第一章 風光る日の訪問者_一
王都ベルチアからオルブライト領までの片道は駅馬車を使っても八日はかかる。
フレデリカはルーベンと共に宿場や
「それで。お父さまは畑を増やそうと言っていたけれど。具体的になんの畑を増やそうと思っているの? キャベツ? ニンジン?」
「トウモロコシがいいんじゃないかって思っている。焼けば
「でも去年は不作だったわよね……? 今年は
フレデリカが首を傾げると、ルーベンは気まずそうに口元を引きつらせた。
「……お前に言い返されるとはなあ。まさかこれが世にいう
「もう! 家の危機に直面したらわたしだって意見くらい言うわ!」
思わずフレデリカが前のめりになると、馬車の車輪に石が当たったのかガタッと
(お
帰路の三日目にようやく前世の記憶が体になじんだ。長かった前髪は分け目を変えて視界をはっきりとさせたことで、前よりも自分の主張ができるようになった気がする。そして前世のことは知識の一部として頭の中からいつでも引き出せるようになった。
領地に帰るまでに今後の方針を決めようとルーベンと話していたのはいいが。なかなか考えがまとまらない。
フレデリカは母親の
「ねえお父さま、もう一度
「ああ」
一番重要なところは、どこまで財政を回復させるのかだろう。正直、一年ですべての借金は返せない。きっと長い目で見たときに安定して収入を得る方法があれば
言葉で整理してみると簡単なように思えるが、とんでもない難題を
(どうしていまなのかしら)
ルーベンの話を聞くかぎりでは、今回の領主の定例会議で宣告を受けたのはオルブライト領だけだった。いずれ来ると予想していても、十分な対策や予防まで手が回らなかった。
フレデリカは窓の外を
街道の整備ができないのは私腹を肥やすために費用を
(……見せしめなんでしょうね)
オルブライト家はイフレイン王国の中でも歴史が長い。その家が
要は
ルーベンも畑を増やして仮に取れ高が増えたとしても、買い手がいなければ意味がないことはわかっている。
(わたしが
そのことを前々から提案していたが、家族に反対されていた。そもそもオルブライト家は没落するかもしれないのに、借金を
結局いい案が出ないまま、日数だけが過ぎていった。
見晴らしのよかった街道は深い木々に
「いつもながら長い旅路だったな」
「本当にね」
ルーベンは『フォグリヤ』の見張り番と一言二言
馬車から降りると寒々とした空気がフレデリカの
ルーベンは馭者にお礼を言ってから、フレデリカの分のトランクを持って
いまはお昼どきなので、領民たちはすでに農作業を終えて家の中で昼食を取っているのだろう。家々を横切るとかぐわしい
フレデリカたちは坂道をのぼり、高台にある屋敷を目指す。
(オルブライト領の中ではちょっと
きらびやかな屋敷に
坂道をのぼりきると、
「お父さま! お姉さま! おかえりなさい!」
「ただいま、セオ」
弟のセオドールに
(だって『お姉さま、僕にかまわないでください』なんて言われたら絶対泣くもの)
あ、想像するだけで
すると弟の背後から長い赤髪をなびかせて女性がやってくる。母親のサーシャだった。
「おかえりなさいフレデリカ」
「お母さま!」
フレデリカは母親とも
「お母さま、体はもう大丈夫なの?」
「おかげさまでね。ただの
「よかったわ……!」
フレデリカは満足するまで抱擁を続けたあと、「そうだ」と声をあげて自分のトランクから手のひらよりも大きい包み紙を取り出す。
「これ、お
サーシャはゆっくりと包み紙を開き、目を
「スカーフじゃない」
「似合うと思って買ってきたの」
サーシャもまた畑仕事にいそしんでいるが、休日やどこかに出かけるときは男爵夫人として必ず身なりを整えていた。中でもお気に入りのスカーフにほつれができてしまったのか、最近身につけていないことにフレデリカは気づいていた。
気に入ってくれたようで、サーシャは
「ありがとう。
「そうよ。なかなかいいでしょう? お母さまに絶対に似合うわ」
ほほえみかけると、サーシャは
「ねえフレデリカ。あなた
ドキリ、と心臓が
フレデリカはさりげなく首を
「そう、かしら?」
「ええ。まさか……なにか王宮であったわね」
サーシャの瞳が
「なるほど。危機に直面したら、自分がしっかりしないといけないと思ったわけね」
サーシャはフレデリカの
「私の代わりにお父さまと王宮に行ってくれてありがとう。大変だったでしょう? とりあえず今日くらいゆっくり休みなさい」
「ええ」
と
そんなフレデリカをよそに、サーシャは夫と
「まずはお昼ご飯ね。いっぱい作ったから、たんとおあがりなさい」
久々の母親の手料理だ。フレデリカもお
(確か、腹が減っては
温かいものが食べたいと思いつつ、フレデリカは家族と共に屋敷の中に入った。
「わあ!」
テーブルにはフレデリカの期待に
フレデリカたちは食事が終わると、紅茶を飲みながら今後のことを話し合う。
しかしまだ財政を回復させるための方針が決まっていない。いままでも領民たちと取れ高を増やすために対策を練ってきたが、どれも失敗に終わっていた。まずはその理由を
そもそもオルブライト領は王国の
それでもオルブライト家の先人たちは、王国中の野菜や果物の種を集めて品種改良をくり返し、売りあげを
ご先祖さまの功績を記した資料はすべてオルブライト家の屋敷で保管されていた。ルーベンはそれを読みこみ、領民たちに指示を出していた。
だから祖父の代とやり方が大きく変わっているわけではないのに。
セオドールは
「お父さま、寒さに強い
まだまだあどけなさが残る顔立ちだが、藍色の瞳の奥に
「王都に
「
「そうなんだよなあ」
家族の会話をよそに、フレデリカは一人
次の日。
フレデリカは
領民たちの体格は
意を決し、ルーベンが声を張りあげる。
「今日はみなに知らせがある。王宮で行われた定例会議で、このたび我がオルブライト男爵家が、あと一年で財政を回復させなければ爵位剥奪だと宣告された!」
辺りはシーンと静まり返り、
「それは本当なんですか? 領主さま」
手前にいた老人が口を開いた。ルーベンが重々しく頷くと、領民たちの顔色が変わる。ざわめきが
「みなが困惑するのはわかる。一年という期限の中でできることは数少ない。だからこそ、みなには今日ここで選んでほしい! 新しい領主を
領主の威厳ある声が辺りを支配する。その背中は大きかった。フレデリカもセオドールも胸を張り、領民たちの反応を見守る。
「そんなの決まっているではないですか」
一人の領民が一歩前に出た。
「俺たちは領主さまの味方です」
「この土地はあなた方の一族でないと
次々とそんな言葉が返ってきて、フレデリカは両手で口元を押さえる。彼らが味方になってくれる。これほど
しかし冷静な声も飛んでくる。
「領主さま! その、とても
「……それが夜会では
すまないと頭をさげるルーベンに、フレデリカは意表を
(十分すごいわ)
フレデリカはルーベンが夜会で受けた仕打ちを知っている。冷ややかな視線を向けられながらも、彼は領地のために参加者に声をかけ続け、情報を集めていたのだ。
「どうも王都で財を成した
つまり爵位をお金で買うのだ。領民たちが
「ということは、農業に
「そういうことになる。事前にこの土地の特色を理解してくれればいいんだが」
ルーベンの言葉に
それにオルブライト領の税はイフレイン王国の中でも安いほうだ。新体制になりこれ以上税が増えれば体を壊してしまう。
するとサーシャがルーベンの
「ねえみんな、私たちは不作続きで苦しいときも
彼女の力強い声に、領民たちも顔を見合わす。
「そうだよな」
「やろう、この一年で!」
「俺たちの生活は俺たちで守るんだ!」
基本的に前向きな人が多いため、立ち直りが早いのはありがたかった。
しかしどうやって財政を回復させるかという話になると、誰もが小難しい顔をする。品種改良を続けるのか、全体的に畑の規模を増やすのか。それとも長期保存ができる方法を生み出して
現在もっとも
さまざまな側面から考えるが、なかなかいい案がでない。
ふとフレデリカは、前世の自分だったらどうしていたのだろうかと考える。
(まずは
フレデリカはハッとひらめく。
(そうだわ。伝統よ! わたしたちは伝統に取りつかれている)
過去を重んじるばかりで、いまの時代にあった手段を持ち合わせていない。こり固まった価値観を変えるためには、
その夜、フレデリカは自室でペンを取った。
思えばあの夜会の
(同情をひくような文章ではだめだわ)
フレデリカたちに必要な協力者は、領地の運営をよく知り商売に興味を持つ人だ。だからこそこの難題を一緒に解決してくれる人を求むと書く。
(……理想の人なんてそうそういないけれど。来てくれたら嬉しいわ)
そしてバートリー商会にも手紙を出す。
(あの商会は確か、バートリー
イフレイン王国は貴族自身が商売をすることを認めていた。バートリー領は古くから織物業で発展し、
功績はほかにもあり、最近では他国からシフォンと呼ばれる
(値段は良心的で、わたしたちのような
もしもバートリー商会の力を借りることができたら、現状を打開できるかもしれないが。ひとつだけ不安が
(流行……ドレス……そういえばバートリー商会でシフォンの技術を持ちこむことに一役買ったお方って、伯爵家の次男であるエリ……エリオット。いや、エリシオさま?)
フレデリカは夜会で出会ったエリシオという名前の青年のことを思い出す。あのときは少しだけ顔を合わせた程度で、どこの誰かはわからなかったが、
(ど、同一人物だったりする……?)
いままで参加した夜会や
(まさかね。そんなことないわよね)
心の中で笑い飛ばしながら、机の上に数十枚の手紙を並べる。
(多くの方に手紙を送ったところで、いい返事はないかもしれないけど)
それでもあきらめるわけにはいかなかった。
両手を合わせて「想いが届きますように」と拝んだ。
フレデリカは数日間、王国の歴史や他国とのつながり、さらに各領地の文化まで調べていた。ブランケットを羽織ると、庭先のベンチで紅茶を飲む。
(さすがにまだ返事は届かないわよね……)
どんなに急いでも手紙が各地に届くのには時間がかかる。
(もうすぐ四月の半ばになってしまうわ)
(あ、もう紅茶が空っぽ)
王都の
「おーい、お
屋敷までの坂道を誰かが馬で
「どうしたの?」
フレデリカはティーカップをテーブルに置いた。彼はこちらに近づくと馬からおりて
「『フォグリヤ』にお客さまが来ています」
まさか、とフレデリカは
「どなたかわかる?」
「ええっと、手紙をもらったから来たと言っていました」
「! 来てくれたのね!?」
フレデリカは
(神さまに
フレデリカは
あっという間に『フォグリヤ』の針葉樹が見えてくる。少し手前で馬を止め、大きく深呼吸をくり返してから
相手は目上の貴族である。はやる気持ちを
訪問者は三人いた。
主人らしき青年が二人の側近から
木々は風によってざわめき、
青年の容姿は整っていた。
金茶の髪は日差しによって輝きを増し、くせ毛によって目元が
彼が連れてきた二人の側近たちも
(それにしても、どこかで見たことがあるような顔だわ)
フレデリカが目を細めていると、彼らもこちらに気づいたようだ。
「さむっ……あ」
時が止まったように、フレデリカと青年は視線を交差させる。
彼の瞳は爽やかな碧だった。
そんなまさか。なぜ彼がここにいるのか。
青年はつかつかと歩いて近づいてくる。その表情は
「エリシオ・バートリーです。このあいだはどうも、フレデリカ・オルブライト男爵令嬢」
そしてエリシオはフレデリカの手を取りキスを
(か、からかわれている……!)
フレデリカは赤面しながら勢いよく手をひっこめた。
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