第一章 風光る日の訪問者_二

「事情は夜会や手紙でだいたい知っていますが、おれの考えを話す前にこの土地のじようきようを見てみたい。少し歩いても?」

 エリシオからそう提案され、フレデリカは小さくうなずく。そのかたわらで、ぐるぐると思考をめぐらす。

(本当にバートリー伯爵家の令息だったなんて)

 気位の高い貴族ほど自分の足で歩くことをきらうが、彼は慣れているらしい。側近たちもいやな顔ひとつしなかった。

 フレデリカは畑の状態をざっくりと説明する。ちゆうで畑を耕していた領民がこちらに気づき、手をってくれた。

「あの空いている畑ではなにをつくる予定ですか?」

「トウモロコシです」

「じゃあ、あのしげっている庭みたいなところは?」

ふゆきの小薔薇カロンですわ。早咲きのものはこのあいだしゆつされました」

「なるほど」

 エリシオは次々と指をさしては質問をしてきた。夜会で出会ったときとは様子がちがい、その横顔はしんけんそのものだが。信用できる人物かまだわからない。

 疑念は早いうちに晴らしたほうがいい。これから仕事仲間になるかもしれないのだから。

 フレデリカは小さく息を吸う。

「失礼を承知でうかがいますが、エリシオさまは本当に手紙を受け取ってここにいらしたということで間違いありませんか?」

 エリシオはいつぱく置いてから小首をかしげた。

「なにか問題でも?」

「いいえ、その、わたしが手紙を送ってからずいぶんと早いとうちやくだったもので。とてもおどろいています」

 フレデリカの予想に対して彼の到着は早すぎる。一体どんな手段を使ったのか。この世界にほうはない。

「ああ、おれは常に最新の情報を集める主義ですので。こちらから事前にオルブライト領にれんらくを入れなかったのは申し訳なかったですが。人に言えないようなとくしゆじようほうもうくらいたくさんあるんですよ」

「……そうですか」

 に落ちない答えだったが、フレデリカは引き続き領地を案内する。

(この人がわたしたちの協力者……)

 はなやかな見た目に反して、根はかなりの真面目まじめなのかもしれない。そんな印象を受けた。

「ひとまず資料通りですね。体も温まってきたし、領主さまや領民を集めてもらえませんか?」

「ええっと、議会堂でいいでしょうか?」

「お任せします。とりあえず人数は最小限で。ここに来るまでの数日でだいたいの解決策は練ってきたので。まずはそれについて話し合いましょうか」

 やはり商人しての経験を積んでいるのか、自信満々に言いきった。

「そんなにすぐに思いつくものなのでしょうか?」

「考えるだけでしたら。それを受け入れて実行するかどうかはみなさんだいですよ」

 こうたんをつりあげる姿に、フレデリカは口をつぐむ。どことなく「わざわざここまで来てあげたんだ。おれのこと、上手うまく使ってみせてよ」と言われている気がした。



 フレデリカは議会堂にみんなを呼ぶと、エリシオをしようかいする。彼の登場を真っ先に喜んだのは両親だった。

「あのエリシオ殿どのが我が領にいらしてくれるとは。光栄です!」

 ルーベンは期待を込めた目でエリシオとあくしゆわす。そして議会堂に集まった自分と同世代の体格のがっしりとした領民たちに彼を紹介する。

「みな、エリシオ殿はふくしよく業界の発展に一役買っているすごいお方だぞ」

「いやいや、それは主に両親の功績ですから。おれはたのまれて他国の技術や布地の買いつけを任されているだけですよ」

「なにをおっしゃる。それこそがすごいことですよ」

 サーシャも両手を合わせてほほえむ。

「私もむすめからバートリー商会のスカーフをプレゼントされたばかりなの。あのざわり、本当に素敵だったわ」

 エリシオは口角をあげ、胸の前に手を当てておをする。

「お買いあげありがとうございます。おれもスカーフ用の布地にはこだわりがありまして。喜んでいただけて嬉しいです」

 そういって人当たりのよさそうな笑みを浮かべるが。

 領民たちは会話についていけずに困惑していた。それもそうだろう。織物業や服飾業界でかつやくするバートリーはくしやくの次男が、なぜ農業で発展してきたオルブライト領に来たのか。

 セオドールが領民の心を代弁するように首をひねった。

「そんなにすごいお方がここに来た理由とはなんでしょうか?」

 フレデリカはおずおずと片手をあげる。

「わたしが招いたのよ。エリシオさまのお力があれば領地の危機を救えると思って」

「お姉さまが?」

 するとルーベンの表情がほころぶ。

「そうか。お前も頼もしくなったな。ありがとう」

 その言葉にフレデリカは小さく笑みを浮かべたが、これがきちと出るかきようと出るかはまだわからない。エリシオはオルブライト領になにをもたらしてくれるのか。

 ルーベンがうながした席に、エリシオの側近がを引いて主人を座らせる。それを見てからフレデリカたちも席につく。

(エリシオさまのお手並み拝見ね)

 だれもがかたんで、エリシオに注視する。彼もまた左から右へ一人ひとりの表情を見ながら口を開く。

「さっそくですが。いまの運営のやり方では悪化する一方で、到底財政を回復させることはできません。それはみなさんも薄々わかっていますね?」

 誰もが口をつぐんだ。ルーベンも後ろ暗さがあるせいか、わずかに視線をさげながら頷く。

「おれはオルブライト領に来る途中で、みなさんが作物の取れ高を増やすために行ってきた対策を見直しましたが。少し厳しいことを言わせてもらうと、やり方がいまの時代に合っていないように感じます」

 ルーベンがまゆを寄せながらうなる。

「それは品種改良がよくないということでしょうか?」

「いいえ。年中採れるような作物が生まれればむしろじゆようが高まります。品種改良はとても時間がかかるもので、だからこそ成功すれば売りあげがびますから。ルーベン殿が品種改良という手段を選んだねらいはそこでいいですか?」

「ええ。私はくなった父がその事業で成功させた姿を見て育ったものでして」

「そこなんですよ、ルーベン殿。あの時代はまだ流通の場がオルブライト領にあった。だからこそ売れ行きがよかったんです。では現在はどうでしょう? 流通の場はどんどん西へ動き、いまはここからもっとも遠い土地である港町アルノーです」

 王国の西の領地に位置するアルノーは、おおうなばらわたれる商船の登場によって、かなり活気づいているといわれている。オルブライト領の野菜や果物は味がく甘みが強いためアルノーに受け入れられるかもしれないが、そこまで運べないということはすでに結論づけられている。

 エリシオはフレデリカたちの考えをくみ取ったように言葉を続ける。

「オルブライト産の作物を世の中に広めたいという気持ちはわかります。そのために品種改良をしていたみにくいものに変えようとする努力も。しかしみなさんに残された時間はもうない。というわけで、少し方法を変えてアルノーで商品を売ってみませんか?」

「ん?」

 これには誰もが首を傾げた。ルーベンは小難しい顔をしながらエリシオにたずねる。

「私たちも冬であれば雪や氷を利用してうんぱんすることも考えましたが。季節はもう春です。作物をしんせんなままアルノーにまで届けることなんてできるのでしょうか?」

「生のままはさすがにおれでも厳しいですよ。要は作物を調理してから出荷すればいいのです。とくにかんづめなどの保存食はこれからどんどん重要視されていきますから」

 ああ、とフレデリカはなつとくする。イフレイン王国でしんが起きることはほとんどないが、水害などの災害に向けて長期保存できる商品を売ることができれば、アルノーだけではなく王国中で買い手がつくかもしれない。

「実は我が商会で礼服やドレスの製作にあたるとき、体形を気にされる方が多いことが気になっていまして。時期を問わずいろんな栄養素を手軽にせつしゆできるような食べ物があればいいなと思っていたんですよね。それに缶詰なら海上でも重宝されます。上手くいけば他国でも買い手がつくかもしれません」

 エリシオはにっこりと口角をあげながら、机にほおづえをついた。

「調理した野菜や果物をめるためのアルミやガラスびんはおれが手配します。というわけで、バートリー商会とけいやくして食品部門を立ちあげてみませんか?」

「食品加工、ですか? ……バートリー商会で」

 正直なところフレデリカはいい案だと思ったが、ルーベンを筆頭とした領民たちはしぶい顔をしていた。

「つまりオルブライト領というブランド名はなくなりますよね?」

「そうですね。あくまでバートリー商会の商品というあつかいになりますが、原産地はしっかりさいしますよ」

「いや、しかし。これはどう見ても……」

「バートリー家がオルブライト領を乗っ取っているように見えますか?」

 エリシオはその反応すら見通していたようで平然としていた。

(! ……だから受け入れて実行するかどうかはみなさん次第だと言ったのね)

 フレデリカはぐっとこぶしにぎりしめる。エリシオの考えの背景がようやく理解できた。

「ルーベン殿は先祖代々の畑を守りたいんでしょう? なら我々の商会に協力するしか生き残る道はないのでは?」

「それは……そうですが」

 ルーベンの声がしりすぼまりになった。サーシャが彼の背中に手を置く。領民たちもじよじよかたを落としていくが、エリシオの言動は少しごういんなところがあるように感じた。

「では具体的な話をしましょうか」

 するとエリシオは背後にひかえていた側近を呼び、かばんから紙の束を取り出す。そこには原単価や売価、どれくらいの商品を一度につくるかなどのしようさいが書かれていた。人数分の紙がいきわたると順に説明してくれる。

 エリシオはゆっくりとした口調で、さらに声によくようをつけてくれるが、書類を見たことがない人が多いため、よくわからないと首をかしげる人が多かった。

 それをルーベンがもっとくだけた言い方で説明し、ようやく理解につながる。ただ思った以上に時間がかかり、いつの間にか日がかたむきはじめていた。

 そしてエリシオが最後の段落を指さす。

「あくまで予想ですが。一年目の売りあげはこれくらいかと」

 四月中にすべての準備を終わらせ、五月から十月のあいだで売りこみ、本格的な売りあげが期待できるのは十一月からと書かれていた。

 フレデリカが思っていたよりも一年目の売りあげは低かった。エリシオは「最初はこれくらいですよ」と言うが。これが現実とわかっていても、なかなか受け入れられない。

(考えが甘かったのはわたしたちのほうなのね)

 どんよりとしずんだ空気の中で、エリシオの声がたんたんひびく。

「正直、おれの案でもギリギリです。まあ、来年も再来年も順調に売りあげを伸ばす見込みさえ証明できれば、爵位はくだつかいできるでしょう」

 実際はこれよりも上手うまくいかないことのほうが多いだろう。

 この場にいる者のほとんどが打ちひしがれていた。ルーベンはうなだれ、セオドールはわずかにくちびるふるわせる。

 領民たちがくつきような体を丸めて無防備となった姿を見ても、エリシオはなんとも思わないのか。トドメとばかりに一段と口角をあげる。

「というわけで、毎月の売りあげのこれぐらいは納めてください」

 エリシオは手のひらをフレデリカたちに見せつけた。

「ご、五パーセント?」

しようもつけますし、けいぞくして売りあげが出るまでサポートします。安いほうでしょう?」

 長い目で見ればうまみはあるが、正直この一年で考えるとじりひんだ。

 エリシオはいまみをくずさない。仮面をつけているような不気味さがある。

(そうよね……彼はわたしたちを助けに来てくれたわけではない。ここに商談をしに来たんだもの)

 フレデリカは感情をおさえるために、大きく息をき出す。彼の態度は商売の世界で生きいてきたからこそ厳しいのだろう。

(いまは力を貸してもらうしか道はないわ)

 フレデリカは周囲を見回す。どうやってみんなの調子をあげていこうかと考えていると、事態は思わぬ方向に向かう。

「なあ領主さま。これはなんじゃありませんか?」

 領民の言葉にルーベンがはじかれたように顔をあげる。

「俺たちはここの生活と伝統を守りたいんです。それを紙の束で判断されるのはちがっていると思います」

「……お前たちのいう紙の束は、作物の種といつしよなんだ。畑にまいてみないとどう成長するのかわからない。それにせっかくエリシオ殿どのが考えてくれた案を無下にするわけには」

「そのエリシオさまを信用できないのです。実績があるのはわかりますが、それはふくしよくのことだけでしょう? いまこの場に俺たち以上に作物にくわしい人はいません」

 エリシオは肩をすくめる。

「困りましたね。そう言われれば反論できない」

 気取ったような態度が、領民たちの疑念をかきたてる。あきらかな敵意が向けられた。

 するとエリシオは一段と低い声で「しゆうかくなしか」とつぶやく。

「おれは前々からやりがいのあるもうけ方を探していまして。ちょうどフレデリカじようから手紙をもらい、遠い土地までやってきてみなさんから農業の教えをうつもりでしたが。疑われてしまうとは残念です」

 まるでフレデリカたちに一方的に非があるような言い方だった。

 エリシオは静かに席を立つと「これで失礼します」と告げる。そしてコートを羽織ると二人の側近を連れて議会堂を出ていってしまう。

(だめ。行かないで)

 いまここで彼を失ったら、オルブライト家は、領地は、来年を待たずに終わる。

「わたし、引きとめてくるわ!」

 フレデリカも議会堂を飛び出し、彼の背中を追う。

 すでに外はあいいろに染まり、冷ややかな風がフレデリカのかみをなびかす。

「待ってください!」

 エリシオの歩く速度は速い。いつしようけんめいける。

「待って!」

 フレデリカは彼の手前に回りこんだ。息を整えながら見あげると、彼は両手をポケットに入れながら見おろしていた。

「お願いします。わたしたちに協力してください」

「もう商談は終わっていますが」

 外気に負けないほど冷たくて低い声だった。フレデリカも負けじと言葉をつむぐ。

「エリシオさまはこの土地に可能性をいだしたから来てくれたのでしょう?」

「ええ。でもあしだったようだ。新しい儲け方はほかにもあるので今回は見送ります」

「そう言いながらも、ときどき自分の都合のいいように会話をゆうどうしていましたよね?」

「……なんだ、バレてた?」

 彼は悪びれる様子もなくこうたんをつりあげ、口調を変えた。フレデリカはぎゅっと拳を握る。どうすれば彼を引きとめることができるのか。

 さまざまな考えが頭をよぎるが、なにから声に出していいのかわからない。だまりこんでうつむくと、エリシオのため息がふってくる。

「君もいつまでも外にいないで建物の中にもどったほうがいい。風邪かぜひくよ」

 そういって足を進めようとするエリシオのうでを、フレデリカはとつに手をばしてつかんだ。

「い、行かないでください……」

 すがるようにこんがんすると、彼はみとどまった。そして勢いよくり返る。

「あのさ、オルブライト家の印象はあの夜会でかなりさがっている。だからますます作物は売れない。君たちはものにされているんだ。それでもまだげんそうを見るのか?」

「幻想ではなくて未来の現実にしたいんです!」

 エリシオはあきらめなよと言いたげにコートのえりに口元をうずめた。

「オルブライト家と領民たちのあいだにきずながあるのはよくわかったよ。君たちならたとえぼつらくして農家になっても十分この土地でやっていける。それでいいじゃないか」

 投げやりな言葉にフレデリカは声を張って反論する。

「だからこそほかのだれかに領地をゆずるわけにはいかないのです。わたしたちは誰よりもこの土地のことを知っていて、積みあげてきたものがたくさんあります。エリシオさまだってそれをじっくり見てから判断されてもおそくないですわ!」

「そう思っているなら、しやく剥奪を宣言される前に対策を変えるべきだったのに」

「ええそうですわ。エリシオさまの言う通りです。もっと早くに取れ高を増やすためのやり方が間違っていると気づいていたら、こうはなっていませんでした。でもそれは結果論に過ぎません。わたしたちは気づいたんです。なら、変わるしかない」

「……おれは難しいと思うけどね」

「では一週間だけゆうをください。誰もがなつとくしてくれるようなもっと画期的なアイデアをわたしが見つけます」

 エリシオはあきれながらフレデリカを見おろす。

「君、意外と度胸があるよね。夜会のときといい。いまといい」

「領地の未来がかかっていますから……!」

 彼がこの土地に足を踏み入れた時点でフレデリカに有利だ。いま一度「お願いします」と頭をさげる。

「あーもう。簡単に頭をさげるんじゃない。口が達者なのはいいけどさ──」

 とつぜんエリシオの言葉がれ、くしゅん、という音がひびいた。

 いつぱく置いて、彼は真っ赤な鼻で降参だと両手をあげた。

「わかった。わかったから、続きは建物の中でやろう! 寒いんだよこの土地!」

 しくもオルブライト領の寒さのおかげで、フレデリカはいちの望みを手に入れたのだった。

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