第二十三章  もう一人の犯人

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「ちょっと待てい」


 矢立警部が声を荒げた。


「何さ」


 猫子は冷静に訊き返す。


「そんな、そんなことが……谷山佐夜子もまた殺されているんだぞ? まさか彼女の死は自殺だったとでも言いたいのか? そんなことはありえない。彼女は胸を一突きにして殺されていたんだ。それに自殺なら自殺で検視の際にためらい傷が確認されるはず」


「そうね、だって谷山さんを殺したのはまた別の人間なんだもの」


 猫子はしれっと言った。


「はあぁ?」


「谷山さんは利用されたにすぎないんだよ。この事件を企てた真犯人によってね。それにこれはあくまで仮説の一つなの。反論は最後まで聞いてからにしてもらえる?」


「真犯人って……」


「まず谷山さんが朱李さんを殺した動機、これはもちろん強引な婚約のせいよ。好きでもない相手との結婚が嫌だったから殺した。そんな単純な話なのよ」


「しかし、そんなことをしたらすぐに足がつくでしょう?」


 知世が真剣なまなざしをして言った。


「ええ、そうなるのを防ぐために谷山さんと真犯人の間ではある計画が持ち上がっていたの」


「計画?」


「そうよ。それこそまさに今日起きたもう一つの事件の真相なの。芽衣子さんを犯人に仕立てあげ、事件の犯人として自殺に見せかけ殺害する。それこそが真犯人の狙いだったのよ。それを逃げ策として、谷山さんが朱李さんを殺すように仕向けた。。そんな交換条件を谷山さんは真犯人に持ち掛けられたのでしょう」


 猫子は口にするのも不快である、というように顔をしかめた。


「共犯がいた……では、谷山佐夜子は口封じのために殺されたのか? しかしそれでは順番が合わない。もしかすると仲違いがあったということなのか?」


「いいえ、犯人はだったのよ。それに気づかずに、谷山さんはまんまと犯人の口車に乗って朱李さんを殺してしまった」


「なるほど、つまり、紅月朱李に恋心を抱いていた芽衣子が、あたかもその恋に殉じて事件を起こしたと見せかけるのが、犯人の狙いだったというわけか。谷山佐夜子の死にもこれで合理的な理由ができる。なぜなら、紅月芽衣子にとって谷山佐夜子は恋敵だったのだから」


「そうね、犯人はあの日記を見て、のね」


「うん?」


 ここでまた猫子は微妙な表現をした。そのを知る私には特別不思議なことではなかったが、矢立警部の顔にはクエスチョンマークが浮かんでいた。


「それはいったいどういう――」


「後でまとめて説明するよ。では次の話に進みましょう、とそう言いたいところなんだけど、ここで確認をしておくことにします。いよいよこの事件の黒幕の名を告げるわけだけれど、その前に自分がそうだ、と名乗り出てくれる者はいるかな」


 猫子はそこでいったん言葉を切り、三人の反応を待った。


「……」


 知世も新山もすずも、互いを猜疑的な目で盗み見ていた。この中に犯人がいる、と猫子はそう言った。

 場の緊張はもう限界だった。

 そこから猫子が口を開くまで、まるで何分も経過したような気さえした。実際はものの十秒ほどだったのだが……


「自供する者はなし、まあ仕方ないね。では始めましょう」


 容赦のない、冷徹な声で猫子は語り始めた。


   *


「司法解剖の結果、二人の死の時間はかなり近接していることが判ったそうだね?」


「え、ああ、その通り」


 突然の振りに、矢立警部はどぎまぎしながら答えた。


「ということはつまり、真犯人は谷山さんが朱李さんを殺した、すぐに谷山さんを殺したということになるのだけれど、ここで一つ疑問が持ち上がるわ」


 猫子は顔の前で人差し指を振った。


「疑問って?」


 新山が訊く。


「とても簡単なものよ。いい? なぜ真犯人は谷山さんが朱李さんを殺したことが判ったのか?」


「ん、それはどういうことだ? 元々そういう計画だったと、今言ったばかりじゃあないか」


 矢立警部は首を傾げる。


「あたしの言い方が悪かったね。ごめん。そう、たしかに谷山さんが朱李さんを殺す、それがまず最初の計画だったのだけれど、疑問なのは、谷山さんが殺人を犯した直後に真犯人は部屋に現れ、そのまま谷山さんを殺した、ということなの。いくら示し合わせた計画だとしても、いつ最初の犯行が起きたのかを真犯人が知ることは不可能じゃない? どんなトラブルがあるかもわからないし、谷山さんが土壇場でしり込みする可能性だってある」


「殺人の成功を谷山佐夜子が犯人に連絡しただけのことでは?」


「どうやって?」


「どうやってって、電話をするなりメールをするなり……あっ」


 言ってから矢立警部は自分の失言に気づいたようだ。そのような記録があれば、すぐに相手の人物は捜査上に浮かぶはず。しかし、記録はなかったし、そんな人物はいなかった。


「一度部屋を出て、直接犯人に会って伝えたとか?」


「いいえ、それも考えられないわ。だって谷山さんもまた、部屋の外の様子を知ることはだもの。もしラウンジや廊下に誰かがいて、谷山さんが部屋から出て行ったところを目撃されてしまえば、翌日発覚するであろう朱李さんの事件で最も疑惑の目を向けられてしまうじゃない。全てのやり取りはで行われなければならないの」


「ではいったい……」


「真犯人はだから、のよ」


「最初から?」


「そう、最初からその場にいれば、朱李さん殺害のタイミングが簡単に判るじゃない」


「当時部屋には三人の人物がいたってことですか。でも――」と私。


 事件当夜、私がラウンジに根を張っていた時間帯、その部屋に出入りする者はいなかったはず。ということはその犯人はそれよりもっと前から、事件が起きるまで朱李の部屋にいたということになるはず。

 だが、いくらなんでもそんな長時間、他人が部屋にいて朱李が平気な顔をしていられるはずがない。なぜなら、その時は愛する婚約者と一緒だったのだから。


「正確には『いた』というより『潜んでいた』と言った方が正しいのかもしれないね。谷山さんの殺人を監視する目的で犯人はこの部屋に潜んでいた。この部屋で隠れることができそうな場所はそこのクローゼットくらいね」


 言って猫子はベッドの前のクローゼットを両手で開いた。たしかに衣服が少なく、広いスペースがあるため人が隠れるのはもってこいだ。


「真犯人はきっとここに隠れていたのね。机からベッドに向けて続いていた血痕はだから、殺人鬼がベッドの谷山さんに向かって行ったのではなく、殺人に成功した谷山さんがクローゼットの中の真犯人にそれを血痕なのよ。そして、当然クローゼットの中に忍び込むには、朱李さんにに行わなくてはならない。いくら彼でも、クローゼットに人が忍び込むなんておかしな状況を見過ごすはずがないから」


 猫子の目が、ある一人の人物で止まった。




「谷山さんの死が朱李さんより後でかつ、二人の死がかなり接近していたという結果から、谷山さんが殺人を行う段階で犯人はその場にいたという結論が段階的に導かれる。そして、この状況を作るためには朱李さんと谷山さんよりも先にこの部屋に訪れ、隠れる必要がある。言い換えれば、。その人物は一人しかいない」





 一同の目が一人の人物に集まる。





「つまりあなたよ、新山緋呂さん」



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