだ。

 通常のこんいんしきであれば、指輪は祭壇に置かれた平たい木の箱に入れられているが、今回は違う。フレデリカは事前に小さなクッションのようなリングピローを用意していた。これは高貴な方に宝石をけんじようする際の宝石台が由来とされていて、指輪は『永遠の愛を約束する』という意味が込められた細いリボンによって固定されていた。さらに一部の飾りにはバートリー商会のシフォンを使っていた。

 マルコ神父が指輪に巻かれたリボンをほどき、ハロルドとリーシュに手渡す。

 二人はほほえむと、たがいの薬指に指輪を通す。そのみは見ているこちらまでほおがとろけてしまうほど幸せなものだった。

 最後に婚姻届にサインをし、二人は晴れてふうとなった。



(いいものを見せてもらったわ)

 フレデリカはこの場の空気をしみながら席を立つ。参列者の中には晴れ晴れとした表情もあれば、涙ぐんだ表情もあった。それを横目で見ながら教会を出る。

 外には今回の準備にかかわってくれた領民たちがいた。

 フレデリカはごまんえつの笑みを見せる。

 まさに大成功。

 領民たちもはくしゆや指笛、かんせいをあげて喜んでくれるが。フレデリカの心の奥底にはきようずいていた。ひっそりと教会の裏に回り、空を見あげる。

(明日からどうすればいいのかしら)

 儀式が終われば、エリシオはオルブライト領を離れる。彼は毎日宿場をおとずれるフレデリカやルーベンたちを追い返すことはせず、話をきちんと聞いてくれたが、絶対に首を縦にることはなかった。

(結局、今日の分のかくしよは用意できなかったもの)

 大口をたたいたフレデリカに対して、彼はあきれ果てているかもしれない。たとえすでに見放されていようと、この婚姻の儀式で彼がオルブライト領のことを見直してくれて、なにかを得ることができればそれだけで十分だと思えた。

(ケリは自分たちでつけないと)

 この先どんなに苦しくて冷たいやみが待ち受けていようと、フレデリカは家族やみんながいつしよならだいじようだ。そう自分に言い聞かせながら、つめが食いこむくらい両手をにぎる。

うれしい日なのに。本当はこんなこと思いたくないけど──くやしい)

 ぎゅっと瞳を閉じてどれくらいっただろうか。ふと人の気配を感じ、おそるおそるまぶたを開けると、目の前にエリシオが立っていた。

「! エ、エリシオさま!?」

 フレデリカが驚きの声をあげるが、彼はものともせずに真顔でっ立っていた。そして勢いよくフレデリカの手をつかむ。

「……ようやく思い出した。おれの探し求めていたもの」

「は、はい?」

 き返してみるが、フレデリカの疑問など耳に入っていないのか、さらに力を入れて小さな手を包みこむ。

「フレデリカじよう、おれと一緒に婚姻の儀式でひともうけしよう」

「──え?」

 フレデリカの気のけた声をかき消すように、教会のき通るようなかねの音が鳴った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る