第二章 花冷えのその先は_一

 次の日。フレデリカの手紙をたよりに王都からわざわざ駆けつけてくれた親友に、オルブライト家の庭先のテーブルで向かい合いながら、昨日までのけいを簡単に話した。

「聞いてリーシュ。エリシオさまったら宿場にこもったまま全然外に出てきてくれないの」

「ああ、確かバートリー領って王都に近いところにあるから、オルブライト領の寒さが身にみるのかもしれないわね」

「それにわたしが考えたかくも全然通らないの……」

 フレデリカはため息をつきながらテーブルにほおづえをつく。

「でもオルブライト家のみんなが希望を捨てていなくてよかったわ。フレデリカもこんなにしっかり者になって。相当がんってきたのね」

「リ、リーシュ」

 フレデリカはうっすらとなみだかべながらリーシュの手をにぎる。彼女ははげますように手を重ねてくれた。

 リーシュは王都で財を成したごうのレーベル家の一人むすめであり、歴史を辿たどるとオルブライト領で商人をしていた家系だった。

 はたから見れば交易の場が移ったことで領地をはなれたように見えるが、むしろ彼女のそうは領地を支えるために飛び出していった。だからレーベル家のえんのおかげで、いままでオルブライト領が細々とやってこれたのだ。

「爵位はくだつの件は私の周りでもかなりうわさになっていたわよ。王国に新しい風をかせたいのかもしれないって言われていたし」

「失礼な話だわ。王国のまつたんに風穴を開けたところで意味はあるのかしら?」

「今回の陛下たちの考えはまったく読めないわね」

 そういってリーシュはお土産みやげとして持ってきたビスコッティを食べる。ナッツが入っていてかなり固いため、フレデリカはミルクティーにひたす。

「で、画期的なアイデアは生まれそう?」

「うーん……なかなか難しくて。昨日は山で採れる土を使ってとうをつくろうという話を持ちこんだけど、職人をやとわないかぎり一年でいい物はつくれないって言われて」

「要はお金ねえ。私の家から援助しようか? きっとお父さまたちもいまごろ同じ話をしていると思うわよ」

「レーベル家にはお世話になりっぱなしだから。これ以上は返せなくなるわ」

 フレデリカはやんわりと断った。リーシュはしようするとの背もたれに寄りかかる。

「だからといって、フレデリカの苦しむ姿を見たくないのに」

「気持ちだけで十分よ。今日もこれからエリシオさまのところに行ってみるつもりだから」

「え、そうなの?」

 リーシュは目を見開いた。フレデリカはビスコッティを口に運ぶのをやめ、あきれ顔になる。

「ハロルドさまのことはいいの?」

 耳をますと、しきからは話し声が聞こえてきた。父親のルーベンとリーシュの父親もまた親友同士で、むかしから家族ぐるみの付き合いをしていた。レーベル家に婿むこりする予定のハロルドもセオドールのことを自分の弟のように思って接してくれていた。

「まあハロルドのことはいつでも見られるから。たまには目の保養も大事でしょう?」

「もう……どうせ日中にエリシオさまに会いに行っても毛布にくるまっているだけよ?」

「えっ可愛かわいい」

「ミノムシのどこが可愛いの……」

 フレデリカとリーシュはつくづく異性のしゆが合わない。彼女のこいびとがハロルドでよかったと心の底から思った。

「エリシオさまに人気があるのはわかったけれど。あのはなやかさと軽快さってつくりものみたいだと思わないの?」

「それがわかっているからこそ、私たちはねなく彼に接することができるのよ。だってかっこいい男性と話すのって楽しいでしょう?」

「……ふうん」

 興味なげにつぶやくと、リーシュは小首をかしげる。

「もしかしてリオハルト王子のほうが好みだったりする?」

 思ってもみなかった変化球にフレデリカの全身のうぶが逆立った。

「ない、ないわ。だってわたしの家をつぶそうとしているのよ?」

「最悪からのスタートだって期待できるわ。最近読んだロマンス小説にあったもの」

「それは作り物だからおもしろいのであって、現実は厳しいわよ!?」

 フレデリカは小さく悲鳴をあげた。リーシュは口元を押さえながら笑ったあと、なにかを思い出したようにまゆをさげる。

「どうしたの? リーシュ」

「あのね。私、ついにけつこんするの。ハロルドと」

 さらりと告げられたきつぽうに、フレデリカは両手を合わせて喜ぶ。

「おめでとう!」

「……ありがとう。フレデリカには最初に伝えたかったのに。こんな時期になってごめんなさい」

「気にしないで。それでこんいんしきはするの?」

「しないわ。私たちは貴族ではないもの」

「……そう」

 イフレイン王国において結婚は、教会に婚姻届と呼ばれるせいやく書を提出し、指輪をこうかんすることで認められる。

 一方で貴族や富豪にいたっては教会にお金を寄付して婚姻の儀式をり行っていた。しかし婚姻の儀式といってもしゆつの少ないドレスを着てさんを歌い、神父さまから祝福をもらい、神々の銅像の前で指輪を交換するだけ。

 フレデリカが前世でよく知っていた結婚式と比べると、全体的にたんたんとしていたが。それでもイフレイン王国の女性が一度はあこがれる儀式だった。

 レーベル家は十分富豪だ。婚姻の儀式を挙げてもおかしくはないのに。

(まさか、わたしたちに気をつかって?)

 フレデリカの心情をよそに、リーシュは庭から見えるオルブライト領の景色をたんのうしていた。

「私ね、婚姻届を提出するならオルブライト領がよかったの。だってこの土地は、レーベル家の故郷だから」

 でも、とフレデリカが口を開こうとすると、リーシュによってさえぎられる。

「好きな人と好きな土地で結婚を認めてもらう。それだけで十分よ」

 彼女はほほえんでいたが、あきらめたようなかげりが見えた。ふと前世でブライダルプランナーだったときに担当したお客さまの表情が頭をよぎる。

 どうかそんな顔をしないで、とフレデリカはひざうえこぶしをつくる。

「リーシュ、やっぱり婚姻の儀式はやるべきよ」

「いやいや。私のことよりも、まずはオルブライト領をどうにかしないと」

「儀式ができるゆうと機会があるなら、絶対にのがさないでほしいわ」

 フレデリカは自分の切実な思いが伝わるようにまっすぐにリーシュの瞳をいた。彼女は悲しそうに目をせる。

「それは、わかっているけど」

「領地のことも大切だけど、リーシュのことも大切なの。お願い、祝わせて」

「……いや、でも」

だいじようよ。わたしを信じて」

 やさしく、でも力強く声をかけると、リーシュはようやく顔をあげる。

「……わかったわ」

「任せて。最高の婚姻の儀式になるようがんるから」

「え、フレデリカが? なにをするの?」

「親友の晴れたいよ。花でかざりつけた教会の中で愛をちかい合うなんてどうかしら?」

 リーシュは期待を込めた表情になるが、すぐにくもらす。

「とってもてきな提案だけど。本当にそんなことができるの?」

「わたしだけの力ではできないけど、みんなの力を借りればきっとできるわ」

 フレデリカは自信たっぷりにうなずきながら、脳内で予定を組み立てる。エリシオと約束した期限は今日をふくめて五日。時間がない。リーシュもその期限の翌日には帰ってしまう。

(朝は五時に起きて畑を手伝ったら午前中はエリシオさまへのかくを考えて、午後はリーシュの婚姻の儀式のための準備。すいみん時間も最低限確保して。うん、やるしかないわ)

 フレデリカの知る結婚式は、参加してくれた全員と幸せを分かち合うことができる素敵な儀式だ。リーシュとハロルドを祝うことはもちろん、しやく剥奪の件で気がしずんでいる家族や領民の希望になり、婚姻の儀式の準備を通してエリシオにもオルブライト領のりよくが伝わるような儀式にしたかった。

 だからこそ婚姻の儀式は、エリシオと約束した期限の最終日に行う。

 にこにこするフレデリカに対し、リーシュは「期待しておく」と苦笑した。




(とは言ってみたものの……)

 前世でブライダルプランナーをしていても、そう簡単に生かしどころが見つからない。

 フレデリカは自室の机の前でうでを組んでいた。

(この世界で前世の結婚式のやり方が通用するわけではないもの)

 前世で行っていた結婚式は教会や神社だけではなく、形式にとらわれずにガーデンや一戸建ての洋館などのゲストハウス、歴史を辿たどればいつぱん家庭や病院で行われる場合もあった。

 さらに日本ではしろや純白のウエディングドレスを着て式を挙げていたが。イフレイン王国で白は、王族しか身に着けることができない色だった。

(リーシュの婚姻の儀式を取り仕切るからには、前世の結婚式の知識を取り入れたいけど。結婚式の文化がうすいイフレイン王国でいきなり好き勝手にやってしまうのは禁忌タブーだわ。王族のいかりなんて買いたくないもの)

 うーんとうなりながら、机の上に置かれた紙にやりたいことを書き出して、その中で時間が足りなくて間に合わないものにはしやせんを引く。ある程度、頭の中で形になったところでフレデリカは立ちあがった。

 考えるのも大切だが、まずは教会の協力が必要だった。

 が沈む前にフレデリカはオルブライト領にあるゆいいつの教会のとびらを開ける。

「神父さま、いらっしゃいますか?」

 中はしよくだいに立てられたろうそくの火によってほんのりと照らされ、冷ややかな空気が流れる。そして入り口からさいだんに向かってしんろうが延び、それをはさむように両側に側廊が延びている。てんじようはとても高く、晴れやかな青の顔料でられていた。ところどころ色がげているが、星空のようにも見える。

 フレデリカは婚姻の儀式の想像をふくらませながら身廊を歩き、正面の祭壇の前で両指をからめていのりをささげる。がんけのようなものだった。

 しばらくすると一人の男性が現れる。

「おや、だれかと思えばフレデリカさまでしたか」

 彼はマルコといい、はくはつと重そうにたるんだまぶたが印象的だった。黒い祭服をまとっていて首にはじゆうを下げている。

めずらしい。お祈りですか?」

「はい。それと神父さまにお願いがあって来ました」

「ほう、なんでしょう」

 フレデリカはおそるおそる口を開く。

「実は親友の婚姻の儀式のために、この教会を花などで飾りつけてみたいと思っていまして」

 マルコは困ったようにほほえんだ。

「とても素敵な発想ですが……げんしゆくな場にはなやかさなど必要ありませんよ」

 やんわりと断られてしまったが、想定内だ。フレデリカもここで引くわけにはいかない。

「本当にそうでしょうか?」

 フレデリカは視線で祭壇をうながす。そこには神々の姿をかたどった銅像が並んでいた。

 イフレイン王国が信じる『ミティア教』は多神教で、十人の神をしんこうしている。創造の神ハルミヤ、裁きの神シンディスなどさまざまな分野の神がそろっていたが、フレデリカが目をつけたのは愛のがみフリージアだった。

「フリージアさまのお言葉の中に『しかるべき場所ほどいろどるべき。信仰は目を引いてこそ集められる』というものがありましたわ。わたしはその考えを尊重したいと思ったのです」

 マルコのたるんだ瞼が少しだけ持ちあがる。

おどろきました。それは戦前のきようてんの内容ですね」

「はい。お祖父じいさまのしよさいから見つけました」

「なるほどルネさまのでしたか」

 彼は何度か深く頷くと、ため息をつく。

「よく勉強なされている。聖職者としてこの上もなくうれしいですが。フレデリカさまはフリージアさまのお言葉を尊重したいと言いながらも、毎日ここでお祈りはなさらない。ああ、責めているわけではないんですよ?」

 マルコ神父はゴホンとせきばらいをしてからゆっくりと語る。

「いまの王族は創造の神ハルミヤさまに選ばれたです。その王族が神々を敬っていたからこそ信仰も深いものだった。しかし五十年前に終戦した戦争でじようきようが変わりました」

 フレデリカも王都にいるときに家庭教師から教わったことがある。

(それぞれの国が『自分たちのしの神さまが一番!』という理由で戦争をしていたのよね?)

 ミティア教を信仰していた国々はにらみ合ったり力説したり主張がどろぬましたりで七年間も戦争していた。愛とにくしみはかみひとなのだ。

 そんな中で、のちにイフレイン王国の国王となる王子が自らよろいを着て指揮をった。

『神々や来世を信じる前に、私たちはいまを見るべきなんだ。みな、私について来い!』

 この一言によって多くの兵士がされ、神々よりも王族の言葉を、そして人間が起こす奇跡ちからを信じるようになった。

 一方で終戦を境にミティア教の神々は十人まとめてまつられるようになり、イフレイン王国で神々への信仰は日常的なものではなくなった。ときに願いをかなえてくれる、叶えてくれない、神のおかげ、神のせい。そういう都合のいいものになってしまったのだ。

「時代が変われば神々へのかかわり方が変わることもあります。私はそれがとてもさびしかった」

 むかしはこの教会にも助祭がいてにぎわっていたようだが、いまはマルコだけだ。彼は家族がいないようで領民たちとの交流が心の支えとなっているとルーベンから聞いたことがある。

 マルコはフレデリカに向き合う。

「フレデリカさまは教会を飾ることで信仰がもどってくると本気で思っているのですね?」

「そうです。どうかお許しください」

「……困りましたね。男爵れいじようのお言葉であれば協力するべきなのでしょうが、私は大司教のもとからけんされた身。オルブライト領には長くお世話になっていますが、私はオルブライト領のたみではない」

 要は大聖堂に君臨する大司教の許可がないとできないということか。

 フレデリカはぎゅっとくちびるを引き結ぶ。教会を飾りたいと思うのが自己満足だというのはわかっている。それに領地の問題を解決するほうを優先するべきということも。でも、大変なときだからこそみんなの心が明るくなるような出来事がほしかった。

「そこをなんとかお願いします……!」

 フレデリカは深々と頭をさげる。マルコはいつぱく置いたあと「わかりました」としようする。

「ひとつ条件を出しましょう。こんいんしきをするにあたって教会のせいそうをお願いしたい。私一人では手が回らなくなってきましてね」

「もちろんです。やらせていただきます」

「……本当にできますか? すみずみまでれいにするとなると婚姻の儀式の日に間に合わないと思いますが」

「ご心配ありがとうございます。ですが、きっと間に合わせてみせますわ」

「そうですか。いい心がけです」

 マルコはフレデリカに背を向けて、祭壇を見つめる。

「それにしても、フレデリカさまはどんな方法でそうをしてくれるのでしょうか。ここ数年でなかなかできなかったぶん、美しく仕上げてもらいたいものですね」

 フレデリカは目を見開いた。

「まあ仕上がりの中に少しぐらい華やかさがあっても、掃除をたのんだのは私です。フレデリカさまになにかを言える立場ではないですから」

 マルコはり返り、やさしい声で告げる。

「もちろん掃除は強制ではありません。あなた方オルブライト家はちゆうにいます。決して無理はなさらず。もし清掃ができなくても、私はきちんと祝福の祝詞のりとを唱えますので」

「はい……! ありがとうございます」

 マルコなりのづかいに、絶対に婚姻の儀式をいいものにしようと改めて決意した。



 この数日間のフレデリカの予定は分刻みでめこまれていた。ルーベンやサーシャに心配されたが、領地のための勉強も必死にこなしていく。それよりも、二人の表情のほうがやつれていたことが気になった。

 リーシュの婚姻の儀式はいよいよ明日だ。エリシオにもそのことを伝えているが、返事は保留となっていて、彼が参加してくれるかはまだわからない。

(今日は花の準備ね)

 ふゆきの小薔薇カロンはこのあいだしゆつを終えていた。六月にぜんせいむかえる大輪の薔薇ばらなんて間に合わない。

(ほかの花だってまだ咲かないもの。家庭用の小薔薇カロンが残っているといいのだけど)

 フレデリカのしきの庭にも小薔薇カロンがあり、花は八分咲きといったところだった。ということは、集めれば花束がつくれる。

 フレデリカは畑を手伝いながら小薔薇カロンを探し回る。

 領民たちの家をいつけんずつおとずれ、赤やピンクといった花を分けてもらった。その際にリーシュの婚姻の儀式の話をすると興味を持ったようで、家にある白い布やあまっているリボンも分けてくれた。

 フレデリカはセオドールにも協力を頼み、二人して両手いっぱいの荷物を教会へ運びこむ。

 婚姻の儀式の準備は一人でできるものではない。この数日間で改めて実感した。

 昨日は、エリシオとの一件で落ちこんでいた領民たちが教会の掃除を手伝ってくれた。さらにしよくだいみがいてくれ、それだけでふんが変わる。彼らもまた婚姻の儀式を楽しみにしていた。それが本当に嬉しかった。

 フレデリカはさらに教会を彩れるよう、セオドールと共に集めた小薔薇カロンで花束やリースをつくってみるが、一部の花弁が取れてしまい日持ちしそうになかった。

(やっぱり満開に近い小薔薇カロンいたみやすいのね)

 リーシュの結婚式の次の日には花弁が傷んで茶色になるだろう。この世界ではまだポリエステルを原料とした造花をつくる技術もなかった。

酒精エタノールは見つけたから、グリセリンさえあればプリザーブドフラワーができるのに)

 花をかんそうさせてつくるドライフラワーは深みある色合いになるが、プリザーブドフラワーは酒精エタノールとグリセリンなどの液体で加工をするので、あざやかな色合いが残るのだ。

(とろみがあって湿しつ性の高いとうめいな液体ってあるのかしら……)

 考えられる可能性はしよう水の原料だろう。成分をぶんせきすればグリセリンに似たようなものが見つかるかもしれない。

(材料があったところで時間が足りないけどね……)

 なやんでも仕方ない。いまはある物だけで最高の儀式を演出する。

「お姉さま。午後は北側の家を回ってみませんか? 僕、もう少し花があってもいいと思うんですよね」

「そうね。そうしましょうか」

 フレデリカとセオドールは昼食を済ましたあと、馬に乗って北側に向かう。準備は着々と進んでいくが、同時にエリシオと約束した期限も明日となっていた。

(知り合いの貴族に送った手紙の返事はちらほらきたけれど)

 エリシオとリーシュたち以外にオルブライト領に来たものはいなかった。それが現実だった。

 ちょうどエリシオがまっている宿場のとなりを通る。

「待って、セオ。今日のかくをエリシオさまに見せないと」

 するとセオドールは馬を止め、まっすぐな視線でフレデリカの瞳をく。

「お姉さま、最初から僕たちはエリシオさまに従う道しか残っていませんでした。エリシオさま以上のアイデアなんて僕たちには思いつかない。だからお父さまたちは僕たちにだまって、毎日エリシオさまに頭をさげるんですよ。協力してくださいって」

「……そう」

 なんとなくそんな気はしていた。ルーベンやサーシャを筆頭に、大人たちはだれもがかくを決めた表情をしていたから。

「お姉さまがエリシオさまを引きとめてくれたおかげで、みんな冷静になれたんです。これ以上お姉さまががんる必要はない。いまはリーシュ姉さまとハロルド兄さまのことだけを考えていてください」

 フレデリカは言葉を詰まらせる。その優しさが胸をすように痛い。

「婚姻の儀式なんてそうそう見る機会がないですから。僕たち、とっても楽しみにしているんですよ」

 セオドールは姉を心配させまいと声を張るが、少しふるえていた。フレデリカが馬からおり、弟にけよろうとしたとき。

「なるほど。企画を持ってくるのがおそいと思っていたら、本当に他人の婚姻の儀式のためにほんそうしていたんだ」

 声がしたほうを振り向くと、エリシオが側近を連れて宿場に戻るところだった。めずらしく外を出歩いていたようだ。

「いましがたレーベル家からも話を聞いたけど。おどろいたよ。ずいぶんとゆうがあるようで」

 エリシオはあきれ顔をしながらこちらに近づく。フレデリカも表情を引きめて、彼のほうに歩みを進める。

「レーベル家とも商談ですか?」

「それしかやることがなくてね」

 彼はかたをすくめた。そんないやをいちいち気にしていられない。フレデリカは持ってきていたポシェットから企画書の束を取り出す。

「これが今日の分です」

 エリシオは受け取るとしゆんに紙をパラパラとめくる。

「ふうん……どんどんつまらなくなってきたね。りよく的に見せたい部分が分散している。まるでいまの君のじようきようみたいだ」

 フレデリカは心の中でみする。彼の言う通りだった。ちらりとセオドールのほうを見るとこぶしにぎりしめていた。

「この様子だと明日にはお別れだね」

 エリシオは企画書をフレデリカにていねいな動作で返した。

「ここに残ったおかげでレーベル家とつながりができた点だけは感謝するよ。ではまた明日、フレデリカじようと弟君」

 彼はフレデリカたちに目もくれずにきびすを返す。

 フレデリカは黙ってその後ろ姿を見送ることしかできなかった。すると、彼は足を止める。

「そうだ。リーシュ嬢の婚姻の儀式には参加するよ。レーベル家にさそわれたからね。君が参加者になにをもたらしてくれるのか。しっかりと目に焼きつけるよ」

 その言葉に、フレデリカの胸にはくやしさよりもおだやかな波のような感情が押しよせた。

(……ええ。しっかりと目に焼きつけてください。わたしと、オルブライト領のみんなの力を)

 だからこそみをかべる。

げきれいありがとうございます。エリシオさまにも楽しんでいただけるよう頑張りますので」

「そうだね。口先だけにならないことをいのるよ」

 フレデリカとエリシオの視線が交差する。意外にも、先に顔をそらしたのはエリシオのほうだった。

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