第一章  禁断の恋

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 六月二十日。


 東海はk県、F**市のはずれに建ったとある探偵事務所の一室。

 部屋に流れる陰鬱な空気をかき消そうと私――万野原まんのはら桔梗ききょうは窓にかかったカーテンを勢いよく開いた。外はこの季節にしては珍しい上天気だった。

 梅雨明けの眩しい日差しが部屋に差し込んでくる。


「ええっと、以上が、私の調査の結果です」


 この探偵事務所の主、百合川ゆりかわ猫子ねここが言う。さすがの彼女も、この状況では落ち着いた物腰になるようだ。

 どことなく気まずい思いで、私は依頼人である紅月こうづき芽衣子めいこに目をやった。ソファにちょこんと座っている彼女は、まるで世界の破滅が目前に迫っているかのような悲痛な表情をしていた。


「まあ、その、気を落とさずに……」


 猫子はできるだけ柔らかな声を繕った。


 紅月芽衣子、年は十六歳。肩まで伸ばした美しい黒髪。前髪には花柄のヘアピンを付けている。

 制服姿のところを見ると、下校途中のようだと判る。その制服は地元では有名なお嬢様学校のものだった。


「紅月、さん?」


 芽衣子は無言のまま、卓上を見つめている。心ここにあらず、といった様子である。しばらく経ってから、ようやくその薄紅色の唇がわずかに開いた。


「それじゃあ、やっぱり私は、兄とは」


「そうですね。これは民法で定められているのです。婚姻関係を結べるのは――四親等以上離れていなくてはなりませんから。今回の場合ですと、二親等同士に当たってしまうので……残念ですが」


 芽衣子の依頼とはつまり、自分の兄についての調査依頼だった。彼女は血の繫がった兄に恋をしていたのだ。


 同じ家に住んでいるのだから自分で直接聞けばいい、というわけでもないのだ。恋に落ちた少女にとって、その相手となった人物は最も近く、そして遠い存在なのだから。


 芽衣子は沈んだ表情のまま中空をぼんやりと見つめていた。

 失恋したばかりの少女にどのような言葉をかけるべきだろうか。中途半端な慰めは逆効果になってしまうに違いない。特に、彼女のような挫折を味わったことのない人間にとっては。


「だいじょうぶでしょうか。お兄さんは同じ家に住んでいるですよね?」

「父は知らないと思います。いえ、知らない方がいいんです」


 芽衣子はゆるく首を振って答えた。


 芽衣子の父は世界的な名外科医、紅月空次郎そらじろうだ。医学系のテレビ番組にもよく出演していて、私も何度か目にしたことがある。

 豪奢な性格で有名な人物で金遣いの荒さもさることながら、マンションに女を囲っているとか、一晩で数百万円高級クラブに使ったとか、そんな噂が絶えない好色家の一面もある。


 空次郎は特に芽衣子を可愛がっていたようで、愛娘が欲したものは金に糸目を付けず、どんなものでも手に入れてきたという。けれどもここへ来てようやく彼女がどれだけ望んでも手に入らないものが現れたようだ。



 金で人の心は買えないのである。



 芽衣子が辞したのはそれから一時間ほど経ってからだった。


「ありがとうございました」


 去っていく芽衣子の後ろ姿はとても小さく見えた。待たせていた車に乗り込む前に、一度こちらを振り返って頭を下げた。

 車が見えなくなってから、私たちは事務所の真下の喫茶店〈ジャイロ〉に入った。

 窓際のテーブル席に腰を下ろす。目の前に座るのは私の雇用主、百合川猫子。

 どこからどう見ても小学生ぐらいにしか見えない彼女がいくつもの難事件を解決する探偵だとは、誰も思わないだろう。

 長いクリーム色の髪に華奢な手足。

 色素の薄いすべすべな肌は本当に子供のようだ。

 そんな彼女の助手バイトをしながら、私は夜間の総合美容専門学校に通っている学生である。

 アイスコーヒーにたっぷりミルクを入れながら、猫子は言う。


「失恋の特効薬は涙だよ。あの子は今日、枯れ果てるくらい泣くだろうね」


「かわいそうですね」


「いいんだよ。どうしようもない現実に立ち向かったところで人間には何もできないんだから」


 彼女はこれからどのような夜を迎えるのだろう。聞けば、これが彼女の初恋だったという。


「猫さんにもそんな経験があるんですか?」


「さぁてね。ま、彼氏いない暦イコール年齢のきーちゃんには判らないだろうけど」


「なんでいちいち煽るんですか!」


「ごめんごめん」


 全く。


 カフェラテを一口飲む。イラっとした時は甘いものが特効薬だ。


 

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