剥き身の包丁
ふと隣の女性を横目で見ると、ペットボトルでも持っているかのように無造作に剥き身の包丁を持っていた。
右手にポーチを抱え、だらんと下げた左手に包丁。幸い僕の視線に気付くことなく、頭上の電光掲示板をぼーっと眺めていて、あと何分で電車が来るのかと待ちぼうけている顔だ。
僕は女性に悟られないように、そっと視線を戻した。
私鉄駅のホーム、電車待ちの列の中。
土曜日の正午前。家族やカップル、大学生の集団、予備校生、電光掲示板とスマホを交互に見ている若者等、平日の通勤ラッシュとは違った顔触れ。
僕は隣に並んでいる女性が包丁を持っていることに動揺していた。おもちゃには見えなかった、金属の質感は本物のそれだ。
電車……ジャック? 聞いたことないぞ、そんなの。あるのか? 先頭車両でもないのに? 誰かを人質に取って立て籠もり? だったらこんなところで包丁出さないよな? 自殺? 無差別殺人? それにしては……普通。至って普通だったぞ?
僕はもう一度、ちらりと女性を見た。
二十代女性。普通。普通に化粧していて、普通に電車を待ってる顔で、これから遊びに出掛けるぞって服装。普通の女性だ、どう見ても。ただし包丁を持っている。
他の人は気付いていないのか?
僕は周囲を見渡して、とんでもないことに気が付いた。
――全員、包丁を持っている。
包丁に限らず、ナイフ等、何らかの刃物をみんな無造作に剥き身で持っている。そしてそのことをだれも気にしていない、刃先が自分を向いていても。
夫婦は包丁を持っているし、子供はカッターナイフを持っている。カップルも包丁を持っているし、学生達はノコギリやデザインナイフを持っている。アウトドア用のゴツいナイフを持っている人もいるし出刃包丁や日本刀も。
アナウンスが流れ、電車がホームに入ってくる。
混乱したまま僕は電車に乗って、電車の乗客が全員刃物を持っていて、だれもそのことを気にしていない光景にさらに混乱した。僕がおかしいのか?
僕は十徳ナイフが鞄の中に入っていたことを思い出した。
動き出した電車の中で僕は鞄の中身をぶち撒けた。怪訝な顔を浮かべている人もいるが、構うものか。僕も、僕もナイフを持たないと!
震える手で十徳ナイフを拾い上げ、折り畳まれていたナイフを開く。悲鳴が上がった。背後から殴り掛かられて、僕はナイフで刺し返した。
呻き声。血が溢れた。さらに大勢の悲鳴が上がった。次だ。お前達が包丁をナイフを持っているから僕も、だから僕は――ナイフを振りかざした。だから今。
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