第一章 風光る日の訪問者_二
「事情は夜会や手紙でだいたい知っていますが、おれの考えを話す前にこの土地の
エリシオからそう提案され、フレデリカは小さく
(本当にバートリー伯爵家の令息だったなんて)
気位の高い貴族ほど自分の足で歩くことを
フレデリカは畑の状態をざっくりと説明する。
「あの空いている畑ではなにをつくる予定ですか?」
「トウモロコシです」
「じゃあ、あの
「
「なるほど」
エリシオは次々と指をさしては質問をしてきた。夜会で出会ったときとは様子が
疑念は早いうちに晴らしたほうがいい。これから仕事仲間になるかもしれないのだから。
フレデリカは小さく息を吸う。
「失礼を承知でうかがいますが、エリシオさまは本当に手紙を受け取ってここにいらしたということで間違いありませんか?」
エリシオは
「なにか問題でも?」
「いいえ、その、わたしが手紙を送ってからずいぶんと早い
フレデリカの予想に対して彼の到着は早すぎる。一体どんな手段を使ったのか。この世界に
「ああ、おれは常に最新の情報を集める主義ですので。こちらから事前にオルブライト領に
「……そうですか」
(この人がわたしたちの協力者……)
「ひとまず資料通りですね。体も温まってきたし、領主さまや領民を集めてもらえませんか?」
「ええっと、議会堂でいいでしょうか?」
「お任せします。とりあえず人数は最小限で。ここに来るまでの数日でだいたいの解決策は練ってきたので。まずはそれについて話し合いましょうか」
やはり商人しての経験を積んでいるのか、自信満々に言いきった。
「そんなにすぐに思いつくものなのでしょうか?」
「考えるだけでしたら。それを受け入れて実行するかどうかはみなさん
フレデリカは議会堂にみんなを呼ぶと、エリシオを
「あのエリシオ
ルーベンは期待を込めた目でエリシオと
「みな、エリシオ殿は
「いやいや、それは主に両親の功績ですから。おれは
「なにをおっしゃる。それこそがすごいことですよ」
サーシャも両手を合わせてほほえむ。
「私も
エリシオは口角をあげ、胸の前に手を当ててお
「お買いあげありがとうございます。おれもスカーフ用の布地にはこだわりがありまして。喜んでいただけて嬉しいです」
そういって人当たりのよさそうな笑みを浮かべるが。
領民たちは会話についていけずに困惑していた。それもそうだろう。織物業や服飾業界で
セオドールが領民の心を代弁するように首をひねった。
「そんなにすごいお方がここに来た理由とはなんでしょうか?」
フレデリカはおずおずと片手をあげる。
「わたしが招いたのよ。エリシオさまのお力があれば領地の危機を救えると思って」
「お姉さまが?」
するとルーベンの表情がほころぶ。
「そうか。お前も頼もしくなったな。ありがとう」
その言葉にフレデリカは小さく笑みを浮かべたが、これが
ルーベンがうながした席に、エリシオの側近が
(エリシオさまのお手並み拝見ね)
「さっそくですが。いまの運営のやり方では悪化する一方で、到底財政を回復させることはできません。それはみなさんも薄々わかっていますね?」
誰もが口をつぐんだ。ルーベンも後ろ暗さがあるせいか、わずかに視線をさげながら頷く。
「おれはオルブライト領に来る途中で、みなさんが作物の取れ高を増やすために行ってきた対策を見直しましたが。少し厳しいことを言わせてもらうと、やり方がいまの時代に合っていないように感じます」
ルーベンが
「それは品種改良がよくないということでしょうか?」
「いいえ。年中採れるような作物が生まれればむしろ
「ええ。私は
「そこなんですよ、ルーベン殿。あの時代はまだ流通の場がオルブライト領にあった。だからこそ売れ行きがよかったんです。では現在はどうでしょう? 流通の場はどんどん西へ動き、いまはここからもっとも遠い土地である港町アルノーです」
王国の西の領地に位置するアルノーは、
エリシオはフレデリカたちの考えをくみ取ったように言葉を続ける。
「オルブライト産の作物を世の中に広めたいという気持ちはわかります。そのために品種改良をして
「ん?」
これには誰もが首を傾げた。ルーベンは小難しい顔をしながらエリシオに
「私たちも冬であれば雪や氷を利用して
「生のままはさすがにおれでも厳しいですよ。要は作物を調理してから出荷すればいいのです。とくに
ああ、とフレデリカは
「実は我が商会で礼服やドレスの製作にあたるとき、体形を気にされる方が多いことが気になっていまして。時期を問わずいろんな栄養素を手軽に
エリシオはにっこりと口角をあげながら、机に
「調理した野菜や果物を
「食品加工、ですか? ……バートリー商会で」
正直なところフレデリカはいい案だと思ったが、ルーベンを筆頭とした領民たちは
「つまりオルブライト領というブランド名はなくなりますよね?」
「そうですね。あくまでバートリー商会の商品という
「いや、しかし。これはどう見ても……」
「バートリー家がオルブライト領を乗っ取っているように見えますか?」
エリシオはその反応すら見通していたようで平然としていた。
(! ……だから受け入れて実行するかどうかはみなさん次第だと言ったのね)
フレデリカはぐっと
「ルーベン殿は先祖代々の畑を守りたいんでしょう? なら我々の商会に協力するしか生き残る道はないのでは?」
「それは……そうですが」
ルーベンの声が
「では具体的な話をしましょうか」
するとエリシオは背後に
エリシオはゆっくりとした口調で、さらに声に
それをルーベンがもっと
そしてエリシオが最後の段落を指さす。
「あくまで予想ですが。一年目の売りあげはこれくらいかと」
四月中にすべての準備を終わらせ、五月から十月のあいだで売りこみ、本格的な売りあげが期待できるのは十一月からと書かれていた。
フレデリカが思っていたよりも一年目の売りあげは低かった。エリシオは「最初はこれくらいですよ」と言うが。これが現実とわかっていても、なかなか受け入れられない。
(考えが甘かったのはわたしたちのほうなのね)
どんよりと
「正直、おれの案でもギリギリです。まあ、来年も再来年も順調に売りあげを伸ばす見込みさえ証明できれば、爵位
実際はこれよりも
この場にいる者のほとんどが打ちひしがれていた。ルーベンはうなだれ、セオドールはわずかに
領民たちが
「というわけで、毎月の売りあげのこれぐらいは納めてください」
エリシオは手のひらをフレデリカたちに見せつけた。
「ご、五パーセント?」
「
長い目で見れば
エリシオは
(そうよね……彼はわたしたちを助けに来てくれたわけではない。ここに商談をしに来たんだもの)
フレデリカは感情を
(いまは力を貸してもらうしか道はないわ)
フレデリカは周囲を見回す。どうやってみんなの調子をあげていこうかと考えていると、事態は思わぬ方向に向かう。
「なあ領主さま。これは
領民の言葉にルーベンがはじかれたように顔をあげる。
「俺たちはここの生活と伝統を守りたいんです。それを紙の束で判断されるのは
「……お前たちのいう紙の束は、作物の種と
「そのエリシオさまを信用できないのです。実績があるのはわかりますが、それは
エリシオは肩をすくめる。
「困りましたね。そう言われれば反論できない」
気取ったような態度が、領民たちの疑念をかきたてる。あきらかな敵意が向けられた。
するとエリシオは一段と低い声で「
「おれは前々からやりがいのある
まるでフレデリカたちに一方的に非があるような言い方だった。
エリシオは静かに席を立つと「これで失礼します」と告げる。そしてコートを羽織ると二人の側近を連れて議会堂を出ていってしまう。
(だめ。行かないで)
いまここで彼を失ったら、オルブライト家は、領地は、来年を待たずに終わる。
「わたし、引きとめてくるわ!」
フレデリカも議会堂を飛び出し、彼の背中を追う。
すでに外は
「待ってください!」
エリシオの歩く速度は速い。
「待って!」
フレデリカは彼の手前に回りこんだ。息を整えながら見あげると、彼は両手をポケットに入れながら見おろしていた。
「お願いします。わたしたちに協力してください」
「もう商談は終わっていますが」
外気に負けないほど冷たくて低い声だった。フレデリカも負けじと言葉をつむぐ。
「エリシオさまはこの土地に可能性を
「ええ。でも
「そう言いながらも、ときどき自分の都合のいいように会話を
「……なんだ、バレてた?」
彼は悪びれる様子もなく
さまざまな考えが頭を
「君もいつまでも外にいないで建物の中に
そういって足を進めようとするエリシオの
「い、行かないでください……」
すがるように
「あのさ、オルブライト家の印象はあの夜会でかなりさがっている。だからますます作物は売れない。君たちは
「幻想ではなくて未来の現実にしたいんです!」
エリシオはあきらめなよと言いたげにコートの
「オルブライト家と領民たちのあいだに
投げやりな言葉にフレデリカは声を張って反論する。
「だからこそほかの
「そう思っているなら、
「ええそうですわ。エリシオさまの言う通りです。もっと早くに取れ高を増やすためのやり方が間違っていると気づいていたら、こうはなっていませんでした。でもそれは結果論に過ぎません。わたしたちはいま気づいたんです。なら、いまから変わるしかない」
「……おれは難しいと思うけどね」
「では一週間だけ
エリシオはあきれながらフレデリカを見おろす。
「君、意外と度胸があるよね。夜会のときといい。いまといい」
「領地の未来がかかっていますから……!」
彼がこの土地に足を踏み入れた時点でフレデリカに有利だ。いま一度「お願いします」と頭をさげる。
「あーもう。簡単に頭をさげるんじゃない。口が達者なのはいいけどさ──」
「わかった。わかったから、続きは建物の中でやろう! 寒いんだよこの土地!」
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