第五章  役者はそろい始める

 1


 時刻は五時を回ったが、窓から見える空はまだ明るかった。開放的な空間がそう感じさせるのか、時間が過ぎるのがとてもゆるやかに感じられた。


「あら、もうこんな時間」


 芽衣子は壁に掛かった時計(これも高そうだ)に目をくれた。


「五時だね」

「今日は庭でバーベキューの予定なんです」


 芽衣子がそう言ったのとほぼ同時にすずがリビングに顔を出した。


「お嬢様、ご夕食の準備が整いました」

「今行きます。さあ、先生、万野原さん、行きましょう」


 満天の星空照明の下――とはいかず、空には日中と変わらぬ重くるしい雲が広がっている。さすがに気温はいくらか下がっていたが、それでも空気はじっとりとしていた。

 庭の隅の一角にピットグリルを囲む人の群れがあった。香ばしい匂いがその方向から漂ってくる。


「お、芽衣子ちゃん久しぶり。ん、そっちの女の子たちは?」


 当然といえば当然だが、集まった人々は私たちの知らぬ顔が多い。缶ビールを片手に陽気な口調で絡んできたこの男のことも、私はもちろん知らなかった。


「私の学校の友人の百合川猫子さんと万野原桔梗さんです。こちらは兄のご友人の――」


中林なかばやし英雄ひでおです。よろしくっ」


 きらりと光る歯を見せて、中林は快活な笑顔を見せた。すとんと落ちたなで肩が目を引く中肉中背の男である。ダメージジーンズに目にきつい黄色いポロシャツといった派手な出で立ちをしている。髪はウェーブがかった茶髪で肌は豆腐のように白かった。

 悪い男ではなさそうだが、私の趣味ではない。


「中林さん、お一人で来られたのですか? お兄様は?」


「いや、朱李しゅりの車で来たんだ。だから今日は泊めてもらうよ。やつは今さっき出て行ったな。ちょっくらドライブがしたいって言って。相変わらず自由な奴だ」


「まあ。まさかお酒を飲んでは――」

「それはだいじょうぶさ」


 中林はビールを煽って言った。


 聞くところによると、中林は芽衣子の実兄、紅月朱李の小学生時代からの古い馴染みのようである。年齢は二十三歳。F**市内の雑貨店に勤めているという。


「それより、君たち綺麗だね。芽衣子ちゃんの友達が来るって聞いてたから、どんな娘かなって期待してたけど、期待以上、超可愛い」


「ありがとう、ございます」

「どうも」


 猫子は露骨に声を強張らせた。こういうチャラい男は猫子の一番嫌いなタイプである。


「ツンツンしないで、猫ちゃんは彼氏いるの?」

「いないですけど」


「うっそー、こんなに可愛いのに? もったいないなぁ」

「……どうも」


 もし猫子に尻尾が生えていたら、いらいらした猫がするように左右にパタパタと振るだろう。

 中林は猫子に興味を持ったらしいので、彼女を生贄に私と芽衣子はお肉の方へ急いだ。


 じゅうじゅうと音を立てて、網の上で肉の脂が弾けている。焼いているのは新山だった。その傍に、空次郎が妙齢の女を連れて立っている。

 見たところ、二人の関係はただの友人ではないようだった。空次郎の腕が、女の細い腰をがっしりと支えている。


「桔梗ちゃん、来たかい」


 空次郎は赤みの差した顔で言った。


「ごちそうになります」


 私は軽く頭を下げた。


「遠慮せずにどんどんやってくれ」

「新山さん、私たちにもいただけるかしら」


 芽衣子は傍らの父たちを無視するかのように新山に話しかけた。


「少々お待ちを」


 そうして新山は焼けごろの肉と野菜を二人分の紙の皿に盛りつけ、芽衣子と私にそれぞれ手渡した。


「お飲み物はあちらのクーラーボックスにあります」


 新山は顎をしゃくって地面に直置きにされたクーラーボックスを示した。


「ありがとう」


 そう言って、芽衣子はそそくさとその場を離れていった。


(あーら)


 私たちはそれぞれ飲み物を手に取ると、菩提樹の傍に設えられた白いベンチに並んで座った。

 遠くの方で、猫子は中林にまだ絡まれていた。



 私は肉をほおばりながら空次郎の体に身を預けている女――五十嵐いがらし知世ともよ――を見た。

 髪はショートで、おしろいを塗ったような白い顔をしている。そのくせ唇には目の覚めるような真っ赤な口紅が引かれていて、そのコントラストが毒々しい。背中が大きく開いた紫色のドレスに身を包んだ彼女はくねるような腰つきで空次郎に寄り添っている。

 空次郎の女癖の悪さと、芽衣子が先ほどから露骨に発している嫌悪感を合わせて考えれば、あの二人が愛人関係にあることは瞭然だった。


 芽衣子の実母、紅月まゆは数年前に他界しているため、その点では問題はないのだが……


 年頃の娘と親の愛人が同じ場に集まるというのは、そうそうよくあるものではない。一般的な感覚で言えば、水と油のようなものだろう。


 私は改めて紅月空次郎という人間のある意味で豪胆な一面を認識した。

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